沖縄「喜如嘉の芭蕉布」継承のかたちー「本物」という概念をデザインするー

森田 裕子

はじめに

沖縄の伝統染織「喜如嘉の芭蕉布」(以下「喜芭布」と略す)では、伝統工芸の価値の問い直しがうまくいっているのではないか。柳宗悦著『芭蕉布物語』(註1)に「今時こんな美しい布はめったにないのです。いつ見てもこの布ばかりは本物です。」と柳が称賛した一説がある。その芭蕉布なるものについて、「本物の布」への問いを切り口に論考する。多くの伝統工芸は後継者減少が喫緊の課題であり、産業が衰微段階にあるものも多い(註2)。そのことを前提に踏まえ本稿では、「継承の内容」もひとつのデザインと捉え、継承デザインとしてそのあり方について論じる。

1.基本データと歴史的背景

1−1. 基本データ【資料1・2】

沖縄本島北部に位置する大宜味村、喜如嘉は、やんばると呼ばれる森が広がる自然環境豊かな村である【資料1・図1−1】。自然布(註3)のジャンルである芭蕉布とは、バナナの種類の糸芭蕉の原木から繊維を剥がし、23以上の手作業の工程を経て織り上げる沖縄独特の伝統織物である(註4)。

1−2. 歴史的背景

芭蕉布の歴史は古く、14世紀の琉球王朝時代に明へ輸出した文献がある(註5)。かつては琉球の王族や士族が身に付けていた(註6)。江戸時代以降は年貢以外にも、庶民に技術が広まり各家庭で織られ、男女共に夏衣として着用されてきた。
「民藝」とも繋がりが深い。民藝運動の主唱者である柳宗悦(註7)は、戦前に沖縄の文化調査をした時に芭蕉布の持つ健康的な美しさに感動した。沖縄固有の宝の重要性を論じた著書『琉球の富』(註1)の中に『芭蕉布物語』を書いている。昭和になり、糸芭蕉や多くの職人を失った沖縄戦での途絶にもかかわらず、その『芭蕉布物語』に感銘を受けた大宜味村出身の平良敏子(註8)は、協力者らの援助の元(註9)で織物を学んだのち、喜如嘉に帰り糸芭蕉の栽培から再建し、生涯をかけ復興させた。
その努力が実り、沖縄返還2年後の1974年には喜芭布は重要無形文化財(以下、重文と略す)に指定、1988年に経済産業省による伝統的工芸品にも認定された。敏子氏の新しい絣への挑戦も評価された。復興への多大な功績により2000年には重要無形文化財技術保持者(人間国宝)に認定された。

2. 評価

2−1. 沖縄の宝を復興と革新―平良敏子氏の本物への情熱

重文指定の喜芭布の製造は、経緯糸が共に手績みの芭蕉糸、染色も天然の材料を用い、手織りであることなど全てが手作業であるために、膨大な時間と労働が必要である。そのため常に後継者の確保と糸芭蕉の不足が課題としてある。
しかし同時に喜芭布は敏子氏と保存会メンバーの長年の不断の努力により、現在は高い価値を有している。着尺は“蝉の羽衣“(註10)と称されるほど薄く光沢があり、ハリがありながらもしなやかで美しい特性がある。いわゆる人間国宝に認定されてからは、更に芸術品的価値が高まり、美術館で展示されるなど、一般の人にはその手触りを体験する機会を得ることも困難となっている。

2−2 本物の宝を磨きブランド力を追求―後継者の貢献

敏子氏の後継者である平良美恵子(註11)氏は、技術習得と同時に広報活動にも奔走し、敏子氏の功績を讃え、喜芭布としてのブランド力向上と知名度拡大に努めてきた。敏子氏も国内外に出向き精力的に保存会代表として芭蕉布振興に尽力したが、美恵子氏が嫁いで来てからは、対外的なことは彼女が受け持ってきた。そして敏子氏は芭蕉布の美しさを追求し新しい創作に励んだ。(註12)
美恵子氏は特に「本物」である事を丁寧に述べ伝えている。原材料・古式製法の面から品質としての本物を、そして琉球から続く史実・柳の著書からは概念的な本物の、両軸で本物という無形の価値をデザインしているようだ。(註13)

