理想的な田園都市「田園調布」の過去と未来

上村 成彦

私の住む「田園調布」は、東京都大田区にある町で、広さは、約205万m2で、武蔵野台地の南端にあたり、多摩川下流沿岸に位置する。
そして、その約半分(2~4丁目)が、「田園都市」の開発を目的として、田園都市株式会社により、1923年から分譲した地域で、残り半分(1、5丁目)が、この分譲に合わせて周辺の地主などが組合を結成して宅地造成した地域で、約100年の歴史を持つ。
この理想的な田園都市をめざした「田園調布」の過去と未来を考察したい。

1) 歴史的背景

古代には、この田園調布一帯には、多摩川という水資源と広い平野を利用した、弥生時代以来の生産性の高い農耕社会を背景とする、強力な首長の治める政治的集団が存在して、その証を示すために古墳が作られたと思われる。
それが、今の田園調布1、3丁目にあたる多摩川台に建立された「多摩川台古墳群」である。
明治時代のこの地域は、荏原郡といわれ、交通が不便な農村であった。
大正時代に入ると、第一次世界大戦を契機とする重化学工業の発展はそれに伴う都市への人口集中のため、旧山の手の地域は土地不足が深刻化した。そこで山手線の駅に近い荏原郡も宅地造成および工場用地化の必要性が高まったのである。
その頃、渋沢栄一は、欧米諸都市の視察をもとに、大都市郊外に自然と都市の長所を併せ持つ理想の街、田園都市をつくる構想をあたためており、1918年に荏原郡の開発のための田園都市株式会社(現東急急行電鉄株式会社)を設立し、鉄道敷設を含む田園都市計画の立案と事業用地の買収を行った。
1922年から田園調布の販売が開始される。購買層は目論見としていた中流階級より上流階級の政府や軍関係の上層の人々が主であった。

2) 理想的な「田園都市構想」

この「田園都市」の構想は、もともと英国のGarden City構想から来たものである。産業革命の時代に雇用が大都市に集中し、人々の住環境は悪く、生活環境の改善が求められていたので、「人と自然の共生」をコンセプトとした街づくりが行われていた。
田園都市株式会社で取締役であった渋沢栄一の四男の渋沢秀雄は、田園調布駅の西側の街(3,4丁目)のデザインを半円のエトワール(幾条もの道路が一点から放射されている星型の辻)にした。これは、彼が訪問したサンフランシスコ郊外のセント・フランシス・ウッドという住宅地がパリの凱旋門にあるエトワール式道路を採用していたからである。
1925年には「温泉遊園地 多摩川園」が現多摩川駅前の田園調布1丁目にオープンし、1964年には、年間入場者約100万人を記録した。
1936年に駅前の田園調布2丁目に田園コロシアムという当時、東洋一と言われた田園テニス倶楽部のメインスタジアムがオープンした。テニスだけではなく、コンサートやプロレスなどのビックマッチの会場としても利用された。
1丁目と3丁目にある約7万m2の「多摩川台公園」は、昭和になり、国立公園審議会の要職にあった下村宏が、この未開の古墳群の丘を整備したいと東急電鉄創設者の後藤慶太と相談し、1953年に都立公園として開園した。
ということで、田園調布は、交通の便もよく、近くに公園などの自然もあり、緑豊かな街並みを持ち、そして、近くに遊園地やイベント会場もある都市として6~70年間、多様な魅力をもった街として発展した。

3) 現在の課題

1970年代を過ぎると、住宅街再開発のため「多摩川園」は、1979年に、「田園コロシアム」は、1989年に閉鎖された。
ということで、田園調布は純粋に公園と住宅街のみになった。
当時の田園都市株式会社が分譲を行った2~4丁目は、一区画の目安は、150坪で、緑化のため、塀ではなく生け垣を設けるよう求められたが、高度成長期以降は、高騰した地下の相続税を払うために、敷地を分割して売るケースが続出し、区画の細分化が進んだ。また防犯のため塀を設けた住宅も少なくない。
住環境を維持しようと田園調布会は、1982年に、田園調布の中でも高級住宅地が多い3,4丁目を中心に「田園調布憲章」をつくり、建築規制や緑化を申しあわせ、大田区へ提案して、1991年に大田区により田園調布地区計画が策定された。それによると建築物の敷地面積の最低限度は165㎡(50坪)で、95坪の土地を相続する場合、基本的には2分割はできないことになる。
このような規制が逆に不動産を売りにくくしており、近年、空き家や空き地が増え、かつて理想とされた街並みが崩れている箇所も一部散見される。
また、その周辺地区は、敷地面積規制などはないが、1丁目の最寄り駅となる多摩川駅は、「多摩川園」の閉鎖と共に、駅前商店街はすたれてしまい、街としての魅力が減ってしまっている感は否めない。
一方、田園調布のモデルとなったセント・フランシス・ウッドの町も100年の歴史があるが、今でも美しい街並みを維持している。それは、HOAによる管理が徹底していることにある。 HOAとはHome Owner’s Associationの略で、アメリカの富裕層向けの住宅地によくある制度で、住民から会費をとり、職員を雇用して、街のアメニティ施設や道路のメンテナンスなどをして景観を保ち、不動産価値を維持している。

4) 今後の展望

まずは、住民の視点でみると、日本では、マンションに限っては同じコンセプトのHOAのような仕組みがあるが、街になるとそこまでのシステムはない。米国のHOAの仕組みを検討してみることも意義があるのではなかろうか。
実際に「日本型HOA推進協議会」という組織があり、アメリカのHOAをそのまま導入するのではなく、日本にあったものにして、普及していくための活動を行っている。
次に行政の視点というと、大田区の開発計画はどうであろうか。平成11(1999)年には、大田区が「みどり あふれる 未来CITY おおた」というみどりのまちづくりを進めていくという基本計画を策定した。
その計画により、特に、多摩川駅周辺の「田園調布せせらぎ公園」や「多摩川台公園」が整備されつつある。
このように行政も、区民の声を聞き、住民サービスや緑化のために中期計画に基づき施策を実行している。しかし、まだこれらの施策は点での施策になっている。
田園調布駅から、3丁目のイチョウ並木を抜け、宝来公園から多摩川台公園へ抜け、多摩川駅に出たら、そこでせせらぎ公園で休憩するというような街全体を住民だけでなく外部の人々も訪れるような街にできるのではないかと思う。
そして、更には、民間企業の参入ができないかとも思う。今までは、「多摩川園」などという東京急行電鉄の施設が街の活性化に大いに貢献した。現在の東急の施設は駅前のスーパのみになっている。多摩川駅前にはまだ大きな空地がある。民間の手で再開発がされてもいいのではないか。
私は、このように、住民と行政と企業の三つの取り組みが必要だと考える。行政まかせでもだめだし、住民も自分たちの街という意識でHOAのコンセプトを取り入れてやれることはあると思うし、企業を誘致することも考えてみる必要があると思う。

5) まとめ

本レポートを著するきっかけになったのは、多摩川台公園から眺める絶景にある。近くに多摩川、遠くに富士山を望めるのは、高台と多摩川の河川敷により、景観を損ねる建築物がないからである。それで、ほぼ古代の人を魅了した圧倒的な「景観」色共有できる。
この地域の住民だけでなく、広く域外の人にも訪れてもらい、この景観から昔の人が何も思ったのか思いを巡らして欲しいと思う。
現在の「多摩川台公園」の古墳は雑木林のようになっており、古墳の形を判別するのが困難だし、台地から富士山が見える景色は、これまた雑木林にさえぎられて見えるスポットが限られている。
よって、古墳とわかるようにその一帯を整備すること、絶景スポットを多数つくること、現在、交通の便があまり良くなく訪問者の少ない「大田区郷土博物館」を「せせらぎ公園」に移転させるなどにより、より多くの人々にこの自然や歴史を楽しんでもらうことができると思う。
そうすると、田園調布は、「古代からの絶景のある景観のある美しい田園都市」となり、再び、魅力ある街として輝きだすと信じる。

  • 81191_011_32086081_1_1_1%e7%94%b0%e5%9c%92%e8%aa%bf%e5%b8%83%e3%82%b8%e3%82%aa%e3%83%a9%e3%83%9e 田園調布ジオラマ 大田区郷土資料館展示
    筆者撮影&加工 2022年1月
  • 81191_011_32086081_1_2_%ef%bc%92%e7%94%b0%e5%9c%92%e8%aa%bf%e5%b8%83%e9%a7%85 田園調布駅
    筆者撮影 2022年4月
  • 81191_011_32086081_1_2_%ef%bc%93%e3%82%a4%e3%83%81%e3%83%a7%e3%82%a6%e4%b8%a6%e6%9c%a8 イチョウ並木 田園調布3丁目
    筆者撮影 2022年2月
  • 81191_011_32086081_1_3_%ef%bc%94%e5%a4%9a%e6%91%a9%e5%b7%9d%e5%8f%b0%e5%85%ac%e5%9c%92%e3%81%8b%e3%82%89%e5%af%8c%e5%a3%ab%e5%b1%b1%e3%82%92%e6%9c%9b%e3%82%80%e6%99%af%e8%a6%b3 多摩川台公園から富士山を望む景観
    筆者撮影 2022年4月
  • 81191_011_32086081_1_4_%ef%bc%95%e5%a4%9a%e6%91%a9%e5%b7%9d%e5%8f%b0%e5%85%ac%e5%9c%92%e5%8f%a4%e5%a2%b3%e7%be%a4%e6%a1%88%e5%86%85 多摩川台公園古墳群の案内 大田区 現地看板
    筆者撮影 2022年4月
  • 81191_011_32086081_1_5_%ef%bc%96%e9%9b%91%e6%9c%a8%e6%9e%97%e3%81%ab%e3%81%95%e3%81%88%e3%81%8e%e3%82%89%e3%82%8c%e3%81%a6%e5%88%a4%e5%88%a5%e3%81%97%e3%81%ab%e3%81%8f%e3%81%84%e4%ba%80%e7%94%b2 雑木林にさえぎられて判別しにくい亀甲山古墳
    筆者撮影 2022年4月
  • 81191_011_32086081_1_6_%ef%bc%97%e5%a4%9a%e6%91%a9%e5%b7%9d%e6%b5%85%e9%96%93%e7%a5%9e%e7%a4%be 多摩川浅間神社
    筆者撮影 2022年4月
  • 81191_011_32086081_1_7_%ef%bc%98%e7%94%b0%e5%9c%92%e8%aa%bf%e5%b8%83%e3%81%9b%e3%81%9b%e3%82%89%e3%81%8e%e9%a4%a8 田園調布せせらぎ館
    筆者撮影 2022年2月

参考文献

社団法人田園調布会編『郷土誌 田園調布』中央公論事業出版 2007年
東京新聞「渋沢栄一の理想の街 田園調布 100年息づく精神 新紙幣と大河で脚光」2021年2月2日
東洋経済「歩くと気づく「田園調布」に空き家が増える事情」2021年2月4日
幻冬舎GOLD ONLINE「空き家が増加中。高級住宅街「田園調布」の住民が、自らの首を絞めることとなった“建築協定”とは?」2022年5月3日
まいじつ「田園調布に空き地続出「高級住宅地」もゴーストタウン化顕著」2017年8月30日
住宅生産振興財団「セント・フランシス・ウッド」最終閲覧2022年5月10日
九州大学大学院助教授 柴田健 「HOAによる住宅地の統治」家とまちなみ65 2012年
大田区立郷土博物館編集・発行『まちがやって来たー大正・昭和 大田区のまちづくりー』2015年
大田区立郷土博物館編集・発行『大昔の大田区 原始・古代の遺跡ガイドブック』1997年
大田区立郷土博物館編集・大田区土木部公園課発行『大田区 古墳ガイドブックー多摩川に流れる古代のロマンー』1992年
大田区HP『大田区緑の基本計画「グリーンプランおおた」』2021年
田園調布地区自治会連合会『田園調布グリーンフェスタ パネル展示』2022年

年月と地域
タグ: