銭湯は昭和の概念の聖域であり、昭和コミュニティの史跡である

武田 崇廣

1.現在の銭湯の状況と歴史的背景
2.有馬湯では昭和の営みが続いている
3.銭湯の営業を持続させる工夫
4.地域コミュニティとは、多種多様な施設の環である
5.町内に銭湯が無くなる寂しさとは、未知なるコミュニティの進化

1.現在の銭湯の状況と歴史的背景
都内の銭湯が減少している。株式会社東京商工リサーチのサイトで2022年4月23日の記事のタイトルは「街の銭湯、ピークから1万6000軒減少」とある。(※1)2022年4月では89.6%の銭湯がなくなってしまった。江戸時代から大衆浴場として親しまれてきた銭湯だが、1969年の繁盛期より年々軒数が減少している。(1)技術の進歩により内風呂が整い、銭湯の施設はもう用済みとなってしまったのだろうか。私の生活圏内でも、ここ最近,一軒の銭湯がスーパーに換わっていた。銭湯が無くなるとその地域の文化がひとつなくなったような、心に空虚を感じるのは何故であろうか。
日本の風呂文化の始まりは、6世紀の仏教伝来と同時期であり、修行のひとつである蒸気を浴びる沐浴、「空風呂」(※2)として営まれて以来沐浴が習慣となり、江戸期になると庶民が利用する銭湯施設が営まれる。江戸後期には、銭湯の2階の休憩所で囲碁や将棋を楽むなど気楽に訪れる社交場でもあった。江戸期の庶民には「衛生管理」の高さと、「癒やし」や「娯楽」を楽しむ文化があった。
日本の熱い湯船に浸かる風呂文化は、フィンランドのサウナと同じくらい独特的である。アジアにしてもヨーロッパにしても、シャワーのような浴びるスタイルである。また、現代のホテルにあるプールは、ヨーロッパの沐浴である19世紀中期の水泳教室にはじまり、サロンや風俗として栄えたブルジョワな娯楽施設であった。「フランス国のでは、庶民に「社会」を意識させるために垢と無秩序を取り除くプロパガンダとして、衛生管理を義務とする習慣を紳士淑女の嗜みとする運動であった。そして、貴族たちの美意識となり羞恥心やプライバシーを身に着けた。また、水に浸かる沐浴はあっても湯に入ることはない。入浴は、肌をふやけさせ、意識を遠のかせるため健康的に悪いとされていた。」(※3)日本の入浴や銭湯の繁栄は、明治政府による近代国家政策のプロパガンダではなく、江戸時代から続く日本の庶民文化である。

2.有馬湯では昭和の営みが続いている
東京都台東区の三ノ輪にある「有馬湯」は、昭和の営みをそのまま営業し続ける銭湯である。有馬湯は三ノ輪の駅より土手通りを南東に10分ほど歩いた路地にあり敷地は110坪くらいである。有馬湯の名前の由来は、有馬温泉である。江戸時代に出稼ぎで新潟の人々が江戸に流れていた。その一派が銭湯をはじめた経緯があり、有馬湯もその流れにあるそうだ。店は、昭和初期に開業して以来96目年を迎える。現在も健全な母屋は、戦後すぐに建て直されて以来、維持している重厚な鉄骨鉄筋コンクリートに横長の窓が連続して設置された立方体で、モダン建築の佇まいである(2)。
内装は、下駄箱が並ぶ玄関を入ると電車の車両の半分ほどのスペースの受付がある。センターに受付があり左が女湯、右が男湯の入り口である。受付の前には、40インチの液晶テレビと木造のしっかりしたテーブル、革のソファーがあり5-6人がくつろげるスペースがある。脱衣所の作りは男女同じで、女性の方に化粧用の机と鏡が一面にあるという違いはある。(3)脱衣所と湯殿は大きなガラスの引き戸の4枚で間仕切りされている。湯殿は、引き戸の高さ2m位が総タイル張りで、その上は二階建ての天井より高い空間を爽やかなグリーン色のドームが男女の隔たりなく全体に抜けている構造である(4)。男女の間仕切りは引き戸の高さよりやや低く、壁面には一面をタイル絵が装飾されている。その絵は、沖から日本の連山風景を臨む広角なアングルで遠くに霊山のような神々しい山が描かれている。帆掛け船や孔雀、牡丹や松、梅のように見えるいい枝ぶりの木が心地よい感覚で手前を賑わせている。湯船の正面、湯面から1mほどの壁にもタイル絵があり、そこには小滝から流れる渓流を楽しげに泳ぐ鯉たちが描かれている。タイル絵は、建てた当時のままである。そして有馬湯には、「猿」の壁画もある。亭主の市村政晃氏に話を伺うと先代の亭主の父親が、どうせならアート作品のような付加価値のある作品を描いてもらいたいと当時のクリエイター城崎哲郎氏が考案したキャラクターを田中みずき氏に描いてもらった絵だそうだ。(※4)とても斬新でありながらも、洒落たデザインの絵である。(5)そして、湯殿の側面の大きなガラス窓の外には、小ぶりではあるが庭園がある。(6)洗い場は、膝上くらいの仕切りに鏡が付いている。シンプルな洗い場である。
先代の女将さんは、そのままの姿で残してほしいと政晃氏に告げているそうだ。(7)意匠にしても経営形態にしても継続し営業しているところに、信念と愛を感じる。しかし、継続するためには工夫が必要である。

