滋賀の伝統食「鮒ずし」の継承と変化について
1: 積極的に評価しようとしている点
鮒ずしは魚とご飯を漬けて長期発酵させる発酵ずしの一種で、滋賀県の代表的な伝統食品である。匂いと酸味が強く、慣れない人には抵抗感の高い珍味とされることも多いが、1000年以上前から食べられてきた現存するほぼ唯一の「ホンナレ」ずしとしての歴史的価値、県内の家庭や企業が共有してきた文化的価値、そして高い栄養価を備える食品としての価値もある。
本稿ではこうした鮒ずしの価値に着目し、歴史や現状を紹介するとともに、今後の可能性について論じる。
2: 基本データ
所在地・規模:鮒ずしは滋賀県の伝統食品で、県内の店や家庭で作られ、お祭りや神饌にも供えられている。2019年の時点で大津、長浜、彦根、近江八幡など71軒の湖魚専門店で売られており、中には創業400年を誇る老舗もある。
作り方:鮒ずし作りは手作業が中心で、1年をかけて行われる(図1,2)。材料となる鮒は春に産卵のために岸に寄ってきたメスを捕獲する場合が多い。1匹ずつ鱗をはがしぬめりを取り、えらや内臓を除いた後、腹に塩をたっぷりと詰め、桶に塩漬けにする。数か月後取り出し塩をきれいに洗ってから、陰干しをして水を切る。土用に入る頃、腹にご飯を詰めてから桶にご飯とふなを交互に積み重ね、重しをして半年漬ける。正月頃には骨まで柔らかくなり食べ頃となる。
3: 歴史的背景
現在よく食べられている握りずしや巻きずし以外にも、はるか昔から日本人はすしを口にしてきた。日本のすしの歴史については日比野(2016)の研究が詳しく、本項はこれをもとに記述する。
すしの起源は東南アジアから中国を経てもたらされた発酵ずしであるといわれており、平城宮から出土した木簡などに「鮨」「鮓」の文字があることから、奈良時代以前に伝来していたとの説が有力である。鮒ずしに関しては、『延喜式』(927年制定の法令細則)の全国各地のすしの記録の中にすでに名前があるという。
その後も鮒ずしは様々な歴史書に登場する。1582年に織田信長が徳川家康を招いた安土城での饗応や、同時期の堺の商人・天王寺による茶会の献立に鮒ずしの記録がある。18世紀の歌人・与謝蕪村の「鮒ずしや 彦根の城に 雲かかる」という句など、文学作品にも数多く登場する。江戸時代(1689年)の料理本『合類日用料理抄』にも鮒ずしの調理手順が記されており、広く普及していた食品であることがわかる。
4: 国内外の他の同様の事例に比べて特筆される点
すしには大きく分けて、魚と米、塩などで乳酸発酵を起こす3種類の発酵ずし(なれずし)と、発酵を起こさない早ずしがある。発酵ずしのひとつである鮒ずしと他のすしを比較してみたい。
「ホンナレ」は魚と米のみを材料として長期発酵させ、食べるときはご飯をこそぎ落とし、魚だけを食べる。現存するものは鮒ずしだけだとされる。
これに対し、現在の日本の発酵ずしのほとんどは「ナマナレ」に分類される。淡水魚ではアユ、海水魚ではサバやアジなどを材料とし、発酵を浅く止めご飯も一緒に食べる。和歌山の「馴れずし」、兵庫の「ツナシずし」などがある。
魚と米に糀や野菜などの材料も足すのが「イズシ」である。糀を使い短期間で発酵させるのが特徴で、北海道の「飯寿司」、秋田の「はたはたずし」などが有名である。
早ずしの代表はにぎりずしであるが、地方の伝統食として著名なものに、富山の押しずし「鱒ずし」がある。古くから地域の祭礼などにも供されてきた伝統食として、鱒ずしは鮒ずしと比較する意義があると考え、筆者は2018年12月に富山市の鱒ずし業者「源」が運営する「ますのすしミュージアム」を見学した(図3)。ここでの鱒ずしの作り方は、まず大釜で炊き上げた米に合わせ酢を混ぜてすし飯を作り、職人の手で下し塩を振った鱒の切り身を載せ(この工程は機械化されていない)、笹の若葉を敷いた容器に詰める。その後、押し機で45kgの圧力をかけ、ゴム紐でフタを挟み包装後も押し続けるのであるが、以前の紙紐からゴム紐に変えたことで旨味が増したそうで、まさに「押し」ずしなのである。富山市内の鱒ずし業者は30軒ほどだが、現在では北陸一帯だけでなく東京駅や大阪駅、各地のサービスエリアや百貨店などにも広く流通している。
