埼玉県の民俗芸能 「下間久里の獅子舞」 ー民俗芸能としての資産評価と継承について考察ー

戸井田 典子

1.はじめに
埼玉県には伝承されてきた多くの民俗芸能[1]がある。その1つに獅子舞[2]があり、全国の中でも伝承地の多さは屈指のもので県内に約200箇所ある[図1]。
その中でも埼玉東部の特色[図2・3]をもつ「下間久里の獅子舞」は、400年以上にわたり継承され県の無形民俗文化財に指定されている。年に1度行われる夏の例大祭のクライマックスでは、「辻切り」[写真A]が行われる。夏の夜に提灯の明かりに照らされ、笛と太鼓に合わせ獅子が舞うなんとも幻想的な光景が見られる。
こうした世界観を大事に継承されている「下間久里の獅子舞」の民俗芸能としての資産評価と継承について考察し、今後の展望を述べたい。

2.下間久里の獅子舞とは
1人立の獅子舞で、太夫獅子[3][写真1・2]・中獅子[4][写真3]・女獅子[5][写真4]の3頭獅子である。角のある2つは雄、角なしの1つが雌である。腰に巻いた太鼓[写真5]を打ちながら笛方[写真6・7]に合わせて舞う。地域の家々の悪魔祓いや無病息災、家内安全を祈願するなど神事的な役割を果たしている。

2-1基本データ
場所は、埼玉県越谷市[6]下間久里地区[図4・5]で、下間久里香取神社[写真B]を起点に、毎年7月の第3日曜[7]に丸一日[写真F]かけて行われる400年以上続く獅子舞行事である[写真C]。
保存会はなく、下間久里の獅子舞のはじまりと同時に結成され受け継がれている「下間久里獅子舞連中」[8]によって舞や曲目[図6]、笛や太鼓の技術が保存・継承されている。

2-2歴史的背景
現在の1人立[9]の三頭獅子舞が各地に広まったのは室町~江戸時代初期で[写真G]、下間久里の獅子舞は、文禄3年(1594年)に京都から伝承され、雨下無双角兵衛流[10]とも言われ埼玉東部の系統の特色をもった獅子舞として確立していった。
その後、越谷の周辺地域に伝授し、埼玉東部の獅子舞伝承の源流となった[11]。
また戦時中[12]も途切れることなく地域に根付き継承されてきた。だが、これまで純農村地帯[図7]でのどかな地域であった下間久里も、昭和30年後半以降、鉄道の乗り入れから人口が増加し[図8]著しい都市化が進んだ。同時に獅子舞を知らない住人が多くなり、地域の獅子舞への関心が薄れるなど獅子舞を取り巻く環境は変化していった。
一方で昭和37年には県より功績が認められ、埼玉県指定無形民俗文化財に指定された。平成21年には、埼玉県を超えて東京の新国立劇場で舞を披露するなど県内外で評価されている。

3.民俗芸能としての資産評価
都市化や生活スタイルの変化により、近年民俗芸能をとりまく環境も変化してきた。下間久里の獅子舞も例外ではなく、その中で地域性や神秘性といった根幹=伝統をゆるぎなく大切に守ってきた。筆者は、そこに下間久里の獅子舞の民俗芸能として資産評価する点があるのではないかと考える。

3-1下間久里獅子舞連中
「下間久里獅子舞連中」(以下 獅子舞連中)は、太夫[13]を中心に現在は約50名在籍しており、高校生~80代の男性[14]で構成されている。獅子舞連中への加入は、伝統を守っていくために厳しい規定が現在もある。地縁の長男・次男や氏子経験のある人、地域に貢献している人などで、女性や子供は加入できない。だが、一度加入すれば死ぬまで獅子舞連中として認められる。厳しい加入条件があるのも、獅子舞の根幹を揺るぎなく継承していくためであり、強い使命感と結束力があるからこそ守られてきたと考える。

3-2伝承方法
伝承方法は門外不出のため独特で、現在の太夫が口承にて次の太夫のみに引き継ぐスタイルである。その内容については、獅子舞連中内でも全貌は明かされてないため、獅子舞連中の太夫は、下間久里の獅子舞を継承していくという上で大変重要な役割を担っているのである。
また舞や笛・太鼓などの伝承は、5月から7月の当日まで練習があり、地道な練習を通して熟練者から技術を習得し[写真H]、唯一無二の神秘的な世界観が、代々引き継がれているのである。

