水田のない街の『南山田の虫送り』

森岡 淳

はじめに
私は芸術教養講義7の『御霊信仰』(1)にある「虫送り」を履修した時、私の暮らしている横浜市都筑区港北ニュータウンの隣町(2)で「南山田の虫送り」が行われていること知った。南山田町を横断する早淵川の少し上流に、幾何かの水田が現存しているが、虫退治が必要な耕作面積ではない。水田が消失した住宅地の町内会イベントに変貌している「南山田の虫送り」を考察した。

1. 基本データと歴史的背景

1-1. 「虫送り」歴史的背景――御霊信仰から農耕儀礼へ
高効率の食物生産を突き詰めて、高密度の耕作から収穫がえられる水田は大量の虫を発生させた。中国で稲と蝗の戦いは稲作が始まる5000年前である。『虫送り学問所』(3)<参考資料1>には『礼記』(紀元前3世紀)≪蛾辞≫に原始宗教的表現である「虫よ 生まれるな!」と豊作を祈り、『詩経』には「篝火で蝗を誘い殺す方法」が記されている。日本での稲作は約2500年前から始まる。「虫送り」は農耕に勤しむ農民たちが大量発生してしまう虫(蝗)による危機的な凶作被害を、非業の死を遂げた御霊と結び付けて、「虫退治」と「供養」が豊作と除霊を願う御霊信仰となり、水田稲作地方の各地に伝承されている。各地の「虫送り」は祀る御霊もさまざまで、名称や儀式、行う季節までも千差万別である。大蔵永常(1768-1861)『除蝗録』によって鯨油による害虫駆除方法が広められ(4)、また農薬も使用されるようになり、明治時代には「虫送り」に除虫の要素は消滅し、地域の子供も参加する村の農耕儀礼となり伝承されている。

1-2. 横浜市都筑区「南山田の虫送り」の歴史――農耕儀礼から交流イベント
「南山田の虫送り」行われている地域は鶴見川流域の肥沃な土地に育まれた農作地帯である。「都筑」の地名は万葉集に出てくる歴史を持っている。明治時代に『神奈川県都筑郡中川村々是調書』(明治36年1903年発行)(5)<参考資料2>「生活および社交」項目の「臨時の正月」に田祭正月(虫送り)の記載がある。仕事を休んで集まり、飲食することを正月と言い。田植えが無事終わり、3日ほど休む習慣で農民の健康管理の目的もあった。第二次世界大戦時に村の若者が出兵し、田祭正月は自然消滅した。1947年の終戦直後に2回行われた。まだ田んぼがあった頃の「南山田の虫送り」を経験している、保存会の長老によると「小さかったころ笛や太鼓の音につられて見に行こうとしたら、父親に“子どもが行くようなものじゃない”と言われた。」と記憶している。現保存会会長も「煮しめや天ぷらを食べた覚えがあるけど、松明は持たせてもらえなかったなあ」と思い出が『つづき交流ステーション』(6)記載されている。昭和戦前の「南山田の虫送り」は「農耕儀礼」で大人の娯楽の場で、子どもが参加するような行事ではなかった。1955年に南山田町で発掘された南堀貝塚を常陸宮が見学された時、途絶えていた「土用の虫送り」を民族芸能として、再現披露された。その時の記録が残されており、20年後1976年7月に横浜市教育委員会の指導で「虫送り行事保存会」が結成され、復活した(7)。2005年に横浜市無形民俗文化財に指定されている。昨年に第45回「南山田の虫送り」が4年の新型コロナ禍のブランクを経て2023年7月22日再開された。約500人が参列し、学校で生徒と保存会がつくった150本の松明を予約した小学生が持ち、田んぼも畑もない住宅地<参考資料3-1><参考資料3-2>を練歩いた。主催は南山田町会と虫送り行事保存会でパンフレット、案内状<参考資料3-3>を作成している。参加対象は南山田町民と牛久保東町内会である。

2. 評価
「南山田の虫送り」は地域のコミュニケーションに寄与している。東京近郊の田んぼのないニュータウンにある町内会が無形民俗文化財の保存会を運営している。学校・PTA、消防団・消防署、JA・商店会、都筑区に働きかけ、保存継承ではなく、同じ地域の町内会会員が生活を楽しむ年中行事として運営している。無形民俗文化財を観光資源にして経済を活性化させる目的ではなく、住みよい「近所」を目的として行っている。小学校高学年になると松明を持つことができる地元の通過儀礼でもあり、地域へのアイデンティティを高める役割を果たしている。

