石の街宇都宮ー変化する石蔵文化と景観

三池 実由

はじめに
著者は東京で生まれ育ち、生活の都合で現在宇都宮と二拠点生活をしている。東京でも大谷石の石蔵を店舗にしているものが青梅市にある(図1)。そこは織物の産地で石蔵の中で品質検査などが行われていた。現在は、郷土料理店として営業している。宇都宮は市内で石が採れるため、地域性といえるほど広範囲に石蔵が広がっている。和風づくりの石蔵で、破風に紋などの装飾がみられ、四角形の窓をもつもの。大型倉庫の用途で窓も少なく装飾がない石蔵。洋風意匠の石蔵で、窓や入口にアーチや柱をもつもの。石蔵は外観で特徴を分類することができる。宇都宮の中心市街地で店舗にしている洋風意匠の石蔵は、オリーブ、ムナカタ、サボイアの3店舗ある(図2)。

1、基本情報
カフェ ドゥ オリーブ
1947年、積み石造り、地上2階。元鰻屋倉庫、営業2013年よりランチ・カフェ。宇都宮市中央本町1-12
焼き餃子・手羽先 ムナカタ
1926年、積み石造り、地上2階地下1階。元座敷蔵と倉庫、営業2009年より九州料理店。宇都宮市伝馬町2-6
サボイア s-21
1951年、積み石造り、地上2階。元質屋倉庫、営業2009年よりランチ・カフェ。宇都宮市今泉2-8-5

2、 事例の何について積極的に評価しようとしているのか
ヨーロッパと比べると日本は木の文化と言われるが、市内の大谷地区で石が採れるため日本では珍しい石の文化が定着している。時代の変遷で宇都宮の石蔵文化は、個人で石蔵を所有する文化から石蔵の空間を場として提供し、市民と観光客が体験できる文化となった。評価するのは地場で採れた自然素材を使い、石の文化として定着している石蔵が多くの人々に利用され、石の街の景観を継承している点である。

3、歴史的背景は何か
宇都宮は戊辰戦争と第二次世界大戦を経験した街であるため、戦前から残る歴史的建造物は石蔵ぐらいしか残っていない。大谷石は現在の建材ではもろく欠けやすいと言われているが、戦禍に耐えた宇都宮では石蔵は強いものとして認識されていた。人は大災害の後、建築に頼る傾向があり(註1)宇都宮では石蔵に頼った。石の街の宇都宮では、江戸から昭和の4つの時代で石蔵が作られてきた。石蔵が造られなくなったのは、1964年の東京オリンピックをきっかけに起きた、都市のコンクリートへの移行の動きが関わる。1964年以前は宇都宮の街に大谷石蔵が盛んに作られていたが、それ以降大谷石を構造基盤にした建物は建てられなくなる。宇都宮の景観もコンクリートに囲まれる景観となり、使われなくなった石蔵が人々の目にとまるようになる。1980年~90年代に大谷石建造物が文化財などに指定する動きがおき、宇都宮を代表する文化資産と認識される。2000年代には宇都宮の人々に愛され、複数の石蔵が店舗化され人気店となっている。また、大谷石蔵が戦後増え1964年以降つくられなくなったのは、1956年度の経済白書で書かれた「もはや戦後ではない」の言葉通り石蔵はつくる必要がなくなったともいえる。

4、国内外の他の同様の事例に比べて何が特筆されるのか
同じ凝灰岩の産地では、北海道の札幌柔石、静岡県の伊豆石が有名である。石蔵の店舗が複数ある札幌(図3)と比較すると入口などがアーチの石蔵はあるが、窓にアーチと柱をもつ洋風の石蔵は大谷石独自のものと考えていい。宇都宮市内にある洋風石蔵は、大谷石採掘場の入り口にある屏風岩石蔵がルーツである(図4)。これを設計した渡辺陳平(1871~1946)は石材王と呼ばれ、栃木県副知事にもなった影響力のある人である。この建物は建築家ではないものが設計した擬洋風の建物である。著者の考察では、屏風岩石蔵の柱やアーチの装飾は円形競技場のコロッセオを意識したものではないかと思う。東館西館の2塔並んだ全体の形や四隅の模様や軒先などのつくりは、新橋旧駅舎を真似たものであると思う。渡辺氏は一時期東京に上京し、京浜地域に大谷石の営業に来ている。また、職人を連れ東京の洋館を見て回ったというエピソードもある。渡辺氏は大谷採掘場の前に駅舎を作りたいと考えていたと思われる。また、駅舎を模した屏風岩石蔵の派生が宇都宮駅周辺に造られたことは、必然的なことであったと著者は考えている。日本にあるアーチや柱をもつ西洋様式の建物の多くは権威や厳かさを表している。宇都宮駅周辺でもそのような建物が求められ、洋風意匠の石蔵が建てられたと考えられる。

