小江戸佐原の町並みと佐原の大祭~伝統を活かした観光まちづくり~

鈴木 友治

千葉県香取市(註1)の小江戸と呼ばれる佐原にある「江戸優り」といわれるほど栄えた当時の面影を残す「佐原の町並み」(国選定重要伝統的建造物群保存地区)と約300年の伝統を有し、関東三大山車祭りの一つとされる「佐原の大祭」(ユネスコ無形文化遺産・国指定重要無形民俗文化財)による観光まちづくりを考察し評価する。

1.基本データと歴史的背景
香取市は、人口が73,900人(註2)、千葉県の北東部、東京から70km圏、成田空港から15km圏に位置する。北部は東西に流れる利根川の流域に水田地帯、南部は北総台地に山林や畑が広がる。
佐原は、香取市の北西部、利根川と小野川の河口部の自然堤防上に位置し、中世以来の歴史を有する。江戸時代は旗本の分郷支配下にあり、行政的には「村」でありながら在方町として、有力町衆の主導と惣町の自治のもと、利根川水運の河港商業都市として繁栄した。江戸の文化を独自の文化に昇華し、「お江戸見たけりゃ佐原へござれ 佐原本町江戸まさり」と唄われるほどであった。
近代に入っても、流通経済の基盤が大きく変わる昭和40年(1965)頃までは地域の中心的存在であった。昭和53年(1978)に成田空港が開設されると,外部資本による開発路線をとることもなく、求心力が低下し衰退に向かった(註3)。
(1)佐原の町並み
明治31年(1898)に鉄道が開通し(註4)、佐原駅が中心地から北西に離れて造られ、中世以来の中心地であった小野川・忠敬橋周辺の旧市街地は次第に商業活動が衰退した。昭和26年(1951)の佐原市の誕生以降、市役所など公共諸施設が,駅北地区の新市街地に建設され,さらに衰退が進み、旧市街地は近代化から取り残され、そのまま保存される形となった。
伝統的建造物が多く存在する旧市街地は、明治25年(1892)の大火後の建築を主に、江戸時代、明治、大正、昭和と幅広い年代の建造物が、全体として、調和のとれた町並み景観を形成している。
(2)佐原の大祭
佐原の山車行事は、小野川の東側本宿地区の鎮守・八坂神社祇園祭と西側新宿地区の鎮守・諏訪神社諏訪祭の付け祭りとして行われ(註5)、祇園祭の夏祭り(7月)で10台の山車が、諏訪祭の秋祭り(10月)で14台の山車が曳き廻される。
本宿の八坂神社は牛頭天王社として14世紀後半には祀られており、元禄 15 年(1702)には御浜下り神事と祇園神事が行われ、正徳 4 年(1714)に初めて神輿神幸に練物(笠鉾・踊り・造り物)が出された。
当初、天王社を鎮守としていた新宿は、町場として発展する過程で諏訪明神を鎮守とし、享保 6 年(1721)に練物を中心とする諏訪の祭礼を始めた。祇園祭の練物は長期間の中断があったため、諏訪の祭礼が佐原の山車祭りの起源とされる。
現在の「佐原型」といわれる山車と江戸祭囃子由来の佐原囃子による祭りが成立したのは、文政年間(1819~1829)以降と考えられ、文化的・経済的に力を蓄えた「町」は、江戸に優るものとして巨大な飾り物を乗せた山車を作り出した。
(3)観光まちづくり
佐原の地盤沈下が進む中、昭和後期(1980年代)になると「古い商家、酒と喧嘩の大祭、汚れた小野川」は「佐原の三悪」と称されるようになった。
①町並み保存活動
当初、伝統的町並みの保存活動は、住民の意識が保存より開発に重きがおかれ、住民が犠牲になると認識されたため、二度にわたって失敗に終わったが(註6)、昭和63年(1988)に「ふるさと創生」資金の使途にまちづくりに有効だとして町並み保存のアイデアが採用された。住民団体「佐原の町並みを考える会」(現「小野川と佐原の町並みを考える会」)が設立され、旧市街地中心部の建物調査に基づき平成5年(1993)に「佐原市佐原地区町並み形成基本計画」が作られ、保存活動が本格化した。
翌年に佐原市歴史的景観条例が制定され、地区内住民による「佐原町並み保存会」が発足した。市にまちづくり推進室が設けられ、考える会、地域住民、行政一体の取り組み体制が整い、家屋の修理・修景が進められた(註7)。平成8年(1996)に、条例に基づいて伝統的建造物群保存地区及び景観形成地区が指定され(註8)、同年に関東地方で初めて佐原の町並みは重要伝統的建造物群保存地区に選定された。
②佐原の大祭振興活動
町並み保存活動と並行し、有志が商業復興のために祭りの振興を図ろうと「自分たちの祭り」から「見せる祭り」への転換をはかる活動を開始し、市に協力を求めた(註9)。平成5年(1993)、「佐原の大祭実施本部」が設置され、市、町、商工会議所の大祭実施支援体制が構築され、祭りの環境が整備された(註10)。
③町並み保存と大祭振興活動の統合運営
平成12年(2000)の「水郷の小江戸産業観光で賑わいの再興」をコンセプトとした佐原市中心市街地活性化基本計画策定や翌年のTMO 機関商工会議所のTMO構想策定により、町並み保存や佐原の大祭振興といった活動が,ひとつの計画の下に統合され、観光まちづくり推進体制が整い、様々な施策が実施された(註11)。平成16年(2004年)に「佐原の山車行事」が国の重要無形民俗文化財に指定された。

2.積極的に評価できる点
住民主導の町並みの保存活動と祭りの振興活動は、それぞれ独立したものであったが、相乗効果をあげ観光まちづくりへとつながった。二つの活動は、行政の信頼を得るとともに行政を動かし、連携し官民一体で観光まちづくりを進めることとなった(註12)。
「佐原の三悪」と呼ばれていた「古い商家、酒と喧嘩の大祭、汚れた小野川」は三位一体の三大観光資源として見事に蘇り、活動は多大な成果を上げ(註13)、観光客は大幅に増加した(註14)。
伝統的建造物の立ち並ぶ小野川沿いや香取街道を、日本三大囃子「佐原囃子」の調べにのって、伝統ある山車が曳き廻される様は、江戸情緒にあふれ風情たっぷりである。

3.小江戸川越との比較で特筆される点
同じく小江戸と呼ばれる埼玉県川越市は、人口35万人を超える埼玉県中核都市で、都心から30kmの首都圏に位置し、古代より交通の要衝、入間地域の政治の中心として発展した。江戸時代には、江戸の北の守りと新河岸川の舟運を利用した物資の集積地として重要だった。
江戸との舟運で栄えた歴史や大火で創り出された蔵造の町並み(註15)と伝統ある江戸由来の「川越まつり」(註16)は、川越観光に大きな役割を果たし、佐原との類似性は強い。
この川越と比較すると、佐原は次のような点が特筆される。
佐原の町並みには、江戸との舟運で栄えた歴史をとどめる小野川が流れ、昔からの家業を続けている商家が多く、住民の暮らしが息づく「生きている町並み」として評価が高い。一方、川越の町並みには、新河岸川の河岸は離れた存在であり、外部資本進出の店舗も多く存在する。
佐原の大祭は、幕府や藩権力からの影響を受けることなく行われ、佐原の自主自由な自治の歴史を象徴、氏子町の男性自町出身者・居住者による年齢・役職階梯制が明治・大正期に確立し、年番制(註17)のもと今に継承・実施されている。対して、川越まつりは、江戸時代に藩主が祭礼を奨励したことに始まり、町の統合を目的とし川越氷川祭として町人地の十ヵ町で藩の保護と規制を受けてきた。現在は市長を会長とする「川越まつり協賛会」が全市的な市民まつりとして主催、町毎独自に継承・実施され、氏子町以外の参加が増えている(註18)。

4.今後の展望
観光客取り込みという点では、佐原は、川越と比べ、首都圏からのアクセス面に難があるが、成田空港に近く、海外からの観光客に期待できる利点がある。佐原にとって今後の大きな課題は、町の人口が減り続ける中での担い手の確保問題である。特に伝統に基づく祭りを維持しようとする力が強く働く佐原の大祭において、喫緊の課題となっている。

5.まとめ
佐原の伝統ある町並みと祭りを活用した観光まちづくりは、住民の主導で始まり、行政の理解・協力・支援を得て、官民一体となって推進され成功した。今後、時代の変化、特に人口が減るなかでの担い手の確保、これまで通りに継承し続けようとするのか、それとも何かを変えて継承していくのかが問われている。この課題が解決され、観光まちづくりに大きな役割を果たしている佐原の町並みと佐原の大祭が、長く将来にわたって継承されることを願うものである。