3. 他の事例と比較して
松任市(現石川県白山市に統合)編纂『虫送り学問所』(8)は1997年に全国各地の教育委員会に「虫送り」を開催概要の調査を行い、開催返答があったのは316か所(内廃絶26か所)と記されている。江戸幕府祐筆役の屋代弘賢(1758-1841)らが1815年頃各藩に領地の風俗・習慣をたずねた『諸国風俗問状』(9)の中に「虫送り」の項目があり、虫を退治する起源の行事が水田のある北海道を除く日本各地ほぼ全域で様々な方法、名称で行われていた。大きく目的の異なる「虫送り」を比較した。
A. 近年話題になっていた、小豆島町中山地区の「虫送り」は2011年に映画『八日目の蝉』の撮影で再現されて以来毎年開催している。夜の中山千枚田の畦道に松明を掲げて連なる「虫送り」の幻想的な原風景はこの棚田景観を守るための資金を調達する、観光資源として重要なイベントになっている(10)。<参考資料4 A>
B. 三条市荒沢の虫送りは午後4時に出発する。先導する軽トラックに乗る和太鼓と法螺貝の響きに合わせて笹をもって1時間程練り歩き、虫の付いた笹を川に流す(現在はまとめて廃棄している)。お菓子がもらえるので子供たちが笑顔で参加している。子供たちの参加を考慮して明るいうちに松明ではなく七夕のような笹で虫を集める、豊作を願う素朴な村の年中行事である。(11)<参考資料4 B>
小豆島の「虫送り」はメディアを積極的に利用して人を集めて、棚田継承の収入源としている。三条市は稲作コミュニティーとともに農家を継承してゆく手段として、村に住む子供たちの娯楽を目的に行っている。
田んぼのない村の「南山田の虫送り」は稀有な存在である。港北ニュータウンを横断する早淵川(鶴見川の支流)と中原街道(徳川家康がよく利用した)が交差す地点である。<参考資料5>古地図にある古来の地名を再開発後も現存させている。今の街並みに歴史を思わせる風景はない。「虫送り」が移住者の地域へのアイデンティティを掘り起こしている。

4. 今後の展望
都筑区への転入者が増え入会率は57.7%と横浜市で最下位である。未加入の住民は賃貸住宅や私立の学校へ通う学童の世帯、子供のいない世帯、独身者の世帯などである(12)。町内会活動は既存の都市社会構造上の町内会をベースにせず、パーソナルネットワークの窓口(ポータルサイト)として、町民の生活に関するあらゆる情報が共有され、地方自治体とリンクする媒体への再構築が望まれる(13)。
「南山田の虫送り」は町内会活動と同体である。昔からの住民が子供のころに経験した、お囃子の笛太鼓、鉦、ひょっとこ踊りや獅子舞を転入してきた子供たちに伝えている。それは親の故郷の祖父母から祭りの所作を教わるように、「南山田の虫送り」はそれぞれ世帯の故郷を都市型コミュニティーに再現している。そして非会員には「南山田の虫送り」は歴史的な価値のある「地元」、都市型コミュニティーである「近所」などの身近な町内会活動の情報を手軽にカスタマイズできる提供方法の構築が必要である。

まとめ
山崎正和は『社交する人間―ホモ・ソシアビリス』(14)で文化的な生活を送るうえで社交は欠かせないとしている。社交には礼儀作法とリズム(お囃子)が大切なツールである。転入して町内会の祭りに参加する。そのために作法を覚えて同じリズムを刻む、共振することで社交が叶うのである。「虫おくり」は鳴り物の練習を重ね、町会会館に集まり、リズムに合わせて火を掲げて練歩く、松明をまとめて篝火を囲み、獅子舞に禍を払ってもらうリアルな社交場である。
テンテンドンドン テンテケテンコリャヨーイヨイ
新しくなった街並みに転入してきた住民が「ふるさと」に触れる、「虫送り」は「農耕儀礼」から南山田住民の「通過儀礼」になり、子供が目を輝かせて参加できるイベントになった。更に「南山田の虫送り」は地域社会で暮らす全町民が「地元」をつくるイベントを目指している。

  • 81191_011_31983161_1_1_参考資料0 写真 <参考資料0>
    虫送り松明行列 篝火(なつみかん公園)
  • <参考資料1>
    石川県松任市発行『虫送り学問所』1997年発行
    (非公開)
  • <参考資料2>
    神奈川県農会編『神奈川県都筑郡中川村村是調査書』明治36年1903年に発行された本を1996年に横浜市歴史博物館所蔵の資料を影印本にて復刻したもの。
    (非公開)
  • 81191_011_31983161_1_4_参考資料3-1 南山田虫送りマップ <参考資料3‐1>
    「南山田の虫送り」マップ
  • 81191_011_31983161_1_5_参考資料3-2 南山田虫送り風景 <参考資料3‐2>
    2023年第45回「南山田の虫送り」風景
  • 81191_011_31983161_1_6_参考資料3-3 開催案内 <参考資料3-3>
    2023年第45回「南山田の虫送り」案内状、ポスター
  • 81191_011_31983161_1_7_参考資料4 比較した虫送り <参考資料4>
    A. 小豆島の中山千枚田の虫送り
    B. 三条市荒沢の虫送り
  • 81191_011_31983161_1_8_参考資料5 古地図 <参考資料5>
    古地図

