岩手県気仙地方の「ケセン語」の魅力と可能性 ~ 人を支え誇りを取り戻す「言語」としての方言 ~

志田 節子

1 はじめに

岩手県気仙地方で話される方言がいかにして「ケセン語」と呼ばれるようになったのか。そして東日本大震災の被災地から「ケセン語」がどのように世に発信されていったのか。気仙地方に住む者として、また震災を体験した者として「ケセン語」の魅力と可能性を探り、文化資産として評価し報告する。

2 基本データと歴史的背景

(1)「ケセン語」とは

気仙地方とは、リアス式海岸の美しい岩手県三陸沿岸南部の大船渡市・陸前高田市・住田町を指す。気仙大工や気仙気質という言葉があるように昔から一体感が強く、豪放で誇り高き人々が住む地域で、現在の人口は約6万人である。
このふるさと「ケセンの国」を愛し、この地域で話されている土地言葉を、一つの独立言語とみなして「ケセン語」と命名し、医学の傍ら45年以上も情熱と誇りを持って研究・発信し続けているのが、大船渡市在住で開業医の山浦玄嗣(やまうらはるつぐ 1940~)である〔資料1〕。活動は多岐にわたり、多くの著書と受賞歴〔1〕がある。
まず山浦の功績として挙げられるのは、「ケセン仮名」と「ケセン式ローマ字式」を編み出したことである。ケセン語特有の「し」と「す」の中間音のような特殊な音韻を表記できるのが「ケセン仮名」で、加えて音声と音調も正確に表せるのが「ケセン式ローマ字」である。この考案によってケセン語は表記可能な言語に高められた。

(2)『ケセン語入門』『ケセン語大辞典』『ケセン語訳新約聖書』〔写真1〕

「ケセン語」が独立言語といえるのは、一言語として成立するのに必要な教科書・文法書・辞書の3点セットが完備されているからであり、この偉業を達成したのが山浦である。
B5版・461頁・161課から成る教科書兼文法書の『ケセン語入門』(1986)〔写真1と写真6〕、そして地元の人々の日常語34000語を収録したB5版・上下2巻・2800頁の『ケセン語大辞典』(2000)の出版は、いずれも言語学者から注目を浴び〔2〕、方言が「言語」であるという認識は世の人々を驚かせた。
さらに人々を驚かせたのが『ケセン語訳新約聖書(福音書全4巻)』〔写真1と写真4〕である。山浦は幼少時、村でただ一軒のカトリック信者で、「ふるさとの仲間にふるさとのことばで大好きなイエスのことばを伝えたい」というのが幼い頃からの望みであり、『ケセン語入門』も『ケセン語大辞典』もそのための準備であった。
原典のギリシア語聖書から直接ケセン語に翻訳したもので、朗読CD付きである。山浦の野太い声のケセン語は「語り」であり、耳と心に響く。難解な聖書の言葉がわかりやすくなった〔3〕と反響を呼び、約200カ所の全国講演を行った。

3 評価すべき点

(1)復権された誇り

『ケセン語入門』は、ケセン語表記のための文字体系と文法体系の研究が結実したもので、NHKの番組〔4〕に山浦が出演して同著が紹介されたことで、「ケセン語」が知られることとなった。この本の出版を地元の人々は熱狂して喜んだという〔5〕。
山浦がこの本を著そうと考えたのは、ズーズー弁と蔑まれて自信を失っているふるさとの仲間たちに誇りの気持ちを震い立たせたかったからである。この思いは著書という「モノ」となって世に出たことで、ケセンの人々は自分たちの言葉に愛情を取り戻した。言葉をとおして復権されたケセン人の誇りは大きかったのである。
それは、山浦が地元の多くの公民館からケセン語講座を依頼されたこと、山浦の自宅での「ケセン語勉強会」、『みんなのケセン語(2巻)』(1992)という小中学生向けの教科書が配布されたこと、さらに地元の甫嶺小学校では『ケセンの詩(うだ)』〔6〕〔写真5〕の中の「剣舞(けんべァ)」という詩が好きで、「まるで第二校歌のようにして全校児童がこれを朗読し、歌い、踊った」という〔7〕「コト」からも認められる。

