神戸に伝承される手仕事のスーツ「神戸洋服」の価値
はじめに
昭和の始め「民藝運動」を提唱した柳宗悦(1889~1961)は当時著書の中で「今も日本が素晴らしい手仕事の国である」(1)と記している。2024年の兵庫県神戸市には職人の手仕事による服がある。神戸開港当時に数々の洋品とともに伝わった「紳士服作りの技」が伝承されてきた「神戸洋服」(2)である。
本稿では現代も受け継がれている「職人の手仕事による紳士服(スーツ)」の価値を明らかにし、存続へむけた展望とともに報告する。なお、「神戸洋服」の中でも特に「丸縫い」と呼ばれている「職人が一人で最初から最後まで仕上げるもの」[資料1-A]を「ビスポーク・スーツ(以下ビスポーク)[資料2]」とする(3)。
1.歴史的背景と基本データ
1868年(明治元年)神戸港が開港し、それに伴い外国人居留地(4)が造成された。来日した外国人たちの中に洋服仕立て業者がおり西洋服調整技術が伝わる。1868年にドイツ人ブラオンが洋服も扱うブラオン商会を開業した。次いで1869年に横浜のイギリス人洋服商ピーエス・カペルがピーエス・カペルジュー商会を開業し、同国人スキップがスキップ・ウェールズ&ハモンド商会を設立した。この二店に弟子入りした日本人がその後テーラーを始めたのが神戸洋服の始まりである[資料3-A]。
1872年、明治政府が「礼服は洋服が正装」(5)と定めたことにより洋服の需要は高まっていく。1892年には神戸洋服商工組合が組合員138名で結成され(6)、1975年その後改組された神戸洋服商工業協同組合の組合員数は260名(7)であった。現存する神戸洋服の製造者の団体「兵庫県洋服商工業協同組合」の組合員数は20名(8)に満たない[資料3-B]。
2.評価点
ビスポークを評価するのは、まずその特徴的な製造過程と仕上がりである。
一般にスーツを製造方法で大別すると既製服とオーダーメイドに分けられる。オーダーメイドはさらにパターンオーダー、イージーオーダー、ビスポークに分けられる[資料4]。ビスポーク(bespoke)とは話し合うという意味の「be-spoken」を由来とし、職人と客が話し合いながらつくることを表しており、そのほとんどの工程が手仕事である。
ビスポークの特徴は「軽やかな着心地」といわれる。これは一人一人の体の形状や特徴を細かく反映していることに由来する。
神戸洋服〜中山手縫製所〜の畑竜次[資料1]は、客の望むスーツを明確にするため着用用途など徹底したカウンセリングを行い、客の身体的特徴を細かく観察する。採寸が同じウエスト82センチでも左右に広い場合といわゆるお腹が出ている場合では仕上がりが異なるからである。フィッターと呼ばれるこうした職人の観察眼と客との対話が「客と作り上げるビスポーク」の特徴だ。
仮縫いの試着でさらにフィットさせると「肩に重さを感じない」「ジャケット特有の窮屈さがない」(9)といった体に余計な負担をかけない着心地がうまれる。また、ただフィットするだけでなく、客が欠点と考える自身の体の部分を「スーツの仕立てで目立たなくする」ことも心掛けている(10)。
ビスポークの形状は「立体的」と表現される。注意深く観察すると襟や肩まわりの仕上がりがカーブを描いており、これらは後述する職人の手仕事に起因するものである。
3.ビスポークと一般的な工場生産品を比較した特筆点
柳は手仕事の魅力を述べるにあたり、対する工業製品を「機械はとかく利得のために用いられるので、出来る品物が粗末になりがち」(1)と指摘している。粗末とは言えないものの、かつて手仕事でスーツを仕立てる際にはあったが、工場での大量生産に移行した際に省略されたり簡素化された手法がある。代表的な例では「ハ刺し」「イセ込み」「クセ取り」だ[資料5]。現在、一般的なスーツの襟は他の部分同様「糊のついた接着芯」で固定し、アイロンで形を整えている(12)。テーラーリングあだちの足立直樹は、上着だけで6万針と言われる手縫いのなかで、ハ刺し(13)と呼ばれる独特の縫製方法による美しいカーブを描いた「立体的な襟」を作り上げる[資料6]。この形状により上着の重さが肩ではなく首にかかり、軽やかな着心地を作り上げる。また、長さの異なる生地を縫製することで立体的に仕上げるのがイセ込み、重い工業用アイロンを用いて、生地を体に沿った立体的な形状にするのがクセ取りと呼ばれる技術だ。イセ込みで仕上げられた、丸い肩まわりは肩のしなやかな可動域を形成している。こうした丁寧な手仕事が「長く型くずれしない」(14)とされるスーツを作り上げる。このため縫製工場でも職人の手仕事の仕上がりに迫ろうと知恵をしぼるのである(15)。