3-2例大祭について
例大祭の前日、太夫により太夫用御幣がつくられ[15][資料6ー写真9]、獅子舞連中で手分けをし4種類の御幣[16]をつくるところから始まり、神々をお迎えするにあたり境内を清める「砂盛り」も行われる。当日は紋付袴姿の太夫により、目を入れるという獅子舞に魂を入れて呼び起こす儀式が行われる。その後、拝殿で「シメ」を行い、太夫を先頭に副太夫、笛方、花笠[資料2ー写真8]などの一行が一列で香取神社に入る。
三頭獅子が宮参り[資料6ー写真10・11]の舞を奉納し、御幣を持った太夫により「九字切り」[資料6ー写真12]が終わると、「村回り」にうつり太夫を先頭に境内を出発し町内を練り歩く[図9]。各家庭に土足で上がり獅子舞が「地固め」[資料6ー写真13・14]と他に1曲舞う。家族はこの日のために迎える準備をし、また遠方に出ている家族は戻ってお迎えする。太夫は御幣を頭上にかざし集まった家族の無病息災・家内安全を願い祓いをする。一行はヤドで休憩しながら、一日かけて下間久里地区の家々をまわる[17]。各ヤド[資料3ー図5●の休憩所]では、獅子舞連中の家族や地域の人々が支えとなり酒や食事が振る舞われ鋭気を養う。
夕食の頃には、名主の庭(現在は松﨑紙工)にて、神聖な場所としてムシロ[18]を敷いて出端の舞(幣がかり)[資料6ー写真15]が行われる[19]。 最後、夜11時ごろに大里地区と旧村境[資料3ー図5・写真D]で、三頭獅子と真剣と御幣をもった太夫により「辻切り」[資料6ー写真16・17]が行われる。ここで村中の悪魔を追い詰めて、クライマックスには天地を切り追い出すのである。
地域全体を俯瞰してみると獅子舞へ関心が薄らいでいく一方で、こうした例大祭の一連の流れは、獅子舞連中のみならず、連中の家族や地域の人々の見守りや支えがあって、滞りなく毎年続けられている。1年に1度の夏の例大祭は、熱く使命感を持った地域の人々の結集であり、そこに民俗芸能として大きな資産価値であると考える。

4.未来に向けて ー育成とつながりー
今後の獅子舞連中の後継者育成と地域の文化貢献のため、子供会[20]や16年前から学区内である小学校[資料3ー写真E]のクラブ活動[21]で指導している。この小学校では授業として三年生に向けて、獅子舞を学ぶ時間を設けている。子供にむつかしい言葉もわかりやすく説明したり、太鼓や笛などに触れられ楽しい授業が行われている[写真I・J]。
またクラブ活動では、大人と同じく三頭獅子舞の構成で子供獅子が舞う。他に花飾りのついた花笠もあり、どちらも男子が務める。笛・太鼓は女子も参加でき獅子舞クラブを盛り上げている。
練習した成果は、学校のまつり[写真K]や3月に越谷市で行われている越谷市郷土芸能祭[22]にて、市内に伝わる他の郷土芸能とともにお披露目する。子供獅子の体験を通じて、後継者育成とともに地域とのつながり、地域の伝統文化の橋渡し的な役割も担っている点で高く評価したいと筆者は考える。

