大田区の地域情報誌『月刊おとなりさん』は何故長年愛読されてきたのか?
はじめに
大田区は、多摩川を越えて東京に入る南端の入口にあたる。中核となる大森・蒲田の商業地、東京湾に拡張する羽田空港、散在する町工場、中央に池上本門寺、馬込文士村跡、西郊に田園調布・洗足池等々、多面的な様相の住宅地域である。『月刊おとなりさん』(以下『おとなりさん』)(資料1)は、この大田区民に根強い人気をもつ唯一の地域情報誌であるが、地域外ではほとんど知られていない。創刊は1983年5月、2021年1月で通巻450号となり、37年の歴史がある。何故、長い間愛読されているのか、評価・報告を試みたい。
1. 基本データ
①地域情報誌としての紙面構成・体裁
最近の紙面は、特集(歴史上の人物の足跡をたどる、街歩きコース紹介)、連載(なつかしの写真館、遺品整理屋は見た、消えた地名を追う、馬込文士村、大田区の昔話、落語家真打繁盛記)を中心に、単月の地元紹介記事5~7本で成り立っている。その他、会員店紹介、インフォーメーション(愛読者プレゼント、運勢九星占い、MUSEUMガイド、タウンミニ情報、読者からのおたより、便利マップ)がある。(資料2)
オールカラー72頁、表紙は毎号、日本画を中心とした絵画・写真やイラストなど変化をつけている。175号(1998年2月)からやや大きめのA5版に変更し、発行部数は23,000部である。
創刊号から450号まで総覧すると、特集398本、連載記事123本が掲載されている。(資料3)
②配布ルート
1)大田区を中心とした物販店、飲食店、学校・教室、病院・医院、サービス業その他(信用金庫・不動産業・税務法務事務所・寺・葬儀社・互助会等)など多岐にわたる。現在60数社の会員店及び広告主の利用客に無料配布している。近年はサービス業その他の割合が増加している。
2)区役所・各地域の特別出張所、観光協会・観光情報センター・消費者生活センター・大田区民プラザ・地域の区民センター・文化センター・駅・博物館・美術館などの公共施設でも無料配布している。(註1)(資料4)
③奥付
編集人/西村敏康、発行人/西村隆太、発行所/株式会社ハーツ&マインズ。
2.歴史的背景
西村敏康は、コピーライター10年を経て1983年創刊当時35歳、新たにライフワークを模索していた。居住してから数年経った平和島駅周辺に興味をもち、平和島駅周辺の商店を400軒回り、43店の協賛を得て、半年かけて創刊する。第1号は京浜急行平和島駅周辺の情報のみで編集、第2号は3か月後の8月にJRの大森地区へと拡大する。1984年11月の17号から蒲田地区を取り込み、「大田区のタウンマガジン」となった。さらに品川区の大井町を取り込み、現在は「サウス・オブ・トーキョー・マガジン」と銘打って刊行されている。(註2)
3.『おとなりさん』のどんな点を積極的に評価するか
①「おとなりさん」というネーミングが生きている
『おとなりさん』はあえて地名をつけていない。向こう三軒両隣の親しみやすいイメージは、大田区民に長年愛読されてきた所以でもあり、だんだん地域を拡げていく編集者の戦略でもある。ちなみに発行所「ハーツ&マインズ」(Hearts&Minds)も、末尾の「s」は多様な気持ち・多様な感覚を意味している。(註3)
②足で稼ぐ徹底した取材を行っている
編集者による丹念な地域情報の取材とともに、地元の郷土史研究家や文化史研究家の寄稿も加えて、地域の過去から現在迄のあり様を浮かび上がらせている。(註4)
また大田区・品川区に何らかの縁・ゆかりのある歴史上の人物を調査・取材。鎌倉~江戸時代の武将・侠客、幕末の志士、明治以降の政治家、馬込文士村の文人・作家・芸術家など、これまでに120名を超える人物の足跡が丹念に紹介されている。(註5)
自分の足と眼でたどりながら、街並みと史実を繋げる編集者の語り口には蘊蓄があり、大田区・品川区の面白さを再発見できる。
③多様な人々の物語、多彩な地元の年中行事の集いを発信し続けている
当初は若者向けのタウン誌として地元出身か在住の芸能人を追いかけ「おとなりさん美女対談・美男対談」として取材・掲載していた。その後、地元で活躍する各界の多様な人々へと対象範囲を拡げて、「おとなりさんインタビュー」(1994年~)は現在252回を重ねている。(註6)
さらに大田区・品川区で毎年繰り広げられる初詣・七福神めぐり・節分豆まき・初午・観梅・お花見・お祭り・忘年会・除夜の鐘、等々、人々が集うイベント情報が、月毎にタイムリーに紹介されている。(註7)