これらの機能面のみならず、職人たちはビスポークの最大の特徴を「あなたのためにひと針ひと針縫っている」と胸をはる。この手仕事で生み出された技、見知らぬ誰かではなくその客の信頼や期待に応えようとする姿勢が仕上がりの高さへとつながる。足立は15歳から始まった年季奉公(16)の時も、25歳で単身サヴィル・ロウ(17)の門を叩いた2年間の修行時代でも、75歳の現在に至るまで「技術が無ければ仕事を失う」という危機感から「常に学ぶ姿勢」(18)を貫いている。
こうした特徴的なビスポークであるが、同様の技術を持つ店舗は東京や大阪といった大都市では神戸とは比較にならないほど存在している[資料3-C]。しかし、地方の一都市である神戸で、明治の初めに伝わったビスポークの技術が約150年経った今でも、伝承されていることは評価すべきではないだろうか。
4.今後の展望
4-1.衰退の現状
こうした特徴を持つ「神戸洋服」であるが、縫製工場での大量生産による低価格化の流れの中で次第に衰退する[資料3-A]。また他の伝統文化同様に職人の高齢化と後継者不足で、この技術の伝承は危機的状況である(19)。
その対策として、兵庫県洋服商工業協同組合と神戸市が協力して2000年に「神戸ものづくり職人大学」を設立した(20)。神戸洋服同様に伝統の継続が危惧されていた「神戸靴」「神戸家具」とともに職人の育成に取り組んだ。2018年の閉校までの間に111人(21)の卒業生を輩出したが、「神戸洋服」で現在も活動しているのは畑を含めてわずか数名である。
4-2.神戸というブランド力
こうした中でもその仕上がりと「神戸」というブランド力を武器に活動をしている、ビスポークテーラーを挙げてみたい。
「コルウ」[資料7]は「神戸洋服」という呼称こそ用いていないがビスポークを筆頭にス・ミズーラ(22)や既製服、靴などを扱うテーラーである。サヴィル・ロウのテーラーは、その多くが接客用の店舗と地下にアトリエを持つが(23)、コルウも一階は接客用の店舗、二階には職人が作業を行うアトリエと呼ばれる工房を併設しているのが特徴だ。またサヴィル・ロウのテーラーでは本国だけでなくアメリカやヨーロッパの有名ホテルで開催する「トランクショー」と呼ばれる出張受注会を行っているが(24)、コルウも東京のホテルなどで定期的にトランクショーを開催している(25)。銀座などの数多のテーラーひしめく場所で「神戸のコルウ」として顧客が存在することは、その品質と共に「ファッション都市神戸」のイメージの浸透を物語っているのではないだろうか。こうした背景を持ちながらも店長の嶋田良二は「技術云々よりもファッションを売っている」と話す。一目見て「いいスーツ」という印象を与え、次に「仕立ての良さの理由」が来るのである。日々更新されるブログやSNSでもその印象は顕著だ[資料7]。在籍する複数の職人は作業に集中でき、こうした取り組みが結果的に「ビスポークの技術の保存と継承」につながると考える。
5.まとめ
丸田健は『民藝は、いま何を与えるか』(26)で、「民藝品は生活道具だが美があるため単なる実用品以上のものであった」とし、「美しいものに出会うことで、疲れていたり沈んでいたりした心が活気づき、肯定的気分が生まれる」と述べている。ビスポークも生活道具として存在しているが民藝同様に「その形状で着る人の品格を高め(27)、その着心地は着るたびに満足感をもたらす」と考える。こうした特徴はビスポークでしか味わえないスーツの価値である。そして、神戸の街で地下水脈のように途切れることなく流れ続けてきた、「価値ある手仕事」のさらなる存続を願うのである。
参考文献
註・参考文献
〈註釈〉
(1)柳宗悦『手仕事の日本』岩波書店、1985年、p.11
(2)「神戸洋服」という名称について
現在では神戸市のホームページで地元の産業として紹介されている
神戸市ホームページ 産業「神戸洋服、神戸靴、神戸洋家具」
https://www.city.kobe.lg.jp/a96559/kanko/fashion/kobeyohfuku.html(2024年1月20日閲覧)
また、神戸洋服の製造者の団体、兵庫県洋服商工業協同組合が神戸洋服を紹介し、組合員のテーラーも紹介している。
https://youfuku.biz/(2024年1月20日閲覧)
一方、「神戸洋服の定義」といったものはなく、「神戸洋服」という名称の大阪の企業も存在する。
(3)本稿では「丸縫いがであることが重要」とした。神戸洋服すべてが丸縫いではなく、価格を抑えるために「採寸・裁断・着せ付け」以降の作業を工場に依頼するケースも存在する。
兵庫県洋服商工業協同組合ホームページ「オーダースーツについて 最新の注文洋服」
https://youfuku.biz/order.php(2024年1月20日閲覧)
(4)神戸市ホームページ 神戸の近現代史「外国人居留地の形成」