4.他の事例との比較 埼玉県春日部市「赤沼の獅子舞」
春日部市無形民俗文化財[23]に指定されている「赤沼の獅子舞」[図10・11]は江戸時代の1718年、下間久里の獅子舞から伝承されたのが起源とされる獅子舞行事である。だが地域によって特徴は異なり、下間久里は例大祭が年に1回だが、赤沼は毎年二回、豊作祈願の7月と収穫感謝の10月に執り行われていたり、宮入り[24]、弓くぐり[25]など舞も赤沼独自である。
現在、赤沼の獅子舞は舞い手の男性らでつくる「赤沼獅子舞社中」により運営・継承されている。だが一時期、担い手不足で1961年ごろから約30年近く中断していた経緯がある。最後の担い手が音源を残していたことで、復活させたいと強い熱意を持った当時の赤沼の人々の努力により復活できたとある[26]。
昨年300年の伝統の中で、初めて女性三人が獅子舞に入り舞った[27][写真L・M]。これまで下間久里の獅子舞同様、男性のみだったが次世代につなげるため門戸を広げた。1度中断した経緯があるからこそ、こうした決断もできたのではないかと推察し、下間久里の獅子舞を含め多くの民俗芸能の、今後の継承問題を解決する1つの方向性として、赤沼の獅子舞は示してくれたと感じた。

5.まとめと今後の展望
下間久里の獅子舞の考察で、筆者は民俗芸能として高く評価し、今後も継承されるべき民俗芸能であると考える。
継承していく上で4であげた、子供会や学校で獅子舞の未来のために種をまいていくことは、今後も継続すべき活動であり、また赤沼の事例も、継承の1つの方向性として受け止め、獅子舞連中や評価する県内外の方々と継承という難題について今後も慎重に議論していくことが必要不可欠であると考える。
ただし今後取り巻く環境がさらに変化していっても、単なる地域の獅子舞のイベント化だけは避けてほしい。400年以上も続いてきた下間久里の獅子舞という唯一無二の民俗芸能を、地域性・神秘性といった根幹となる部分をいつまでも大切に残していってほしいと切に願う。

  • 1 写真A辻斬り
  • 2_20200203_%e3%80%90%e8%b3%87%e6%96%99%ef%bc%91%e3%80%91%e5%9f%bc%e7%8e%89%e3%81%ae%e7%8d%85%e5%ad%90%e8%88%9e%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a6 資料1埼玉の獅子舞について
  • 3_20200203_%e3%80%90%e8%b3%87%e6%96%99%ef%bc%92%e3%80%91%e4%b8%8b%e9%96%93%e4%b9%85%e9%87%8c%e3%81%ae%e7%8d%85%e5%ad%90%e8%88%9e%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a6 資料2下間久里の獅子舞について
  • 4_20200203_%e3%80%90%e8%b3%87%e6%96%99%ef%bc%93%e3%80%91%e8%b6%8a%e8%b0%b7%e5%b8%82%e3%81%a8%e4%b8%8b%e9%96%93%e4%b9%85%e9%87%8c%e3%81%ae%e7%8d%85%e5%ad%90%e8%88%9e%e3%81%ae%e5%9c%b0%e5%9f%9f%e3%81%ab 資料3越谷市と下間久里の獅子舞の地域について
  • 5_20200203%e3%80%90%e8%b3%87%e6%96%99%ef%bc%94%e3%80%91%e3%82%b9%e3%82%b1%e3%82%b8%e3%83%a5%e3%83%bc%e3%83%ab%e3%81%a8%e6%9b%b2%e7%9b%ae%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a6 資料4スケジュールと曲目について
  • 6_20200203_%e3%80%90%e8%b3%87%e6%96%995%e3%80%91%e3%81%9d%e3%81%ae%e4%bb%96%e8%b3%87%e6%96%99 資料5その他資料
  • 7 資料6例大祭の流れの図表
  • 8_20200203_%e3%80%90%e8%b3%87%e6%96%99%ef%bc%97%e3%80%91%e5%b0%8f%e5%ad%a6%e6%a0%a1%e3%81%a7%e3%81%ae%e6%b4%bb%e5%8b%95%e3%81%a8%e6%af%94%e8%bc%83%e5%af%be%e8%b1%a1%e3%81%ae%e8%b5%a4%e6%b2%bc%e3%81%ae 資料7小学校での活動と比較対象の赤沼の獅子舞について

参考文献

【註】
[1]埼玉の民俗芸能には、神楽・獅子舞・万作・祭り囃子をおはじめ数多くの種類がある。
埼玉の獅子舞 埼玉県教育委員会 昭和45年3月30日 P1

[2]獅子舞(大陸伝来)は、前漢の張騫が西域から将来したライオンが霊獣化したものが一般的な始まりの説とあり、一方で鹿や猪を原型とした獅子踊りと言われる動物芸能も東日本で盛んである。日本には大陸伝来の獅子舞(神楽系獅子舞)と動物頭系獅子舞が混在する。
「季刊東北学 第12号2007年 夏」 柏書房 東北芸術工科大学 東北文化研究センター 2007年7月25日