  • 81191_011_32183019_1_1_%e4%ba%ac%e8%8a%b8%e5%9c%b0%e5%9b%b3 国選定重要伝統的建造物群保存地区周辺図
    国土地理院の地理院地図Vectorで2023年1月8日筆者作成
  • %e4%bd%90%e5%8e%9f%e3%81%ae%e7%94%ba%e4%b8%a6%e3%81%bf1 添付資料2 佐原の町並み 小野川
    香取市ホームページ:トップページ>香取を旅する>写真館>観光素材ダウンロード>一覧
    https://www.city.katori.lg.jp/sightseeing/gallery/sozai_dl/syasinkan_itiran/index.html (2023年2月1日閲覧)
  • %e4%bd%90%e5%8e%9f%e3%81%ae%e7%94%ba%e4%b8%a6%e3%81%bf5 添付資料3 佐原の町並み 小野川
    香取市ホームページ:トップページ>香取を旅する>写真館>観光素材ダウンロード>一覧
    https://www.city.katori.lg.jp/sightseeing/gallery/sozai_dl/syasinkan_itiran/index.html (2023年2月1日閲覧)
  • %e4%bd%90%e5%8e%9f%e3%81%ae%e7%94%ba%e4%b8%a6%e3%81%bf6 添付資料4 佐原の町並み 香取街道
    香取市ホームページ:トップページ>香取を旅する>写真館>観光素材ダウンロード>一覧
    https://www.city.katori.lg.jp/sightseeing/gallery/sozai_dl/syasinkan_itiran/index.html (2023年2月1日閲覧)
  • %e4%bd%90%e5%8e%9f%e3%81%ae%e5%a4%a7%e7%a5%ad%ef%bc%88%e5%a4%8f%ef%bc%892 添付資料5 佐原の大祭夏祭り
    香取市ホームページ:トップページ>香取を旅する>写真館>観光素材ダウンロード>一覧
    https://www.city.katori.lg.jp/sightseeing/gallery/sozai_dl/syasinkan_itiran/index.html (2023年2月1日閲覧)
  • 81191_011_32183019_1_8_%e4%bb%a4%e5%92%8c4%e5%b9%b4%e4%bd%90%e5%8e%9f%e3%81%ae%e5%a4%a7%e7%a5%ad%e5%a4%8f%e7%a5%ad%e3%82%8a%e3%80%80%e3%83%81%e3%83%a9%e3%82%b7 添付資料7 令和4年(2022)佐原の大祭夏祭り チラシ
    <出展> 香取市ホームページ:トップページ>香取を旅する>江戸優り 佐原の大祭>佐原の大祭とは>佐原の大祭夏祭り(2022年11月22日閲覧)
    https://www.city.katori.lg.jp/sightseeing/matsuri/introduction/natsu.html
  • %e4%bb%a4%e5%92%8c4%e5%b9%b4%e4%bd%90%e5%8e%9f%e3%81%ae%e5%a4%a7%e7%a5%ad%e7%a7%8b%e7%a5%ad%e3%82%8a-%e3%83%81%e3%83%a9%e3%82%b7 添付資料8 令和4年(2022)佐原の大祭秋祭り チラシ 
    <出典> 香取市ホームページ:トップページ>香取を旅する>江戸優り 佐原の大祭>佐原の大祭とは>佐原の大祭秋祭り(2022年11月22日閲覧)
    https://www.city.katori.lg.jp/sightseeing/matsuri/introduction/aki.htm

参考文献

(註1)香取市は平成18年(2006)に佐原市、小見川町、山田町、栗源町が合併し誕生した。

(註2)令和3年(2021)4月1日現在の住民基本台帳登録人口である。

(註3)平成5年(1993)、小野川と佐原の町並みを考える会作成の「佐原市佐原地区町並み形成基本計画」の「はじめに」に記載資料によれば佐原の千葉県での地位の変化は次の通りである。
 1960年11位 1965年12位 1970年19位 1975から1990年は21位で、1975年以降は成田が上位となる。なお、明治に千葉県設置の際は現県庁所在地千葉市とその地位を争った。

(註4)明治31年(1898),成田鉄道(株)により成田~佐原間が開通し,利根川舟運の河岸として栄えた多くの都市の衰退が始まった。佐原に関しては,佐原駅から周辺農村間の舟運による結節地点として,昭和前期頃まで繁栄を維持した。その後、鉄道延伸など交通体系が大きく変化し,佐原舟運も衰退に向かった。

