「笹山じょうもん市」 縄文の息吹を共有した地域住民による手づくりイベントの展望

樋熊 一浩

はじめに
新潟県を流れる信濃川中流域では、縄文時代の火焔型土器が多数出土する。中でも十日町市中条地区に所在する笹山遺跡から発掘された火焔型土器は、縄文時代の土器としては初めて国宝に指定されたもので、これを地域活性化に役立てようと始まったイベントが「笹山じょうもん市」である(図1)。本稿は、このイベントを文化資産として評価するものであり、この報告に際し、十日町市の南西に隣接する津南町が運営する「農と縄文の体験実習館なじょもん」(以下、なじょもん)を例に挙げて、双方のイベントのデザインを比較軸として笹山じょうもん市の特筆点を見出すとともに、今後の展望を考察し、報告するものである。

1. 基本データ
笹山じょうもん市は、十日町市街地から北東約3キロに位置する笹山遺跡広場(図2)で毎年6月に開催される、縄文文化をテーマとしたイベントである。この広場は、遺跡調査区域のうち未調査部分を盛り土して土中の遺物を保全し、将来の発掘調査に備えている(図3)。主催は笹山じょうもん市実行委員会で、地域の町内会を執り仕切る「中条地区振興会」(以下、振興会)と、縄文の精神を発信する「NPO法人笹山縄文の里」(以下、NPO)がこの委員会の母体である(1)。
イベントの内容は、縄文衣装をまとって国宝火焔型土器(図4)の巨大オブジェ(図5)を担ぎ、広場周囲を練り歩くことから始まる。そして、当時の暮らし体験や中条地区に伝わる祝い唄披露のほか、飲食物販もあり(図6)、近年では約3千人が集まるイベントとなっている(2)。

2. 歴史的背景
縄文時代中期の遺物が出土することで知られていた笹山遺跡の周辺に、市が野球場などを建設するため、1980年(昭和55)から発掘調査が行われた(3)(4)。そして、1982年(昭和57)に出土した火焔型土器が1999年(平成11)国宝に指定されたことから、振興会を母体とする笹山遺跡保存活用委員会(以下、活用委員会)が結成された(5)。この翌年、縄文文化を世界へ発信するための「国宝館・火焔の都計画」(以下、火焔の都)が、有識者らによって市へ答申された(6)。この計画の実現には、地域住民の理解と協働が不可欠であり、このような活動によって地域活性化がもたらされるという市の方針を振興会と活用委員会が受け、縄文にちなむイベントを企画したことが笹山じょうもん市の発端である(7)。そして2000(平成12)年6月4日に第1回が開催された(8)。その後は紆余曲折しつつも、笹山じょうもん市は地域住民による手づくりイベントとして、今年で24年目を迎えている(9)。

3. 着眼した評価点
このイベントを文化資産として報告するための基盤として、以下の2点を着眼した評価点として挙げる。

3-1. 多元的時間を実体化して地域の活性化をもたらしたこと
ひとつの時間軸で順に物事に対応する「単一的時間」の社会は、スケジュールを重視する社会だとエドワード・T・ホールは指摘する(10)。効率を求める現代社会の日常は、この典型だといえる(11)。これに対し、複数の時間軸で物事に対応する「多元的時間」の社会は人間関係を重視するもので、実体がないという(12)。ところで、笹山遺跡のある中条地区は火焔型土器の出土によって、単一的時間の社会から多元的時間の社会に移行したといえる。なぜならば、岡本太郎がいう火焔型土器の「圧倒的な凄み」は、地域住民にその存在感を植え付けた(13)。これにより、彼らは日常の時間軸とともに、火焔型土器から感じ取れる縄文の息吹を意識した新たな暮らし、すなわち縄文を意識した時間軸にも対応することとなったからである(図7、8)。そして、実体がないという多元的時間を、地域住民は振興会を中心とした人間関係をもって笹山じょうもん市として実体化した。これにより、地域の外から人を呼び寄せる力が中条地区に備わったのである。このように、地域住民は多元的時間を笹山じょうもん市として実体化することで、地域の活性化をもたらした点を評価する。