3. 特筆点:布のフィロソフィーを構築する継承のあり方
ー沖縄南部・美しい紺絣「宮古上布」との比較から、「本物」とは何かを問いかけるー

敏子氏が古式製法を貫いたことに対し、後継者がその価値に意味づけをしている点に特徴がある。比較対象として芭蕉布と同じ自然布である、苧麻(ちょま)という植物繊維から糸を績む「宮古上布(註14)」を取り上げ、その特筆点を述べる。【資料4】
喜如嘉が沖縄本島北部に位置するのに対し、宮古島は同じ沖縄であるが台湾に近い南に位置しており、琉球王朝時代に海洋交易の交差点として様々な文化が流入していた。【資料1】

3−1. 絣の製造方法:「手結・手括り」と「締機(しめばた)」の違い

宮古上布も1978年に重文に認定されている。宮古上布は非常に薄い布で、緻密で繊細な十字絣を全体的に施した絣図案に特徴がある。芭蕉布と同様に幾多もの工程を手作業で行う。苧麻から繊維をとり糸を績み絣織りの括りを手結で行っていたが、絣の膨大な作業の生産性をあげるため、大正7年に奄美の大島紬から絣の「締めばた」を導入した経緯がある(註15)。柳は著書『手仕事の日本』でそのことを憂いた(註16)ことで、正当性に疑問を持たれた時期もあり、重文の条件は「手結・手括り」とされた。
宮古上布は宮古織物共同組合員で、かつ30年の熟練の組合員で製作されている。上布以外にも宮古苧麻織・宮古麻織・宮古織も制作しており、商品ランク構成と製法が複雑であり、優良誤認の要因になっているようだ(註17)。どれも宮古上布に対する偽物でもない上に、職人として継続する為には販売する布を多く織る必要もあり、様々な取組みをしている。

3−2:知名度調査比較による課題:知らせる発信力(継承の新しいフェーズ)

資料3の知名度調査の結果、「自然布」の認知度が低いにも関わらず、芭蕉布の存在を半数程が知っていると答えている。対して宮古上布は7割以上に知られていないことがわかる。前述の広報活動との因果関係は立証できないが、芭蕉布の度重なる展覧会の開催は、認知度拡大の大きな要因と見て取れるだろう。【資料6】
しかし、芭蕉布と喜芭蕉布の違い、宮古上布と宮古織りの違い、ではどちらも認知度が低い【資料3-Q3・Q5】。このような違いに対する認識不足は、それによる真偽の誤解を生む要因になるので、どちらも認知を強化すべき点で共通している。

このように2つの自然布の「本物」とは何かを多角的に比較すると、喜芭布は重文指定条件のみの製造に絞り込むことで真偽の誤解を避けることに加えて、喜芭布のフォロソフィーを確立した点が特筆される(註18)。
日本では着物を着ること自体に関心のない人も多く【資料3−Q6】、そもそも日本人の多くは糸や布に関心を持つ機会や、績み紡ぐ(註19)経験自体も少ない。「績む」に至っては漢字を読めない人が専らであった【資料3−Q9】。大量生産に適さない自然布は手仕事に頼らざるを得ず、膨大な時間が必要となりビジネスには向かないことから、後継者発掘も困難を極める。それでも日本人の叡智を継ぐためどちらも保存組合を作り取り組んでいる。

4. 今後の展望:芭蕉布の未来 MUSAの調査/糸芭蕉の改良

長年の周知活動が実を結び、世界からも注目されるようになる。そして昨今MUSA(沖縄化学技術大学院大学)で芭蕉布を残したいとの思いから、調査団体OISTが結成された。科学的検知から古式の「うーだき」にも科学的根拠があるなど正しさが検証された(註20)。糸芭蕉の栽培が少なく肝心の糸が減少している課題が続いているが、着尺に使う中心部分の繊維を増やすなど、糸芭蕉自体の改良が成功すれば、生産性が高まることになるので期待されている。