参考文献

注釈
(1)『御霊信仰』は芸術教養講義7のテキスト 芸術教養シリーズ23 伝統を読みなおす2『暮らしに息づく伝承文化』の12章御霊信仰 P138 「虫送りと御霊」 
(2)横浜市都筑区は戦後の再開発事業で住民が急増し、1994年に横浜市行政区再編成で新生された区である。都筑区を占める港北ニュータウンの再開発事業コンセプトは住宅地と農地と緑地が隣接しながら共存するグリーンマトリックスシステムを採用して施工された。農地は換地で集合し、さらに農業専用地区を制度化して238.6haを指定した。農業振興策を促進して都市農業の確立を目指したニュータウン開発事業である。
(3)石川県松任市発行『虫送り学問所』P9「中国での防虫対策の歴史」<参考資料1>
(4)伊藤清司著の『サネモリ起源考』 P304 「19.虫送りの民俗の伝播」大蔵永常の「文化東漸説」
(5)神奈川県都筑郡中川村々是調書』第二章社交 第二節生活及び社交上の習慣 P34「臨時の正月」、P39「(ろ)村民の娯楽」<参考資料2>
(6)都筑区の情報発信サイト『つづき交流ステーション』 区民レポーターが行く/7月のレポート/2014年9月14日「虫送り」 (2014年取材・HARUKO記) https://www.city-yokohama-tsuzuki.net/station/repo/mushiokuri/index.html
(2023年5月27日・2024年1月20日閲覧 )<参考資料3>
(7)都筑区の情報発信サイト『つづき交流ステーション』 つづき“ひと”訪問33回、南山田虫送り保存会 「栗原毅会長インタビュー」(2014年取材・HARUKO記) https://www.city-yokohama-tsuzuki.net/station/visit/kurihara_t/index.html
(2023年5月27日・2024年1月20日閲覧 )
(8)石川県松任市発行『虫送り学問所』 P40-50「全国各地の虫送り行事開催地調べ」
(9)伊藤清司著の『サネモリ起源考』 P18 江戸時代の風俗調査「諸国風俗問状」 屋代弘賢(1758-1841)らが1815年頃各藩に領地の風俗・習慣をたずねた返答書
(10)小豆島観光協会WEB小豆島旅ナビ 『中山虫送り』7/8の開催と火手の利用券の販売
https://shodoshima.or.jp/news/detail.php?id=344
(2024年1月20日閲覧 )<参考資料4 A>
(11)三条市下田地区荒沢「虫送り」 https://www.kenoh.com/2015/07/15_mushiokuri.html https://www.youtube.com/watch?v=Wt6I30yjCuI YouTubeチャンネル
(2024年1月20日閲覧 )<参考資料4 B>
(12)都筑区「地域活動と人とのつながりづくり」に関するアンケート調査 P5 都筑区の町内会加入率57.7%市の平均68.8%を大きく下回る最下位である。https://www.city.yokohama.lg.jp/tsuzuki/kurashi/kyodo_manabi/kyodo_shien/jichikai/tsuzukikatsudou.files/houkokusyo.pdf  
(2024年1月20日閲覧 )
参照:朝日新聞デジタル版2023年2月12日付記事によると東京都の調布市での加入率は36.8%で内会自体の解散も41と減少傾向である。https://www.asahi.com/articles/ASR2B3SPSR27ULEI002.html
 (2024年1月20日閲覧 )
(13)中筋直哉・五十嵐泰正編著 『よくわかる都市社会学』P163 「都市社会の新しい構造化の方向を見出すために」
(14)山崎正和著 『社交する人間 ホモ・ソシアビリス』 P293 「社交の根源としての個人化」

参考文献
・都筑区ふるさとづくり委員会編、『図説 都筑の歴史』都筑区ふるさとづくり委員会発行、2019年 
・伊藤清司著、『サネモリ起源考 日中比較民族誌』、青土社、2001年
・横江虫送り記録書『虫送り学問所』、石川県松任市発行、1997年
・神奈川県農会報 第15号『神奈川県都筑郡中川村々是調査書』神奈川県農会、1903年(明治36年) 影印復刻版『横浜市歴史博物館資料集 第二集』㈶横浜市ふるさと歴史財団 編集/発行 1996年
・『つづき交流ステーション』HP 「つづき“ひと”訪問/33回 2014年4月訪問 」 (HARUKO記) http://www.city-yokohama-tsuzuki.net/station/visit/kurihara_t/index.html (2024/1/10閲覧 )
・都筑区「地域活動と人とのつながりづくり」に関するアンケート調査報告書      
横浜市都筑区 (yokohama.lg.jp) 合同会社フォーティR&C 2023年      https://www.city.yokohama.lg.jp/tsuzuki/kurashi/kyodo_manabi/kyodo_shien/jichikai/tsuzukikatsudou.files/houkokusyo.pdf   (2024年1月20日閲覧 )
・中筋直哉・五十嵐泰正編著 『よくわかる都市社会学』ミネルバ書房発行 2013年
・山崎正和著 『社交する人間 ホモ・ソシアビリス』 中央公論新社 2006年
・4年ぶり2023年7月27日「南山田の虫送り」タウンニュース南山田で伝統行事「虫送り」市無形民俗文化財 https://www.townnews.co.jp/0104/2023/07/27/689526.html(2024年1月20日閲覧)

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