3-2. 遺産を現代に活かしつつ無理のないデザインであること
宮口侗廸は、地域活性化のために過去の遺産があれば、それを現代に活かすことを考えよ、と説いている(14)。これはまさに、第1回を企画した当時の住民が考えたことに一致する。なぜならば、彼らによって、地域活性化のために過去の遺産である国宝火焔型土器を現代に活かしたのが、笹山じょうもん市だからである。その後はアイヌと縄文文化の関連性に着目するなど、イベントのデザインは厚みを増していった(15)(16)。さらに、今年で24年目を迎えたように、振興会とNPOを中心とした地域住民によって継続できている(17)。これは、第1回でうたった基本理念に村びと全部が楽しむこととあるように、住民自らが楽しめる規模を守ったデザイン(図9、10)のためと考えられる(18)(19)。このように、遺産を現代に活かしつつ、無理のないデザインでイベントが継続できている点を評価する。

4. 見出した特筆点
次に、笹山じょうもん市の特筆すべき点を見出すため、なじょもん(図11)の体験実習(図12)を比較対象とした(20)。そして、双方のイベントの性質を、表1と2を根拠とした座標図(図13)で示し、これから見出した特筆点を以下に2点述べる。
第一に、笹山じょうもん市はなじょもんの学術的(図14)な集中とは違い、イベントの性質は広範囲なため、あらゆる客層を受容するデザインだといえる。これについては、なじょもん学芸員の佐藤信之も笹山じょうもん市のエンターテイメント性を認めるように(表1)、縄文文化にそれほど興味のない人にも、ちょっと行ってみよう、と思わせることができる性質といえる。
第二に、笹山じょうもん市の平均値は近現代的かつ娯楽的にわずかに偏位していることから、「じょうもん」と名乗るが今日的でもあるところが特筆される。例えば図9と10に示すように、マルシェのような、地物野菜や自家製スムージーなどを生産者が持ち寄る一角もあり、来客だけでなく見知った出店者同士で売り買いするなど、和やかな空間も用意されている。これは3-2項のとおり、運営側の住民も楽しめるデザインといえるもので、第1回の基本理念が現在でも活かされていることの証左である。

5. 今後の展望
今から23年前、第1回の開催に関わった振興会や活用委員会の子どもたちは、今や働き盛りとなってこのイベントを担っている。さらに、彼らの子どもたちは小中学生となって広場で合唱するように、3世代にわたりこのイベントは受け継がれつつある。しかし、少子化等による人口減少など、イベントの継続性に関する不安要素も残されている(図15)。ところで、笹山じょうもん市はこれまで述べたように、イベントの性質から「祭り」のようだが、あえて「市」としている。この理由は、他の縄文に関するイベントとの差別化を図るためである(表3)。このようにして、笹山じょうもん市の名が世間に広く知れ渡れば、興味を持つ人が増えて来訪につながると考えられる。
火焔の都実現への行政の歩みは遅々としている一方、地域住民は笹山遺跡の活用に継続して取り組んでおり、彼らの笹山じょうもん市を大切にする想い(図16)は世界へ向けられている(21)(22)。このような活動が地域の活性化を呼び込み、縄文の息吹を共有した人間関係が維持されるようになる。そしてまた、笹山じょうもん市の開催という好循環が続くことで、将来に向けて火焔の都への道筋ができるものと、笹山じょうもん市の今後を展望する。

まとめ
最後に、笹山じょうもん市を総括し、残された課題を述べてまとめとする。
笹山じょうもん市とは、縄文の息吹を共有した地域住民によって、多元的時間の社会を実体化したものであり、遺産を活かして無理のないデザインで継続しているイベントである。そのデザインは、あらゆる客層を受容できることから、人を呼び寄せる力が中条地区に備わり、この地域の活性化をもたらしたものである。なお、本報告での残された課題は、笹山じょうもん市に関する先行研究を見つけられなかったため、これとの比較論を展開できなかったこと、性質評価に客観性が不足していることの2点であり、さらなる調査が必要と考える。
以上、火焔の都実現のために、十日町市中条地区のシンボルとなった地域住民による手づくりイベント、それが「笹山じょうもん市」であり、これを文化資産として評価、報告する。