5. まとめ

一旦継承が途絶えれば不可逆的に伝統が消滅してしまうと危惧されているが、果たして本当にそうだろうか。芭蕉布、紅型、花織など一旦途絶えても尚、資料や文献や叡智を頼りに、情熱ある人々の手により見事に復活している。
そのために、残された貴重な時間と自然と熟練の手業で、本物を作り続けると同時に、再興の時の為にも資料を多く残し人々に存在を知らしめる事が急がれるだろう。たとえ一度途切れたとしても、その先の後世が糸を結ぶ可能性を信じて資料と言う種を保存し、同時に多角的に種を蒔いておく必要があるだろう。
このように、植物の命と自然の恵をいただきながら、手足の身体性と融合しながら織られる喜芭布は、伝統が結実して出来上がる布であり、沖縄が世界に誇る手仕事による、美しい染織の文化資産である。それを言語化して伝えることも、現代の後継者には求められるだろう。伝統継承の課題の現在地を、喜芭布は体現している。

  • 資料1 基本データ更新PDF_page-0001 資料1 :基本データ
  • 81191_011_32083096_1_2_資料2(芭蕉布制作工程)PDF_page-0001 資料2 :芭蕉布制作工程
  • 81191_011_32083096_1_3_資料3 認知度調査アンケートPDF_page-0001
  • 81191_011_32083096_1_3_資料3 認知度調査アンケートPDF_page-0002
  • 81191_011_32083096_1_3_資料3 認知度調査アンケートPDF_page-0003
  • 81191_011_32083096_1_3_資料3 認知度調査アンケートPDF_page-0004 資料3:認知度調査アンケート
  • 81191_011_32083096_1_4_資料4・5(喜如嘉の芭蕉布と宮古上布の比較) 1_page-0001
  • 81191_011_32083096_1_4_資料4・5(喜如嘉の芭蕉布と宮古上布の比較) 1_page-0002
  • 81191_011_32083096_1_4_資料4・5(喜如嘉の芭蕉布と宮古上布の比較) 1_page-0003 資料4 ・5 :喜如嘉の芭蕉布と宮古上布の比較 1・2
  • (最終)資料6 (喜如嘉の芭蕉布、プロモーション活動)PDF_page-0001 資料6:喜如嘉の芭蕉布、展覧会プロモーション活動

参考文献

<註>


(註1 )
柳宗悦著『琉球の富』筑摩書房、2022年 より『芭蕉布物語』、135頁

(註2)
多くの伝統工芸は後継者減少が課題であり、産業は存続が厳しい段階にあるものも多い。

https://www.soumu.go.jp/main_content/000818483.pdf
総務省:「需要の減少 後継者の不足 原材料・用具 等の不足」参考
(最終閲覧 2024年1月25日)

(註3)自然布:「自然布」とは広義では絹、羊毛などの動物性繊維も含むが、植物繊維から糸を手で取りだし、積み、紡ぎ、手織りで織り上げたもの、その制作自体、機械化されず、自然の営みのなかで作られた布を「自然布」と称している。

『葛布と日本の自然布』全国古代織連絡会、2017年、1頁より抜粋、筆者編集

(註4):熱帯の沖縄は糸芭蕉の生育に適しており、長らく沖縄県の諸島々の他、奄美でも製作されていた。中でも沖縄北部の喜如嘉は比較的寒冷で糸芭蕉の生育が緩やかな為に繊維が細くなり、よりしなやかな糸ができる。工程の中でも苧績み(うーうみ)という糸を結ぶ工程に最も時間と神経を使う。

平良敏子著『平良敏子の芭蕉布』日本放送出版協会、1998年、115頁参照

(註5)明へ輸出した文献:「1368年、中国において明が興り、琉球からの入貢がはじまった1373年以降に、明の「大明会典』に蘇芳、生熟夏布など進貢反物二五種があげられている。そのなかの生熟夏布が芭蕉布ではなかったかとみられている。」 
出典:富山 弘基 著・大野 力 著『沖縄の伝統染織』徳間書店、1971年 33頁  

