都市の景観 ダイナミックに変化する宮下公園

光山 陽子

■データ
名称:宮下公園
所在地:東京都渋谷区神宮前6-20-10
所有:渋谷区
構造:人口地盤上に整備されている、1階が駐車場、2階が公園の立体公園
規模:面積10,808㎡

■評価対象
宮下公園は、渋谷駅の東側の線路沿いにある、南北に細長い2階建ての立体公園である。
宮下公園は、昭和5年から平地の公園として整備されていたが、昭和39年に2階建ての立体公園に整備され、平成10年のスポーツ公園への大きな変更を経て、現在は3階立ての公園に整備中である。宮下公園は、小さいながらもダイナミックに変化してきた都市公園である。
また、宮下公園はその立地や形状から、市民、市民団体、アーティストなどの活動とも密接に関係してきた公園である。

■歴史的変遷
宮下という地名は、現在は残っていない。地名の由来は、明治初期から皇族の梨本宮家の御殿が近隣の美竹地区にあり、宮家の御殿の場所より坂の下側に位置する土地ということから宮下とされたと言われている(資料1写真1-2)。昭和5年の東京都都市計画による公園としてスタートした。東京オリンピックまでは渋谷川沿いの平地の公園であった(資料1)。
昭和39年の東京オリンピックの当時の道路整備の際に、渋谷川の暗渠化が実施され、それと同時に平地であった宮下公園は2階建て公園となる。当時は「東京初の空中公園」とも言われ渋谷の話題の名所となる(資料2写真2-1)。
平成18年に渋谷区はフットサルコートを設置、スポーツ公園化を開始した(資料2写真2-2)。平成21年にはスポーツ用品メーカーのナイキジャパン(以下、ナイキ)が公園の命名権を獲得し、スポーツ公園にする計画を発表。平成23年にナイキの寄付事業としてスポーツ公園に整備された(以下、ナイキ化)(資料2写真2-3)。
現在は整備のため閉鎖中であり、2年後には3階建の公園に整備される予定であり、ホテル、商業施設、スポーツ施設が設置される構想である(資料2写真2-4)。

■宮下公園の特徴・評価
平成23年にナイキ化される以前の宮下公園は、アーティストが展示やパフォーマンスをし、ミュージシャンがライブを開催するなどの自由な活動がされてきた。また、遊具やベンチを作るイベント、公園の壁や遊具をペイントする活動などもあり、公園が美術大学の庭のような雰囲気であった。中には、ゴミを使ったファッションショーなどの社会風刺的なインスタレーション、夜の公園での映画の上映会などの独特の活動もあり、自由で実験的な表現活動が展開された公園であった。(資料5)

宮下公園でアーティストが活動しやすかった背景には、渋谷駅近くであることの他に、南北に400m、東西に40m程の細長い土地の形状と、4.5mという高さが関係していると考察される。
宮下公園は近隣の代々木公園や明治神宮外苑のように広大な公園ではない、極めて狭い公園である。この細長い土地の形状は、アーティストにとって利点が大きい。狭さを利用した場合は最小限のスペースで自己の世界観を表現できるし、奥行きを利用した場合はどこまでも続く深い空間を演出できる。非常に使い勝手の良い空間と言える。
また、2階建てと同じ程度の4.5m程の高さも、異次元的雰囲気を得られる要因となる。もし平地の公園であったなら、車の往来や人の通りなどが影響してしまい、特別な空間として存在しえなかっただろう。

この狭さと高さに加えて、大きな木が茂り緑豊かで静かな空間であった。そのため人目を避けやすく、ピーク時は100人を超えるホームレスが生活をしていたとの調査がある。平成15年の日本建築学会計画系論文集の「ホームレスコミュニティの共生型居住に関する研究」の調査結果では、宮下公園に定住しているホームレスの実態調査が行われ、彼らが共同でテントを建て、食事や貯金も共同でしているという事実が明らかになった。
そして、ホームレスと市民とアーティストは、しばしば公園イベント等を開催し交流することもあり、独特のコミュニティの存在が宮下公園の特徴でもあった。

■行政と宮下公園
宮下公園が有名になったのは、命名権の売買問題からである。命名権とは、公共施設に企業の名前や商品名を付けることができる権利である。平成21年に渋谷区は宮下公園の命名権を、ナイキに販売することを突如決定する。ナイキは、10年で1億7千万円の契約で命名権を獲得し「みやしたNIKEパーク」と命名するとした。しかし、ナイキと区議の癒着、不透明なプロポーザル、区議会の決定過程の違法性、人権無視のホームレス排除等が問題になり、市民やアーティスト、ホームレス支援団体を中心にナイキ化反対活動が起きる。このナイキ化反対運動は、世論を大きく巻き込みながら展開され、海外の新聞でも取り上げられる程大きく問題化していった。(資料5写真5-4~5)
このため、ナイキはイメージダウンを懸念して、契約金を支払いながらも「みやしたこうえん」と命名しNIKEの文字は使用しない方針に変えた。
渋谷区は、命名権をナイキに販売し、公園の整備費などをナイキ側から調達できるという財政メリットを強調し、命名権の販売に強引に踏み切ったわけだが、市民の反発を無視した形でのスポーツ公園化は、平成23年から27年まで裁判という形でしこりを残し、市民と行政の間には小さな公園を巡って深い溝ができてしまった。
市民と行政がにらみ合いを続ける中、ナイキ化した宮下公園を開園したが、公園の大部分を占めるスポーツ施設は有料になり、利用者格差が生じ、事実上は公共空間ではなくなってしまったのだ。また、アーティストの実験的な活動には制限がかかり、企業の思惑が反映されるイベントが中心に開催されるようになった(資料6)。
このように宮下公園に企業が介入してきた結果、市民間、アーティスト間に、見えない溝が掘られてしまった。このことから、それまでの宮下公園の独自の存在感が薄れる結果となった。