  • 81191_011_32081099_1_1_資料図表_図1_page-0001 図1 笹山じょうもん市の概要
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  • 81191_011_32081099_1_2_資料図表_図2〜10_page-0002
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  • 81191_011_32081099_1_2_資料図表_図2〜10_page-0004 図2 笹山遺跡広場の所在地図
    図3 笹山遺跡広場
    図4 火焔型土器の一例
    図5 土器の巨大オブジェ
    図6 イベント内容
    図7 笹山における多元的時間の様相
    図8 縄文を意識した時間軸に対応する具体例
    図9 笹山じょうもん市のレイアウト
    図10 出店ブースの様子
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  • 81191_011_32081099_1_3_資料図表_図11〜表2_page-0004 図11 なじょもんの概要
    図12 体験実習の概要
    図13 イベントのデザインを示す座標図
    図14 なじょもんのイベントが学術的である例
    表1 笹山じょうもん市の性質評価
    表2 なじょもんの性質評価
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  • 81191_011_32081099_1_4_資料図表_図15〜謝辞_page-0002
  • 81191_011_32081099_1_4_資料図表_図15〜謝辞_page-0003 図15 中条小学校児童数の推移と今後の予測
    表3 「市」と命名したことによる効果
    図16 笹山じょうもん市への関係者の想い
    註(図14、表1、表2)
    謝辞

参考文献


1. 中条地区振興会とは、十日町市内13地域の自治組織のひとつである中条飛渡地域協議会の下部組織で、中条飛渡地域内31町のうち中条地区の17町を統括し、地域活性化のためのさまざまな活動を執り行っている。「地域自治組織名称 中条飛渡地域協議会」十日町市HP、https://www.city.tokamachi.lg.jp/material/files/group/3/000031448.pdf (2023.12.24最終閲覧)
NPO法人笹山縄文の里とは、笹山遺跡と国宝を活用して学習体験交流を促進しつつ、持続可能な地域づくりを目的としており、共生や平和に象徴される縄文の精神を世界へ発信することを目指している。
「NPOがめざすもの」NPO笹山縄文の里HP、https://npo-sasayama.com/ (2023.12.24最終閲覧)
2. 「【市指定文化財】笹山遺跡」十日町市HP、https://www.city.tokamachi.lg.jp/soshiki/kyoikuiinkai_bunkasportsbu/bunkazaika/2/gyomu/1512175989971.html (2023.12.24最終閲覧)
3. 新潟県教育委員会『新潟県文化財年報第三 妻有郷-新潟県中魚沼郡学術調査報告書-』旭光社印刷、1958年、100頁。
4. 菅沼亘 他『十日町市埋蔵文化財発掘調査報告書第14集 笹山遺跡発掘調査報告書』十日町市教育委員会(文化財課)、1998年、5頁~8頁。
5. 笹山遺跡保存活用委員会『ささやま縄文だより』第1号、笹山遺跡保存活用委員会事務局、1999年。
6. 小林達雄 他『国宝館・火焔の都計画 答申』国宝館・火焔の都計画策定委員会、2000年。国宝の保存活用を図るため、市から諮問を受けた國學院大學教授(当時)の小林達雄を委員長とした地元有識者らにより策定された答申書。
7. 笹山遺跡保存活用委員会『ささやま縄文だより』第1号、笹山遺跡保存活用委員会事務局、1999年。
8. 同。火焔型土器が国宝に指定された6月7日を記念日とし、この週内にイベントを開催することとなった。
9. 笹山遺跡保存活用委員会『ささやま縄文だより』第26号、笹山遺跡保存活用委員会事務局、2003年。2003年(平成15)の第4回終了後の反省会において、他のイベントとの兼ね合いから次回は開催時期を10月に変更したり(第8回以降6月開催に戻された)、イベントの企画運営は活用委員会ではなく、実行委員会制とする案が出るなど、事後においても地域住民による活発な議論が行われている。
10. エドワード・T・ホール『文化としての時間』宇波彰訳、TBSブリタニカ、1983年、72頁。
11. 同、66頁。ホールは「モノクロニック(単一的時間)な時間体系のようなものがなければ、われわれの産業文明が発達できたかどうか疑わしい。」といい、現代社会は単一的時間に依るとの認識を示している。
12. 同、62頁、72頁。
13. 岡本太郎『日本の伝統』光文社、2005年、巻頭2頁。岡本は同著77~78頁にて、縄文土器に触れたとき「からだじゅうがひっかきまわされるような気が」したといい、その造形も「おどろくほどはげしい、つよい美しさ」と評するように、誰もがこの存在感を意識せざるを得ないほどの、強いエネルギーが宿っていることを示唆している。
14. 宮口侗廸『新・地域を活かす 一地理学者の地域づくり論』原書房、2007年、73頁。
15. 瀬川拓郎『アイヌ学入門』講談社、2015年、39頁、72頁、100頁。縄文とアイヌ双方の文化の関連性は多くの識者が指摘しており、同著でも多くの関連点が示されている。
16. 2009年(平成21)の第10回ではアイヌ復権運動にかかわる宇梶静江氏(俳優宇梶剛士氏の母)が、アイヌ文化の保存活動の一環で来訪している。
「笹山じょうもん市かわら版 第10回」中条地区振興会HP、http://nakajosinkoukai.com/wp-content/uploads/2010/08/7853a2f0cace4a40585e88c0b8dcaf53.pdf (2023.12.24最終閲覧)
17. 新型コロナウイルスの蔓延防止措置により、2020年(令和2)第21回から3回中止したため、2023年度の第24回は4年ぶりの開催だった。
18. 「笹山じょうもん市かわら版 第1回」中条地区振興会HP、http://nakajosinkoukai.com/wp-content/uploads/2010/08/be06278c316a922227c9d74f85a6cb52.pdf (2023.12.24最終閲覧)
19. 笹山じょうもん市実行委員会『第24回笹山じょうもん市2023 実行計画』笹山じょうもん市実行委員会事務局、2023年。
20. なじょもんは津南町立の体験実習施設で、博物館とは一線を画すコンセプトにて、縄文・農業・食・民俗・自然に関する体験実習や企画展示を通年開催している。
「なじょもんトップ」食と縄文の体験実習館なじょもんHP、https://www.najomon.com/page_top/ (2023.12.24最終閲覧)
21. 十日町市教育委員会『文化財課年報』第17号、2016年、7頁。市の財政事情により「国宝館」の部分は凍結し、2007年(平成19)度に事業名を「国宝館・火焔の都整備事業」から「火焔の都整備事業」に改めた。
22. 笹山遺跡整備推進検討委員会『新たな火焔の都整備計画の策定・推進に関する要望書』中条地区振興会、2016年。振興会としては、国宝館に代わるものとして現在の笹山縄文館をさらに充実させた新施設とともに、周囲の自然環境整備も継続して要望している。

参考文献
・藤本強『考古学でつづる日本史』同成社、2008年。
・石川日出志『農耕社会の成立 シリーズ日本古代史①』岩波書店、2010年。
・宮地克昌『わかる! イベント・プロデュース』戎光祥出版、2017年。
・長岡市立科学博物館編『長岡市立科学博物館50周年記念特別展図録 重要文化財考古資料展―火焔土器と小瀬ヶ沢・室谷洞窟出土品―』長岡市立科学博物館、2001年。
・根岸洋『縄文と世界遺産―人類史における普遍的価値を問う』筑摩書房、2022年。
・新潟県考古学会編『新潟県の考古学』高志書院、1999年。
・能登健『列島の考古学 縄文時代』河出書房新社、2011年。
・坂野徹『縄文人と弥生人』中央公論新社、2022年。
・笹山遺跡保存活用委員会 事業部会 施設分科会『笹山遺跡施設づくり第一次検討報告書』笹山遺跡保存活用委員会、2000年。
・十日町市教育委員会『文化財課年報』第10号、十日町市教育委員会文化財課、2006年。
・十日町市教育委員会『文化財課年報』第11号、十日町市教育委員会文化財課、2007年。
・十日町市教育委員会『文化財課年報』第12号、十日町市教育委員会文化財課、2008年。
・十日町市教育委員会『文化財課年報』第13号、十日町市教育委員会文化財課、2011年。
・十日町市教育委員会『文化財課年報』第14号、十日町市教育委員会文化財課、2012年。
・十日町市教育委員会『文化財課年報』第15号、十日町市教育委員会文化財課、2014年。
・十日町市史編さん委員会『十日町市史 資料編2 考古』十日町市役所、1996年。

・「第2期十日町市 まち・ひと・しごと創生総合戦略 令和2(2020)年度~令和6(2024)年度」十日町市HP、https://www.city.tokamachi.lg.jp/soshiki/somubu/kikakuseisakuka/2/gyomu/1580778670610.html (2024.1.4最終閲覧)
・石原正敏「ミュージアム・マネジメントの実践(2)―新十日町市博物館の取り組み―」、『十日町市博物館研究紀要』第2号、2023年。https://www.tokamachi-museum.jp/engine/wp-content/uploads/2023/04/bulletin-no02_03.pdf (2023.12.24最終閲覧)
・十日町市『市報とおかまち』第299号、2017年。https://www.city.tokamachi.lg.jp/shisei_machizukuri/koho_kocho/shihotokamachi/2498.html#h_idx_iw_flex_1_27 (2024.1.4最終閲覧)
・十日町市総務部企画政策課『第二次十日町市総合計画』十日町市、2016年。https://www.city.tokamachi.lg.jp/soshiki/somubu/kikakuseisakuka/2/gyomu/1459503091185.html (2024.1.4最終閲覧)

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・工藤雄一郎 他「調査研究活動報告 縄文時代の植物利用の復元画製作」、『国立歴史民俗博物館研究報告』第187集、2014年。https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/record/313/files/kenkyuhokoku_187_16.pdf (2024.1.4最終閲覧)
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・那須浩郎 他「炭化種実資料からみた長野県諏訪地域における縄文時代中期のマメの利用」、『資源環境と人類:明治大学黒曜石研究センター紀要』第5号、2015年。https://meiji.repo.nii.ac.jp/records/13530 (2024.1.4最終閲覧)
・佐野勝宏「日本列島における投槍器・弓矢猟の出現と波及」、『シンポジウム Hunting:狩猟相解明のためのアプローチ』八ヶ岳旧石器研究グループ、2019年。https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/130445 (2024.1.6最終閲覧)
・杉野森淳子「青森県における縄文時代の木質遺物の樹種一覧」、『青森県立郷土館研究紀要』第40号、2016年。https://www.pref.aomori.lg.jp/soshiki/kyoiku/e-kyodokan/files/8_mokushitsu.pdf (2024.1.4最終閲覧)
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・伊藤直之「購買意思決定における検索エンジンの効果に関する考察―SEOと検索順位の役割を中心に―」、『慶應義塾大学大学院経営管理研究科修士課程学位論文』第2907号、2014年。https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/KO40003001-00002014-2907.pdf?file_id=103372 (2024.1.4最終閲覧)
・三浦基・小林憲一「メディアとしての検索エンジン」、『NHK放送文化研究所年報』第51巻、2007年。https://www.nhk.or.jp/bunken/research/title/year/2007/pdf/002.pdf (2024.1.4最終閲覧)

・樋熊一浩『より良い景観をめざして―縄文遺跡の活用事例から考えるデザインのあり方―』京都芸術大学芸術教養演習1レポート、2023年。
・樋熊一浩『平塚「SunSunマルシェ」の拡張性』京都芸術大学芸術教養演習2レポート、2023年。

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