消えゆく伝統的工芸品 ー長崎べっ甲の今ー

米屋 勇二

1.初めに

長崎べっ甲は長崎県の伝統的工芸品(註1)、経済産業大臣の指定を受けた日本の伝統的工芸品(註2)である。べっ甲とは、海亀の一種で「タイマイ」と呼ばれる亀の甲羅の事で、日本でタイマイが生息する場所は主に南西諸島海域であるが、この海域ではべっ甲細工の原料となる大きなタイマイがあまりとれない事から輸入に頼ってきた。しかし、ワシントン条約(註3)によりタイマイの国際的な商取引が禁止されて1992年限りで原料の輸入禁止となる。以降、国内べっ甲産業は1993年以前に輸入された在庫を利用しながら生き残っている。約300年以上続く伝統を守り続けたべっ甲の歴史はこのままま幕を閉じるのか。今後の展望について考察を行うものとする。

2.基本データと歴史的背景

日本における玳瑁細工は奈良時代に始まり、正倉院宝物に最古のものが保存されている。玳瑁を日本に初めて持ち込んだのは1543年に入港したポルトガル船や当時薩摩、博多、平戸方面に唐船が入港していた事から唐船による持ち渡りがあったとも考えられている。16世紀末にはスペイン・ポルトガルに玳瑁の技法が伝えられていた。日本で16,17世紀頃の最も古いべっ甲製品は静岡の久能山東照宮に収蔵されている徳川家康公の遺品の中にある「無関節式の鼻眼鏡の枠」である。しかしながら17世紀末までは幕府が物価急騰に備え倹約令を出し、贅沢品が輸入禁止になり鼈甲もその中に含まれたため一般に広まる事はなかった。この事は名前にも影響を与えた。現在、玳瑁で作られたものをべっ甲細工と呼んでいるがべっ甲の「べっ」は「すっぽん亀」、「みの亀」の事で「べつ」とは「玳瑁」とは別であると言う意味である。日本では「玳瑁」が贅沢品として販売禁止になったため商人が代用品として玳瑁を「すっぽん」と名付けて役人の目をごまかしたとされている。そして17世紀末から18世紀ようやくべっ甲が流行するようになり長崎から江戸へ玳瑁が運ばれるようになった。江戸時代における長崎のべっ甲屋については記した文献は存在しなかったが、1722年に長崎の大洪水で長崎奉行所から救援金を受けた人々の中に、べっ甲職人の名前が記してあった事から、この頃以前にはすでにあったということが判明したとされている。

3.事例のどんな点について積極的に評価しているのか

べっ甲細工の発展は長崎抜きにしては語ることが出来ないであろう。長崎は江戸時代において、外国船が来航し、異文化が交わる国際的な貿易港であった。長崎に輸入された玳瑁は江戸時代の中期以降は他の積荷と共に先ずオランダ船の場合、出島、唐船の場合は新地の荷倉に納められ長崎会所の役人が支配し5カ所商人(註6)にて入札が行われ、ここから大阪、江戸へと運ばれていった。又、長崎にはオランダ商館など外国商人が滞在しており、これらの商人たちはべっ甲製品を好んで購入し、長崎丸山遊廓の丸山遊女に高価なべっ甲の櫛等をオランダ人が好んで贈ったとされている。外国人の要望に応じデザインの多様化や、額やステッキ等、多彩な製品を生産していくうちに、どんなものにでも加工できる技術が発展していった。これは、外国商人たちの需要がべっ甲細工の生産を促進し、高い品質の製品が求められたことが発展に寄与しともいえる。長崎を通じてべっ甲が輸出され、また長崎で多彩なべっ甲細工が行われるようになった事により、べっ甲の利用法や技術が進化し、独自のべっ甲細工のスタイルが形成された。この事がべっ甲細工の技術に新たな要素を加え、発展に寄与する事で、長崎がべっ甲細工の発展に大きな影響を与えたと言えよう。

