甲子園球場に向かってずっと吠え続ける一匹の虎

山中 貴子

はじめに
2023年日本一になったプロ野球球団、阪神タイガースの本拠地である阪神甲子園球場(以下甲子園球場)の西側のミズノスクエアという広場に猛虎像(写真1)がある。「地域の文化資産」というに相応しい立派な彫刻である。

基本データ
所在地・兵庫県西宮市甲子園町1-8 甲子園球場敷地内
体長・3m
体高・1.5m
作者・彫刻家 柏木秀峰
これは1985年、阪神タイガース創立50周年を記念しアサヒビール(株)から寄贈されたものである。

歴史的背景
甲子園球場は、大正11年(1922年)廃川の地73.9haを阪神電気鉄道(株)が410万円で入手しあの大球場を建設した。その13年後1935年阪神タイガース(当初は大阪野球倶楽部)が創設された。その50年後1985年猛虎像が完成し人々にお披露目することとなった。阪神電鉄初代社長の外山修造氏がアサヒビールの創業にも関わっていた。そのことからアサヒビールからの寄贈品として猛虎像が制作されたのであろうと言われている。猛虎像制作を依頼された彫刻家柏木秀峰は一世一代の大仕事を請け負うこととなった。

事例を積極的に評価している点
「ライオンも倒す強いトラを」というのがアサヒビールの当時の担当者からの注文内容だった。制作は、骨組みに漆喰セメントを直付けしブロンズを流し込み火入れする。火入れの時は火の神に祈願した。ブロンズは耐久性に優れ屋外作品の素材として銅像などによく使われる。外部との摩擦によりツヤが生まれ混ぜた金属の酸化によって色味が変化する。時の経過と共に作品に味わいが出てくる。
秀峰氏はこの虎を幸運を呼ぶ虎「霊虎(ライガー)」と名付けた。この名は一般公開されなかったが。実は霊虎(ライガー)には兄弟がいた。タイガースの応援歌「六甲おろし」”六甲おろしに颯爽と蒼天翔ける日輪の青春の覇気美しく輝く我が名ぞ阪神タイガース”とある。風を吹き下ろす役目の虎が必要だと、もう一頭制作され六甲山に置かれた。当時は子ども達が気軽に乗って遊んでいた。(写真2)しかしこちらの虎は惜しくも取り壊されてしまった。
甲子園球場の西方で現在も吠え続けている一匹の虎。大きな裂けそうな口を開け天を見上げ目を剥いている。吠えている最中なのだろう。腹に力が入り少し凹んでるようにも見える。地に着いた足は太めである。毛並みが模様のようにカールしている所がありどこか神獣のようでもある。
神獣とは、神そのものの獣。または特殊な力を持つ獣のことである。中国から日本に伝わった四神獣の信仰がある。四神獣とは、青龍(せいりゅう)白虎(びゃっこ)朱雀(すざく)玄武(げんぶ)のことである。それぞれ青龍は東を、白虎は西を、朱雀は南を、玄武は北の方角の守護を司っている。白虎は虎形の神で西方の守護神である。甲子園球場の西方で吠え続ける猛虎像。白虎とオーバーラップする。全くの動物的ではなくどこか神獣的な仕上がりにしたのも、柏木秀峰の手腕なのかもしれない。
彼は1970年大阪で開催された「日本万国博覧会」に出展していた。御物正倉院模刻「伎楽面酔胡王」他4点である。模刻といえども確かな腕前がないと万博に出展できるものじゃない。彼の作品は神がかりなものが多かった。狼のような神狐(黒狐)、雷龍の置物、インドの巨大像、仏像も数多く制作していた。(写真3~5)彼自身、神仏が好きでインドやブータンに何度も旅行して勉強していたようだ。
彼のもう一つの代表作に、狛犬静止像(写真6)がある。西宮市小松南町に、日本神話の神々の筆頭に位置付けられている天御中主大神(あめのみなかぬし)を御祭神にしている岡太神社がある。岡太神社には恵比須大神も祀られている。西宮神社の恵比須大神が毎年正月9日の夕方に高潮や洪水などの災害を未然に静止して五穀豊穣をもたらす静止打神事(ししうちしんじ)をされると伝えられていた。このため神職はいごもりをする風習があった。静止(しし)を猪にかけて猪は恵比須大神の使いとされこの伝説を後世に伝えるため、昭和60年(1985年)阿吽のイノシシ(猪)静止像が設置された。この静止像を制作したのが柏木秀峰である。またこの岡太神社は元は門戸の岡田山にあったという説もある。

国内外の他の同様の事例と比較
銅像が有名になった例として「忠犬ハチ公像」がある。東京JR渋谷駅前にいる。記念写真を撮る外国人観光客も多く知名度は国際的である。あのヘレンケラーも訪れたことがある。アメリカではハチの話を元に映画にもなった。秋田犬のハチ(1923~35年)は毎日渋谷駅に来て亡くなった飼い主を待ち続けたという。当初は通行人にいじめられたりしていたようだが、1932年の東京新聞にハチの記事が掲載されて有名になったという。軍国主義の風潮の中で主人に忠義を尽くす忠犬が大きな注目を集めた。銅像の作者は、安藤照という彫刻家である。ハチ公像は1934年完成、除幕式されハチ自身も参加した。しかし約10年後、大東亜戦争の金属供出として撤去され溶解され機関車の一部になってしまった。現在JR渋谷駅前に立つ像は2代目「忠犬ハチ公像」で安藤照の息子、安藤士(たけし)が制作したものである。
国外では、世界的に有名な銅像として「小便小僧」を挙げておこう。小便小僧は世界各地に存在(日本にも)するが、ベルギーのブリュッセルに設置されているものが起源とされている。由来は諸説あるが一つは反政府軍がブリュッセルを爆破しようとしかけた爆弾の導火線に小便をかけて消し、町を救ったジュリアンという少年がいた。この少年を称えて銅像が作られたという説が有力である。この小便小僧がなぜ世界中の人々に愛されるようになったかは不明であるが、いつの日からか小僧に世界各地から衣装が贈呈されるようになった。その数1000着ほどに及び、衣装はブリュッセルの市立博物館に所蔵されている。小便小僧の制作者はジェローム・デュケノワという彫刻家である。
阪神タイガースの夏のイベントとして2013年より毎年「ウル虎の夏20××(西暦)」と銘打たれ期間中の阪神主催試合では期間限定ユニフォームが使用される。イベント開始前にユニフォームのお披露目としてゴールデンウイーク期間にも着用する。このイベントの2017年版のユニフォームを猛虎像も着用したことがある。(写真7)初めてのユニフォーム着用で命が吹き込まれたようだった。

今後の展望について
甲子園球場の西方に登場して38年、ずっと吠え続けている猛虎像。これからも広場のシンボルとして、町に溶け込む芸術として存在することを渇望する。

まとめ
忠犬ハチ公はそのストーリーが日本人の気質にあったのか作者より有名な彫刻となった。小便小僧にしてもあんなに世界中の人々から愛されている彫刻はない。しかし猛虎像はそれ自体そんなに注目を浴びている存在ではない。ただ勝っても負けてもファンから熱烈に愛される「阪神タイガース」の本拠地甲子園球場に寄り添うようにひっそりと佇む制作品である。タイガースファンが多いおかげで目にした人も多いだろうがそれは野球を観に来てる人たちだ。しかし、柏木秀峰という彫刻家が魂を込め心を込め愛を込めて制作した唯一無二の芸術作品を今一度愛でてみてはどうだろうか。

おわりに
この猛虎像と柏木秀峰氏の素晴らしいエピソードがある。彼は像を制作の際、タイガース優勝を願って各神社へ祈願して回ったという。アサヒビールからの”ライオンも倒す強いトラ”という注文を真摯に受け止め当時の阪神パークなどを回り虎をはじめ他の動物の激しい形相も観察し作品に取り入れ制作したという。秀峰氏は作品には形の中に含まれる心が大切と考えていた。神社からのパワーを彫刻に丁寧に入れていったに違いない。そのかいあってか1985年猛虎像を設置した年、タイガースはリーグ優勝、そして日本一になった。日本一になったその日11月2日は秀峰氏の誕生日だった。

  • 81191_011_31883089_1_1_写真1 写真1、2023年12月2日柏木咲哉氏のアルバムより筆者撮影
  • 写真2六甲の猛虎像 写真2六甲の猛虎像、2023年12月2日柏木咲哉氏のアルバムより筆者撮影
  • 81191_011_31883089_1_3_写真3技楽面酔胡王 写真3技楽面酔胡王、2023年12月2日柏木咲哉氏のアルバムより筆者撮影
  • 81191_011_31883089_1_4_写真4神狐 写真4神狐、2023年12月2日柏木咲哉氏のアルバムより筆者撮影
  • 81191_011_31883089_1_5_写真5インドの巨大像 写真5インドの巨大像、2023年12月2日柏木咲哉氏のアルバムより筆者撮影
  • 81191_011_31883089_1_6_写真6狛犬静止像 写真6狛犬静止像、2023年12月20日筆者撮影
  • 81191_011_31883089_1_7_写真7ウル虎 写真7ウル虎、enjoy koshien インスタグラムから

参考文献

竹田十岐生『阪神の百年を創った男 外山修造伝』(株)文芸社、2002年
『新西宮歴史散歩』西宮市教育委員会、2003年
墨威宏『銅像 歴史散歩』(株)筑摩書房、2016年
えどがわデジタル美術館 https://www.city.edogawa.tokyo.jp
ウィキペディア 安藤照 2023年、安藤士 2023年
1985年 毎日新聞の記事
聞き取り調査に協力してくれた方:西宮流(スタイル)編集部 岡本順子氏
: 詩人・画家 柏木咲哉氏

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