https://www.city.kobe.lg.jp/culture/modern_history/archive/detail/history_03.html(2024年1月20日閲覧)
(5)国立国会図書館ホームページ 法令情報詳細画面(日本法令索引シンプル表示)
「大礼服及通常礼服ヲ定メ衣冠ヲ祭服ト為ス等ノ件(明治5年太政官布告第339号)」
https://hourei.ndl.go.jp/simple/detail?lawId=0000000015¤t=-1(2024年1月20日閲覧)
(6)神戸洋服百年史刊行委員会編集室編『神戸洋服百年史』神戸洋服百年史刊行委員会、1978年、p.55
(7)神戸洋服百年史刊行委員会編集室編、前掲書、p.127
(8)兵庫県洋服商工業協同組合ホームページ「組合員一覧」
https://youfuku.biz/shop.php(2024年1月20日閲覧)
(9)取材時の聞き取りのほか、ジャーナリスト長谷川喜美は著書の中で、ビスポーク・スーツの特徴を「腕を組んだ時や、前屈みになった時も、ジャケット特有の引っ張られるような窮屈な着心地はない」と記している。
長谷川喜美『夢を叶えるパリのタイユール鈴木健次郎』万来舎、2014年、p.53
(10)左右の肩の高さや手の長さの違いや、障がいを持つ方への対応など多岐にわたる。取材時の聞き取りのほか以下にも類似表現あり
長谷川喜美、前掲書、p.53
(12)飯野高広『紳士服を嗜む』朝日新聞出版、2016年、p.152
(13)長谷川がロンドン「サヴィル・ロウ」を取材した著書の写真に「ハ刺し」が掲載されている。
長谷川喜美著、エドワード・レイクマン撮影、『Savile row (サヴィル・ロウ)』万来舎、2012年、p.106、p.149、裏表紙
(14)取材時の聞き取りのほか以下にも類似表現あり
長谷川喜美『夢を叶えるパリのタイユール鈴木健次郎』万来舎、2014年、p.42
兵庫県洋服商工業協同組合ホームページ「お客様の声」
https://youfuku.biz/shop.php(2024年1月20日閲覧)
(15)一般社団法人機械システム振興協会ホームページでは、縫製工程での高度な技術を要する「イセ込み」の自動化を目指す提言を行なっている。この場合の手本は職人ではなく熟練オペレーターである。
「縫製工程の自動化に向けたCADデータ活用に関する戦略策定」
https://www.mssf.or.jp/info106/(2024年1月20日閲覧)
(16)かつては丁稚奉公5年プラスお礼奉公1年が、一人前になる「年季奉公」と呼ばれていた。
(17)「紳士服の聖地」と呼ばれ200年以上の歴史を持つ、ロンドンのテーラーが集まる通り。日本語の「背広」の語源になったとされている。
長谷川喜美著、エドワード・レイクマン撮影、『Savile row (サヴィル・ロウ)』万来舎、2012年、p.7
(18)長谷川喜美の前掲書を所持していたのは足立で「ベテランだからと感覚が古くてはだめだ」と語る。
(19)危機的状況なのはサヴィル・ロウも同様で、マーチャント・テーラーズ・カンパニー会長(当時)マイケル・スキナーは「我々が何より優先すべきはクラフツマンシップを受け継ぐ次世代の育成だ」と述べている。
長谷川喜美著、エドワード・レイクマン撮影、『Savile row (サヴィル・ロウ)』万来舎、2012年、p.61
(20)兵庫県洋服商工業協同組合ホームページ「神戸ものづくり職人大学」
https://youfuku.biz/monodukuri.php(2024年1月20日閲覧)
(21)産経新聞ホームページ 2018年3月9日の記事
「神戸の地場産業の伝統受け継ぐ 職人大学、最後の卒業式」
https://www.sankei.com/article/20180309-ZXRHXXL6SFO4NLM5W4Z5JQZ3VI/(2024年1月20日閲覧)
(22)日本でパターンオーダーやイージーオーダーと呼ばれているシステムのイタリアでの名称。
飯野高広、前掲書、p.255
(23)長谷川喜美著、前掲書、p.11
(24)長谷川喜美著、前掲書、p.29、p.108、p.127
(25)最近の「東京トランクショー」は2024年2月2日〜4日に開催予定。
https://col-kobe.jp/topics/7930(2024年1月20日閲覧)
(26)丸田健『民藝は、いま何を与えるか』、『奈良大学紀要』第51号、2023年。
https://nara-u.repo.nii.ac.jp/records/723(2024年1月20日閲覧)
(27)畑を含め神戸洋服の職人たちは、自分たちの紳士服で「品格を高める」と語る。それは「仕立てのいい洋服を着ている」だけでなく、自然に「その洋服にあった立ち居振る舞いとして現れるから」という。