(2)『ケセン語大辞典』の価値

山浦自身はこの辞典について「ケセン語については網羅できた。仮にケセン語が話されなくなっても、この本が残っていれば、言語の再構築が可能ではないか」と述べている〔8〕。
この辞典は34000語の語彙数・ケセン文字による表記・すべての語につけた用例・日本語からケセン語を引く「ケ和索引」完備で、他に類例がない。「ケセン語」が言語として認められ生き延びるための紛れもない文化資産である。

4 比較して特筆すべき点

「アイデンティティーを取り戻す言語」という観点から「ケセン語」と「琉球諸語」〔9〕を比較する。

(1)東日本大震災とケセン語

ケセン語が再び注目されたのは、2011年3月11日に発生した東日本大震災であった。ケセン語訳聖書が「津波に耐えた聖書」〔10〕として新聞やネットで話題となり、その後に出版された『ガリヤラのイェシュー』(2011)〔11〕〔写真5〕は10年のロングセラーである。ケセン語で綴られた聖書のメッセージが、全国の人々の心に届いていったのである。
未曾有の大震災に遭遇し、多くの支援のもと、気仙地方では「がんばっぺし」や「生ぎでだがァ」「生ぎでだよう」とケセン語でお互いをねぎらい励まし合った。ケセン語を話すことによってケセン人は自分を取り戻し、生きる希望を見いだそうとしたのである。
これは石川啄木の短歌をケセン語に翻訳するプロジェクト〔12〕においても同様である。仮設住宅での暮らしの中で大船渡のおんば(年配の女性の尊称)たちは面白がってケセン語訳に取り組んだという〔13〕。そして出版されたのが『東北おんば訳石川啄木のうた』(2017)〔写真5〕で、ドキュメンタリー映画『東北おんばのうた:つなみの浜辺で』(2020)〔14〕〔写真2〕にもなった。
この映画の見所はケセン語も標準語も同等で、どちらにも英語の字幕が付けられていることである。おんばが語る音楽のような響きのケセン語を主体とした映画が、英語の字幕付きで、ケセン語の魅力が世界に発信された。

(2)9月18日は「しまくとぅばの日」

沖縄県も岩手県もかつては標準語教育が行われ、方言コンプレックスを植え付けられた。本土復帰(1972)以後、沖縄では文化や言葉を守る意識が強まっている。
沖縄県は琉球弧と呼ばれる大小160の島々から成り、有人島は49で41の市町村がある。それぞれに独立した「島クトウバ(言葉)」があり、アイデンティティーの拠り所となっている。島言葉の奨励と継承を目的として2006年に「しまくとぅばの日」が定められ、各地でのイベントの他に、毎日多くのラジオ局で生の方言による放送を実施していることは注目に値する。「方言ニュース」(ラジオ沖縄)は1960年から続く長寿番組である。「むにばっきった 島ばっき 島ばっきた 親ばっきる」(言葉を忘れれば、島を忘れる。島を忘れれば、親を忘れる)という言い伝えは重みがある。

5 今後の展望

気仙地方でも人口減少は進み、ケセン語の話者が減ることは避けられない。少しでもケセン語を聞いて話す機会が増えることが望まれる。
山浦は今や医師・言語学者・詩人・物語り作家という肩書きがあり、発信力は依然として大きい。ケセン語の普及継承活動として、山浦主宰のケセン語による演劇や朗読劇、落語のほかに、NPO法人おはなしころりんの「気仙の民話の手作り紙芝居」〔写真3〕がある。ケセン語劇などのYouTube配信は、イー・ピックスの熊谷雅也(68)社長が精力的に情報発信を続けている。
地元の放送局FMねまらいん〔15〕には「ケセン語版ラジオ体操」があるが、もっとケセン語が耳で聞ける環境整備が必要である。
大船渡市末崎町の非営利法人「居場所ハウス」〔16〕は誰でも利用でき、地元の人たちの気兼ねなく話すケセン語が飛び交う空間である。ここからケセン語が広がる拠点となる可能性は高い。ケセン語を話せる高齢者が大いに発信する時である。

6 まとめ

震災の数年後からケセン語でのネーミングが目につく。陸前高田市の商業施設「アバッセ」(一緒に行きましょう)、同じく大船渡市の「キャッセン」(いらっしゃい)、住田町のレストラン「ケラッセ」(ください)、陸前高田市の情報誌「やんべに」(適当に)〔写真1〕は地元の人に馴染んでいて、愛着がある証である。
「言葉は文化だ。」と言い切るおんばの言葉〔17〕は力強い。ケセン語が魅力を放つ限り、絶えることはないであろう。最後にケセン語を紹介して終わりとする。

戯(おだ)ってでおっ母(かあ)おぶったっけァ あんまり軽くて泣げできて
三足(みあし)も歩げねァがったぁ〔18〕

  • 1 〔写真1〕
    山浦玄嗣、『ケセン語入門』、共和企画印刷センター、昭和61年、表紙。
    山浦玄嗣、『ケセン語大辞典(上下)』、無明舎、2000年、背表紙。
    山浦玄嗣、『ケセン語訳新約聖書 マルコによる福音書』、イー・ピックス、2003年、背表紙。
    山浦玄嗣、『ケセン語訳新約聖書 ルカによる福音書』、イー・ピックス、2003年、背表紙。
    山浦玄嗣、『ケセン語訳新約聖書 ヨハネによる福音書』、イー・ピックス、2004年、表紙。
    陸前高田をゆる~~く楽しむ情報誌『やんべに』vol.1、陸前高田ほんまる株式会社、令和3年3月31日発行、表紙。
    (2021年10月17日 筆者撮影)
  • 2 〔写真2〕
    サイト名 ミて・プレス
    URL www.mi-te-press.net/film/index.html
    記事名 映画「東北おんばのうた:つなみの浜辺で」
    閲覧日 2021年10月7日
  • 3 〔写真3〕
    記事名 地域の昔話紙芝居に おはなしころりん 『八幡のカッパ』が完成
    新聞名 web東海新報
    年月日 令和3年9月24日付7面
    URL https://tohkaishimpo.com/2021/09/24/339029/
    閲覧日 2021年11月1日
  • 4 〔写真4〕
    記事名 「ケセン語」の文化、絶やさない 医師・山浦玄嗣さん 東日本大震災11年目
    新聞名 朝日新聞デジタル 
    年月日 2021年5月11日 
    URL   https://digital.asahi.com/articles/DA3S14900013.html
    閲覧日 2021年11月1日
    (承諾番号 22ー0600)(この記事を朝日新聞社に無断で転載することを禁じる。)
  • 5 〔写真5〕
    山浦玄嗣、『ガリヤラのイェシュー』、イー・ピックス、2011年、表紙。
    山浦玄嗣、『ケセンの詩(うだ)』、イー・ピックス、昭和63年、表紙。
    新井高子、『東北おんば訳 石川啄木のうた』、未來社、2017年、表紙。
    竹田晃子、『東北方言オノマトペ用例集』、人間文化研究機構国立国語研究所、2012年、表紙。
    (2022年1月10日 筆者撮影)
  • 6 〔写真6〕
    山浦玄嗣、『ケセン語入門』、共和企画印刷センター、昭和61年、p158~159。
    (2022年1月10日 筆者撮影)

参考文献

〔資料1〕▲山浦氏の略歴
・1940年(S15)4月 東京市に生まれる。父母ともにカトリック信者。父は長野県出身で、代々医者を家業とする家系。母は岩手県気仙郡越喜来(おきらい)村出身で、女医。
・1940年(S15)12月(0歳)岩手県釜石市に移住。
・1944年(S19)8月(4歳)岩手県気仙郡越喜来村に移住。母の実家がある。
・1947年(S22)4月 越喜来小学校に入学。小学1年のとき父親(40歳)が肺炎で死亡。
・1951年(S26)12月(小学5年)気仙郡盛(さかり)町の盛小学校に転入。
 ・1953年(S28)4月 盛中学校入学。
・1956年(S31)4月 東京都成城学園高校に入学。(家門再興のため学業に励む)
・1957年(S32)   岩手県立盛高校(現大船渡高校)に転入。〈母親病気のため戻る)
・1958年(S33)  成城学園高校に復学。 
 ・1959年(S34)   同校卒業。
・1960年(S35)4月 東北大学医学部入学。 
 ・1966年(S41)   同大学卒業。医学士。
・1967年(S42)4月 東北大学大学院入学。 
 ・1971年(S46)   同大学院医学研究科外科学専攻卒、医学博士。
・1973年(S48)   東北大学抗酸菌病研究所放射線医学部門助手。 
 ・1979年(S54)   同大学講師。
・1981年(S56)   同大学助教授。癌の放射線治療、老化に伴う脳の萎縮とその予防な
            どを研究。
・1984年(S59)   宮城県古川市医療法人佐々木病院長。
・1986年(S61)   30年ぶりに帰郷。岩手県大船渡市盛町で山浦医院を開業。今に至る

▲ケセン語関係
①1975年(S50)35歳 この頃からケセン語研究を始める。独学でケセン語文法の体系を作
            りあげる。
②1983年(S58)43歳  岩手県の方言学者の小松代融一氏(盛岡在住)に書きためた原稿を  
            見てもらう。
③1984年(S59)44歳 東京の国立国語研究所開催の「日本方言研究会」において、論文の
            「岩手県気仙地方の言語の文法構造とそれを律するアクセントの法    
             理」を発発表。
④1985年(S60)45歳 NHKテレビ「日本語再発見」に出演。(柴田武教授の勧めで)
     仙台放送テレビ局が山浦と草柳大蔵氏とのケセン語について対談す
             る番組を放送。    
⑤1986年(S61)46歳 『ケセン語入門』を地元の出版社の共和企画印刷センターから発行。
(2000部はすぐ完売。さらに2000部印刷。全国から注文あり、これも完売)
    NHK仙台が「ケセン語入門」という連続番組を制作して放送。
・このころから講演やテレビラジオ出演が増える。
⑥1987年(S62)47歳 大船渡市の3教会の合同市民クリスマスで「放蕩息子の譬話」を脚
           色したケセン語劇「竈返(かまけァし)」を制作し上演。
          (400人の観衆から賛辞を受ける)
・福音書から題材をとった「三人忠太郎」、「おらほのヤソ吉」など上演し、ケセン語劇団
 が生まれる。
⑦1989年(H元)49歳 詩集『ケセンの詩(うだ)』発行。   
⑧1991年(H3)51歳 『ヒタカミ黄金伝説』発行。
⑨1992年(H4)52歳 『みんなのケセン語』発行。
⑩1993年(H5)53歳 ケセン語劇団「竈(かま)けァし座」を結成。
           (のちに「劇団ケセン」と改名)
⑪2000年(H12)60歳 『ケセン語大辞典(上下)』発行。 
⑫2000年  岩手県盛岡市の盛岡劇場で「チンメァロの花」(題材はハンセン病)上演。
      (500席満席)
⑬2002年~2004年 62~64歳 『ケセン語訳新約聖書』マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネによる  
            福音書(全4冊)を 自身の全編朗読CD付きで、半年ごとに発行。
⑭2002年 NHK教育テレビ 「こころの時代」に出演。
⑮2004年(H16)4月 64歳 バチカンにて教皇ヨハネ・パウロ二世に『ケセン語訳新約
               聖書四福音書』を献呈。
⑯2007年(H19)   67歳 『ケセン語の世界』発行。
〈 2011年3月23日 東日本大震災 〉
⑰2011年(H23)5月 71歳 NHK教育テレビ「こころの時代」に出演し大きな反響を呼ぶ。             
⑱2011年    10月    『ガリヤラのイェシュー』発行。
⑲2011年    12月   『イエスの言葉 ケセン語訳』発行。
⑳2013年(H25)6月 73歳 バチカン有功十字勲章受章。
㉑2015年(H27)4月 75歳 『イチジクの木の下で(上下)」発行。
         (『ガリヤラのイェシュー』と合わせて読む新約聖書四福音書解説書)
㉒2016年(H28)10月 76歳
     (平成27年度気仙沼市民文化講座 ケセン語と気仙沼 「ケセン語の世界」)にて
     「劇団ケセン」によるケセン語劇を上演。 
㉓2016年~  ケセン語落語「寿限無」やケセン語劇「ケセン竹取物語」「牛のひれ」を大船
      渡市民芸術祭で上演。 (YouTubeでも配信中)
㉔2016年~ 「山浦玄嗣さんと学ぶよくわかる『新約聖書』」を開催。
       (YouTubeで配信中。現在11回まで)
㉕2016年(H28)12月 76歳  『ホルケウ英雄伝 この国のいと小さき者(上下)』発行。 
㉖2019年(R元)   79歳 令和元年度の文化庁長官賞受賞。
             

▲(註)
〔1〕〔受賞歴〕
・1986年『ケセン語入門』(共和印刷、1986年)日本地名学会「風土研究賞」受賞 
・1988年『ケセンの詩(うだ)』(共和印刷、1988年)岩手県芸術選奨受賞 
・1998年『ヒタカミ黄金伝説』(共和印刷、1991年) 自費出版文化賞~学芸部門~受賞
・2000年『ケセン語大辞典』(無明舎、2000年)岩手日報文化賞~学芸部門~受賞 
・2002年 大船渡市市政功労者表彰(文化功労)受賞
・2012年 第2回 キリスト教本屋大賞受賞
    『ガリヤラのイェシュー 日本語訳新約聖書四福音書』(イー・ピックス、2011年)
・2013年 教皇ベネディクト16世より「バチカン有功十字勲章」受章 
・2014年 第24回 Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞(選者 伊藤比呂美)
    『ナツェラットの男』(ぷねうま舎、2013年)
・2019年(令和元年度)文化長長官表彰
     (消滅の危機にあるケセン語の記録・普及・啓発活動にに尽力し、成果をあげるな
      ど、国語施策の進展に多大な貢献をしていることによる)

〔2〕柴田武(東京大学名誉教授 1918~2007)は『ケセン語入門』の序文を書き、『ケセ   
   ンの詩(うだ)」の跋文も書いている。井上史雄(東京外国語大学名誉教授 1942~)
    はケセン語の辞書をつくることを強く勧めた。  
〔3〕山浦玄嗣『イエスの言葉 ケセン語訳』、文春新書、2011年、112頁。
  「敵を愛しなさい(新共同訳」)のケセン語訳は、「敵(かだぎ)だってもどごまでも 
   大事(でァじ)にし続げろ。」である。
〔4〕「日本語再発見」という当時の人気番組。 柴田武教授がレギュラー出演していて、1985
   年に山浦を呼んで出演させ、刊行間近の『ケセン語入門』を紹介した。 
   また、1986年2月に「ぐるっと海道3万キロ 『父さんがケセン語』~南三陸ことば
   の旅~」がNHKテレビで放送された。  
〔5〕山浦玄嗣『ケセン語の世界』、明治書院、2007年、83頁。
  「気仙衆が熱狂した。『おらほの言葉はこれからはケセン語というんだ。方言だ、ズーズ
   ー弁だと卑屈になることはもうない。文字も文法も完備した立派な言葉だ。その教科書
   ができたんだ!』ということだ。」
   同、83頁。
  「驚いたことにこの本は町中の店が売ってくれた。魚屋、お菓洋屋、洋服屋、酒屋、米
   屋、呉服屋、床屋、八百屋の店先に『ケセン語入門 あります』という手書きの看板が
   並んだ。我が目を疑うような光景だった。最初刷った2000部はあっという間に売りきれ
   た。」
〔6〕この『ケセンの詩』発行後に、「21世紀に伝えたい、新しい日本の歌曲」をテーマに国
   際芸術連盟が制作したCDの中に、この詩集から4編収録された。   
〔7〕山浦玄嗣『ケセン語の世界』、明治書院、2007年、24頁。
〔8〕「河北新報」2000年7月12日付。
〔9〕2009年にユネスコが発表した2500の消滅危機言語のリストの中には、、日本で話され
   ている8つの言語「アイヌ語、八丈語、奄美語、国頭語、沖縄語、宮古語、八重山語、
   与那国語」が含まれている。ユネスコは「方言」ではなく「言語」という扱いである。
〔10〕2011年3月11日の東日本大震災から3日後、被災した大船渡市の出版社イー・ピックス
   の倉庫の中から泥の中で段ボールに入った状態で『ケセン語訳新約聖書 全四巻』が約
   3000冊見つかり、「津波に耐えた聖書」「津波の洗礼を受けた聖書」とネットなどで話
   題になった。全国から注文を受けて完売し、これが会社の復興とつながり、以後、山浦
   の著書の出版を手がけている。イー・ピックスは「21世紀のグーテンベルク」を目指し
   ている会社である。
〔11〕日本語訳の新約聖書四福音書である。「ケセン語は魅力があるが、やはりもっとわか
   りやすく日本語で聖書を翻訳してほしい」という全国からの読者の希望にそって書かれ
   たもの。日本の幕末の時代に舞台を置き換え、登場人物のせりふを日本各地の方言にし
   た画期的な聖書。第2回キリスト教本屋大賞を受賞。北は津軽弁から南は鹿児島弁まで
   が登場する。
〔12〕詩人で埼玉大学准教授の新井高子(1966~)が、2014年から2年間、大船渡の仮設住宅
   に通い、おんば(年配の女性)たちとともに啄木の短歌100首を土地言葉(ケセン語)
   に翻訳するプロジェクトを立ち上げた。出版された本には、おんばの朗読が聞けるQRコ
   ードが付いている。参加した中から5人のおんばが選ばれて映画出演となった。
〔13〕新井高子『東北おんば訳 石川啄木の歌』、未來社、2017年、161頁。
〔14〕新井高子企画・制作 鈴木余位監督の映画で、80分のドキュメンタリー映画。山形国
   際ドキュメンタリー映画祭2021「アジア千波万波部門」入選など、いくつかの映画祭に
   出品されて入賞している。
   新井のプロジェクトに参加していたおんばの中から、79歳から100歳までの5人おんばが
   選ばれ、ケセン語で自分の人生を語る。またケセン語で作られた自作の詩の朗読も披露
   された。
〔15〕2013年4月に開局した大船渡市のコミュニティFM局。「ねまらいん。」は「座ってください。」という意味の方言。「ねまる」(座る)と「ライン」の語呂合わせで、ゆっくり座って聞いてもらいたい、とい
   う意味。この愛称は市民公募130通の中から選ばれた。
〔16〕東日本大震災からの復興の拠点とするため、米国ワシントンDCの非営利法人「basho」
   の提案をきっかけとし、米国ハネウエル社から建設資金の支援を受けて建設されたも
   の。高齢者を中心とする地域の人々が、地域における自分の役割を見つけお互いに頼り
   にし合いながら、ゆるやかにつながることを目指している。2013年6月にオープン。誰
   もが気軽に立ち寄れ、思い思いに過ごせる場所作りを目指している。
〔17〕「東北おんばのうた:つなみの浜辺で」に出演した斎藤陽子さん(撮影当時79歳)が映
   画の中で言った言葉。
〔18〕新井高子『東北おんばの訳 石川啄木の歌』、未來社、2017年、17頁。
  「たはむれに母を背負ひて そのあまり軽きに泣きて 三歩あゆまず」のケセン語訳。

NPO法人居場所ハウス ibasho-house.jimdofree.com (2022年1月15日閲覧)
山形国際ドキュメンタリー映画祭 https://www.yamagata-np.jp  (2021年10月7日閲覧)

参考文献
山浦玄嗣『ケセン語入門』、共和印刷企画センター、昭和61年(1986年)。
山浦玄嗣『ケセン語大辞典(上下)』、無明舎、2000年。
山浦玄嗣『ケセン語訳新約聖書 4福音書(全四巻)』、イー・ピックス、2002~2004年。
山浦玄嗣『ふるさとのイエス』、イー・ピックス、2003年。
NHK放送文化研究所監修『21世紀に残したい ふるさと日本のことば⑥吸収・沖縄地方』、学習研究社、2005年。
養老孟司『ニッポンを解剖する 養老孟司対談集』、講談社、2006年。
山浦玄嗣『ケセン語の世界』、明治書院、2007年。
山浦玄嗣『父さんの宝物』、イー・ピックス、2013年。
養老孟司『ニッポンを解剖する 養老孟司対談集』、講談社、2006年。 
野原三義『うちなあぐちへの招待』、沖縄タイムス社、2005年。
沖縄大学地域研究所『琉球諸語の復興』、芙蓉書房出版、2013年。 
新井高子『東北おんば訳 石川啄木のうた』、未來社、2017年。
池澤夏樹『池澤夏樹=個人編集 日本文学全集 30 日本語のために』、河出書房、2016年。
木村朗子 アンヌ・バヤール=坂井『世界文学としての〈震災後文学〉』、明石書店、2021年。
竹田晃子、『東北方言オノマトペ用例集』、人間文化研究機構国立国語研究所、2012年、202ページ。
                                  
取材協力者
  熊谷雅也さん(68歳)(イー・ピックス社長)
               2021年11月16日 「イー・ピックス」にて(大船渡市)
  江刺由紀子さん(59歳)(NPO法人おはなしころりん代表)
               2021年11月17日「おおふなぽーと」にて(大船渡市)

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