[3]頭の形式は竜形式。黒塗りで角・眼・歯は金色、唇は朱色。眉間には宝珠状の突起物がある。角は角形で、その前面に「雨下無双角兵衛流」の彫り文字あがある。頭毛は黒色で鶏毛を用いている。上顎の両脇に白いヒゲがあり、下顎からは牙が二本出ている。口は半開きで固定されている。前高十五センチ・後高十六センチ・全長三十八センチ・頭長十九センチ・前幅十九センチ・後幅二十二センチ。甲がけは麻と木綿の混紡で地は濃緑色。顎の下に、宝珠を図案化したものを黄色く染めぬき、その中心に赤い宝珠を三個並べてある。裾には、赤と青で雲巻模様とかぎ形の稲妻をあしらっている。
「埼玉県民俗芸能調査報告書第一集 下間久里の獅子舞」埼玉県立民俗文化センター 昭和57年3月1日 P76

[4]太夫とほぼ同形式。角には文字の代わりに三角形の模様が刻まれている。こうがけの模様は、顎の下の赤い宝珠が1個となり、裾には青と赤と黄の水玉及び太鼓の模様である。
前高十三センチ・後高十五センチ・全長三十八センチ・頭長十九センチ・前幅十五センチ・後幅二十一センチ。
「埼玉県民俗芸能調査報告書第一集 下間久里の獅子舞」埼玉県立民俗文化センター 昭和57年3月1日 P76

[5][3][4]より小ぶりである。角はなく頭頂部分に宝珠がある。朱塗りで、眼・鼻・歯は金色である。ビゲと角はない。
顎の下の宝珠形の図案の色は赤で、中心に宝珠はみられない。裾は赤と青の三つ巴紋である。
前高十二センチ・後高十四センチ・全長三十三センチ・頭長十五センチ・前幅十四センチ・後幅十九センチ。
「埼玉県民俗芸能調査報告書第一集 下間久里の獅子舞」埼玉県立民俗文化センター 昭和57年3月1日 P77


[6]埼玉県越谷市は人口342,876人 (平成30年12月1日現在)。
越谷市は、江戸時代から日光街道の第三の宿場町「越ケ谷宿」として商業が発達、また元荒川、葛西用水など多くの河川や用水が流れ水郷こしがやと呼ばれるようになり、米や野菜を中心とした農業も盛んに行われてきたのである。
「こしがや市民ガイドブック」越谷市 株式会社サイネックス 平成31年1月発行

[7]以前は毎年7月15日に行われていたが、2016年より7月の第3日曜日に変更された。
(2019年12月4日桜井南小学校の5時間目授業より)

[8]昔の獅子舞連中の加入資格としては、下間久里に生まれた長男であること。ワカイシュウに入っていることであった。
埼玉の獅子舞 埼玉県教育委員会 昭和45年3月30日 P162
筆者追記:近年は次男や氏子や地元に貢献している人も可能となったが、昔と変わらず女性や15歳以下の子供は加入できない。
現在は太夫・副太夫・会計・実行委員・若獅子など組織化し運営されている。
(2019年12月8日太夫・高橋仲次さんインタビューより)


[9]獅子舞は大別して1人立と2人立の2種に分かれており、 埼玉県は1人立の範囲に入る地域。
「第9回特別展祈りと願い 彩る獅子 ー久喜市の獅子舞展ー 久喜市立郷土資料館」 平成30年10月10日 P3の獅子舞とはより


[10]読み方は、あめがしたむそうかくべい。雨下は、天下と同じで天下に、2つと無い獅子であると言うことである。(2019年12月4日太夫・高橋さんの資料より)


[11]野田のばっばか獅子(千葉県野田市1693年に伝授)・銚子口の獅子舞(春日部市銚子口1697年伝授)・赤沼の獅子舞(春日部市赤沼1717年伝授)・東中野の獅子舞(春日部市東中野1720年伝授)
下間久里の香取神社前の看板「下間久里の獅子舞」 平成8年7月 埼玉教育委員会・越谷市教育委員会・下間久里獅子舞連中