3.銭湯の営業を持続させる工夫
「うちは、高齢者のお客さんがほとんどだよ。いつも顔を合わせているお客さんが、ある日来ないとなると大変なことですよ」と常連客との日常のコミュニケーションの大切さを政晃氏は語る。また、「古くから続いてる店は、この界隈ではウチだけになった」と寂しげな表情で語る。駅から離れていることもあり、常連客しか来ないところに、流行病や燃料の高騰と店の経営は厳しいようだ。
現在東京では、新しいサービスをする銭湯が人気である。建物をリノベーションして、音・色・香りの演出やサウナがあったり、ジョギング好きなスポーツマンに銭湯のロッカーを貸し、ジョギングのあと風呂に入ってもらうサービスをしていたりと、新たなコミュニティを形成している。銭湯の建物や意匠も時代とともに変化しビルやマンションの1階で経営をする店舗が多い。また、役割を終えた銭湯の母屋をギャラリーに利用している「SCAI THE BATHHOUSE」のような施設が東京藝術大学の近くにある。
そして、有馬湯では一般的なサービスではないが、映画やドラマの撮影スタジオとして場所を提供している。(※5)「どんなサービスやコミュニティを展開するかは銭湯屋の亭主が好きなことをするのが長く続ける秘訣じゃないですか?」と銭湯を継ぐ前から活動している原作家・シナリオライターの仕事を兼業している政晃氏は述べる。

4.地域コミュニティとは、多種多様な施設の環である
駄菓子屋がなくなり、公園遊具の制限やルールが厳しくなり子供の集う場所が少なくなった。子供のコミュニティが少なくなるということは、父母の交流の場もなくなるということである。現代において「子ども食堂」が流行っているのは、単に救済というだけではない。地域と家族を結び、共存共栄の関係性がある。施設を持続可能とするためにもコミュニケーションが必要である。健全な集いがあってこその運営である。
昨今、重要有形文化財が資金繰りで保存修理が困難というニュースをよく耳にする。有馬湯は、台東区と文化的な活動をしていたり、「高齢者ふれあい入国券」の制度を取り入れた運営をしているが、もう少し地域コミュニケーションを増やしたほうが持続可能率が高まるように思える。利用者のニーズがない若年層に対するアピールや催しをする必要があるようだ。

5.町内に銭湯が無くなる寂しさとは、未知なるコミュニティの進化
銭湯は、男女の仕切りこそあれ、老若、貧富の差、社会階級、人種を気にしない空間で裸になり、同じ湯船でくつろぐ施設は世界的に見ても珍しい。 銭湯が廃業することは、地域と人々を結ぶ大切なコミュニティの施設のひとつがなくなり、その地域に昭和の概念がなくなることである。新しい表現や価値観が刷新されていることを感じるだけに、新しいコミュニティを考えるヒントが銭湯にはある。
技術の進歩が一人ひとりに端末を携帯させるまでになり、人との繋がりを分断させている。情報の相互通信により顔を合わせる機会がなくなった。また、1人でいることが孤独ではなくなった。自分は何者か社会とはなんなのか、自分と社会の関係が解からなくなる。人間としての概念や社会のシステムがおとぎ話やファンタジーのように感じてしまう。そんなときは、ひとっ風呂浴びに近所の銭湯に行くべきである。

  • 全浴連加入組合(合計組合員数)1 (1)全浴連加入組合(合計組合員数)のグラフ 図表:(筆者作成)
  • 81191_011_32283063_1_2_(2)有馬湯1 (2)母屋は第二次大戦の空襲で焼かれてしまい戦後すぐに建て替えて、今もそのまま健在。写真iPhone11:(2023年11月25日 筆者撮影)
  • 81191_011_32283063_1_3_(3)IMG_9188 (3)消耗品は交換せざる負えないが、体重計やエアコンは新築当時のままだそうだ。写真iPhone11:(2023年11月25日 筆者撮影)
  • 81191_011_32283063_1_4_(4)有馬湯3 (4)湯殿から脱衣所をながめるとドーム型の天井の空間の広さがよく分かる 写真iPhone11:(2023年11月25日 筆者撮影)
  • 81191_011_32283063_1_5_(5)IMG_9198 (5)有馬湯の装飾である、タイル絵と猿の壁画。仕切りの低いシンプルな洗い場 写真iPhone11:(2023年11月25日 筆者撮影)
  • 81191_011_32283063_1_6_(6)IMG_9186 (6)男湯の側面の大窓の外には、小さな庭園 写真iPhone11:(2023年11月25日 筆者撮影)
  • 81191_011_32283063_1_7_(7)IMG_9210 (7)受付で話をする亭主の政晃氏。気さくで親しみやすい人柄。(2023年11月25日 筆者撮影)

参考文献

(※1)東京商工リサーチ 街の銭湯、ピークから1万6000軒減少 2022/04/23 (2023/10/27/16:13閲覧)
https://www.tsr-net.co.jp/data/detail/1191268_1527.html

(※2)中野栄三 著 『入浴・銭湯の歴史』 雄山閣BOOK 1994年11月発行 P15 11行目

(※3)ジュリア・クセルゴン 著 鹿島茂 訳 『自由・平等・清潔 入浴の社会史』 河出書房新社 1992年1月発行

(※4)銭湯ペンキ絵師見習い日記 (田中みずき 銭湯ペンキ絵制作記録)(2024/1/22/23:20閲覧)
http://mizu111.blog40.fc2.com/blog-entry-774.html

(※5)台東区フィルム・コミッション
https://filmcommission.city.taito.lg.jp/location/arimayu/

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