大賀ハス  ー 千葉市らしさを形成する地域資源 ー

髙宮 陽一

1. はじめに
大賀ハス(図1)は、現在、国内外150カ所以上で栽培されている。
大賀ハス発祥の地は千葉市だ。(図2) 大賀ハスは、1993年、千葉市の花に制定され、2003年、市のゆるキャラ「ちはなちゃん」(図3)のモチーフになった。
2016年、千葉市は「都市アイデンティティ戦略プラン」を策定し、(1)「千葉市固有のアイデンティティ(千葉市らしさ)を形成する地域資源」(以下、「地域資源」)として、大賀ハスなど4つを選んだ。
本稿では、歴史・現状をもとに、大賀ハスの「地域資源」としての意義・魅力・可能性を考察・評価する。

2. 基本データと歴史的背景

2-1 基本データ
ハス科(Nelumbonaceae)は、多年生・水生の双子葉植物だ。アジア原産の白花・紅花のハス(Nelumbo nucifera)とアメリカ原産の黄花のキバナハス(Nelumbo lutea)の2種がある。
ハスは、白亜紀中期(約1億~8000万年前)には、地球の広い範囲に生育していた。
大賀ハスはハスの一品種だ。花弁数14~24枚、花径15~28cm、一重咲、淡紅色、極早咲き性だ。(図4)

2-2 歴史的背景
1951年、植物学者・大賀一郎博士(1884~1964)は、千葉市検見川の旧東大厚生農場の地下6mの青泥層から、3粒のハスの実を発見し、発芽・育成を試みた。1粒は生育し、1952年に開花した。
1953年、間接的な年代測定の結果、ハスの実は2000年以上前のものと推定された。(2) そして、「大賀ハス」と呼ばれるようになった。
その後、大賀ハスは分根され、国内外で栽培されるようになった。
千葉市では、公園・学校・研究機関・公共施設などで、大賀ハスが栽培されている。なかでも「千葉公園」は、大賀ハスの中心地として、市民に親しまれている。2012年には、公園内の施設で大賀ハスの系統保存事業が始まった。(3)、(図5)、(図6)
イベントでは、1954~2000年、千葉公園でハスをめでる「千葉ハスの会」が開催された。2008年から「大賀ハスを見る会」(2016年以降、「大賀ハスまつり」)が開催されている。
2017,2022年には、大賀ハスのシンポジウム、フォーラムがおこなわれた。
2018年、千葉市主催の「ハス守りさん養成講座」が始まった。

3. 大賀ハスの評価
「都市アイデンティティ戦略プラン」は、「地域資源」として、以下の4つを選んだ。
①加曽利貝塚(縄文中~後期の貝塚遺跡)
②大賀ハス(2000年以上前の古代ハス)
③千葉氏(千葉市の基礎を築いた平安後期の武士団)
④海辺(千葉市は西側が東京湾に面している)
4つの「地域資源」を比べて、大賀ハスを積極的に評価する点として、①物語性、②市民の関与、③季節感・非日常空間の演出に注目する。

3-1 物語性
大賀ハスの発見・成立の過程は、約70年前、千葉市で展開した。
大賀博士の清貧で特異な人柄・人生(4)や執念・情熱に共感した大学、地域住民、行政、マスコミなどの支援・協力のもと、労苦のすえ、大賀ハスの発見・開花に至った。そして、国内外で「2000年の眠りから覚めた世界最古の花」と、話題になった。(5)
大賀ハスの生態や形態は、一般的な野生ハスとあまり変わらない。しかし、千葉市オリジナルの物語が、大賀ハスの「地域資源」としての価値を高めている。

3-2 市民の関与
大賀ハスは、発見から現在まで、市民の関わりが大きい。
ハスの実の発掘・育成・開花は、地域住民の協力があって、可能になった。
かつての「千葉ハスの会」、「花びと会ちば」(6)の主導で行われている現行の「大賀ハスまつり」など、イベントの開催も市民主導で行われてきた。また、花ハス研究の拠点・東大緑地実験所の移転を受けて、2012年、地元市民を中心に「大賀ハスのふるさとの会」が発足し、旧実験場内のハス見本園(図7)の育成・管理などの業務を、東大から引き継いでいる。
市民の能動的な関わりは、「地域資源」として大切な要素だ。