[12]大東亜戦争時
「埼玉県民俗芸能調査報告書第一集 下間久里の獅子舞」埼玉県立民俗文化センター 昭和57年3月1日 P162

[13]令和元年12月現在・第26代目の太夫が14年役割を務めている。(2019年12月4日太夫・高橋仲次さんインタビューより)


[14]・役割組織は花笠 4人(小学生)・笛方3人(70歳以上)・太夫1人(70歳以上)、元老6人(古参者)、世話人40人(15歳以上)である。
「埼玉の獅子舞」 埼玉県教育委員会 昭和45年3月30日 P149
筆者追記:2019年12月現在では、4人(小学生)・太夫1人・元老6人・笛方20人(15歳以上)・世話人とは言わず、それぞれ役割を持った連中が約20人(15歳以上)という事である。(2019年1月12日太夫・高橋仲次さんインタビューより)


[15]御幣 神や位の高い人への贈物で棒の先に付けて渡すのが本来だった。
四手は紙を折り曲げて垂らした物で雷の稲妻を表します。そして雷雨は清めるものとして禊祓いの弊束が代用されます。 
「埼玉県民俗芸能調査報告書第一集 下間久里の獅子舞」
昭和57年3月1日 埼玉県立民俗文化センター P22
筆者追記:太夫用の御幣には持ち手に巻物がついており、この巻物を開けると目が潰れるという言い伝えがあり、開けたことがないという。(2019年12月4日・桜井南小学校の5時間目の獅子舞の授業にて)

[16]・辻用の御幣 下間久里内の2ヶ所の辻にさすために作られる。
・神社及び獅子舞用の御幣 香取神社の本社に1本、末社に5本、電電様に1本、大六天に1本、獅子舞の腰弊3本の11本
・輿用の御幣 祭の当日以外は獅子頭を輿に入れ、香取神社境内にある倉にしまっておく、この輿の前に立てておく御幣
・各戸にくばる御幣 村内にくばるもので、これをトボ口にかけて悪魔除けにする。花笠にさす御幣も同じ大きさで赤・青・黄・緑の4色で作る。
「埼玉県民俗芸能調査報告書第一集 下間久里の獅子舞」埼玉県立民俗文化センター 昭和57年3月1日 P77


[17]約130軒の家々をまわる。(2019年12月4日・越谷市立桜井南小学校の5時間目の獅子舞の授業にて)

[18]藁でできた敷物。現在は赤い絨毯を敷いて行われている。(2019年1月12日太夫・高橋仲次さんインタビューより)

[19]中獅子の出端の舞は一時期、中断されていたが、26代太夫により近年中獅子の出端の舞を復活させることができ、三頭獅子の出端の舞が揃ったのである。(2019年1月12日太夫・高橋仲次さんインタビューより)


[20]笛の練習をしており、例大祭には獅子舞連中の後ろを花笠と一緒に練り歩き、名主の庭で子供獅子がお披露目される。(2019年12月4日・越谷市立桜井南小学校の5時間目の獅子舞の授業にて)


[21]毎週の6時間目にクラブ活動が行われている。(2019年12月4日・越谷市立桜井南小学校の5時間目の獅子舞の授業にて)

[22]市内に伝わる郷土芸能を保存・継承している団体がお囃子や神楽、木遣等を披露します。
 「下間久里の獅子舞」以外にも、越谷市の無形民俗文化財に指定されている貴重な郷土芸能もご覧いただけます。
埼玉文化イベント情報 2020年1月7日参照
http://event-saitama.jp/event/%E7%AC%AC33%E5%9B%9E%E8%B6%8A%E8%B0%B7%E5%B8%82%E9%83%B7%E5%9C%9F%E8%8A%B8%E8%83%BD%E7%A5%AD%E3%82%92%E9%96%8B%E5%82%AC%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99/