『おとなりさん』は地域を活性化させ、地域文化を向上させる一翼を担ってきたのである。
④地域ジャーナリズムの視点を持ち続けている
『おとなりさん』は、創刊時から河川・環境問題、地域の再開発、街づくり、新交通システム、羽田空港拡張移転など大田区の抱える様々な問題と関わり、取材・提案・発信してきた。また大田区役所移転問題や大田区刊行物への広告掲載中止の陳情など行政と緊張感をもって対応する姿勢が、辛口・硬派と評されてきた。(註8)
最近でも、読者の一通のメールから、かつて羽田空港付近で起きたベトナム反戦デモで亡くなった若者に関する取材調査を行った、その報告記事が掲載されている。(註9)
地域ジャーナリズムの熱い視点は生きている。
4.他の同様の事例と比較して何が特筆されるのか
無料配布の情報誌として有名な『銀座百点』『うえの』と比較する。(資料5)
『銀座百点』は1955年創刊、65年の歴史をもち、銀座の老舗店を中心に126店が協同組合銀座百店会として発行。96頁のB6版冊子で、銀座及びその名店の特色を巻頭座談会・今月のエッセー・連載・対談などで伝えている。
『うえの』は1959年創刊して61年、69店が加盟する上野のれん会が発行。コロナの影響で冊子は現在休刊しているが、2020年5月にWeb版を立ち上げて、上野の森の魅力、博物館・美術館の展覧会の紹介等がエッセーを中心に編集されている。
両誌は共に著名な作家・芸術家・気鋭の評論家・エッセイストの依頼原稿で編集されている。また銀座・上野という日本有数の集客地の魅力をピンポイントで伝え続けている。
一方、『おとなりさん』は、編集者が自ら取材・執筆した特集・個別記事を中心として、地元の郷土史研究家・文化史研究家その他の寄稿が加わる形で成り立っている。また地元大田区・品川区の様々な地域の情報・人物・歴史を一貫して掘り起こし、発信してきたことが特筆される。
5.今後の展望について
大田区の人口ビジョンによれば、上昇を続ける老年(65歳以上)人口は、2020年頃(22%)から一時横ばいとなるが、団塊ジュニアの高齢化により再び増加し、2050年頃(28%)まで長期的に増加する傾向が示されている。(註10)
毎号の『おとなりさん』の「読者からのおたより」をみると、大田区・品川区内(ときには区外)の様々な方が、単に情報を得るだけでなく、じっくりと、興味深く愛読し、「地元の再発見」を楽しんでいる様子が伝わってくる。以前は若者向けタウン誌であった『おとなりさん』は、今や中高年(かつて若者であった)が、地元を再発見するガイド役の役割を果たしている。
これから新たに参入してくる中高年にも、ネット・スマホでは伝えきれない『おとなりさん』ならではの深掘りの記事は、そのニーズを高めていくだろう。そのためにも、例えばHPなどでの内容紹介(目次=Contents)の工夫を期待したい。
6.まとめ
『おとなりさん』が長年愛読されてきたのは、地域社会の課題・文化・歴史を掘り起こし、活性化させようとした編集者の熱意と、この地域の人々の「地元への思い」が繋がっているからと考える。
『おとなりさん』450号総体は、大田区・品川区の貴重な文化資産(アーカイブ)である。
- 資料1:『おとなりさん』450号 及び 441~450号の集合写真(2021年1月15日、筆者撮影)
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資料2:『月刊おとなりさん』推移データ(1号~450号)(筆者作成)
地域拡大・会社移転・増頁・カラー化・版型拡大・何百号記念・・・様々な試みで進化してきた。 -
資料3:『月刊おとなりさん』特集・連載記事推移データ(筆者作成)
時代のなかで特集も変化してきた。『おとなりさん』の型が見えてくる。 -
資料4:『おとなりさん』は大田区の特別出張所でも無料配布(2021年1月15日、筆者撮影)
コロナ禍でも手に入れることができる。 -
資料5:地域情報誌『おとなりさん・銀座百点・うえの』(2021年1月15日、筆者撮影)
それぞれ個性的なスタイルをもっている。 -
資料5:地域情報誌比較(おとなりさん・銀座百点・うえの)(筆者作成)
情報収集・編集方法に大きな相違がある。 -
資料6:『おとなりさん』バックナンバー(大田区立入新井図書館蔵)』(2021年1月15日、筆者撮影)
おとなりさん総体で、大田区(品川区)にとって膨大な地域の情報・人物・歴史が蓄積されている。
参考文献
(註1)会員店以外の配布ルート確保は長年の課題だった。駅売店での安価販売、区内の各駅頭での配布、一部地域でのポスティングなども試みられた。各特別出張所を含む区内公共施設全般での配布までには20年近くかかっている。
(註2)西村敏康「本誌創刊400号の葛藤」『おとなりさん』400号(2016年11月)を参考にした。
(註3)会社名は映画『ハーツ・アンド・マインズ/ベトナム戦争の真実』(1974年・米国)に由来する。映画は、ベトナム戦争がなぜ起こり、アメリカはそこで何をしたのか?―様々な証言や取材映像、ニュースフィルムを駆使して戦争の愚かさと悲惨さを鮮烈に描いたドキュメンタリー。1975年アカデミー賞 最優秀長編ドキュメンタリー映画賞受賞作品。
(註4)郷土史・まち歩き(地域)紹介の特集は、1990年の「古井戸を訪ねて」から始まり、大田区の山・川・用水・橋・坂・湧水・古井戸・墓・名木・銅像・富士山・観音・地蔵・温泉など様々な地誌情報、各地域の郷土史、街道などのまち歩きが紹介される。連載記事は、郷土史・歴史物語を中心に、郷土史家・作家さまざまな分野の専門家など地域の延べ90名を超える人々が参画している。
(註5)歴史上の人物の特集は、1990年「蒲田撮影所スター列伝」1991年「天才詩人・中原中也物語」から始まる。特集に準じた扱いの記事も含めれば延べ149人、2回以上登場している人物は18人で話が深くなっている。このうち3回以上の登場は、鎌倉時代の新田義興、明治時代の渋沢栄一、馬込文士村の尾崎士郎となっている。
(註6)対談・インタビューは5シリーズある。1983年8月の2号から始まった「①おとなりさん美女対談」36名、1984年3月から「②おとなりさん美男対談」45名が並行して続く。1992年1月から「③編集長インタビュー」15名、1993年5月「④トレンディーインタビュー」が12回目に「⑤おとなりさんインタビュー」と改題されて現在252名となっている。その他に「NGOインタビュー」5名、「地球環境インタビュー」3名、「行革インタビュー」9名、「政治・行政関係者のインタビュー」27名がおこなわれている。この結果、対談・インタビューの総数は392回となる。
(註7)大田区・品川区のお祭り情報は、5月~10月の間、月毎に紹介される。また大田区・品川区の高校野球予選の出場校の情報も毎年掲載されている。
(註8)1991~2000年の10年間は、社会・政治・時事問題に対しての取材・発信が多かった。
また、横田めぐみさんが品川区の大井第一小学校に通学していたこともあり、2003年3月、横田夫妻を招いて「北朝鮮に拉致された横田めぐみさんを救出する集会」を西村が実行委員長になって開催した。講演会及び拉致問題のインタビューを9回掲載している。
さらに「大森海苔資料館をつくる会」の会長になって活動を進め、その設置を求める陳情が2006年3月大田区議会で可決され、2008年4月「大森海苔のふるさと館」が開館した。
(註9)「山崎博昭さんの死因の真実を探る」『おとなりさん』445号(2020年8月)の記事による。その後、一般読者からの感想や関係者からの感謝の意が寄せられ、「おたより」に掲載されている。
(註10)「老年人口(65歳~)の推計」『大田区人口ビジョン(大田区作成・2016年3月)』p39
(https://www.city.ota.tokyo.jp/smph/kuseijoho/suuji/vision/vision_201603.html)
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参考
・『おとなりさん』公式ホームページ(http://otonarisan.jp/)
・『銀座百点 銀座百店会』ホームページ(http://www.hyakuten.or.jp/)
・『上野のれん会』WEB SITE (http://uenonorenkai.com/)
・『おとなりさん』のバックナンバーは大田区立入新井図書館で全巻閲覧貸出ができる。
(資料6:『おとなりさん』バックナンバー)
インタビュー
・西村敏康氏とのインタビューを、コロナ禍の第1回の緊急事態宣言解除後、2020年6月9日(火)大森のハーツ&マインズ社にて実施させていただいた。
資料・バックナンバーだけでは把握できない、まさに直接お会いして初めてお聴きできる貴重なお話を伺うことができた。