春日市小倉の「嫁ごの尻たたき」

白水 公子

Ⅰ はじめに
福岡県春日市は福岡市の南隣りにある。面積は14.15平方キロメートル、近年は福岡市のベッドタウンとして発展し、人口は11万人を超えている。その春日市の小倉地区では今も「嫁ごの尻たたき」が行われている(資料1)。
「嫁ごの尻たたき」という、およそ前近代的な名の行事が今だに継承されているのはどういうことなのだろう。
この報告書では、特徴的な理由をもって「嫁ごの尻たたき」を継承してきたことを積極的に評価し、なぜそのような特徴を持ったのかを考察し、今後の展望について言及する。

Ⅱ 本論
1 基本データ
「嫁ごの尻たたき」は、小倉3丁目にある住吉神社前の広場で1月14日に行われてきた(註1)。本来は氏子の行事だが、氏子の家の減少・高齢化のため(註2)、神社の境内ではなく鳥居手前の広場であることをけじめとして、自治会が運営に携わっている。「野蛮だということもあって」第二次大戦中に途絶えたが、昭和57年(1982年)に復活したと、春日市のウェブサイトにも紹介されている(註3)。
現在の「嫁ごの尻たたき」は、前年に結婚した夫婦が盛装で小倉地区の住吉神社を参拝後、広場で自治会長から祝辞を受け、左義長が点火された後、子どもたちが藁を束ねた棒で新嫁の尻をたたく、という流れで行われる。参加者がなかなか見つからず、行われない年もある(資料2)。

2 歴史的背景
「枕草子」には粥杖でたたきあってはしゃぐ女房たちの様子が描かれており(註4)、「尻たたき」が清少納言の時代にはすでに存在していたことがわかる。「嫁たたき」はもともと小正月に広く行われたもので、子宝に恵まれるようにとの願いを込めたとされる。新嫁の家を子どもたちが訪れ、粥杖などで嫁の尻をたたいたのである。小正月でなくても、嫁入り婚で、嫁が婿の家に入る際にその尻をたたく習俗も各地に見られた。古くから、広く行われた行事であったが、次第に転化、廃絶の道をたどった(資料3)。

3 「嫁ごの尻たたき」の「廃絶」と「復活」と「野蛮」
3−1 なぜ「 廃絶」したのか
戦後の「廃絶」については、戦争による婚姻数の減少、あるいは戦後の混乱で祭りや行事どころではなかった、などの可能性もある。しかし、全国および福岡県の婚姻数を見てみると、開戦直前と終戦直後はむしろ増加している(資料4)。戦争中に極端に婚姻数が少なくなっていたとしても、社会の復興状況を見れば、それを理由に1982年まで「廃絶」していたとするのは不自然である。
春日市郷土史研究会は「嫁ごの尻たたき」が「春日小学校の校長であった中島政次郎先生の『尻叩きは野蛮』のひと声で長く中断」したとしており(註5)、小倉公民館所蔵の資料には、それが大正11年から14年にかけて在職した校長であったとの記載がある(註6)。この「ひと声」の時期が在職中であったのか退職後の戦争の頃であったのかは不明だが、その影響力が大きかったであろうことは想像に難くない。
現在の「嫁ごの尻たたき」では、子どもたちは照れくさそうににこにこしながら新嫁の尻を藁の棒でつついたり撫でたりしている。「尻たたき」であるのにたたいているようには見えず、歌や決まったセリフなどもない。「野蛮」とはまるで縁がなさそうな現在の様子は、当時は「野蛮」と言われても仕方ない状況があって、それを修正した結果だと考える。

3−2 「野蛮」とはどういうことを指すのか
1950年代には藁の中に竹などの棒が仕込まれることもあり、神社の茂みに隠れて待ち伏せした小学生男子が飛び出してきてたたいたそうである(註7)(資料5)。
藁の中に竹を仕込む、隠れて待ち伏せしてたたく、などの行為は今の時代にそのまま受け入れられるのは難しい。「野蛮」と言われても仕方ないことと思われる。ただ、「野蛮」についてはもうひとつの意味を考慮する必要がある。
一般に「嫁たたき」は、なんらかの棒で嫁の尻、腰を打つ点は共通している。そして、この「棒」について『古今要覧稿』には「西国にては棒にてうつといひ、東国にては男根のかたちに削りてうつともいへり」とあり(註8)、『日本民俗地図2 解説書』でも露骨な性表現があったことを指摘している(註9)(資料3)。
子どもが行事に参加し、あっけらかんと性にまつわる表現がなされたことは、当時これらの性表現がおおらかな雰囲気の中で楽しまれたことを意味している。少なくとも、現代の中に置いてみたときのような違和感や罪悪感はなかったであろう。だが、時代は変わり、これらの表現は卑猥であると受け取られるようになった。このような性表現もまた「野蛮」と言われうるものだと考える。
「嫁ごの尻たたき」においても「野蛮」とはたたくことだけではなく、かつては性表現を含んでいた可能性はある。ただし現時点でそれを裏付ける証言は得られていない。