4.国内外の他の同様の事例と比較して何が特筆されるのか

べっ甲と同じく歴史が古く同じ動物素材の伝統的工芸品として象牙がある。デザイン的な観点から、象牙とべっ甲はそれぞれ独自の特徴を持っている。象牙は非常に硬く、密度が高い素材である事から、彫刻や工芸品、楽器の製造などに適しており、象牙は他の素材よりも非常に頑丈であり、長寿命であることが特徴である。一方でべっ甲は、その独自の模様や色彩がデザイン上の特筆すべき点である。べっ甲は複雑で美しいパターンが入り、光沢がある。特に「緞子(だんし)」と呼ばれるべっ甲の一部は、模様や光の反射によって独特の美しさを放っている。これらの特性は、彫刻や装飾品において独創的で魅力的なデザインを実現するのに適しており、彫刻や工芸品だけではなく眼鏡枠や時計バンド、櫛、イヤリングなど多岐に渡り用いられておりデザイナーはべっ甲の自然な模様を利用して、独自のアートピースや装飾品を生み出すことが可能で、べっ甲の柔軟性や軽さも考慮に入れ、繊細で洗練された作品を制作する上で有利である。又、最大の特徴的は水や熱を加える事で玳瑁独自の膠質を利用しで幾つもの甲羅を繋ぎ合わせわせる事で大きな作品や形状を作る事であろう。そしてべっ甲自身にも蒔絵、パールや珊瑚、翡翠、その他の天然石を添えた装飾で高級感のある魅力的な製品が生まれる。これらはべっ甲と漆の相性はよく、金蒔絵や螺鈿は華やかに輝きパールや珊瑚、翡翠などの宝飾もきれいに映えるのである。次にべっ甲三大生産地と言われる江戸鼈甲、大阪べっ甲と比較すると、江戸鼈甲は東京都の伝統的工芸品(註4)、国の伝統的工芸品(註2)に指定されその技術は張り合わせの技術が江戸の元禄期に伝えられ、複雑な形のべっ甲細工が生まれた。大阪べっ甲は、なにわべっ甲と呼ばれは大阪府伝統工芸品(註5)に指定されており、繊細な透かし彫り技法に代表される優れた彫刻技術が特徴であった。しかしながら長崎べっ甲と比較すると江戸時代の作品の多くは髪の用具(櫛、簪、笄)が主で長崎べっ甲の様な日用品から工芸品まで多岐に渡るものは少なかったと言える。

5.今後の展望について

独立行政法人水産総合研究センター 西海区水産研究所 石垣支所 栽培技術開発研究室は、国の施策としてウミガメ類、特にタイマイ資源の回復を目指し、増養殖技術の研究に取り組んでいる。平成16年に2頭の雌から894個の卵を得、その後も成功を収め、自然水温でのタイマイの産卵サイクルが2年であることを発見。養殖事業化に向け、冬期の水温が成熟・産卵に影響する可能性を仮説立て、実験を行い平成18年には、同じ2頭の雌から合計910個の卵を採卵することに成功。この成果はタイマイの資源回復と養殖事業化に大きな進展をもたらした。但し、タイマイ養殖に関する情報はまだまだ不足しており、未成熟のタイマイを成熟させて産卵させる技術や飼育技術の開発が必要であった。研究所はこれに取り組み、未成熟なタイマイが飼育水槽で成熟し、親ガメの養成方法を工夫することでふ化率が向上するなどの成果を得た。これらの技術をまとめ、「タイマイ養殖に関する技術集」として発表。平成24年からは実用化に向けた実証試験が始まり、平成29年に石垣べっ甲株式会社が設立され、タイマイ養殖が開始された。そして現在、海洋政策研究所 (註7)によると「石垣べっ甲(株)では400頭以上のタイマイを飼育し、最大で年間100頭以上の孵化に成功している。」又、「水産事業では、タイマイの甲羅以外の部位は食肉として加工し、皮は皮革製品の材料として余すことなく使い切ることとしている」とあるように養殖事業のみならずに無駄のない資源の利用にも取り組んでおり、これまで長年にわたる協力機関や研究所の努力が実を結び、タイマイ養殖が新たな産業を生み出す一翼を担うまでに来ている。この事により、タイマイ養殖の順調な進展がなされることで、日本の伝統的工芸品としてべっ甲細工が今後も長く生き続いていくことが期待される。