(註6)琉球の王族や士族:
「琉球王国時代、芭蕉布の衣裳は王家、士族から庶民まで幅広い層で着用されていた。
士族の男性は、首里城登城の際の正装衣裳として黒い芭蕉布の衣裳を身に付け、庶民は年間を通じて目の粗い芭蕉の生成り色の衣裳を着用する。
一方で王家では、黄や赤など様々な色に染め、絣(かすり)模様や浮織(うきおり)模様をほどこした華やかな芭蕉の衣裳を着用した。」

http://www.rekishi-archive.city.naha.okinawa.jp/archives/119095
出典:那覇市歴史博物館 ホームページより (最終閲覧 2024年1月25日)

(註7)柳宗悦(やなぎむねよし1889~1961)美術評論家・宗教哲学者。民芸運動の提唱者として知られる。

(註8)平良敏子(たいらとしこ1921-2022):日本の染織家。戦後、芭蕉布を大宜味村で復興させた功績は大きい。得意の数学で新しい絣を多くデザインをした。

(註9)協力者らの援助:
終戦後しばらく帰郷することが叶わないでいた際に、民芸運動の1人、大原総一郎(おおはらそういちろう1909-1968)(当時の倉敷績社長)から織物を学ぶように勧めを受け、仲間たちと共に外村吉之介(倉敷民館初代館長)から織物の基礎を習う。帰郷の際に大原と外村から「沖縄で芭蕉布を織り続けてほしい」という思いを託された平良は、戦後の喜如嘉で地域の女性たちと共に芭蕉布を復興に導いた。

外村吉之介(とのむらきちのすけ、1898~1993)
1946年、平良敏子ら女子挺身隊への織物の指導者として、柳宗悦の勧めで大原総一郎に招かれて、岡山県倉敷市に移住。同年、岡山県民藝協会の設立に尽力し、大原と共に岡山県下での民芸運動を牽引した。1948年には倉敷民芸館開館し、初代館長。

大阪日本民藝館 2023年秋季特別展「喜如嘉の芭蕉布物語」リーフレット参照

(註10)”蝉の羽衣”:
https://www.agulin.aoyama.ac.jp/mmd/library01/BD90030012/Body/link/n01u0123_134.pdf
青山学院図書館「蝉の羽衣・あかいづ羽御衣」ー琉歌と琉球の布文化ー鈴木すず江 
参照(最終閲覧 2024年1月25日)

(註11)平良美恵子(1949-) 喜芭蕉の芭蕉布保存会会長、平良敏子の義娘で後継者、染織家。

(註12)対外的なことは息子夫婦が受け持ってきた:
「そしていま、喜如嘉の芭蕉布の盛運は多分に彼女の肩にかかっている。平良敏子の世界の紹介、作品の資料化と適切な英文。平良敏子に関する記録が群をぬいて数多くまとめられているのは、美恵子の働きがあってこそと思われる。」

「芭蕉布作りに専念して、あとはいっさい美恵子にまかせておける暮しがさらなる実りをもたらすのは自然の成り行きだった。」

出典:澤地久枝著『琉球布紀行』株式会社 新潮社、2000年,152頁

(註13)芭蕉布は以下を根拠に本物であるとしている。

① 14世紀、琉球王国から続く芭蕉布の長い歴史(註5・6)
② 民藝運動の柳宗悦著『手仕事の日本』岩波書店、1985年、216頁「おそらく一番美しいのは芭蕉布でありましょう」
『芭蕉布物語』で「この布ばかりは本物です」と記された(註1)
③ 現在も明治・大正時代頃の古式製法を貫いている(註*)
④ 大宜味村で原材料を生産し、染料などもすべて自然からの恵と、人の手仕事で染め織りあげている(平良敏子著『平良敏子の芭蕉布』日本放送出版協会、1998年、114-117頁参照)

芭蕉布は現在「芭蕉布」と重文指定「喜芭蕉布」と区別がなされているが、保存組合員の喜芭蕉布以外は偽物であるとしている訳ではない。
むしろ敏子氏の情熱に駆り立てられ集まった後継者達が、少しづつ独立して工房を持ち継承しており、芭蕉布は再び広がりを見せているのである。
喜芭蕉布が重要無形文化財指定条件下の製造方法のみで製造しているのであり、作家は各々自由な表現で、現在の生活スタイルに合う商品を開発している。