(註5)明治の神仏分離政策などで、本宿の牛頭天王社は八坂神社に、新宿の諏訪明神は諏訪神社と改められている。

(註6)佐原における町並み保存運動の「2度の失敗」とされる。
 一度目は、昭和50年(1975)の文化財保護法改正による「伝統的建造物群保存地区」制度発足にあたり、文化庁が行った調査対象に選ばれたが、商店街のピル化、小野川上に観光パスの駐車場整備、郊外のショッピングセンター建設など、住民の意識が開発に重きがあり、町並み保存の動きは出なかった。
 二度目が、昭和57年(1982)にまちづくりの観点から観光資源保護財団による調査が行われたが、町並み保存について大きな進展はなく、この間に大正6年(1917)築の木造デパート奈良屋や茅葺きの町屋などが取り壊され、看板建築状に覆いがされ元の外見を隠された建物も多く出た。

(註7)家屋の修理(助成措置:補助率8割上限700万円)・修景(助成措置:補助率7割上限200万円)では、所有者の個別事情に配慮し優先度を決め、景観維持のための大規模木造新築は防火地区の指定を解除、初期消火を住民が行う「まちかど消火栓」を設置している。

(註8)町並みの概要
 「香取市佐原の伝統的建造物群保存地区と景観形成地区について」
    https://www.city.katori.lg.jp/living/sumai/machinamihozon.html
 伝統的建造物群保存地区面積は7.1ヘクタールで、特定建築物98棟・国指定史跡1件・県指定建築物8件13棟が地区内にある。景観形成地区面積は伝建地区を含む18.6ヘクタールで景観形成指定建築物49棟がある。
 香取街道沿いの建物の特徴は、小規模切妻平入りの二階造りで、敷地の間口は3間で奥行きがあり、小売業を主としていた。香取街道からの下新町通りには町屋は少なく、醸造家や地主の大規模な敷地が目立つ。小野川沿いの建物は、大規模寄棟妻入りで、敷地の間口は4 間、奥行きがあり、米問屋や醸造業を営んでいた。

(註9)活動にあたって、最初に、大祭は戦前において商業振興の手段として活用されていたという祭りに関する古文書を基に、関係者の説得に努めた。次に、伝統的に自治の意識が強く祭りに関して市の関与を嫌うぐらいであったが、秩父や常陸の祭りの官民共同運営を知って、市の協力も求めた。市役所広場に桟敷席を設けて山車を並べ好評を得て2年目には有料化し成功、懐疑的であった市も協力に転じた。

(註10)整備された主なものは次のとおりである。
(1)大人形がそのままで曳き廻せるように、小野川沿いと香取街道の電線の張り替え(現在、小野川沿いの電線は地中に埋設)。
(2)観客用にイベント広場やトイレの設置。
(3)祭礼開催曜日の固定化、小野川沿いで本宿と新宿の山車の相互に乗り入れての曳き廻し。
(4)利根川の河川敷に臨時駐車場を設置,小野川を清掃し舟運を復活し観光客を祭りの会場までシャトル舟で輸送、交通渋滞を解消。

(註11)実施された施策の主なものは、「佐原町並み交流館」(旧東京三菱銀行)の開設、佐原の大祭ボランティアの活動の組織化(NPO法人「まちおこし佐原の大祭振興協会」設立)、観光用の舟運通年化(第三セクター「ぶれきめら」設立)、祭礼時の見るための場でもあった小野川の荷物の積み下ろし用舟着き場「出し」の復活など。

(註12)「佐原おかみさん会」設立を始めとし,商店街再生を目的とする第三セクターのぜっとやっぺい社や,国際交流事業を行う香取市国際交流協会,外国人誘致のためのバス運行を行うNPO 法人コンヴィヴィアルなどが誕生。また、日帰り観光客が多く、一人あたりの消費額が少ないことや外国人観光客への対応のために分散型宿泊施設ホテル「佐原商家町ホテルNIPPONIA」が開業している。

(註13)平成18年(2006)の合併香取市発足後、優秀観光地づくり賞金賞(国土交通大臣賞)、佐原の町並みが読売新聞社主催「平成百景」認定、NPO まちおこし佐原の大祭振興協会が地域づくり表彰(国土交通大臣賞)、全国商工会議所きらり輝き観光振興大賞など、高い評価を受けている。
 平成25年(2013)ころからタイの映画ロケをきっかけに、タイからの観光客が急増。
平成28年(2016)に「佐原の山車行事」が全国33件の「山・鉾・屋台行事」の一つとして、ユネスコ無形文化遺産に登録。
 平成30年(2018)に佐原(商家町)・佐倉市(城下町)・成田市(門前町)・銚子市(港町)が「北総四都市江戸紀行・江戸を感じる北総の町並み」として日本遺産に認定。

(註14)考える会の活動当初に年間推定5万人だった町並み観光客数は、平成21年(2009)に50万人、コロナ禍前令和元年(2019)には60万人を超えた(文化庁「重要伝統的建造物群保存地区一覧」と「各地区の保存・活用の取組み」
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/hozonchiku/pdf/93738601_16.pdf)。
 平成30年(2018)佐原の大祭観光入込客数(延べ人数)の多かった行祭事・イベントで75万人を数え千葉県第1位である(平成30年千葉県観光入込調査報告書より)。

(註15)平成11年(1999)に重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

(註16)平成 17 年 (2005)に「川越氷川祭の山車行事」として、国の重要無形民俗文化財に指定され、平成 28 年(2016)にユネスコ無形文化遺産に日本の「山・鉾・屋台行事」の一つとして登録された。

(註17)本宿で山車年番、新宿で幣台年番と呼ばれ、任期3年の持ち回り当番が都合9年間にわたって祭事に関わる。

(註18)明治 20 年 (1887)に、9町が新しく参加し、「川越まつり協賛会」の発足でさらに3町が参加し、平成14年(2002)には、氷川神社の氏子以外の参加町が14町と氏子町の13町に対し、数で上回るようになった。

(参考文献)
・香取市ホームページ
https://www.city.katori.lg.jp/(2022年11月22日閲覧)
江戸優り 佐原の大祭
https://www.city.katori.lg.jp/smph/sightseeing/matsuri/index.html
香取市歴史的風致維持向上計画
https://www.city.katori.lg.jp/culture_sport/bunkazai/fuuchi_keikaku/310326.html

・特定非営利活動法人 小野川と佐原の町並みを考える会 ホームページ(2022年11月22日閲覧)
http://www.sawara-machinami.org/

・旅なび!佐原(水郷佐原観光協会)
https://www.suigo-sawara.ne.jp/?p=we-page-top-1(2022年11月22日閲覧)
第1話 佐原の大祭
https://www.suigo-sawara.ne.jp/?p=we-page-tabbed-entries&spotlist=13831&cat=13830&type=story

・川越市ホームページ
https://www.city.kawagoe.saitama.jp/(2022年11月22日閲覧)
川越市歴史的風致維持向上計画(第2期)第2章
https://www.city.kawagoe.saitama.jp/shisei/toshi_machizukuri/machizukuri/toshikeikan/rekishikiteki/rekimachikeikaku.files/2-2shou.pdf

・川越まつり公式サイト
https://www.kawagoematsuri.jp/index.html(2022年11月22日閲覧)

・文化遺産の世界
https://www.isan-no-sekai.jp/(2022年11月22日閲覧)
「ユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」」 / 川越氷川祭の山車行事
川越市教育委員会 教育総務部文化財保護課
https://www.isan-no-sekai.jp/feature/201701_05

・小堀 貴亮「佐原における歴史的街並みの形成と保存の現状」、『歴史地理学 = The Historical geography / 歴史地理学会 編』第41巻第4号、1999年。

・白井 清兼 ・西村 崇 ・山本 淳子 ・伊藤 興一 ・加藤 浩徳 ・城山 英明 「旧佐原市地区におけるまちづくり型観光政策の形成プロセスとその成立要因に関する分析」、『社会技術研究論文集』第6巻、2009年。 

・田口一博「佐原におけるまちづくりの政策システム」、『土地総合研究 / 土地総合研究所編』 第17巻第4号、2009年。

・種崎 夏帆・ 中村 文彦 ・田中 伸治 ・有吉 亮 ・三浦 詩乃「駐車場の再配置による重要伝統的建造物群保存地区の歩行環境の改善に関する研究」、『都市計画論文集』53巻3号、2018年。

・清水賢一「祭礼を「維持」することの意味―佐原の町の「持続」の観点から―」東京大学 大学院 新領域創成科学研究科 社会文化環境学専攻 修士論文、2017年。

・特定非営利活動法人佐原アカデミア編『写真文集 佐原の大祭』言叢社、2017年。

・賀佳惠・川原晋・岡村祐「歴史的町並み地区における外部資本店舗の進出と地域受容に関する研究-観光地化する川越の重要伝統的建造物群保存地区を事例に-」、『観光科学研究』第11号、2018年。

年月と地域
タグ: