国立科学博物館にみる社会的課題に対する取り組みについて ーコロナ過における「非接触」への対策ー
1.背景と目的
近年、映像技術とインターネット上の仮想空間との連携技術が発達した事により、芸術作品のデジタルアーカイブ化に対する取り組みが増え始めてきた。そうした中、昨年からのコロナ過において「非接触」といった新たな課題が誕生、これをテーマにした様々な取り組みが模索され行われてきた。
そして多くの美術館・博物館・図書館などは自らが所蔵している作品群をデータ化して、3Dデータや画像データとしてインターネット上に公開している。またオペラやミュージカル、クラシックコンサート等の舞台芸術・音楽芸術は、その上演をライブ配信や録画映像としてインターネット上に公開するなどしている。
しかしながら2020年09月現在、それらの取り組みは、まだ手探り状態であり、特に舞台・音楽芸術の画像・映像配信に関しては、「場」が有する独特の雰囲気の再現までには至らず、単なるライブ配信を見たり、聞いたりするのと大差ない状態となっている。
一方で上記の問題点を克服する為にオーグメント・リアリティ(以降、AR)技術を用いた取り組みや、ヴァーチャル・リアリティ(以降、VR)の技術を用いてヘッドマウントディスプレイ(以降、HMD)経由で、360度の仮想空間上で3D化された芸術作品を見られるようにする取り組みを行っている美術・博物館も出てきている。ここではそうした問題点、社会的課題などを克服・解決する為に、いち早くVRへの取り組みを行っている国立科学博物館の例をみていく。
2.事例の取り組みと評価
もともと国立科学博物館は芸術分野への関りも多く、「風景の科学展 芸術と科学の融合」と題した展示を行い、芸術作品を科学の視点で捉え両者の融合を試み、芸術と科学、それぞれの根本には物事を観察しデザインし、構築するといった共通する点が存在するとして、「芸術と科学の融合」にも取り組んでもいる。
そうした中、国立科学博物館はコロナ過において非接触といった課題の解決方法を仮想化に活路を見出し、国内では先駆けて、仮想空間上に博物館を丸ごと展開し、館内の展示物を自由に移動しながら鑑賞出来るようにした。
実際の鑑賞方法だが、現実世界において国立科学博物館は日本館、地球館の2つの建物に分かれており、それぞれの建物を対応したブラウザ或いはHMDを用いて鑑賞する事ができ、あたかも実際に博物館へ訪れ、館内の中で展示品を見ているかのような体験を疑似的に得られるようになっており、通常の鑑賞ルートは全て仮想空間内を移動して行く事が可能となっている。(資料1-1、1-2、1-3、1-4、1-5、1-6)
また、いくつか特徴的ともいえる点を挙げてみると、一つは美術作品の鑑賞の際には本来不要である館内の入場エントランスや吸排気口、消火設備、ごみ箱など(資料2-1、2-2、2-3)、通常では視界の片隅に追いやられるものまで仮想空間上で再現である。
また階の移動にエスカレーターを階段代わりに使用する事が出来たり、地下にあるミュージアムショップや休憩室の再現(資料2-4、2-5)、そして建物内の窓から外を眺めたりする事などが出来たり、建物自体が再現されている事から、展示スペース以外も探索する事が可能となっている。
そして、いくらかの移動の制約はあるものの巨大な展示品であればその真下付近まで移動し見る事も(資料2-6、2-7)可能であったり、建物内部の探索も(資料2-8、2―9、2-10)自由に出来るようになっている。
この様に芸術鑑賞においては不要と思われる館内の細かい雰囲気を再現されており、それらはHMDを用いる事でより一層の臨場感・没入感を得られるように工夫されている。
もっとも、こうした対応はコロナ過において急遽取り組み始めた訳ではなく、その背景として、2019年4月に「科学を文化として育む博物館」を目的として「科学系博物館イノベーションセンター」を設立し、ソーシャル・デザインとして「科学を文化として育む博物館となる為のイノベーションプラン」を策定し取り組んでいた事がその根底に存在する。
そのプランの概要としては、
1.国際的にも魅力的な博物館としての整備、
2.博物館活動の基盤である研究機能の強化とコレクションの充実、
3.多様な財源確保方策の実施、
4.科学系博物館等との連携強化、
といった4つのプランが存在する。
そして各プランの中では、体験型展示のさらなる充実を目指し、収蔵庫のヴァーチャル体験ができるシステム開発を行っていたり、標本・史料等資料のデジタル化や研究者たちによるディスカバリートークを研究現場や収蔵庫などからライブ配信したり、教育現場とオンラインで繋ぐ事で、遠隔講義などが出来るシステム導入の検討を進めている。
またデジタル化の促進には、事業継続性の向上目的も存在する。これは単に芸術品や史料・標本等のセーフティネットとしてデジタル化を促進するだけではなく、それを商用資源として活用する事で、商業目的での有償提供や教育現場への無償提供などといったプロパティライセンスを販売する仕組みの構築・検討を行う。そして他の地域博物館がデジタル化した標本・史料などをライセンス登録する事で、登録した地域博物館も収入が得られるよう、共通フォーマットの検討も進めている。
そして地方・都心部における美術館・博物館が抱える、文化教育の向上、事業継続性などの課題に加え、コロナ過によって発生した非対面接触という社会的課題解決の為に、国立科学博物館は仮想空間に対する取り組みを加速させている。
この様に、以前から国立科学博物館は標本・史料等のデータ化を各課題の取り組みの一環として行っていた。また、それ以外でも新たな教育・展示手法としてVR・ARなどの仮想技術などを開発、検討しており、何よりも評価できるのが、それぞれが一過性のモノではなく持続可能な事業の一部として、グランド・デザインのもとで進められている事であると考えられる。
3.他の事例と比較
そうした中、今までも似たような取り組みとして、所蔵している美術品をgoogleなどの協力の元、3Dデータで公開する取り組みや、展示品単体を3Dデータ化した例はあったが(大英博物館、スミソニアン博物館など)、それらの多くは、あくまで個々の美術品を見る事や3Dデータとして保存する事に主眼が置かれている。また森美術館で開催されていた「未来と芸術展」がコロナ過により途中で中止した為、会場の様子を3Dデータ化して公開しているものの、その取り組み自体はあくまで単発的なもので終始している。
この様に、個々の美術館や博物館が独自に取り組んでいる事が多く、業界全体で課題に対して取り組むといったものではない。
しかしながら国立科学博物館は先ほども述べた通り、その取り組みは持続性を加味したうえで単発に留まらず、地方を含めた美術館・博物館なども含めた業界全体に対する取り組みとなっている。
4.課題
こうした新たな表現手法であるVRを用いた取り組みだが、幾つかの課題も浮き彫りにしている。その一つとして挙げられるのが、現実世界と仮想空間の橋渡しとなるデジタルデバイスの問題である。
現実世界と仮想空間内を結ぶためには、スマートフォン、PC、HMDなどのデジタルデバイスを使用する必要があるが、このデバイスの性能によって仮想空間内での見え方が異なってくる。特に3Dデータ化された対象は、実物と比べると、ポリゴンモデルにテクスチャーを張っているだけのモデルが多く、その多くは微妙な凹凸や質感は再現する事は出来ていない。その為、どうしても実物が有する迫力には及ばず、実物を知っている人間が見ると現実世界との差異からどうしても違和感を有する事になる。
5.今後の展望とまとめ
今回、コロナ過において新たに登場した「非接触」といった社会的課題に対して、いち早く最新技術を用いた取り組みを行っている、国立科学博物館の事例を取り上げたものの、ここでは国立科学博物館が行っているイノベーションプランに対する取り組みの一部分を切り出して触れたにすぎない。
しかしながら、こうした最新技術を用いた実験的取り組みは、社会的課題の解決方法の模索や芸術鑑賞の補完だけではなく、VRやAR等の仮想空間を用いた表現手法は、幾つもの物理的制約を排除しつつ一定の臨場感・没入感を与える事が可能である。その為、こうした最新技術は舞台芸術の新たな鑑賞方法の模索や、新たな芸術的表現手法の土壌を作るといった意味でも、今後重要となる取り組みであると考えられる。
参考文献
出典
・おうちで体験!かはくVR
参考文献
・おうちで体験!かはくVR、https://www.kahaku.go.jp/VR/ 、(2021年1月20日 閲覧)
・科博イノベーションプラン-国立科学博物館、https://www.kahaku.go.jp/procedure/press/pdf/181955.pdf、(2020年9月30日 閲覧)
・未来と芸術展、https://www.mori.art.museum/jp/digital/03/、(2020年10月3日閲覧)
・「未来と芸術展」3Dウォークスルー、https://my.matterport.com/show/?m=k49Cr68caXk、(2020年10月3日閲覧)
・The British Museum、https://www.britishmuseum.org/collection、(2020年10月4日閲覧)
・Smithsonian Open Access、https://www.si.edu/openaccess、(2020年10月6日閲覧)
使用機材
・Oculus Quest2、https://www.oculus.com/?locale=ja_JP、(VR内での写真撮影で使用)