3−3 「復活」のために必要なこと
「嫁ごの尻たたき」に性表現が含まれていたかは明らかではないが、「野蛮」であることが理由で「嫁ごの尻たたき」が行えない、行いにくい状況が続いていたとすれば、その「復活」とは、野蛮ではない「嫁ごの尻たたき」の実現に他ならない。

4 小倉の人々はなぜ「嫁ごの尻たたき」にこだわったのか
あくまでも楽しい行事の中での行為として新嫁の尻をたたいたのであるなら、たたいてはいけない「嫁ごの尻たたき」では楽しさ、おもしろさは極端に削られてしまったであろう。そうまでして、それでもこれが「嫁ごの尻たたき」なのだと主張し継承したのはなぜなのか。
年配の地元の人々になぜ尻たたきをするのか尋ねると、決まって「嫁が家に居つくように、子宝に恵まれるように」というフレーズが返ってくる。まるで唱え言のように、「子宝に恵まれるように」よりも先に出てくる「嫁が家に居つくように」という理由づけは他の土地の同種の行事には見られず、「嫁ごの尻たたき」の特徴である。
古く春日村は水の便が悪く、農業用水はため池に頼っていた。狭い春日村には大きな川がなかったのである。さらに小倉は土地に起伏があり(註10)(資料1)、大雨になれば浸水もした。住吉神社に一緒に祀られている八龍宮は雨乞いをした神で、小倉の水の苦労を裏付ける。また、春日市史編さん委員会編『春日市史 下 教育・文化・民俗』(春日市、1994年)には、「小倉に養子に行くよりか、ダラの木に登ったほうがよい」という俚諺が紹介されている(註11)。
これらは、小倉に住むことには苦労が多く、決して住みやすいばかりの土地ではなかったことを示している。だからこそ人々は嫁が来ると、まずは「嫁が居つくこと」を願ったのだと考える。「野蛮」と言われたのは心外だったであろう。

特筆すべきは、「野蛮」と言われた「嫁ごの尻たたき」を廃止したり別のものに置き換えたりするのではなく、「嫁ごの尻たたき」として継承するために「野蛮」の排除を徹底した点である。
同様の行事がことごとく廃絶、転化する中で、「嫁ごの尻たたき」は、他にはない「嫁が居つくように」という理由づけをもち、「野蛮」を取り除くことによって現代にも通用し得る存在意義を保ってきた。
そうしてでも継承してきたのは、懐かしいから、あるいは伝統だから形式を残したかったというばかりではなく、住民にとっては大切な「嫁が居つく」ことへの願いが根本にあったからこそであると考える。

Ⅲ まとめ 今後の展望
「地元の家」ではない住民が増え、氏子の数も半減した現在、「嫁ごの尻たたき」の参加者は氏子であるか否かにかかわらず、広く小倉の住民に呼びかけて募集されている。それでも2020年も参加者は見つからず、3年連続で「嫁ごの尻たたき」は行われなかった。意外なことに女性が参加を希望しても男性が嫌がるケースが多いのだという。
小倉の人々が不要と判断すれば「嫁ごの尻たたき」はなくなるのであろう。しかし、餅つき大会、夏祭りや盆綱引き、歳旦祭には多くの人が参加しており、住民は行事すべてに消極的というわけではない。「嫁ごの尻たたき」の真意を知ることで状況が変わるかもしれない。また、例えば、転入してきた家族が小倉に長く居つくように、穏やかに暮らせるように、など、尻たたきの目的や対象者を再考するかもしれない。「野蛮」を克服して継承してきた「嫁ごの尻たたき」は、今もまた変化のなかにある。