■内外の事例との比較
ニューヨークにはハイラインという、廃止された鉄道の高架橋を利用した空中公園がある。1980年に廃止された高架橋は、その後廃墟となっていた。この高架橋を取り壊す計画が市議会で議決されるが、2人の市民がフレンズ・オブ・ハイラインという非営利団体を設立し、高架橋の保存と公園化のために活動を開始した。ハイラインは、市民が高架橋の歴史的価値を見出して公園化した、市民が公共空間を作り出したと言える事例である(資料7写真7-1~3)
パリにはプロムナードプランテという、廃止された国鉄の高架橋を再利用した空中公園がある。1986年にパリ市が高架橋を買収し整備し、高架上が公園となった。高架橋の下は、ヴィアデュック・デ・ザール(芸術の高架下)と呼ばれ、アトリエやギャラリーが並ぶ、芸術家を大切にする佇まいである(資料7写真7-3~6)。
両公園とも、鉄道の高架橋を利用した空中公園であり、その高さと幅の狭さからスリルがありながらも開放的な公園である。さらに、地域社会やアーティストとの一体的な関係を築くことに成功し、公園の魅力をより高めていると言える。
ナイキ化以前の宮下公園は、都市の狭い空間を利用した空中公園で、森のような雰囲気の残る異次元的空間が特徴的であった。利用者もコミュニティをしっかり作って公園と一体的な関係も築いてきた。ナイキ化以後は、公園の形も変わり、公園と利用者の関係が変化し、新たな利用者の獲得に成功している。公園の形とともに利用者と公園の関係も変化したのが特徴である。

■今後の展望
平成29年3月31日に宮下公園は閉鎖された(資料8写真8-1~3)。現在は2年後の開園を目指し3階建ての公園に整備中であり、1階が駐車場、2階と3階が公園やスポーツ施設や商業施設それに、ホテルを建設することになっている。(資料8写真8-4~7)この3階建化は、ホテルや商業施設の併設という視点からみても、公共空間からはさらに遠ざかることが予想され、その点には疑問が残る。
都市の景観は毎日が破壊と創造であり、ダイナミックな変化は、都市の景観の魅力の一つとも言える。宮下公園が新しい発想と挑戦により、2階建てから3階建の公園へと変貌を遂げることも大きな魅力かもしれない。しかし、外観だけが公園の魅力ではない。地域社会への寛容性やアーティスト活動の自由さなども、公園の魅力をより高めるための要素と言えよう。
ダイナミックな変化をしながら、従来の魅力を残し、宮下公園が2年後にまた新たな価値を発信してくれることを期待したい。

  • 江戸時代からヤミ市までの宮下公園(江戸時代~昭和42年)(非公開)
  • 宮下公園時代(昭和43年~平成22年)(非公開)
  • 宮下公園時代の公園空間(昭和43年~平成22年)(非公開)
  • スポーツパークのみやしたこうえん(平成23~29年)(非公開)
  • 宮下公園時代の創造活動(昭和43年~平成22年)(非公開)
  • みやしたこうえん時代の創造活動(平成23~29年)(非公開)
  • 海外の空中公園公園(ニューヨークとパリ)(非公開)
  • これからの宮下公園(非公開)

参考文献

「現代スポーツ評論2010 22」
P79
宮下公園ナイキ化計画を問う
著者 山本敦久
発行所 壮光舎印刷出版


「東京新聞」
2010年3月26日
宮下公園問題


「一橋大学 スポーツ研究 Ⅱ 研究ノート」
スポーツと公園
渋谷 宮下公園における反ナイキ運動
著者■■


「現代スポーツ評論」2010 22号
発行所 創文企画


「世界」2011年2月号 No.813
発行所 岩波書店
著者 白石草 
P131 


「梨本宮伊都子妃の日記」
著者 小田部雄次 
発行所 小学館


「表参道が燃えた日ー山の手大空襲の体験記ー」
制作 「表参道が燃えた日ー山の手大空襲の体験記」編集委員会制作
P131-141 


「戦後のヤミ市跡を歩く」
著者 藤木TDC 
発行所 実業之日本社
P96

「別冊宝島2506 江戸大古地図」
監修 菅野俊輔 
発行所 宝島社


「渋谷の昔と今」
編者 佐藤昇 新川一男 斎藤政男
渋谷区図書館郷土資料
P58


「渋谷区の歴史」
著者 林陸郎 佐藤昇 櫻井勇
編集 東京にふるさとをつくる会
発行所 名著出版


「渋谷の記憶Ⅲ 写真で見る今と昔」
編集発行 渋谷区教育委員会
P62


「週間現代」
1996年6月16日号
日本の前線から当時の写真


「日本建築学会計画系論文集」
第565号2003年3月発行
ホームレスコミュニティの共生型住居に関する研究
ー渋谷宮下公園における当事者参加型調査を中止としてー
全泓奎 大原一興 小滝一正 著
P183~191

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