このような努力とブランド強化の取り組みにより、芭蕉布は沖縄の宝としての文化的価値を堅持しながら、後継者の呼び水にしている。

(註14)宮古上布:
イラクサ科の多年草である苧麻は、木綿以前の代表的繊維である。
これを利用した織物の歴史は古く、1480年与那国島に漂着した済州島民の見開録『朝鮮王朝実録』に、次のように記されている。
一、豚・木綿はなく、養蚕もしない。ただ苧麻を織って布を作り、藍で青色に染める。
16世紀後半には、宮古島で織られた良質の布が首里王府に貢納された。
1583年に稲石という女性が尚永王に献上したのが「宮古上布」のはじまりと伝えられる。
やがて薩摩支配下に置かれてからは、「人頭税」なる過酷な労働に繋がっている。美しい紺絣の緻密さは、皮肉にも過酷な貢物の為の重労働で磨かれた技術なのである。

堂前亮平監修『織の海道 奄美・鹿児島・久留米編』「織の海道」実行委員会、2005年、053頁参考筆者編集 

(註15) 締めばたという機械が開発されたことで 1度に16反分の括りが出来上がるので生産性が飛躍的に向上した。16本分同じデザインの糸が一度に括れるのである。
しかし現在は年間8反しか生産できておらず、締めばたを使うほどの苧麻糸ができていないこともあり、今度は小ロット化に対応する必要も出てきた。

(註16)
「近頃は、「手結」の法を棄てて、新しく「絵図」と呼ぶ法に更えたため、柄の過ちが急に目立って来ました。―中略―実は同じような欠点が宮古上布や八重山上布にも現れてきたのでありまして、無理に細かい柄を追ったために、ここでも「手結」の道を棄てて、「板締」の方を取入れました。」

さらに柳は、「必ずしも悪いとは言えないが、細かい柄が必ずしも美しくなく、高価なものが必ずしも上等ではないことを、よく悟るべきではないでしょうか」と書き、芭蕉布のように生き生きしなくなったことを嘆いている。

柳宗悦著『手仕事の日本』岩波書房、1985年、216頁。

(註17)https://ameblo.jp/wingofkimera/entry-12647402925.html
朝香沙都子のきものカンタービレ「着物業界の方々へ伝えたいこと」2020年12月31日(木)(最終閲覧 2024年1月25日)

https://hirotatsumugi.jp/blog/6513
廣田紬株式会社ブログ「問屋の仕事場から」 参照 (最終閲覧 2024年1月25日)

(註18) 伝統ある芭蕉布とは何かを問い直し、その伝統にどのような価値があり、それを残す価値はどこにあるのかを「本物」という概念を再構築して世に訴える。芭蕉布の場合は自然の命と恵、人の手の営みの本質的価値、コミュニティとの協力の大切さを伝えてくれる。どのような価値があるのかを、紐解き問い直し、今の時代にあった価値として再構築する。近い未来に担い手が途絶えることも視野に入れた現在の、これもまた継承デザインあり方だと言えるだろう。

(註19)紡ぐ:「紡ぐ」は実際の綿から糸を作る意味よりも、「時間を掛けて関係性を築く、少しづつ作る」というような意味合いでむしろ最近は使われることが増えている。

(註20)
参照:
https://www.oist.jp/ja/about/news-center/media-coverage/esse-sense-interview-series-dr-yoko-nomura
OISTホームページ記事「最先端の生命科学に取り組みながら、芭蕉布という伝統工芸にも向き合う」  (最終閲覧 2024年1月25日)