3-3 季節感・非日常空間の演出
大賀ハスは、現在に生きている多年性植物ハスの一品種だ。その形態は、1年周期の生活環の中で変化する。(7)
ハスは、池や沼の泥の中から成長し、美しい花を咲かせる。そのため、東洋文化圏では、ハスに特別な文化的意味が付与された。bc.3000年頃のインダス文明では、ハスの女神像が作られた。その後のヒンドゥー教や仏教でも、ハスは神聖な植物とされた。
ハスの花は、古くから、夏のひと時、心を和ませる風物だ。中国では、3世紀頃、観蓮会が始まり、8世紀には、日本にも伝わった。現在の「ハスまつり」などは、東洋のハス文化を受け継ぐものだ。
大賀ハスは、千葉市の夏の季節感・非日常空間を演出する文化的な「地域資源」だ。

4. 大賀ハスの特筆すべき点
4つの「地域資源」のうち、古代(縄文~弥生時代)の千葉に関わるものとして、加曽利貝塚と大賀ハスを比較・評価する。
加曽利貝塚は、千葉市若葉区にある約5000~2000年前(縄文中~後期)の日本最大級の貝塚の遺跡だ。1996年以降、野外博物館構想に基づき、遺構保存と公開が行われている。(8)、(図8)
2017年、15.1haが特別史跡に指定された。
貝塚や発掘物は、縄文期の千葉の環境や生活を知ることができる物質的証拠で、考古学的に重要な文化遺産だ。
大賀ハスと同様、加曽利貝塚も市民の関わりが大きい。
加曽利貝塚の保全運動は、1961年、一市民の調査活動から始まった。その後、市民のあいだで、保全への機運が高まり、行政を動かした。現在も、市民の活動が加曽利貝塚や博物館を支えている。
加曽利貝塚は過去の遺物で、静的な「地域資源」だ。それに対し、大賀ハスは、現在に生きていて、生活環になかで変化する植物だ。しかも、2000年以上の間、遺伝情報が交雑せずに維持されている。そして、オリジナルの大賀ハスの直系の子孫の生きている姿を、現在の千葉公園などで見ることができる。大賀ハスは生物学的にみても貴重な存在だ。
大賀ハスは、歴史・文化的価値と自然的価値を併せ持っている。この特性は、「地域資源」として、特筆すべき点だ。

5. 大賀ハスの課題と展望

5-1 「地域資源」としての大賀ハスの課題
大賀ハスは「地域資源」として、優れた特性を持つ。しかし、2014年のアンケートで、市民の理解度・認知度は高くないことがわかった。その要因として、①開花時期が短い、②鑑賞できる場が限られている。③栽培・育成に知識・技術を要する、④大賀ハスの生物学的特性が知られていないことが指摘される。
こうした課題を持つ大賀ハスが「地域資源」として認知されるには、①開花期限定のイベントだけではなく、大賀ハスそのものに関心を持ち、関わる市民が育つこと、②大賀ハスについて知見の拡大し、発信することが必要だ。

5-2 市民の養成
大賀ハスに関わる市民の養成の実例として、2018年から、千葉市の主催で行われている「ハス守りさん養成講座」がある。
「ハス守りさん」は、大賀ハスの栽培・管理・イベント・学習にボランティアとして関わる市民だ。講座を修了すると、千葉市が「ハス守りさん」として認定する。(9)
「ハス守りさん」の活動が実体化していけば、大賀ハスに魅力を感じ、関心をもつ市民が増える、と期待されている。そのためには、「ハス守りさん」の活動の場を、行政・市民が協力して提起するなどの方策が求められる。

5-3 自然科学的知見の拡大
大賀ハスは、その名や歴史的・文化的特性に比べ、自然科学的特性が知られていない。このことが、大賀ハスそのものの具体像を曖昧にさせ、市民の関心の低下を招いている。
1970年前後には、大賀ハスの開花・年代の真偽を問う論争があった。(10)
「地域資源」としての大賀ハスの具体像を明確にするため、市民と研究機関や行政との共同の自然科学的知見の蓄積と発信が必要だ。対象を知ることは、対象に関心を持ち、関わるための最初のステップだからだ。