鮒ずしと比べ、鱒ずしは発酵させないため完成までの時間が短く、機械化できる工程も多いので大量生産が可能である。味に関しては、匂いと酸味が強く好き嫌いがはっきりする鮒ずしに対し、鱒ずしはあっさりしていて子供でも食べやすい。地域の専門店の数としては鮒ずしの方が多いが、全国的な流通範囲は鱒ずしの方が広い。こうしてみると、同じ地域の伝統食ではあるが、食べ慣れていない人も含めた受け入れられやすさという点では、鮒ずしは不利な状況にあるといえる。
5: 今後の展望
こうした現状を踏まえ、鮒ずしが滋賀の伝統食として今後も受け継がれていくためには、どのような取り組みが必要だろうか。継承と変化という点から論じてみたい。
まず必要だと考えられるのは、鮒ずしを食文化として世代を超えて「継承」してゆく取り組みである。たとえば、草津市にある琵琶湖博物館が一例として挙げられる。ここは滋賀の資源と文化を伝える総合博物館であるが、琵琶湖の研究や展示を積極的におこなっており、その一角で鮒ずしの歴史や製法について紹介するコーナーを設けている(図4)。
また、「食」文化であるからには、「作ること」や「食べること」が受け継がれる必要がある。現在滋賀県では、鮒ずしの漬け方を体験する市民向け講座が6、7月を中心に開かれている(図5~7)。塩漬けした鮒を用意し、参加者が鮒を漬ける一連の作業を体験した後、持ち帰って自宅で発酵させ、時期が来たら食べられるのである。さらに、県内の小学校では6月頃に地元の人が鮒ずしを漬けるところを見学し、1月にそれを小学生が試食する授業をしている所もある。
もうひとつ、鮒ずしの未来のためにあえて「変化」も必要であることを論じたい。現代では早ずしである鱒ずしも、実は『延喜式』の頃は米飯を発酵させた発酵ずしであった(日比野, 2016)。時代に合わせて製法を変化させ、今日の地位を得るに至っているのである。こうした変化は歴史的には鮒ずしにも起きており、『合類日用料理抄』記載の作り方は、使う鮒の種類や漬け方などが現代とは異なっている。しかし現代の鮒ずしが慣れていない人に受け入れにくいのだとすれば、さらに新しい変化も必要であろう。実際、製法に関しては、鮒を漬けた後の定期的な水替えが手間で匂いもきついため、漬ける際にビニールの袋で包むやり方が工夫され、これにより味も食べやすくなると言われている(筆者取材の市民向け講座でもこの製法であった)。
また、食べ方に関しても新しい変化が起きている。野洲の「BIWAKO DAUGHTERS」は洋風の洒落たお店で、鮒ずしだけでなく、鮒ずしのサンドイッチやピザといった、子供や若い人向けの新しい食べ方を提案している(図8)。筆者も実際に訪れたが、県外からの客も見られるなど広く話題となっているようであった。さらに、守山商工会議所は、本来食べることのない鮒ずしの「飯(いい)」を使い、福島産の塩麹と合わせた「飯麹」という商品を作り、平成26年度の東北復興支援ビジネスマッチング事業に選ばれている。「飯」に限らず鮒ずしは、タンパク質や脂質、カルシウム、乳酸菌を豊富に備え、血圧低下・整腸作用が確認された機能性食品であり、こうしたアピールも今後必要になるであろう。
以上のように、鮒ずしは長い歴史の中で時代とともに変化しながら現代に到っている。今後も、本来の歴史的、文化的価値を保ちながら、時代にあった鮒ずしを後世につないで欲しいと願っている。
- 図1 鮒の内臓を取り出す器具(2018年9月10日 竜王鮒ずし業者宅にて筆者撮影)
- 図2 様々な期間漬けられている鮒ずしの桶の数々(2018年9月10日 竜王鮒ずし業者宅にて筆者撮影)
- 図3 ますのすしミュージアムでの鱒ずし作りの説明パネル(2018年12月29日 富山市にて筆者撮影)
- 図5 飯漬け前に水切りのために鮒を並べて吊るす様子(2018年9月29日 草津市鮒ずし作り市民向け講習にて筆者撮影)
- 図6 飯と鮒を交互に重ね桶で漬ける様子(2018年9月29日 草津市鮒ずし作り市民向け講習にて筆者撮影)
- 図7 講師が去年漬けた鮒ずしの完成品(2018年9月29日 草津市鮒ずし作り市民向け講習にて筆者撮影)
- 図8 「壱製パン所」の鮒ずしサンドイッチ(2018年7月15日 野洲市にて筆者撮影)
参考文献
日比野光敏(2016)『「ふなずし」の特殊性と日本の「ナレズシ」』 橋本道範編『再考ふなずしの歴史』、サンライズ出版(株)
岩根順子『ふなずしの謎』サンライズ出版(株)、2011年