景泰藍の体験から考える伝統工芸伝承のありかた

厳 有佐

はじめに

景泰藍とは、北京を代表する四大工芸[1]の一つであり、中国を代表する工芸の一つでもある。筆者が実際に、この景泰藍の制作を体験し、講師方との交流などを経て伝統工芸は人と人が交流し伝承されてきたことを実感した。この体験を通して、景泰藍という伝統工芸品の魅力を知ったことや、世界とのつながりを知ったことも大きな収穫であった。北京市琺瑯廠有限責任公司(以下琺瑯廠)は、景泰藍の生産だけでなく、体験中心で伝統工芸の歴史と魅力を伝える役割も果たしていることに文化資産的な価値があるものとし評価したい。
 

1、基本データ

名   称:北京市琺瑯廠有限責任公司
創   業:1956年1月
所 在 地:北京市東城区永外安楽林路10号
体験中心設立:2017年
 2011年に国家級非物質文化遺産(無形文化財)[2]生産性保護示範基地に選出され、2012年に全国で初の景泰藍博物館を設立する[3]。一階は体験中心、資料室、販売所、二階は植線と彩色の工房と販売所、三階が博物館となっている。


2、景泰藍との出会い

 筆者が北京で通う着付け教室の中国人生徒は、このほか茶道や華道など日本文化や中国文化を熱心に学んでいることに衝撃を受ける。そこで、筆者ももっと伝統工芸などに触れてみたいと考えるようになった。七宝焼きで着物の帯留を作ることを思い立ち、教室を探し始め、七宝焼きは琺瑯や景泰藍ということを知る。琺瑯廠では、景泰藍の体験と博物館もあるとのことでまず現地を訪れてみた。


3、景泰藍の歴史と現在

景泰藍とは胴胎掐糸琺瑯(どうたいこうしほうろう)といい、日本では「中国七宝」とも呼ばれる。主に銅の素地(胎)を使用し、胎全体に銅線で植線を施す「有線七宝」という手法だ。特にこの植線が細かく、胎に不透明な釉薬で彩色するのが特徴である。従来、景泰藍の代表的な色彩は青が中心であったが、現在では釉薬の色彩も豊富である。
この技術は、西洋では紀元前から発達しており、元の時代(1271-1368)に西洋から王朝へ献上されたといわれる。唐や宋の時代は、東ローマ帝国のことを「琺瑯」や「仏朗」と呼び、そこで作られた美しく絵付けされた焼き物を「琺瑯彩」と総称した[4]。日本へもこの頃、中国から「唐物」[5]の品が伝わり珍重されていた。
琺瑯彩は宮廷内で研究され、明の時代の景泰年間(1450-1457)に技術が頂点に到達したことが、景泰藍と呼ばれる所以である。アヘン戦争後、景泰藍を西洋人が自国に持ちかえったことで、西洋でもうわさとなる。やがて、清王朝(1636-1912)が終わると、景泰藍の職人たちは自ら工房を開く。その頃、万国博覧会に出品された景泰藍は賞を獲得し、西洋での人気に拍車がかかり一気に市場が発達したという[6]。後の戦争などで、景泰藍は一時期輸出が止まり危機に陥るが、西洋での人気は高く、再び70年代後半から80年代の後半ごろまで、外貨を稼ぐために多く生産された。そのため、一般の市場には出ず「国内でも買うことができるのは外国人だけだった」[7]という。
90年代には、再び生産は落ち込むが、国内向けの新しい作風の商品の開発に乗り出した。最近では、APECの会場など国際舞台でも頻繁に登場し、国内での認知度の上昇につながっている。野村朋弘は、「「伝統」的なものと呼ばれるものは、〔中略〕時代を経る中で社会状況や、政治動向などの世間という荒波に揉まれて生き残ってきたもの」[8]と述べるが、景泰藍はまさにこの定義に当てはまる。


4、琺瑯廠の特筆する点

特筆する点として、ここに製造・販売・体験を集約したことだ。体験中心は、ベテランや定年退職した職人が4人講師として在籍し、彼らの指導のもと銅皿に点藍(釉薬を差す)の体験ができる。筆者が体験して感じたことだが、点藍は集中力を要する非常に繊細な作業だ。少々難度の高い体験であるが、これによってどれほど高い技術が必要かを理解し、景泰藍に対する愛着が湧くことを実感した。また、職人との交流により製作者の存在も感じ景泰藍を身近に感じ、安心して購入できるとも感じた。筆者は、博物館を見学した後、体験を行った。博物館では、シルクロードを渡ってきたこの工芸の歴史に壮大なロマンも感じられた。
筆者の体験した日は他の団体もなく、二人の講師の北京なまりの会話や彼らの好みの京劇の歌曲を聴きながら作業を行った。講師は、時々様子を見にきたり、アドバイスをくれる。その辺りのさりげなさも、職人たちの暗黙の塩梅を感じる。また、点藍後の作業は専門の職人が行うため、当日は持ち帰れない。完成後連絡があり、完成品を受け取った時はとても感動したのを覚えている。意図的ではないが、出来上がりまでの時間がさらに期待を高めるスパイスとなり、感動を深める演出となったようだ。
 また、様々なオリジナルにも相談すれば対応してくれるそうだ[9]。琺瑯廠は国営企業であるにもかかわらず、柔軟な対応ができる点も特筆すべきだろう。筆者は、後日銅皿にデザインから植線まで行う体験もし、その工程を資料として別紙にまとめた[別紙資料]。
筆者の当初の目的であった、七宝焼きの帯留めは制作できなかったが、思わぬ景泰藍との出会いとなったのだ。


5、日本と中国の事例の比較

 現在中国では国学を推奨しており、国の歴史や伝統について保護や学習に力を入れている。そんな風潮の中、今後伝統工芸の職人を目指す若者も増えると予想する。また、琺瑯廠は国営企業であり、人材育成や大学との協力も積極的に行われており、何より国営企業という受け皿は、伝統工芸を目指す若者にとっても魅力だろう。
 一方、明治期の日本の七宝焼きの経歴も中国と似ており、海外では人気を博したが、国内ではそれほど需要が高くなく、素晴らしい作品の多くは海外に流出してしまったという[10]。愛知県は七宝焼きの産地として尾張七宝という名でよく知られている。明治13年に創業し無形文化財選定工場に指定される安藤七宝店[11]は皇室の依頼を受け七宝焼きの製造を行うこともある。しかしながら、個人経営であるため規模は小さく、従業員は35名[12]とされており、現在の採用は見合わせている[13]。日本の伝統工芸の人材育成としては、近年伝統工芸を専門に教える大学校[14]などの登場により、若者にも伝統工芸が少しは身近な存在となったであろう。しかし、就職となれば実際の伝統工芸の職場の受け入れは限られており、学校で教わったものが生かせる職場への就職や、職人になることがどれくらい叶うのかは不安が残る。
 琺瑯廠が国営であり、その利点は先ほど述べたように安定した人材の確保などである。しかし、欠点としては、やはり国営だけに国の方針によって作品が左右されることだ。ただ、伝統的な作品を作るだけでなく、まず国の望む作品を制作することが求められる。


まとめ

 近年、中国国内の経済が良くなったことや、国学の影響もあり、景泰藍の売り上げはよくなりオークションの価格も高騰しているという[15]。しかし、元職人である講師はこのように急にもてはやされていることに違和感を覚えているようだった。現在は国の風潮として、伝統工芸を愛する気持ちがもりあがっているが、これを一時のブームとして終わらせてはならないだろう。美術品は、日常生活には必要ないものであるため、経済的や心の余裕がなくてはならない。西洋のように、芸術を愛する基盤が一般的には日本にも中国にもまだまだ育っていないと感じる。そのため、芸術品がただの投資のための道具となっては残念である。そのようなことにならないためにも、景泰藍の体験を通して真の芸術を理解するための手立てとなることに期待したい。

  • 1 北京市琺瑯廠有限責任公司体験中心にて、初めて筆者が彩色した景泰藍。
  • 2_1_%e4%bf%ae%e6%ad%a3_page-0001 景泰藍写真
    北京市琺瑯廠有限責任公司景泰藍博物館に展示されている景泰藍や、
    筆者の景泰藍制作体験の工程をまとめた。
  • 2_2_%e4%bf%ae%e6%ad%a3_page-0001 景泰藍写真
    北京市琺瑯廠有限責任公司景泰藍博物館に展示されている景泰藍や、
    筆者の景泰藍制作体験の工程をまとめた。

参考文献

[註]
[1]北京四大工芸とは、景泰藍、象牙彫、玉器、堆朱といわれる。
[2]「中華人民共和国非物質文化遺産法」は、2001年2月5日に公布され、同年6月1日に発効した。
周超「日中無形文化財保護法の比較研究」、『第57回国際学術交流プログラム』、2012年
https://core.ac.uk/download/pdf/268145816.pdf(2021年1月27日閲覧)
[3]北京市琺瑯廠有限責任公司ホームページ
http://www.bjflc.com/aboutus1/&i=10&comContentId=10.html(2021年1月27日閲覧)
[4]「寻访北京珐琅厂 定格点蓝成功的一刻」千龙网中国首都网文化,2019年2月2日
http://culture.qianlong.com/2019/0202/3097765.shtml(2021年1月15日閲覧)
[5]京七宝ヒロミ・アート「七宝美術の歴史」
 http://hiromi-art.jp/ha₋history.html#S200 (2021年1月12日閲覧)
[6]阮怡帆著『近现代工艺美术研究』(东南大学出版社,,2018年p.129)
[7]また、現在も輸出は盛んで「ヨーロッパにはオーダーメイドによる生産、東南アジアへは
  現地在住の華人が中国の伝統的な模様の景泰藍を買い求める」という。
  体験中心梁老師へ筆者によるインタビュー(2021年1月13日午後4時)
[8]野村朋弘編『伝統を読みなおす1 日本文化の源流を探る』、藝術学舎、2014年、p9
[9]オリジナルデザインで自ら制作や、オーダーメイドなど相談次第で色々対応が
  できるそうだ。
  筆者による体験中心梁老師へのインタビュー(2021年1月13日午後4時)
[10]清水三年坂美術館 ホームページ「館長からのメッセージ 明治の美術に魅せられて」
  sannenzaka-museum.com.jp/about/ (2021年1月20日閲覧)
[11][13]株式会社 安藤七宝店 ホームページ「会社概要」「採用情報」
  www.ando-shippo.co.jp/aboutus.html(2021年1月27日閲覧)
[12]LINKHUB⁺ 「企業紹介、株式会社 安藤七宝店」
   idcn.jp/linkshub_plus/company/株式会社-安藤七宝店/ (2021年1月27日閲覧)
[14]京都伝統工芸大学校TASK ホームページ
https://www.task.ac.jp/?yclid=YSS.1001113113.EAIaIQobChMI3OnT5Ki87gIVj7aWCh1YuA4ZEAAYASAAEgIsL_D_BwE (2021年1月27日閲覧)
[15]「一年升值285倍 由HK$7万到2,000万的明朝景泰蓝 」
拍卖新闻 THE VARUE艺术新闻 2020年7月3日掲載
http://cn.thevalue.com/articles/cloisonne-enamel-cap-ewer-ming-dynasty-sothebys
-christies-auction (2021年1月27日閲覧)

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