Ⅳ 謝辞
この報告書をまとめるにあたりご協力いただいた皆様、演習1でお世話になった皆様に感謝申し上げます。

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  • 2_%e8%b3%87%e6%96%992_%e3%80%8c%e5%ab%81%e3%81%94%e3%81%ae%e5%b0%bb%e3%81%9f%e3%81%9f%e3%81%8d%e3%80%8d%e3%81%ae%e5%8f%82%e5%8a%a0%e7%8a%b6%e6%b3%81_page-0001 「嫁ごの尻たたき」の参加状況
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  • 4_%e8%b3%87%e6%96%99%ef%bc%94_%e5%a9%9a%e5%a7%bb%e6%95%b0%e3%81%ae%e6%8e%a8%e7%a7%bb_page-0001 婚姻数の推移
  • 5_%e8%b3%87%e6%96%99%ef%bc%95_%e4%bd%8f%e6%b0%91%e3%81%8b%e3%82%89%e3%81%ae%e8%81%9e%e3%81%8d%e5%8f%96%e3%82%8a_page-0001 住民からの聞き取り

参考文献

註1 もともと1月14日の行事であったが、2019年から第2土曜日に行われるようになった。

註2 氏子の家の数は1990年頃までは20戸だったが、現在では10戸になっている。

註3 春日市郷土史研究会『春日市の民俗3 むかしの生活誌 小倉区編』(1983年)60ページに、「第二次大戦中、廃絶していたのを昭和57年から復活させました。」とあり、春日市郷土史研究会編『春日風土記』(春日市教育委員会、1993年)168ページには「野蛮な行事だ、などの理由で廃止されましたが、昭和55年から復活されました。」、また、春日市のウェブサイトには「『尻叩きは野蛮』との声もあり大戦中に途絶えていたが、昭和57年に復活した」と記述されている。春日市の『市報かすが』昭和57年(1982年)2月15日号には西日本新聞提供の写真を添えて、「37年ぶりに関係者の努力で復活」と報じられており、一方、昭和55年および56年の市報には「嫁ごの尻たたき」の記事は見あたらず、「復活」とされたのは昭和57年と理解するのが妥当と考える。ただし、小倉公民館所有の資料には「戦時中小学生(叩く方であった人)の経験ではやはり実施していた。と云うことです。」、「昭和23年に結婚した人は『尻たたきに参加した』と云うことです。」とあり、また、筆者の調査でも1952年(昭和27年)に資料5の話者1の母、1959年(昭和34年)に話者5の義母が尻たたきをされたことがわかっている。したがって、戦後の「廃絶」と言っても、完全に途絶えてはいなかったと理解できる。

註4 『枕草子』第二段。

註5 春日市郷土史研究会『春日市の民俗3 むかしの生活誌 小倉区編』(1983年)12ページ。

註6 春日市立春日小学校の『創立百周年記念誌 かすが』(2002年)に掲載された歴代の校長の中に大正11年から14年にかけて在任した中島政次郎氏の名前と写真がある。なお、小倉公民館の資料が書かれた時期は不明だが、保管の状況から昭和57年から平成15年の間と考えられる。

註7 春日市郷土史研究会『春日市の民俗3 むかしの生活誌 小倉区編』(1983年)59ページに棒の芯に竹を入れたものもあったこと、小学生の男子が尻たたき棒で新嫁の尻をたたいたことが記されている。

註8 増田勝機『嫁たたきと成木責め』(高城書房、2010年)89ページから90ページにかけて、『古今要覧稿』についての記述がある。

註9 文化庁編『日本民俗地図2 解説書』(国土地理協会、1978年)57ページに山梨県南巨摩郡早川町の奈良田のオカタブチについての記述がある。棒に女性器の絵を描いたり、33歳を過ぎると女陰の端が虫食いの状態になるから早く子を産めという趣旨の歌を歌ったという。

註10 春日市郷土史研究会『春日市の民俗 むかしの生活誌(総集・補遺編)』(1987年)28ページには「小倉は春日丘陵内にあって、弥生時代からの甕棺墓などの遺跡は多いが、水利の便に乏しく、平坦肥沃な水田には恵まれず、相対的には貧しい村落であった。」とある。話者6、話者7は自宅が浸水した経験を語っている。

註11 春日市史編さん委員会編『春日市史 下 教育・文化・民俗』(春日市、1994年) 845ページ。



参考文献

春日市郷土史研究会『春日市の民俗3 むかしの生活誌 小倉区編』、1983年

春日市郷土史研究会『春日市の民俗 むかしの生活誌 (総集・補遺編)』、1987年

春日市史編さん委員会編『春日市史 下 教育・文化・民俗』、春日市、1994年

春日市郷土史研究会編『春日風土記』、春日市教育委員会、1993年

春日市郷土史研究会編『続・春日風土記』、春日市教育委員会、2009年

文化庁編『日本民俗地図2 解説書』、国土地理協会、1978年

増田勝機『嫁たたきと成木責め』、高城書房、2010年

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