6.まとめ

これまで玳瑁の代替えとして琥珀やプラスチック樹脂、鉱石から作られた合成素材が使われる事があったが、これらを用いても玳瑁より美しい模様と光沢高級感と品質を超えることは難しいものであった。べっ甲細工には長い歴史があり、特定の地域や文化に根付いた伝統的な工芸品であり、これを残すことは、その地域や文化のアイデンティティを継承し、保存する手段となり、文化的な遺産を守り、未来の世代に伝える重要な要素となるであろう。又、べっ甲細工の製作には高度な技術や熟練の職人技が必要で、これらの技術を継承し、次世代の職人に伝えることで、貴重な技術の保存がなされるのだ。玳瑁の養殖はまだコスト面での課題はあるだろうが、しかし、この伝統の火を消すことなく次の世代へ繋いでいける事を願ってやまない。

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  • 2024/1/12 筆者撮影 撮影場所 写真1~12 長崎市べっ甲工芸館にて、写真13~23 二枝べっ甲美術工芸館にて

参考文献

(註1)長崎県ホームページ https://www.pref.nagasaki.jp/bunrui/shigoto-sangyo/sangyoshien/furusato_sangyo/dentou_kougeihin/ (2023年11月4日閲覧)
(註2)経済産業省ホームページ https://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/mono/nichiyo-densan/index.html (2023年11月4日閲覧)
(註3)経済産業省ホームページ http://www.meti.go.jp/policy/external_economy/trade_control/02_exandim/06_washington/index.html (2023年11月4日閲覧)
(註4)東京都産業労働局ホームページhttps://www.dento-tokyo.metro.tokyo.lg.jp/items/ (2023年11月4日閲覧)
(註5)大阪府ホームページ https://www.pref.osaka.lg.jp/mono/dento/dento06.html (2023年11月4日閲覧)
(註6)5カ所商人 京・大阪・堺・江戸・長崎の商人仲間で特に唐南貿易取引の許可を持つ商人
(註7)「Ocean Newsletter 第561号」海洋政策研究所 発行

『参考文献』

「長崎のべっ甲」  越中 哲也 著 長崎鼈甲商工共同組合、長崎玳瑁琥珀貿易共同組合、長崎鼈甲装飾品事業共同組合 発行 1983/03 
「フリーズ2月号」 舟木 麻由 文 九州旅客鉄道株式会社 発行  2007/01
「長崎の海産物美術工芸品(上)」 渡邊 武彦 著 商工長崎刊行 刊行                                1954/02
「玳瑁考」            越中 哲也 著 純心女子短期大学付属歴史資料博物館 発行 1992/05
「図説 日本の職人」 神山 典士 文 河出書房新社 発行                                2007/10
「江戸東京 職人の名品」TBS「江戸粋いき!」作成スタッフ 編集 東京書籍株式会社 発行 2006/02
「西海せいかい No03」国立研究開発法人水産研究・教育機構 西海区水産研究所 編集 国立研究開発法人水産研究・教育機構 発行      2008/03
「西海せいかい No22」国立研究開発法人水産研究・教育機構 西海区水産研究所 編集 国立研究開発法人水産研究・教育機構 発行      2019/10
「長崎べっ甲物語」橋本 白杜 著 第一法規出版株式会社 発行 1981/11
「Ocean Newsletter 第561号」海洋政策研究所 発行  2024/01 2024/01

取材、資料提供、写真撮影協力、写真記載許可 二枝べっ甲美術工芸館
        写真撮影協力、写真記載許可 長崎市べっ甲工芸館

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