[23]春日部市無形民俗文化財の9つあり、下間久里の獅子舞から伝承された銚子口や東中野も指定されている。
指定文化財/春日部市公式ホームページ 2020年1月7日参照
http://www.city.kasukabe.lg.jp/bunka_sports/bunka/bunkazai/shitei.html


[24]天狗が先頭に行列を作り、獅子舞を舞う場に入る。天狗が御幣で御祓いする。
「三頭立て獅子舞 歴史と伝承」
飯塚好 2013年6月5日(株)おうふう P101

[25]下間久里では現存していない。
「埼玉県民俗芸能調査報告書第一集 下間久里の獅子舞」埼玉県立民俗文化センター 昭和57年3月1日 P77


[26]YOUTUBE動画 2015年8月2日に行った講演会の 赤沼獅子舞公演「とだえた獅子舞 その復活劇とは?!」 2019年12月26日参照
[27]2019年10月5日 東京新聞 TOKYO Web https://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/ list/201910/CK2019100502000134.html 2020年1月7日参照

【参考文献】
○「埼玉の獅子舞」 埼玉県教育委員会 昭和45年3月30日
○「季刊東北学 第12号2007年 夏」 柏書房 東北芸術工科大学 東北文化研究センター 2007年7月25日
○「埼玉県民俗芸能調査報告書第一集 下間久里の獅子舞」埼玉県立民俗文化センター 昭和57年3月1日
○「こしがや市民ガイドブック」越谷市 株式会社サイネックス 平成31年1月発行
○「第9回特別展祈りと願い 彩る獅子 ー久喜市の獅子舞展ー 久喜市立郷土資料館」 平成30年10月10日
○下間久里の香取神社前の看板「下間久里の獅子舞」 平成8年7月 埼玉教育委員会・越谷市教育委員会・下間久里獅子舞連中
○「 広報こしがや 」季刊版平成22年秋号(NO.1245)越谷市
○「獅子舞の成立ち 越谷市下間久里の獅子舞」 山口時弘 平成27年7月 
○「越谷市動態図鑑」1966年版(昭和41年) 五十嵐暁雲 日本広飾企画研究所
○「越谷市人口結果集計表」 令和元年12月1日現在 越谷市 市長公室 政策課(統計)
○「平成29年度 埼玉県教育委員会 長期研修員(社会科)研修報告
主体的な学びによって、児童が社会科を好きになる地域教材の開発
ー東部低地の特産物・文化財と他地域との結び付きー」
埼玉県越谷市立平方小学校 松鷹博紀 平成30年5月 株式会社雄文社
○「獅子舞の分布と伝承」
埼玉県民族芸能緊急調査報告書 第4集
昭和57年3月31日 埼玉県教育委員会 
○「三頭立て獅子舞 歴史と伝承」
飯塚好 2013年6月5日(株)おうふう
○「埼玉県民俗芸能誌」
倉橋正次 昭和45年12月25日 錦正社
○埼玉県公式ページ 埼玉県内の国・県指定等文化財
https://www.pref.saitama.lg.jp/f2216/bunkazai-kensu.html 2019年12月15日参照
○埼玉文化イベント情報 2020年1月7日参照
http://event-saitama.jp/event/%E7%AC%AC33%E5%9B%9E%E8%B6%8A%E8%B0%B7%E5%B8%82%E9%83%B7%E5%9C%9F%E8%8A%B8%E8%83%BD%E7%A5%AD%E3%82%92%E9%96%8B%E5%82%AC%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99/
○指定文化財/春日部市公式ホームページ 2020年1月7日参照
http://www.city.kasukabe.lg.jp/bunka_sports/bunka/bunkazai/shitei.html
○【赤沼獅子舞社中公認】赤沼の獅子舞のホームページ
https://sites.google.com/site/akamumanoshishimai/ 2019年12月26日参照
○YOUTUBE動画 2015年8月2日に行った講演会の 赤沼獅子舞公演「とだえた獅子舞 その復活劇とは?!」 2019年12月26日参照
○越谷市ポータルサイト 2014年7月20日 https://www.koshigaya.city/2014/07/blog-post_20.html 2019年12月26日参照
○2019年12月4日越谷市立桜井南小学校の5時間目授業より
○2019年12月8日太夫・高橋仲次さんインタビューより

年月と地域
タグ: