知多半島・半田の大絵馬群―忘却の淵で輝く新たな価値
はじめに
「忘れ去られた文化」にも、新たな価値を見出すことはできるのではないか。愛知県半田市の寺社に多く遺る大絵馬群もまた、人々の記憶から消え去ろうとしている文化の1つである(1)。
寺の観音堂、ひっそりと掲げられた大絵馬を見上げてみる。一般的な絵画とは一線を引く画風、また、100年余の間、寺の日常を見守り続けてきた誇らしげな佇まいが、守り継ぐべき価値「らしきもの」の存在を語りかける。価値は本当にあるのか、あるとすれば、どのような価値なのか。それを探るべく、大絵馬群を巡るフィールドワークを重ねた(2)。本稿では、調査から導き出した筆者の見解、また、継承の意義・活用の可能性を報告する。
1 基本情報とこれまで
知多半島の中央に位置する半田市は、江戸時代から続く醸造のまちとして広く知られる。地域の人びとが心の拠りどころとしてきた歴史深い寺社も数多く(3)、そこには100点にも及ぶ大絵馬が遺されている。多くが、祈願成就への感謝を目的に奉納されたもので、江戸末期・明治期の作品を主とする(資1・2)。
「人びとが集まる盛り場で発展した日本特有の文化」(4)と評されるように、身近に美術館などがなかった当時、半田の大絵馬文化も、地域の大衆を楽しませる鑑賞文化として育まれたと推察する。大正期になると、娯楽の多様化(5)などを背景に鑑賞者を徐々に失い、昭和50年代を最後に奉納の習俗はほぼ途絶えた。
2 現況と課題
価値を探るにあたり、約20年前に実施された半田市立博物館による調査の結果(6)をもとに、現存大絵馬群の再調査(市内18寺社)を行った。20年余を経た作品の状態、寺社の保存方針を確認できた点に踏査の意義があった。
まず現況を報告する。現存数自体に減少はないが、この20年の間に、徹去されるに至ったもの、管理者の交代等から、保管場所が不明となったものが十数点もみられた。結果、現在、鑑賞可能な作品は45点、現存数の約半数となった。また、個々の作品について、前回調査時の記録写真と比較し観察すると(7)、多くで、紫外線等の影響による絵具の退色が進んでいた(8)。だが、劣化の速度は予想よりも緩やかだ。外気の影響下にあるものは、絵具の剥奪が進み、元絵を認識できないものもある。
寺社の保存方針だが、いずれの寺社とも、奉納時から掲げたまま意識的な管理はしていない。また、「修復をしてまで遺さない」とも述べる。費用の捻出が厳しいことを主な理由とするが(9)、根底に「大絵馬にさほど価値を感じない」という本音がある。単なる奉納物と捉えれば、こうしたスタンス・感覚がむしろ自然だ。人びとの関心を呼び戻すには、また、保存への理解を促すには、価値の存在を明らかにし、言語化する必要がある。
3 事例の評価点
ここでは、民俗学者宮田登が定義する「地域性」(10)を視座に、事例を評価する。なお、文字記録・先行研究は見当たらず(11)、本調査の結果が見解の主な根拠となっている。
3-1 新たな3つの価値の存在
①「過去の地域習俗を伝えるメディア」という価値
半田の大絵馬群を画題別(12)に分類すると、半数が「巡拝図」、特に、西国三十三所巡礼(13)の無事を感謝し奉納された「西国巡拝図」(資3)に集中している。それだけ多くの人びとが巡礼の旅に出ていたことを、大絵馬群は今に伝える。だが、徒歩が主な移動手段だった当時の旅は、経済的に、体力的に、大きな負担を伴ったはずだ。半田には、長期に及ぶ旅を可能とする稼ぎ、道中を支え合う親しい仲間、一定の信仰心、この3つを兼ね備えたものが多くいたことも、同時に読み取れる。
確認のため、聞き取り等をしてみると、奉納数の多い時期の半田は、酒・酢などの醸造業・海運業により県下トップクラスの繁栄を極めており、豪商や懐豊かな人びとが相当数いたことがわかった(14)。また、庚申講をはじめとする講が盛んで、講を基盤とした地域仲間の強い結束があったという(15)。そして、知多半島には本四国八十八所・西国三十三所の写し霊場があったことなどから(16)、生活に信仰が溶け込んでおり、信仰心の厚い人も数多くいたそうだ(17)。
100年余の時を経た大絵馬群は、奉納時の世相・人びとの心情を満載した生活史資料と化している(18)。過去の地域習俗を視覚で伝えるメディア、といってよい。
②「地域色豊かな美術絵画」という価値
数多く遺る「巡拝図」には、長谷寺・石山寺など巡礼各地を象徴する建物・風景が描かれている。画に多様な「地域色」を捉えることができ、風景版画で名高い歌川広重の「東海道五十三次」や幾多の名所図会を彷彿とさせる(19)。地域ごとの抒情を伝え、訪れたことのない地への憧れや郷愁を抱かせる点は、これら名画に並ぶ。
だが、多くが無名の絵師によるものだ(20)。その点において美術品としての価値があるとは言い難い。だが、現役絵馬師の岩田義一氏(21)は、「絵馬の絵はイコン」だと述べ、東西の宗教画に劣らぬ美術性・精神性を有すると主張する。絵馬の画は依頼者の願いや思いそのもの、その代弁者である絵馬師は、画に強い「気」を込め描くという(22)。ふと、中国芸術の「気韻生動」の概念(23)と重なった。画家の持つ「気」が表れた絵画こそが芸術だ、と説くものだ。ならば、大絵馬も美術絵画と評していいのではないか。
③「地域の先人と繋がるコミュニケーションツール」という価値
上村博は「何らかの空間が描き出されることで、我々自身の生きて行為する空間が変化し、拡張する」と述べる(24)。眼前の大絵馬は、古の情景を一瞬に想起させ、当時を生きた先人たちと同じ空間にいるかの錯覚を呼び起こす。今・昔の時空を行き来するうち、先人たちとの繋がりを実感し、地域に自ずと心が向く。「暮らしやすいまち」と評される今の半田の経済や気質は、旅を通じ、半田と異なる文化を見聞してきた彼らの知識や自信に基づく営為により形づくられた(25)。自然と感謝の意が湧く。地域の先人たちと今を生きるものとを結ぶ、コミュニケーションツールとしての機能も見逃せない。
3-2 特筆点 半田ハリストス正教会のイコンとの比較から
「地域の祈りの場にある絵画」という共通点、岩田氏の「絵馬はイコン」の言葉から、半田ハリストス正教会のイコンと比較する(資4・5)。専門画家による写実的な筆致を有するイコンは、美しく厳かで、芸術的側面の比較に置いて大絵馬群に優る。遠い相手とつながるツールである点は両者共通するが、地域の習俗の記録という資料性や地域性はイコンには見られない。大絵馬独自のこの性質こそが特筆点であり、継承していく最大の意義はこの点にあろう。古い習俗を知る長老がいなくなりつつある今、地域研究の場などでの活用が大きく期待される。
4 今後の展望
今何もしなければ、将来、半田の地から大絵馬の姿が消え去ることは必至だ。大絵馬は全国各地に遺るゆえ、他地域にその継承を委ねてもよいとする考え方もある。だが、地域性を帯びた価値を有する半田の大絵馬群は、唯一無二の文化である。灯火を消してはならない。
とはいえ、伝統文化、特に、モノである文化は、保存費用の確保無くして継承は不可能だ。補助金の取得を視野に、市の文化財への指定を働きかけることも一案だろう(26)。デジタルアーカイブ化により作品を保存、WEB公開する例(27)も手本となるが、「地域の人びとの目を楽しませる文化」という普遍的価値は維持されにくくなる。たとえ、保存費用の確保・永久保存がなされても、大絵馬群の価値への理解と愛着が育たなければ、この文化を守ったとはいえない。
筆者の心に響くのは、考古学者森浩一の「考古学は地域に勇気を与える」という言葉・論考だ(28)。一人一人が自分の住む地域の歴史・文化に向き合い、価値を共有し、発信することが地域の文化・まちを活性化させるという。「考古学」を「半田学」と読み替えよう。半田の人びとが大絵馬群に関心を持ち、その価値を言語化・視覚化して理解を深め合い、内外に伝え続けることが、人びとの忘却から大絵馬群を蘇らせることになる。大衆の文化は、大衆の心が向いてこそ続いていくと考える。
5 まとめ
伝統文化の価値は時間の経過・時代の変容に伴い変化する。忘れ去られる文化があるのもやむを得ない(29)。だが「現在の視点」から見つめ直し、情報を整理し、時代に合った意味づけをすることで新たな価値が生まれることもある(資6)。本調査・考察はその証明に挑んだものであった。
野村朋弘によれば、伝統は新鮮な現代人の意識により再評価されることで、現代に役立つ定型を形成する(30)。今、半田の大絵馬群は「令和版3つの価値」を手にした。地域の生活史資料として、郷愁を誘う絵画として、役立ち愛される姿が筆者にはみえる。幻でないことを信じよう。
参考文献
<註>
(1)半田市、近隣市町村における認知度
「大絵馬を知っているか」の質問に対し、約7割が「知らない」と回答。さらに「知っている」と回答したもののうち「見たことがある」と答えたものは約6割、全回答者の2割にも満たない。地域における認知度の低さを示している。
・半田市内、及び、近隣市町村在住の60名に対し実施したアンケート結果より(実施期間:2022年4月初旬〜7月初旬、実施方法:書面・聞き取りによる)
全国的な認知度(twitterでの話題数)
検索ワード「大絵馬」にて、大絵馬を話題にした投稿数を調べたところ、半年強の間の投稿数は417件(2022年1月1日〜7月20日)。そのうち275件が1月の投稿で、大半が「新年の干支大絵馬」に関するものである。以外の月の平均投稿数は20件程度で、やはり干支絵馬や現代風の絵馬に関するものが多くを占めている。古い大絵馬を話題にした投稿は月に数件程度(「〜神社で見た」など)。全国的にも大絵馬への関心は低いといってよい。
日本絵馬資料館の入場者数からみた認知度
日本で類少ない絵馬専門の資料館の一つである日本絵馬史料館(静岡県浜松市)の近年の入場者は、年に10組程度(新年参拝時の解放期間などを除く)。絵馬に関心を持つ人は、年々減っているという。
・史料館を管理する井伊谷宮の権禰宜宮田信裕氏への聞き取りより(2022年5月2日同館訪問・取材)
・日本絵馬史料館案内ページ
https://www.iinoyaguu.or.jp/keidai/emashiryoukan/ 2022.7.10日最終閲覧)
(2)大絵馬が現存する半田市内の寺社(計18ヶ所)を調査。大絵馬の現況確認、住職・宮司などへの聞き取りを行った(うち12ヶ所は対面、不在寺社6ヶ所は電話による取材)。加えて、日本絵馬資料館(静岡県浜松市)・夢楽堂絵馬資料館(岐阜県郡上市)への訪問調査、現役絵馬師・地域の高齢者などへの聞き取りも行った。
(3)半田市のある愛知県の寺院数は全国1位(約4540)、神社数は全国4位(約3350)。それに比例し市内には多くの寺社がある。
・「宗教年鑑令和3年版」、文化庁、36頁
https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/hakusho_nenjihokokusho/shukyo_nenkan/pdf/r03nenkan.pdf(2022.7.10閲覧)
(4)竹内誠編『日本の近世・第14巻文化の大衆化』、中央公論社、1993年、38-45頁
(5)大正時代になると、直観的・直覚的に味わえる娯楽として、三大民衆娯楽と言われる「寄席」「劇場」「活動写真」が登場した。
・大城亜水「近代日本における余暇・娯楽と社会政策 : 権田保之助の所説を中心に」『経済学雑誌113巻2号』25-46頁、大阪市立大学経済学会
(6)半田市立博物館編『知多の絵馬 調査報告書』、半田市立博物館、2010年
知多郡内(5市5町)の大絵馬を捜索し、結果等を記録したもの。なお、半田市内の捜索調査は1998〜99年頃に行われた。当時調査を担当した同館元学芸員近藤英道氏への聞き取り内容も参考とした(2022年4月14日訪問・取材)。
(7)博物館が調査時に撮影した写真(標準Lサイズ89×127mmのプリント写真)を閲覧。
筆者撮影の写真(掲示されている作品)と比較。
閲覧場所:半田市立博物館内事務所
閲覧日:2022年7月1日
協力:同館学芸員秋山紘胤氏
(8)使用されている絵具の多くが泥絵具(胡粉・洋紅・藍・代赭・黄土などの顔料でつくられた泥状の絵具)であると思われる。色幅も広く、容易く混合もでき廉価であること、江戸時代晩年には、泥絵具を用いた油絵絵馬が流行していたことを根拠とする。天然の岩絵具によるものは、紫外線や風雨にさらされなければ200年以上はもつと聞くが、泥絵具に比べ値が張るため、その数は多くないと推察する。
・三谷十糸子『新技法シリーズ日本画の制作』、美術出版社、1975年、29-47頁
・召田大定『絵馬巡礼と俗信の研究』、慶文堂書店、1967年、58頁
・現役絵馬師岩田義一氏への聞き取りより(2022年5月16日訪問・取材)
(9)根幹には、寺社の後継者候補の不在・檀家の減少などに伴う経営資金の減少など、昨今の寺社をとりまく共通の課題が存在していると察した。データによれば、この10年の間に愛知県の寺院数は約100、神社数は約10減少しており、課題の深刻さを裏づける。寺の存続は大絵馬の存続に関わる。今後も減少は続くと予測される。
・「宗教年鑑 平成22年版」、文化庁、36頁
https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/hakusho_nenjihokokusho/shukyo_nenkan/pdf/h22nenkan.pdf(2022年7月5日閲覧)
・「宗教年鑑 令和3年版」、文化庁、36頁
https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/hakusho_nenjihokokusho/shukyo_nenkan/pdf/r03nenkan.pdf(2022年7月5日閲覧)
(10)「地域性は、歴史的に形成された地域の中の文化的体系全体によって示される性格である」
・宮田登『民俗学の方法』、吉川弘文館、2007年、172頁
(11)他地域の大絵馬・小絵馬に関する論文はいくつか確認できたが、半田の大絵馬に関する先行研究は見つけられなかった。また、奉納記録等も残っておらず、奉納にまつわる詳しい情報も得られなかった。県内外の博物館等が開催した「大絵馬の企画展」の図録も、美術的に価値の高い作品(一流絵師によるものなど)への解説等が主で、大絵馬への踏み込んだ考察等は示されていない。
(12)大絵馬の画題の名称・分類は統一されてはおらず、研究者・調査者ごとに使用する名称・分類は異なる。ただし、ある程度の共通性は見られる。
<基本的な画題名称・分類>(絵馬研究の第一人者岩井宏美による)
「馬」「神仏像・眷属図」「祈願・祭礼図」「社寺参詣図・境内図」「武者絵」「歌仙絵」「船」「芸能」「物語絵」「武道絵馬」「生業図」「算額」「禁断図」「子がえし(間引)図」「動物図」「風景図」「風俗図」の17種。
・岩井宏美『ものと人間の文化史12・絵馬』、法政大学出版局、1974年、ⅳ-ⅴ頁
<本稿における画題名称・分類>(半田市立博物館によるものに準ずる)
「歴史・故事図」「芸能(芝居)図」「相撲・武芸額」「船絵馬」「動物図」「禁断図」「祈願図」「神仏図」「算額」「戦争図」「俳額・狂額」「小絵馬」「巡拝図」「様々な絵馬たち」の14種。
・半田市立博物館編『知多の絵馬 調査報告書』、半田市立博物館、2010年
(13)西国巡礼は三十三所の観音霊場が位置する、和歌山・奈良・滋賀・京都・兵庫・岐阜の各府県をめぐる総距離約1000㎞の旅。中世日本の文化の中心であった京都に、札所寺院が集中していることから、憧れの巡礼路として人気は全国に広がった。西国巡礼者の年間平均数は、江戸後期の文化2年(1805)から文政8年(1825年)の21年間を例にとると、少なくとも15,000人を下らないという。知多半島の人びとは、本四国巡礼よりも、地理的に行きやすい西国巡礼の方に好んで出掛けた。
・森沢義信『西国三十三所 道中の今と昔(上)』、ナカニシヤ出版、2010年、ⅰ-ⅶ頁
・西国三十三所巡礼の旅 ホームページ
https://saikoku33.gr.jp(2022年7月10日最終閲覧)
・住職らへの聞き取りより
(14)半田市域は、一方では農業が米作・麦作・大豆作が醸造業との関連をもって展開、他方では醸造業が農業に匹敵ないしそれを上回るきわめて高い水準で展開していた。また、近世以来の醸造業などの発展にともない、半田港・亀崎港という良質な港を拠点とした流通の一大中心地でもあった。当然、海運業の発展もともなった。なお、酢のトップメーカーmizkan(ミツカン)は、文化元年(1804)に半田市で酢屋として創業、本社は現在も市内にある。
・半田市誌編さん委員会『新修半田市誌 本文篇中巻』愛知県半田市、1989年、57-87頁
・住職らへの聞き取りより
(15)半田市内では、江戸時代中期頃から庚申講が庶民信仰として流行した。旧村落ごとに庚申塔があり、特に、常楽寺・鳳出観音教会のある西成岩地区、安養寺のある板山地区において、講が盛んであったという。この地区に残る「巡拝図」の多さとも重なる。講が盛んだった要因として、純農村地帯で都市化が遅れていたために農村地帯特有の「根強い結束があった」ことなどが指摘されている。ほかにも、代参講・地蔵講・寺の行事に関する講・念仏講といった多種の講があり、いずれの活動も盛んだったという。
参考までだが、半田に多く残る庚申塔造塔年代は18世紀後半から19世紀初頭に集中している。また、起源等を示す資料として、乙川地区で発見された文化元年(1804)の「庚申縁起」、板山地区に現存する文政12年(1829)の庚申軸がある。
・半田市誌編さん委員会『新修半田市誌 本文篇下巻』、愛知県半田市、1989年、281-298頁
・小川和美「半田の庚申信仰」、『知多古文化研究I』杉崎章退官記念文集149-161頁、杉崎章退官記念論集刊行委員会、1984年
・小川和美「知多半島の庚申信仰—その4—」、半田市立博物館『研究紀要No10』71-84頁、1986年
・住職・地域の年配者らへの聞き取りより
(16)知多半島では、明和7年(1770)に知多西国三十三所霊場が、文化6年(1809)に知多四国八十八所霊場が写し霊場として開創された。
・知多四国八十八所霊場 ホームページ
http://chita88.jp(2022年7月10日最終閲覧)
・知多西国三十三所霊場 ホームページ
http://www.chita33.com(2022年7月10日最終閲覧)
(17)一般的に、江戸期に流行した巡礼は、修行や信仰を第一義としない庶民にも解放された観光の旅、すなわち、レジャー的色彩を帯びたものであった。だが、半田の人びとの多くは、寺院に参拝すること自体を重視していたという。
・野村朋弘編『人と文化をつなぐもの』、京都造形芸術大学、2014年、114-115頁
・住職らへの聞き取りより
(18)絵馬研究で名高い岩井宏美をはじめとする多くの民俗学者も、絵馬は「民俗資料」の1つであることを既に指摘している。本稿ではそこから一歩深め、「地域の何がわかる資料なのか」を考察・明示した。
・岩井宏實「常民生活研究と絵馬の資料性」、『絵馬にみる日本常民生活史の研究』(研究成果報告書)3-6頁、国立歴史民俗博物館民俗研究部、1984年
(19)歌川広重(1797〜1858)の風景絵画を語るとき、しばしば、抒情や郷愁といった言葉で評されることが多い。広重の風景絵画は、単にその場所の様子を克明に伝えているだけでなく、四季の移り変わりや朝昼晩という時間の推移、さらには、雨や風、雪などといった天候を丁寧に描き出している。
・日野原賢治「雨・月・雪 名作十選」、『別冊太陽 広重決定版』4頁、平凡社、2018年
(20)多くはないが、数点の大絵馬には作者の名が記載されている。だが、これら作者に関する詳しい情報は見つけられなかった。屋号や住所・住職らへの聞き取りから推測するに、名古屋や近隣の浮世絵師・看板屋などと思われる。本業の傍らに描いていたと考えてよいだろう。中には、広重に並ぶ浮世絵師渓斎英泉(1790〜1848)といった著名絵師によるものもあるが、極めて例外的である。
(21)数少ない現役絵馬師の1人。1944年生まれ。伊勢神宮絵馬師(故)安田識人氏との出会いを機に絵馬研究と制作の道に入る。「夢楽堂」(岐阜県郡上市)にて制作活動をする傍ら、各地で個展・ワークショップなどを開催。工房には絵馬を展示するギャラリーを設け、絵馬文化の普及・継承に尽力している。
・夢楽堂ホームページ
http://murakudo.com(2022年7月10日最終閲覧)
(22)現役絵馬師岩田義一氏への聞き取りより(2022年5月16日 夢楽堂訪問・取材)
(23)中国南斉の画家、謝赫(生没年不詳)が自身の画論の中で説いた概念。「生き生きとした描写」「高い気品や品格」といった言葉で語られる。唐代の張彦遠(815?〜876?)は『歴代名画記』において、生き生きとした描写とは、画家の心情が移入され、生けるがごとき写実的表現が達成されていること、と論じている。
・宇佐美文理・青木孝夫編『芸術古典文献アンソロジー東洋編』、京都造形芸術大学、2014年、110-125頁
(24)上村博「郷土を描く―二十世紀初頭の月並みな地方色について―」、『京都造形芸術大学紀要23号』16-24頁、京都造形芸術大学、2019年、17頁
(25)市が実施した「市民意識調査」によると、「住みやすい」「まあまあ住みやすい」と答えるものが約半数にのぼる。逆に「住みにくい」とするものは1割程度にとどまる。交通の便の良さ、自然が残っており環境がよいこと、商業施設が立地して生活に便利であることなどが評価されている。
・「半田市市民意識調査結果」令和元年6月
https://www.city.handa.lg.jp/kikaku/7sogo/documents/shiminishikichosa-kekka.pdf(2022.7.21閲覧)
(26)市の文化財指定を受けることで、補助事業経費の2分の1以内の補助金を受け取ることができる。現在は、乙川八幡社の大絵馬群・平地神明社の算額のみが半田市有形民俗文化財に指定されている(順に昭和58年・平成28年の指定)。資料性を維持するには、大絵馬群一括での指定が望まれる。
・半田市文化財保存事業費補助金交付要綱
https://www.city.handa.lg.jp/hkbutsu/shogai/bunka/gejutsu/bunkazai/documents/r030401_handashibunkazaihozonzigyouhihojokinkouhuyoukou.pdf(2022.7.20閲覧)
・半田市内の文化財一覧
https://www.city.handa.lg.jp/hkbutsu/shogai/bunka/gejutsu/bunkazai/ichiran.html(2022.7.20閲覧)
(27)取り組み先の一例
(東京都)中野区立図書館デジタルアーカイブ
https://archive.nakano-library.jp/d_archive/805119002/(2022年7月15日最終閲覧)
岩手県立博物館デジタルアーカイブ
https://jmapps.ne.jp/iwtkhk/det.html?data_id=247007(2022年7月15日最終閲覧)
(28)森浩一『地域学のすすめ』、岩波新書、2002年、12-18頁
森浩一(企画協力)五月書房編集部『春日井市の挑戦 地域学事始め』五月書房、2002年
(29)野村朋弘の示す「伝統論」に基づく。
・野村朋弘編『日本文化の源流を探る』幻冬舎、2014年、p.50-51
(30)野村朋弘編『日本文化の源流を探る』幻冬舎、2014年、p.50-51
<参考文献>
岩井宏美『ものと人間の文化史12・絵馬』、法政大学出版局、1974年
岩井宏美編『絵馬秘史』、NHKブックス、1979年
召田大定『絵馬巡礼と俗信の研究』、慶文堂書店、1967年
西海賢二『絵馬に見る民衆の祈りとかたち』、批評社、1999年
半田市立博物館編『知多の絵馬 調査報告書』、半田市立博物館、2010年
半田市立博物館『特別展 知多の絵馬 参拝図を中心に』、1999年
名古屋市博物館『特別展 祈りの歴史絵馬』、1982年
福岡県立美術館『特別展 「絵馬」神に捧げた祈りの美』、1999年
安城市歴史博物館『安城の絵馬〜神社に奉納された人々の想い』、2000年
半田市誌編さん委員会『新修半田市誌 本文篇中巻』愛知県半田市、1989年
半田市誌編さん委員会『新修半田市誌 本文篇下巻』愛知県半田市、1989年
新谷尚紀『民俗学とは何か』(柳田・折口・渋沢に学び直す)、吉川弘文館、2011年
大間知篤三他編『日本民俗学体系』第3巻社会と民俗Ⅰ、平凡社、1958年
宮田登『日本を語る4 俗信の世界』、吉川弘文館、2006年
宮田登『日本を語る6 神とホトケのあいだ』、吉川弘文館、2006年
宮田登『日本を語る7 霊魂と旅のフォークロア』、吉川弘文館、2006年
宮田登『民俗学の方法』、吉川弘文館、2007年
宮本常一『忘れられた日本人』、岩波書店、1984年
宮本常一『見聞巷談』、八坂書房、2013年
福田アジオ『時間の民俗学・空間の民俗学』、木耳社、1989年
国立歴史博物館研究報告第52集 民俗の地域差と地域性2
辻井喬『伝統の創造力』岩波書店、2001年
竹内誠編『日本の近世・第14巻文化の大衆化』、中央公論社、1993年
野村朋弘編『日本文化の源流を探る』、京都造形芸術大学、2014年
野村朋弘編『文化を編集するまなざし』、京都造形芸術大学、2014年
野村朋弘編『人と文化をつなぐもの』、京都造形芸術大学、2014年
川添善行著・早川克美編『空間にこめられた意思をたどる』、京都造形芸術大学、2014年
中垣正恒『地域学への招待』角川書店、2005年
森浩一『地域学のすすめ』、岩波新書、2002年
森浩一(企画協力)五月書房編集部『春日井市の挑戦 地域学事始め』五月書房、2002年
吉本哲郎『地元学をはじめよう』、岩波書店、2008年
森沢義信『西国三十三所 道中の今と昔(上)』、ナカニシヤ出版、2010年
『別冊太陽 広重決定版』、平凡社、2018年
濵田靖子『イコンの世界』美術出版社、1978年
西武美術館『国宝ロシアイコンの世界 奇蹟の聖像画展』、1978年
宇佐美文理・青木孝夫編『芸術古典文献アンソロジー東洋編』、京都造形芸術大学、2014年
篠原資明『五感の芸術論』、未来社、1995年
佐藤郁哉『フィールドワークの技法』、新曜社、2002年
上野和男・高桑守史・福田アジオ・宮田登編『新版民俗調査ハンドブック』、吉川弘文館、1987年
<参考論文>
岩井宏實「常民生活研究と絵馬の資料性」、『絵馬にみる日本常民生活史の研究』(研究成果報告書)3-6頁、国立歴史民俗博物館民俗研究部、1984年
岩崎敏夫「絵馬に見る東北の人と風土」、東北学院大学論集2-15頁、1977年
内山大介「須賀川市朝日稲荷神社の奉納絵馬 : 文化財レスキュー活動の一事例」、『福島県立博物館紀要26』34-38頁、福島県立博物館、2012年
久保田芳廣「発話行為としての絵馬」、『民族學研究』294-311頁、日本文化人類学会、1978年
上村博「郷土を描く―二十世紀初頭の月並みな地方色について―」、『京都造形芸術大学紀要23号』16-24頁、京都造形芸術大学、2019年
<調査・取材協力>
・大絵馬所有寺社(全18寺社)
<対面取材>常楽寺・光照院・海潮院・光照寺・乙川八幡社・安養寺・薬師寺・妙見寺・
平地観音堂・鳳出観音教会・成岩神社・板山神社 以上12寺社の住職・宮司・管理者
<電話取材>観音寺・尾張三社・神明神社・北薬師教会・岩滑八幡社・市杵島社 以上6寺社の宮司・管理者
・その他
<対面取材>
近藤英道氏(半田市立博物館元学芸員)
岩田義一氏(絵馬師・夢楽堂)
宮田信裕氏(井伊谷宮権禰宜・日本絵馬資料館)
超世院住職(常楽寺塔頭寺院)
半田ハリストス正教会司祭
榊原けい子氏ほか半田市内の年配者の方々
※順不同(主に取材日時順)
調査・取材期間:2022年3月6日〜7月10日