5、不十分な景観
店舗化された石蔵の多くは、駐車場やコインパーキングエリアの中や隣にある(図5)。活用される石蔵は更地にすることを避け、周りをアスファルトで固め駐車場にした過程で残ってきた場合が多い。石蔵を店舗にする際、コインパーキングは安定した収入が得られることからはじめやすいという利点がある。しかし、良い景観とは言えない。サボイアとムナカタの良い点は、駐車場と石蔵の間に別空間として中庭や緑地空間を作っている点である。サボイアは南側に駐車場とコインパーキングエリアがあり、境界線の入口にブロックで花壇をつくりコニファーの木を4本とグランドカバーに四季折々の草花を植え、距離は短いが駐車場とは違う別空間をつくり出している。ムナカタは敷地入口の西隣にコインパーキングがあり、目隠しによしず囲いをしている。敷地入口から石畳が引かれ、その先に中庭があり石蔵の前にザクロが植えられ、石蔵入口までの比較的長い道のりが駐車場と違う別空間をつくり出している。サボイアとムナカタは、訪れる人を自然に異質の石蔵の空間に誘導することに成功している。オリーブの石蔵は、コインパーキングエリアの中にある(註2)。蔵の保存の目的から入口が北向きにあり、小さな花壇や植木鉢が作られているが育ちが悪い状況にある。また、植えられていない時期が長く、境界線を設けることができていない所が不十分な点である。また、コインパーキングエリアの電気を石蔵から供給しており、道路側の壁に精算機や空調機や看板が設置されている点も不十分である。改善策として提案したいのは、入口前に間接光で育ち日陰が得意な植物たちを植え(註3)、緑地空間をつくり境界線を設ける。現在の花壇は、狭いのでアスファルトを剝がす。シンボルツリーにイロハモミジ、低木で黄色の花を咲かせるヤマブキ、落葉後枝が赤くなるサンゴミズキ、落葉多年草に草丈の高いキョウガノコ、細長い花穂のアスチルベ、噴水のような草姿のウラハグサ、葉の色や草姿の種類が豊富なギボウシを植える(註4、図6)。可能ならば、道路側にムクゲやヒペリカムなどを植え、空調機などを隠したい。

6、今後の展望
石造りの景観が美しい村々として有名なイギリス コッツウォルズ地方では、キャラメル色の石と庭の植物で美しい景観をつくり出している。イギリス人のガーデニング文化の根源にあるのは固有種の少なさからくる願望である。車社会の宇都宮はアスファルトやコンクリートに囲まれた景観で、ガーデニング空間を欲している状態である。石蔵は窓が小さく外にガーデニング空間をつくっても石蔵の中からは見えないという欠点がある。石蔵文化にガーデニング空間が必要な理由は、大谷石の寿命が関係する(註5)。石蔵の朽ちていく姿を愛でる景観をつくり出せるガーデニング文化が、新しい石蔵文化を継承する今後の展望になると考える。イギリスではガーデニング文化を利用し慈善活動を行っており(図7)、宇都宮でも行いたい。宇都宮の住宅地では大谷石のカエルの置物を飾っている住宅をよく見かけることから庭や緑地空間に大谷石を使っている住宅は多いと推察する。一般家庭を中心にした大谷石の石蔵や石塀、石畳、置物などを利用した庭を有料公開するイベントを行う。慈善事業への寄付は参加者が寄付先を選べるようにする。ガーデニング文化により石蔵を継承する美しい景観が生まれ、慈善活動にも積極的な意識をもつ、そのような理想的な街に宇都宮はなれる可能性がある。

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  • 2_%e5%a4%a7%e8%b0%b7%e7%9f%b3%e8%94%b5%e3%81%ae%e5%ba%97%e8%88%97%e5%8c%96-_%e5%9b%b32%ef%bc%9a%e5%ba%97%e8%88%97%e5%8c%96%e3%81%97%e3%81%9f%e8%a5%bf%e6%b4%8b%e6%84%8f%e5%8c%a0%e3%81%ae%e5%a4%a7 図2:店舗化した西洋意匠の大谷石蔵(2019年3~5月筆者撮影)
  • 3_%e6%9c%ad%e5%b9%8c%e5%ba%97%e8%88%97%e5%8c%96%e3%81%95%e3%82%8c%e3%81%9f%e7%9f%b3%e8%94%b5_%e5%9b%b33%ef%bc%9a%e5%ba%97%e8%88%97%e5%8c%96%e3%81%95%e3%82%8c%e3%81%9f%e6%9c%ad%e5%b9%8c%e3%81%ae 図3:店舗化された札幌の石蔵(2019年8月筆者撮影)
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  • 5_%e4%b8%8d%e5%8d%81%e5%88%86%e3%81%aa%e6%99%af%e8%a6%b3-_%e5%9b%b35%ef%bc%9a%e4%b8%8d%e5%8d%81%e5%88%86%e3%81%aa%e6%99%af%e8%a6%b3_page-0001 図5:不十分な景観(2019年9月筆者撮影)
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参考文献


(1)隈研吾著『場所原論ー建築はいかにして場所と接続するか』市ヶ谷出版、2012年、p.2~p.3
(2)オリーブでの取材より:鰻屋の旧建物は増築を重ねたため、石蔵は現在の場所に建つ。
(3)イギリス出身の造園家ポール・スミザー(1970-)は、日本でシャドーガーデンを提唱している。日陰にもタイプがあり、タイプにあった植物を植える必要がある。
(4)阿川峰哉編『別冊NHK趣味の園芸 日陰をいかす美しい庭』NHK出版、2016、p.38~p.41
(5)大谷石は半永久に残る建材ではない。採掘場所にもよるが、大谷石の寿命は人と同じくらいと言われている。

写真転載文献
図1:川口葉子著『東京古民家カフェ日和 時間を旅する40年』世界文化社、2019年、p.116
図4:NPO法人大谷石研究所会編『大谷石百選』2016年、p.26~p.29
図6:(4)と同じ
図7:小林写函著『庭園と紅茶とマナーハウスを楽しむ コッツウェルズ イングリッシュガーデンとティールーム』誠文堂新光社、2019年、p.64~p.66

参考文献
橋本優子編『宇都宮美術館開館20周年・市制施行120周年記念 石の街うつのみや 大谷石をめぐる近代建築と地域文化』宇都宮美術館、2017年
橋本優子編『大谷石をめぐる連続美術講座 大谷石の来し方と行方』宇都宮美術館、2015年
隈健吾著『自然な建築』岩波書店、2008年

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