6. まとめ
大賀ハスは、千葉市オリジナルの物語があり、文化的・自然的価値を持ち、市民主導で守り育ててきた。
大賀ハスは、「千葉市らしさ」を表現する「地域資源」として、ポテンシャルがある。しかし、大賀ハスに関する知見や情報、大賀ハスそのものに接する機会が限られているため、ポテンシャルを活かしきれていない現状がある。
大賀ハスが持つポテンシャルを発現するには、市民・行政・研究機関などの共同のもと、市民が大賀ハスそのものを知り、関心を持ち、実際に関わる機会を拡大することだ、と考える。

  • 81191_011_32086146_1_1_dscn2012-1-5mb 図1. 開花最盛期の大賀ハス
     (千葉公園 千葉市中央区)
     (2022年6月29日 筆者撮影)
  • 81191_011_32086146_1_2_dsc_6079small 図2. 「大賀ハス発祥の地」の表示板 
     (東京大学グラウンド(旧東大厚生農場) 千葉市花見川区) 
     (2022年4月22日 筆者撮影)
  • 81191_011_32086146_1_3_dsc_6032small 図3. 千葉市のゆるキャラ「ちはなちゃん」
     (千葉公園・蓮華亭 千葉市中央区)
    (2022年4月12日 筆者撮影)
  • 81191_011_32086146_1_4_dscn1876-1-4mb 図4. 開花2日目の大賀ハスの花
    ハスの花の命は4日間。
     (千葉公園 千葉市中央区)
     (2022年6月24日 筆者撮影)
  • 81191_011_32086146_1_5_dscn1931-1-5mb 図5. 蓮華亭(展示ホール・観察デッキ)とハス池
     (千葉公園 千葉市中央区)
     (2022年6月27日 筆者撮影)
  • 81191_011_32086146_1_6_dsc_5633small 図6. 系統保存のため、掘りあげられた大賀ハスの根茎(レンコン)
     (千葉公園内の系統保存施設 千葉市中央区)
    (2021年3月14日 筆者撮影)
  • 81191_011_32086146_1_7_dsc_5891small 図7. 旧東大緑地実験所の花ハス見本園
     約120品種のハスが栽培されている。
     (千葉市花見川区)
     (2021年7月18日 筆者撮影)
  • 81191_011_32086146_1_8_dscn2159-1-6mb 図8. 加曽利貝塚 南貝塚の貝層断面
     キサゴ、シオフキ、ハマグリなどの貝殻が確認できる。
     (千葉市若葉区)  
     (2022年7月20日 筆者撮影)

参考文献

<註>

 (1) 2014年の基礎調査で、千葉市固有の歴史・ルーツがあまり認知されてなく、都市イメージに反映されていないことがわかった。
 千葉市民が愛着を感じ、市外からも魅力を感じる千葉市の存在感を示すため、「都市アイデンティティ」(千葉市らしさ)の確立が、都市政策として、うちだされた。
                 (「千葉市都市アイデンティティ戦略プラン」、2016年)

 (2) 1951 年に発掘された3粒のハスの実は、すべて発芽試験に供された。そのため、ハスの実の近くで、以前発見された丸木舟の木片が、年代測定に使われた。
 1953年、依頼されたシカゴ大学のリビー博士の炭素C-14測定の結果は、3075年±180年前だったが、大賀博士は、慎重を期して、約2000年前とした。
                      (吉田公平監修『大賀ハス』、1988年)

 (3) 1952年、総合公園「千葉公園」の池に、大賀ハスの根茎が移植され、栽培が始まった。この根茎は、1951年に発掘されたハスの実由来の株の根茎を分根したものだ。
 1993~94年、ハス池(約900㎡)、「蓮華亭」(展示ホール、観察デッキ)が整備された。
 千葉公園のハス池では、純粋な大賀ハスの系統を保存するため、根茎による栄養繁殖だけを行っている。果托の中の実は、交雑の可能性があるため、完熟前に、果托ごと切除する。
                       (千葉市「千葉公園 大賀ハス」)

 (4) 大賀一郎博士は、内村鑑三が提唱したキリスト教・無教会派の信徒だった。博士は戦前の旧満州での国策に疑問を持ち、自身の倫理感から、官公立学校には就職しなかった。
 博士はアカデミズムとは一線を画した在野の研究者で、ハスの植物学にとどまらず、ハス糸やマンダラについても研究した。
                      (中谷俊夫『古代ハス』、2005年)

 (5) 1952年、開花した大賀ハスの写真が「毎日グラフ」と「LIFE」に掲載されるなど、広く報道された。
                      (吉田公平監修『大賀ハス』、1988年)

 (6) 千葉市の緑や花のあふれるまちづくりを推進するため、千葉市の市民・企業・生産者・まちづくり協議会が協力して、2008年に設立された。
                   (『千葉市オーラルヒストリー 大賀ハス』、2021年)

 (7) 千葉公園の大賀ハスの場合、4月中旬に浮き葉、5月上旬に立葉、5月下旬にツボミが水面に現れる。6月中旬~7月上旬が開花の最盛期だ。8月末頃、花が終わり、11月に立葉が枯れ、根茎が休眠期に入る。
                   (「大賀ハスの1年」 『千葉市の花 オオガハス』)

 (8) 加曽利貝塚は、直径140mの北貝塚(縄文時代中期)と直径190mの南貝塚(縄文時代後期)を含む集落遺跡で、面積は20haを超える。総調査面積は約8%で、92%は手付かずに状態で保存されている。貝層や住居跡が、野外博物館方式で展示されている。
        (佐藤洋「特別史跡 加曾利貝塚」(千葉県千葉市)文化遺産の世界」)

(9) 筆者は、2020年度の「ハス守りさん養成講座」を受講した。講座は、大賀ハスのライフサイクルに合わせて、5月から翌年の3月まで、全8回行われた。講座は、座学(大賀ハスの歴史・生物学的特徴・文化など)と実習(育成・管理とガイド活動)で構成され、各回約2時間だった。講座を修了すると、大賀ハスに関する総合的な知識や体験を深めることができ、エコ・イベントとして優れたデザインだ、と筆者は感じた。
(「2020年度ハス守りさん養成講座資料」、2020年)

 (10) 大賀博士は、大賀ハスについて、学術論文を残さなかった。
  大賀博士の死後、1967年、神奈川歯科大学教授でハス研究家の豊田清修氏が『植物研究雑誌』に、大賀ハスの開花と年代に疑問を呈する論文を発表した。その後、大賀説疑問派と擁護派のあいだで論争になり、新聞紙上などでも「古代ハス論争」として展開された。
 やがて、論争は、科学的なものから、感情論へと泥沼化し、不毛なものになった。1970年代になると、「古代ハス論争」は立ち消えになった。
                      (中谷俊夫『古代ハス』、2005年)



 <参考文献>

 吉田公平監修『大賀ハス』、1988年、千葉市立郷土博物館
 北村文雄監修『蓮 ハスをたのしむ』2000年、ネット武蔵野
 中谷俊夫『古代ハス』2005年、新風舎
 三浦功大『蓮の文華史』1994年、かど書房
     『蓮への招待』2000年、西田書店
 中西紹一、早川克実編『時間のデザイン』2014年、藝術学舎
 千葉市『千葉市オーラルヒストリー 大賀ハス~花びと会ちばインタビュー~編』
    『千葉市オーラルヒストリー 大賀ハス~南定雄氏インタビュー~編』
                          以上、2021年、千葉市中央図書館
    「2020年度ハス守りさん養成講座」配布資料 2020年、千葉市緑政課
 大賀ハスのふるさとの会編『花ハス栽培講習会テキスト』2021年、大賀ハスのふるさとの会
 加曾利貝塚博物館編『特別史跡 加曽利貝塚』2020年、千葉市教育委員会


 <参考ウェブサイト>

 千葉市「千葉公園 大賀ハス」https://www.city.chiba.jp/oogahasu/ (2022年7月4日閲覧)

    「都市アイデンティティの確立に向けた基礎調査」(2014年) (2022年7月15日閲覧)
    「千葉都市アイデンティティ戦略プラン」     (2022年7月21日閲覧)
    「千葉都市アイデンティティ戦略プラン」(改訂版)   (2022年7月21日閲覧)
    「政策提言報告書」(2018年)    (2022年7月21日閲覧)
                  以上、https://www.city.chiba.jp/sogoseisaku/

    「千葉市制100周年記念漫画」(電子書籍版) 
https://www.city.chiba.jp/100th/manga/index.htm (2022年6月29日閲覧)

 佐藤洋「特別史跡 加曽利貝塚(千葉県千葉市)」文化遺産の世界
            https://www.isan-no-sekai.jp/report/4753 (2022年7月25日閲覧)

 石川祐聖「東京大学生態調和農学機構の花蓮コレクション」日本植物園協会
            https://www.syokubutsuen-kyokai.jp(2022年7月14日閲覧)

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