豊臣秀吉生誕の地で行われる太閤まつり〜見るだけ・参加するだけで出世できる祭とは〜

森田 隆

1 はじめに
愛知県名古屋市中村区にある豊國神社で、毎年5月18日直前の土曜日と日曜日の2日間にわたり「太閤まつり」が行われる。
尾張中村の地に生まれて、農民から天下人へと立身出世を遂げた豊臣秀吉公を祀った豊國神社の例祭で、各町内から神輿や踊りが練り歩き、(註1)太閤まつりには、この日本最大の出世人にあやかりたいと、地元人はもちろんのこと、県外からも毎年たくさんの観光客で賑わいをみせている。「見るだけ・参加するだけ」で出世できる祭とはどのような祭なのかを考察する。

2 基本データ
豊臣秀吉を祀る、愛知県名古屋市中村区の豊國神社(写真1)が創建されたのは、1885年(明治18年)。地元の有志が、当時の県令(県知事)「国定廉平」にかけあって「豊公遺跡保存会」を設立し、創祀に至った。その後、1901年(明治34年)に愛知県の所管となり、周辺は「中村公園として整備されている。(註2)
中村公園に続く参道の入口には、高さ24.2m、柱の太さ直径2.4mの巨大な鳥居があり、中村区民にとっては、ランドマーク的建物でもある(写真2)。園内には、秀吉誕生の地と伝えられる「常泉寺」(写真3)や、石黒鏘二、品川譲ら当地で活躍した造形作家により制作された「日吉丸となかまたち」の群像(写真4)、秀吉と加藤清正に関する資料を収集・展示する「名古屋市秀吉清正記念館」(写真5)など、秀吉にまつわるさまざまな建物がある。
また、豊臣秀吉を主祭神として祀る「豊國神社」は、京都や大阪など全国各地にあるが、愛知県名古屋市中村区の豊國神社は、その中でも豊臣秀吉の生誕地にあたる場所に点在している。豊國神社は、日本最大の大出世を果たした秀吉にちなんで、出世開運や仕事成就の他、茶道などの文化の保護にも力を入れていたので、茶道・建設の神とも言われており、(註3)ご利益を授かるため、全国から参拝者や歴史愛好家など、日々多くの方々が訪れている。

3歴史的背景
太閤まつりの創始は、昭和20年8月15日に終戦をむかえてから約3年後の昭和23年、塚原周助を中心に豊国神社奉賛会が創設され、敗戦の虚脱から立ち上がろうと、多くの神事と多彩な行事が繰り広げられる新しいまつりが産声をあげたのである。(註4)
昭和30年ごろには、「稚児行列」がはじまるようになる。高度成長期を迎え、団塊の世代がはじまり、子供の数が急増した。
現在の尾張国中村里豊國神社の宮司である近藤一夫氏の私見ではあるが、豊國神社も、戦に勝つことを祈願することから脱却し、誰からも愛される神社に生まれ変わらなければならないと、元々出世の神であった豊國神社は、子供が中心となる「稚児行列」を行うことになったのではないかとの事である。
また、稚児行列が始まった頃と同時期、露天にポン菓子やべっこう飴が並ぶようになる。闇市の継続、日曜生活品を売っていたものが徐々に現在のようなテキ屋や露店に代わっていったのだ。
「豊國神社」の祭神、豊臣秀吉公が亡くなったのは8月18日であるが、「豊國神社例大祭」と「太閤まつり」は毎年5月18日直前の土日に行われている。
神主が常駐している「豊國神社」はここだけでなく、全国にあり、京都では旧暦の8月にあたる9月、大阪では8月、また滋賀県の長浜では10月に例大祭が行なわれている。(註5)

4 事例のどんな点について積極的に評価しているのか。
近年の「太閤まつり」の来場者数は、2日間でおよそ20万人である。祭りの規模が大きくなった今でも、イベント会社などに依頼することなく、あくまでも地域のボランティアによって運営されている。たくさんある出し物やパレードにしても、何かしら地元に関わりのある人に限られているという。
運営の中心的な役割を担う太閤まつり実行委員会は、中村区内の全学区実行委員、消防団やPTA、女性会などの協力団体も合わせて約500人で構成されており、当日の交通整理、誘導や見回りなどさまざまな関係部署への届け出、事前の準備なども含めて、地元人たちが毎年秀吉のために協力し「太閤まつり」を盛り上げ、(註6)昔と変わらない手作りのまつりとして開催されているところを積極的に評価したい。

5 国内の他の同様の事例。また比較して何が特筆されるのか
愛知の他、豊臣秀吉を祭神にする豊國神社は、京都、近江長浜、大阪にあり、「豊國四社」と呼ばれている。京都は全国に点在している豊國神社の総本社でもある。愛知以外の豊國四社は、どのような神社で、またどのような例大祭(太閤まつり)が行われているのであろうか。
①京都
京都府、京都市の東山区に位置する「豊国神社」。1598年、伏見城で亡くなった豊臣秀吉は、本人の遺志に従い東山の阿弥陀ヶ峰山頂に埋葬された。そのふもとに建てられたのがこの豊国神社である。(註7)
豊臣秀吉の新暦の命日にあたる9月18日に例祭が行われ、午前11時から神事、続いて巫女による神楽舞が奉納される。また例祭の翌日には、献茶会が行われ、薮内流家元により、薄茶と濃茶が秀吉と正室の北政所を祀る貞照神社に奉納される。(註8)

②近江長浜
近江長浜の豊国神社は、豊臣秀吉の3回忌に当たる慶長5年(1600年)、長浜城主だった豊臣秀吉(豊国大明神)を祀る社として長浜の町民によって建立。(註9)
現在は、毎年10月に「豊公まつり」を開催し、武者行列も繰り広げられ、大勢の参拝客や観光客で賑わいを見せている。(註10)

③大阪
京都・近江長浜・愛知の豊国神社が訓読み(とよくに)で、大阪の豊國神社は音読み(ほうこく)である。(註11)
豊臣秀吉公の命日(8月18日)に、毎年「太閣祭」がおこなわれ、巫女によるお神楽の奉納などがあり、一般人の参列も可能となっている。(註12)
それでは、愛知の豊國神社は、上記の豊國四社の太閤まつりと比べると何が特筆されるのかであるが、まず豊臣秀吉の「生誕の地」でのお祭りであるということが1番のアドバンテージであろう。また、秀吉にあやかって子供の出世や開運、健やかな成長を願う「出世稚児行列」(写真6)や「千成瓢簞神輿」(写真7)という派手な神輿を大人が担いで練り歩く祭事も見物である。さらに、参道が約500メートル(写真8)と長いため、この長い参道にみっちりと露店が出店し、にぎやかで子供たちにとっても楽しみなお祭りであり、愛知の太閤まつりは、老若男女様々な年齢層が足を運びたくなるお祭りなのだ。

6 今後の展望
残念ながらコロナウィルスのため、今年を含め3年連続で中止となった太閤まつり。メインとなる稚児行列、そして露店のお客は子供たちが中心となるため、太閤まつり実行委員会が万全を期しての判断となったようだ。(註13)
今後の展望としては、コロナ禍が収束し、太閤まつりが再開されたのちには、まだまだ全国的に知名度のあるまつりではない中村太閤まつりが、有名なまつりへと発展していってほしい。「千成瓢簞神輿」など「映える」出し物が多い太閤まつりを、youtubeでライブ配信したり、Instagramで写真を投稿したりと、SNSを積極的に活用し、アピールしていくのもよいのではないだろうか。

7 まとめ
最近の調査では、秀吉の生誕地は正確には、豊國神社付近ではなく、約2キロほど離れた中中村郷(現在の中村中町2丁目)という場所が生誕地であるというのが有力である。(註14)ここは、わたしの実家と目と鼻の先である。
わたしが生まれ育ったこの中村の地を、約500年ほど前に、秀吉が駆け回っていたと思うと感慨深いものがある。
近年、コロナ禍や、AIなどの機械化が進み、人とのコミュニケーションが急速的に減少している。
秀吉は「ひとたらし」術の達人でもあった。これは、「コミニュケーション能力」の達人でもあるということだ。
秀吉が下足番として織田信長に仕えていた頃、雪の日に信長の草履を懐で温めていたというエピソードは有名である。下足番の当時から、出世してトップに立つ資質を持っていたという逸話である。
秀吉のように出世するには、太閤まつりに参加するだけでは無理であろう。太閤まつりを見て、参加して、感じたものや心に響いたものを行動に移して、実行していく者が、秀吉のような出世街道に乗っていけるのである。

  • tempimageahrbfc 尾張国中村里 豊國神社
    令和4年6月12日、筆者撮影
  • tempimage6thffd 大鳥居
    令和4年6月12日、筆者撮影
  • tempimageciwh6o 常泉寺
    令和4年6月12日、筆者撮影
  • 81191_011_31885058_1_4_img_6341 日吉丸となかまたち
    令和4年5月25日、筆者撮影
  • tempimagetfgdze 名古屋市秀吉清正記念館
    令和4年6月12日、筆者撮影
  • tempimagekdu8gd 参道が約500メートル
    令和4年6月12日、筆者撮影

参考文献

(註1)
祭の日HP https://search.yahoo.co.jp/amp/s/matsuri-no-hi.com/amp_matsuri/11576%3Fusqp%3Dmq331AQIKAGwASCAAgM%253D (2022年6月1日閲覧)

(註2)
刀剣ワールドHP https://www.touken-world.jp/tips/44042/ (2022年6月1日閲覧)

(註3)
あっちこっち名古屋HP https://tsukishizuku-nagoya.com/toyokunizinja/(2022年6月1日閲覧)

(註4)
中村公園-豊臣秀吉ゆかりの公園百年の歴史を探る- 129P
著者 浅井正明
発行日 1985年11月1日
発行所 名古屋市公園緑地協会

(註5)
聞き取り調査
尾張国中村里 豊國神社宮司 近藤一夫氏(2022年5月25日)

(註6)
中村フリモ(2014年4月号4P-5p)
発行 株式会社中広

(註7)
THE GATE
HP https://search.yahoo.co.jp/amp/s/thegate12.com/jp/spot/2248%3Fusqp%3Dmq331AQIKAGwASCAAgM%253D (2022年6月3日閲覧)

(註8)
京都ツウ読本
HP https://kyototwo.jp/post/attractions/6788/(2022年6月3日閲覧)

(註9)
ニッポン旅マガジン
HP https://search.yahoo.co.jp/amp/s/tabi-mag.jp/nagahama-ebisu/amp/%3Fusqp%3Dmq331AQIKAGwASCAAgM%253D (2022年6月3日閲覧)

(註10)
TABI CHANNEL
HP https://tabichannel.com/article/560/nagahama (2022年6月3日閲覧)

(註11)
"PeRo"の気ままなブログ
HP https://09692037.at.webry.info/201611/article_ee98a07918.html (2022年6月3日閲覧)

(註12)
関西ええとこ案内
HP https://bosque-ltd.co.jp/around-osakacastle/houkokujinjya/(2022年6月3日閲覧)

(註13)
尾張国中村里 豊國神社
HP  http://toyokuni-jinja.jp/2022/04/06/%e3%80%90%e4%bb%a4%e5%92%8c4%e5%b9%b4%e5%a4%aa%e9%96%a4%e3%81%be%e3%81%a4%e3%82%8a%e4%b8%ad%e6%ad%a2%e3%80%91%e3%81%a8%e3%80%90%e9%99%90%e5%ae%9a%e5%be%a1%e6%9c%b1%e5%8d%b0%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84/(2022年6月4日閲覧)

(註14)
ニッポン旅マガジン
HP https://search.yahoo.co.jp/amp/s/tabi-mag.jp/ai0277/amp/%3Fusqp%3Dmq331AQIKAGwASCAAgM%253D(2022年6月4日閲覧)

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