小金井公園「江戸東京たてもの園」から読み取る「令和の景観保存」の意義

高橋 幸喜

1.小金井公園と江戸東京たてもの園
中央線で都心を西に抜けると我々を迎えてくれるのが小金井市の緑と大空だ。そんな小金井市の保有する文化的資産として広大な小金井公園の敷地がある。この公園は、昭和15年の紀元2600年記念事業で計画された小金井大緑地を前身に、戦後の昭和29年に都市公園として開園した。その中に江戸東京たてもの園がある。
この施設の設立趣旨は、そのままでは取り壊される恐れのある文化遺産を移築し復元保存することで文化的価値を次代に継承することである。
7haに及ぶ屋外展示スペースは西・センター・東ゾーンに分かれており、それぞれ10・6・14棟の建築物が当時の姿ほぼそのままに実際に建物内に入って見学できる(写真1)。

2.たてもの園の特性
江戸東京たてもの園は多くの文化的価値を持つが、中でも特筆すべき点が幾つかある。
1つ目に注目すべきは、この展示の存在意義が日本、東京の街の性質に合致している点だ。この性質は日本建築の老朽化というハード面の問題と栄枯盛衰が激しい東京の町というソフト面に見て取れる。
日本は木造建築が圧倒的で、例えばヨーロッパ等に見られる石造りの街並みと比べ耐久年数が短く、品質を保つには絶えず改修が必要になる。しかしそうした保全の必要がある建築が東京津々浦々に点在していては事業が難化する。その点で文化遺産として建物を一か所に移築する事で保全事業が効率化する。
そして江戸末期以降、東京は西洋を始めとする様々な文化流入と戦争、急速な経済発展に伴い、百数十年の間にも猛烈な都市景観の更新を継続的に経験している。この状況に直面する文化遺産や建造物は、特別な保全の手なしには文化的価値以外の外的要因によって取り壊される危険性があり、リスクの低い場所に予め移築する施策は非常に有意義だと考えられる。
2つ目は、保全活動が一つ一つの建築についてだけでなく、そうした建築物が寄り集まって形成される都市景観についても展示場全体を通して整備が行われているということだ。その効果が顕著に見て取れるのは東ゾーンの下町エリアだ。東ゾーンには昭和初期に営業していた銭湯「子宝湯」を突き当りに、その正面通りを旧来の下町には欠かせなかった商店や居酒屋の並びとする事で商店街の風情を再現している(写真2)。商店街エリアの入り口付近には石橋や交番、当時運用されていたバスや鉄道車両(写真3,4)が移築展示されており、昭和当時の生活風景を再現している。展示場がもはやジオラマの域を超えた本物の街として生き返ったようにも感じられ、正に都市風景をそのまま保全している。展示を見ると、歴史博物館以上に実際の思い出や記憶が再現されるようなドラマチックな感情になる。
3つ目は、江戸東京たてもの園という保全事業の枠組みを明確化する事で、都市に良くも悪くも帰属・依存していた建築物を多くの人に「保全すべきもの」として意識付けができることだ。前述したように東京の街並みは変化し続けている。そしてその内の一瞬を切り出してみると、そこにはその時々で特徴的なランドマークが存在している事が分かるだろう。しかし現在の東京を見た時、そうしたランドマークが全て保全されているかというとむしろそうではない現実が見えてくる。例えば商業施設の場合、経営上の問題から倒産することがある。そうした時にその店舗建築を愛する人が多かったとしても、次の商業ビル建設の為に解体されるような事例は多い。
たてもの園への移築はそうした解体リスクに新たな選択肢を与える事ができる。園は様々な施策をとり、保全対象を東京の一部としながらも守られるべき空間として切り出している。一例に園を囲むように掘られたお堀状の水路(写真5)がある。外部と内部の視界を遮断する事無しに境界線を明示しながらも、建物や生垣の配置を工夫して外部と園内を別世界のように感じさせている。これは遊園地などに見られる手法であるが、たてもの園に関しても非常に大きな効果を発揮しているように感じた。

3.令和の東京に浮上した新たな景観保全の必要性
私は元々、江戸東京たてもの園で古き良き日本の街並みや空気を体験するのが好きだった。それはちょっとしたテーマパークの感覚だった。
しかし、たてもの園への感じ方が変わったのはコロナ禍以降のことだ。世界情勢の不安定の煽りや老朽化によって、それ以前は盛況だった有名店やランドマークが次々と閉鎖した。恐らく東京で生活する誰に聞いてもそれぞれ大切な場所を失っているはずだ。
そうした「場所の喪失」を実際に経験して思い知ったことがあった。場所を失う事でそこに刻まれ根付いていた記憶や文化の喪失である。都市で生活する我々にとって生活は家庭や個人で完結することは無く、日頃から利用する様々な物事と交流によって形成されている。現在進行形の日常を意識する時は大抵こうした視界に納まる物事に意識が向きがちで、ふと「この生活はこれからもずっと続いていく」と考える。しかし一度「場所」が消滅することで、当たり前だった日常も取り戻すことのできない過去になってしまった。
この事から私が思い知ったのは「無形文化は有形財に付随する」ということだ。古来からの歴史を見ても、伝統芸能や工芸が道具や手法、機会を消失したことで継承手段を失い、いつしか言い伝えと文献にのみ残された情報になってしまうような事態が、こと東京のような都市では建物や場所の消失で急速に起こりえる。その建物や景観が内包する文化にその有形財以上の価値が見込めるのであれば、この令和の時代に平成・令和の景観保全を再び行う意義は十分あるのではないか。

4.現在の国内における景観保全活動との比較
現在国土交通省主体で行われている活動として景観改善推進事業がある。これは地域活性化と観光立国を目的にその場所固有の魅力ある町を維持しようという趣旨の事業だ。
もし仮にこれから江戸東京たてもの園のような大規模な土地が確保でき、令和のたてもの園事業を行おうとした時、現在の景観改善推進事業とどのような点で違いを作るべきか。
それは「誰から見た景観」を保護するかという点ではないだろうか。現在の景観改善推進事業はその目標を観光立国の考えと多く共有している。これは「誰から見た」かと考えた時「海外から日本観光にきた観光客から見た」となるだろう。つまり、現行事業の求める景観はいわゆる古典的な和風文化に帰着する。実際に事例を見ても、景観規制により既存不適格となった建築物の外観を古き良き日本風に塗り替える措置が紹介されている。
こうして事例を知ると、果たしてこの事業を推し進めた先に「今を生きる日本人」の生活風景と文化そのものを守る効果は生れるのか疑問が生じる。近現代における日本人は柔軟かつ熱心に外的文化要素を自身の「より良い生活」に取り入れようとしている訳で、そこに強制的な塗り替えが行われるのは寧ろ古典を盾にした文化消去にすらなり得ないだろうか。
令和のたてもの園が保護する景観は「その時の最新を更新し生活する当人から見た」景観でなければならないと考える。最初からかくあるべき日本像を固辞するのではなく、その状況そのものが更新された日本文化のログとしてメモリする事にこそ、景観保全の本質的体験が宿るのではないだろうか。少なくとも平成や令和を生きる人々にとっては、自分の大切な生活を記憶にあるだけの過去の出来事として風化しないためにも、非常に大きな意義を感じることはできないだろうか。
実際に江戸東京たてもの園内で観覧できる例としてはデ・ラランデ邸が挙げられる(写真6)。この建物は元々平屋建てだったものをドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランゲが3階建てに増築した結果生まれた洋館だ。建設当時こそ古来の日本風景からは浮いていただろうが、こうして歴史を重ねることで現在では江戸東京景観のログとしてかけがえの無い価値を持つに至った。

5.まとめ
たてもの園を散策していて一番心に残っている出来事がある。それは展示されているチンチン電車に乗り込み、無垢フローリングの少し埃っぽい車内風景(写真7)に思いを馳せていた時、後から乗り込んできた3人の老婦人たちのうち1人が不意に零した一言だった。
「懐かしいわね。」
この言葉に今回私が伝えたかった事が全て詰まっていた。高品質で適確な景観保全の目的がある種達成された瞬間でもあるだろう。忘れたくなくても生活からの喪失と共に記憶の隅に追いやられた感覚が蘇る。この経験がこれからの生活のモチベーションになることもあれば、私のように今を省みるきっかけにもなる。常に変化する文化に、守るべき「ユニーク」を再発見する教科書としても役立つ筈だろう。

  • 81191_011_31981209_1_1_%e6%b1%9f%e6%88%b8%e6%9d%b1%e4%ba%ac%e3%81%9f%e3%81%a6%e3%82%82%e3%81%ae%e5%9c%92%e5%9c%b0%e5%9b%b3 ・写真1 (画像URL参考文献記載)
    小金井公園江戸東京たてもの園の地図
  • 81191_011_31981209_1_2_img_12611 ・写真2 (2022年11月30日 筆者撮影)
    江戸東京たてもの園東ゾーンの下町エリアを入口あたりから撮影した写真。写真右手の建物は建物の保全工事を行う為の足場が組み立てられている。
  • 81191_011_31981209_1_3_img_12581 ・写真3 (2022年11月30日 筆者撮影)
    路線バス
  • 81191_011_31981209_1_4_img_12591 ・写真4 (2022年11月30日 筆者撮影)
    路面電車
  • 81191_011_31981209_1_5_img_12481 ・写真5 (2022年11月30日 筆者撮影)
    江戸東京たてもの園の下町エリア辺りを囲うように掘られたお堀状の水路。水路は園内に川のように続いて流れており、景観に調和しながらも公園と園の境界を明示している。
  • 81191_011_31981209_1_6_img_12511 ・写真6 (2022年11月30日 筆者撮影)
    デ・ラランデ邸の外観。写真右手には足の不自由な来園者の方が2階を観覧できるようにエレベーターが増設されている。室内も観覧でき、水回りや家具類などがそのまま保存され、当時の生活風景を容易に想像する事ができる。
  • 81191_011_31981209_1_7_img_12601 ・写真7 (2022年11月30日 筆者撮影)
    無垢フローリングと天井の扇風機が印象的な路面電車の車内風景。

参考文献

・小金井公園公式HP:
https://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index050.html

・江戸東京たてもの園公式HP:
https://www.tatemonoen.jp/

・(写真1)小金井公園江戸東京たてもの園の地図:
https://tokyo-grand-tea-ceremony.jp/2017/edo_tokyo_tatemono_en/venue_map/venue_map.png

・国土交通省 景観改善推進事業 事業説明ページ
https://www.mlit.go.jp/toshi/townscape/toshi_townscape_tk_000046.html

・国土交通省 景観改善推進事業 事業概要PDF(事例)
chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://www.mlit.go.jp/toshi/townscape/content/001478238.pdf

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