< 参考文献>

富山 弘基 著・大野 力 著『沖縄の伝統染織』徳間書店、1971年
平良恵美子監修『芭蕉布 人間国宝・平良敏子と喜如嘉の手仕事』株式会社オフィスイーヨー、2022年
平良敏子著『平良敏子の芭蕉布』日本放送出版協会、1998年
澤地久枝著『琉球布紀行』株式会社 新潮社、2000年
柳宗悦著『琉球の富』筑摩書房、2022年
柳宗悦著『手仕事の日本』岩波書店、1985年
日本民藝協会発行『民藝 6月号 第8834号』シナノ書籍印刷株式会社、2022年
堂前亮平監修『織の海道 八重山・宮古編 記録集』「織の海道」実行委員会、2002年
堂前亮平監修『織の海道 奄美・鹿児島・久留米編』「織の海道」実行委員会、2005年
『葛布と日本の自然布』全国古代織連絡会、2017年
喜如嘉芭蕉布事業共同組合・沖縄科学技術大学院大学監修『MUSAを織る手 先人の知恵と科学』OIST、2019年
片柳草生『残したい手しごと 日本の染織』株式会社世界文化社、2017年
湯原公浩編『別冊太陽 日本の自然布』株式会社平凡社、2004年
陳舜巨著『南海の王国 琉球の世紀―東アジアの中の琉球―』株式会社角川書店、平成5年
與那嶺一子著書『沖縄染織王国へ』株式会社新潮社、2009年
天空企画編集『図説 琉球の伝統工芸』河出書房新社、2002年
式場隆三郎編著『琉球の文化 復刻版』榕樹社1995年
森田裕子著「沖縄「喜如嘉の芭蕉布」が織りなす琉球文化の誇り」 、京都芸術大学芸術教養学科、芸術教養演習1 、2023年


<参考URL>

朝香沙都子ブログ「きものカンタービレ♪ 」 宮古上布の分類について
https://ameblo.jp/wingofkimera/entry-12647402925.html
(2024年1月25日 最終閲覧)
「染めと織」地域別辞典 「喜如嘉の芭蕉布」 http://www.kimono.or.jp/dictionary/syllabary/kijokanobashoufu.html (2024年1月25日 最終閲覧)
「日本の伝統的工芸品」 https://shikinobi.com/okinawa_someori/2 (2024年1月25日 最終閲覧)
沖永良部芭蕉布協議会 http://okinoerabu-bashofu.jp/process.html (2024年1月25日 最終閲覧)
NHK WORLDオンデマンド https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/ondemand/video/2007477/  (2024年1月25日 最終閲覧)
「芭蕉布とは」中川政七商店の読みもの https://story.nakagawa-masashichi.jp/craft_post/118002 (2024年1月25日 最終閲覧)
ブログ:「芭蕉布の空を見上げて」よりhttps://bashofu.ti-da.net/e12395884.html (2024年1月25日 最終閲覧)
芭蕉布 in沖縄研修 | 静岡県富士宮市の振袖・着物専門店|望幸
https://mochikou.com/training/1060/ (2024年1月25日 最終閲覧)
映画解説(工芸部門) vol.1 わざと心を受け継ぐ織物 映画『芭蕉布を織る女たち』 | 公益財団法人ポーラ伝統文化振興財団
https://polaculture.weblogs.jp/blog/2018/01/moviek01.html
(2024年1月25日 最終閲覧)
沖縄の伝統的織物 http://okinawacrafts.sakura.ne.jp/fabric.html 
(2024年1月25日 最終閲覧)
首里織発信拠点の「Suikara」  https://suikara.ryukyu/category/info/
(2024年1月25日 最終閲覧)
「ボンジュ〜ルきもの」https://bonjourkimono.com/event/bashofu-3/
(2024年1月25日 最終閲覧)
「shojiの伝統産業を巡る旅 」http://shojifujii.blog106.fc2.com/blog-entry-363.html (2024年1月25日 最終閲覧)
銀座もとじの平良敏子のストーリー 
https://www.motoji.co.jp/blogs/reading/waoristory-yarn-basho-tairatoshiko
(2024年1月25日 最終閲覧)

<参考動画>

うーうみ動画
https://youtu.be/a8JmuLX6lVg?si=qCtgq3D9GmBhj1e0
「宮古上布」wonder share. (2024年1月25日 最終閲覧)

<参考SNS>
#bashofu_love (2024年1月25日 最終閲覧)



<取材協力>
陶宝堂 
取材日時:2023年2月10日
取材場所:沖縄 那覇 「陶宝堂」店内
話し手:陶宝堂 社長 金子康一
聞き手:筆者


<筆者フィールドワーク>
沖縄:那覇、大宜味村周辺、喜如嘉「大宜味村立芭蕉布会館」、やんばる周辺、やんばるフェスティバル、首里染織館Suibara、 2023年2月10日ー12日

年月と地域
タグ: