紫川流域と遠賀川流域(中間地区)「かわまちづくり」の取り組みー日常をデザインするということ

對尾 裕子

はじめに
1.基本データと歴史的背景
北九州市は、高度経済成長期1950年代頃から 1960年代、北九州市工業地帯として発展した人口94万人の都市である。全盛期には八幡製鉄所をはじめ多くの工場が建ち並び、工業・生活排水により、美しかった洞海湾は漁獲量ゼロの"死の海"と言われるほどに汚れていった。北九州市中心街を流れる紫川(むらさきがわ)は全長22.4㎞の二級河川(図1)である。今回、紫川河口から2㎞の区間、紫川マイタウン・マイリバー整備事業〔1〕の設置区域を対象とする。

中間(なかま)市は、福岡県北部の北九州地域と筑豊地域の両方に接する場所にある、かつては市の中央を流れる遠賀川の水運によって栄えた炭鉱のまちであった。遠賀川の洪水対策として福岡藩が開削した全長12.1㎞の人口運河は石炭の重要輸送路となった。昭和30年代以降、隣接する北九州市のベッドタウンとして開発により、川の東側は市内の人口の9割が生活する住宅地となり、一方川の西側には昔の面影を残すのどかな田園が広がり、今昔の風景が共存している〔2〕。

2.事例のどんな点について積極的に評価しているのか
国土交通省では、その地域ならではのまちの価値を高める「かわまちづくり」〔3〕を支援している。紫川は平成2年に当時の建設省「紫川マイタウン・マイリバー」の認定を受けた。紫川を中心としたまちづくりでは、そこに住んでいる土地の人びとの考えを第一に考えることに重点を置いている。それに応えるかのように人々が水辺に集まってきている。人々が日常の中で、自然に歩きたくなるリバーウォークには自然を感じることができる工夫が詰まっている。日常編集家のアサダワタルによると「日常を編集する際に、そのメディアをなるべく日常に近づけるということを考えている」〔4〕と述べている。これは、市民に寄り添い都市と河川をつなぐ水辺の歩道を歩く「リバーウォーク」〔図2〕と、日常のありのままの風景を散策する中間市の「なかまフットパス」〔図2〕の取り組みに似ている。日常の中にある空間を市民が楽しく使えるよう工夫している点が評価できる。

では何故、いったん編集された場所を再び日常に戻すことができたのだろうか。それは官民一体の取り組みの中で、葛藤がありつつも乗り越えてきた歴史があるからではないだろうか。1963年(昭和38)頃、工業・生活排水などの悪臭対策として、住民たちによるボランティア清掃活動がはじまったが、実は公害問題に最初に立ち向かったのは1950年に戸畑区の地元婦人会を立ち上げた母親たちだった〔5〕。その活動に市長も心を動かされ官が整備した橋・広場・河川敷を市民が有効に活用する目的で銀天街や、商業施設、商店街、町内会などの有志によって、紫川マイタウンの会〔6〕が平成14年に設立された。 この団体は紫川の「にぎわいづくり」のための場と機会の創出を活動目的とし、川沿いの空間は大きく変わっていったのである。

紫川は洪水による氾濫を防ぐため、橋の架け替えが必要だった。特徴的な10の橋〔図3〕〔図4〕は、「自然再生」のためのシンボルとして整備がすすめられた。当時の市長は治水・利水だけではない、生態系を考えた水辺空間を目指したのである。新しい橋には、シンボル的な自然の名前が入っており歴史を想起させるものとなっている。ケヴィン・リンチは「市民はだれでも、自分の住む都市のどこかの部分に長い間親しんでいて、彼らの抱くイメージは記憶と意味づけに満たされている」〔7〕と述べている。

水辺の遊歩道は橋の下で途切れていたが、連続化して1.5kmほど散歩やジョギングができるようになった。転落防止柵を設けていないため、水辺がより近く感じられた。〔図5〕また、川と公園の回遊性を高めるため、大階段〔図5〕を設け相互の動線をつなげ、見通しがよくなるよう工夫していることがわかる。 2004年には飲食店の紫江‘S(しこうず)〔図6〕が完成。その後、コメダ珈琲が2018年7月にオープン(Park-PFIを適用)〔図6〕〔8〕したことで、人の流れが明らかに変わった。コメダがあった場所は、以前はレンタサイクルが置いてあり誰も立ち止まらない、素通りするだけの場所だった。今は新しい人々が立ち寄る憩いの場となり滞留時間が長くなった。コロナ禍前には、大勢でカヌーを楽しむ姿や、さまざまなイベントがまちの中で行われていた。

水辺を介して導線がつくられ、人の流れができたことで、ストリートミュージシャン達はコメダ珈琲の回りで楽器を演奏するようになり、周辺が明るい雰囲気の空間となった。子供連れの家族は川沿いを散歩しながら洲浜広場〔図6〕で遊び、砂浜気分を味わう。洲浜広場や水辺の階段護岸〔図6〕は市民からのアイデアを募り小学生の絵を元に作られた〔9〕。まちづくりは子どもから大人まで、みんなが参加することで良いムーブメントを生み出した。国が、水害から市民を守るという視点で、厳しく規制されていた水辺の、規制緩和を進めた結果、市民のもとに水辺が戻ってきた。良い空間には自然と人が集まる。市民にひらかれた環境がつくられたことで、住民の心も自然と開き、公共空間を私たちのものとして活用するサイクルができたのである。

3.国内外の他の同様の事例と比較して何が特筆されるのか
また、遠賀川流域(中間地区)は、中間市中心部にあり、平成27年に世界遺産登録された「遠賀川水源地ポンプ室」〔図7〕等を巡ることや、日常的な散策や休日のレジャーの場としての利用など、市民に親しまれている場所でもある。紫川のまちの賑やかさとは対照的に、豊かな自然の魅力を活かした観光誘客の推進を目指している〔図8〕〔10〕。なかでも「なかまフットパス」は、北九州市立大学の学生のアイデアで、いつもと変わらない風景から小さな発見をし、地域の魅力を再発見するものである〔11〕。ケヴィン・リンチは「都市を眺めるということは、それがどんなにありふれた景色であれ、まことに美しいことである」〔12〕と述べているように、これは何か特別なものではなく、例えばいつも見ている自然の風景や道端に咲いている花がきれい、など平凡なことである〔図8〕。私たちの生活は現在、テレワークなどで内向き傾向にある。自然と向き合い、フットパスの視点から何気ない日常にも価値を置くことのできる豊かな感性を持ちたいものである。中間市のかわまちづくりも徐々に進んでいたが、現在はコロナ禍により現在大きな工事は行われていないという〔13〕。

4.今後の展望について
紫川は時代の流れにより川は遠い存在となっていたが、紫川マイタウン・マイリバー整備事業の取り組みにより、紫川の水辺環境は整い、川の存在を身近に感じることができるようになり水辺に人々がもどってきた。コロナやオミクロン株の猛威により、三密を割ける生活を余儀なくされているが、フットパスは屋外でしかも一人でも楽しむことができる。コロナ禍の今まちなかの日常を楽しみ、自分が住んでいる地域の魅力を十分に堪能することにより、そこに自分の居場所を見つけることができるのではないだろうか。水辺空間が今後さらに伸長するためには、市民に水辺の取り組みをもっと知ってもらうことが必要である。そのためには紫川にも中間地区のフットパスを取り入れることが有効であると考える。

5.まとめ
私たちは、便利になった世の中で自然を犠牲にしてきたことを受け止め、川に向き合うことが必要であると考える。過去にどのような苦労があり、どのように工夫してきたか。子供達が発案したアイデアなども発信することで地域はさらに活性化するだろう。地域の歴史を知ることで、自分事としてとらえることができ、自然を守ろうという感性をあげることができるのだ。ケヴィン・リンチは「都市のデザインは時間が生み出す芸術である。そのシークエンスは、人と場合によって、あべこべになったり、とぎれたり、見捨てられたり、他のシークエンスと交叉したりする」〔14〕と述べているように、何を美しいと思うのかは、時代によって変わっていく。いったん水辺から離れてしまった私たちの社会的価値観はそうそう変わるものではないと思っていたが、コロナ禍により、国内外への旅行や県外への移動が制限されたことで、地元の良さをもう一度見直すという流れがきている、日常が美しいと感じる感性の獲得は、きっと私たちの生活を豊かにするきっかけになるに違いない。

  • 1 〔図1〕賑わいを取り戻した紫川(2022年1月29日筆者撮影)
  • 2 〔図2〕出典:北九州市 紫川テラス 散策マップ設置看板(2022年1月29日筆者撮影)
    出典:中間市 地域交流センター なかまフットパス土手ノ内コース(2022年1月29日閲覧)
    (赤マーカー部分は筆者による加筆。筆者が実際に歩いて体験したコース)
  • 3 〔図3〕出典:北九州市 紫川マイタウン・マイリバー整備事業エリア図(2022年1月29日閲覧)
    https://www.city.kitakyushu.lg.jp/ken-to/_0135.html
    青マーカー部分は紫川10橋の位置関係。赤マーカー部分は紫江‘Sと洲浜広場。ともに筆者による加筆。
  • 4 〔図4〕出典:北九州市 紫川10の橋 紫川マイタウン・マイリバー整備事業(2021年10月29日閲覧)
    https://www.city.kitakyushu.lg.jp/files/000866135.pdf
  • 5 〔図5〕水辺の遊歩道はトンネルの下も連続化している(2022年1月29日筆者撮影)
  • 6 〔図6〕左上:紫江‘S 右上奥:コメダ珈琲/手前は洲浜広場(赤マーカー部分は筆者による加筆)
    左下:洲浜広場で遊ぶ子供(右上写真と逆方向から撮影) 右下:緩やかな傾斜の階段護岸
    (2022年1月29日筆者撮影)
  • 7 〔図7〕左上:堀川の中間唐戸 1762年に建設された水門。当時、せき板の枚数で水量を調整した。
    右上、左下:世界遺産 遠賀川水源地ポンプ室(現在も稼働中、見学は不可)
    右下:ポンプ室裏の笹尾川に架かる一般の橋(2022年1月29日筆者撮影)
  • 8 〔図8〕遠賀川流域 釣りを楽しむ人々、豊かな自然が残る河川敷と水鳥たち(2021年11月27日筆者撮影)

参考文献

【註釈】

〔註1〕紫川マイタウン・マイリバー整備事業(2021年10月29日閲覧)
https://www.city.kitakyushu.lg.jp/files/000866135.pdf
百年に一度の大雨・洪水にも対応できるよう紫川を整備するとともにより親しめる環境デザインを目指し、周辺の公園や道路、市街地等の整備を官民一体となって進める事業。昭和62年に建設省が創設の制度で、翌63年、紫川のJR鹿児島本線鉄橋から国道3号木船橋までの約㎞が整備河川に指定され、2006年、当面区域のJR鹿児島本線鉄橋から中島橋までの事業が完成した。デザイン性の高い橋をはじめとして、洲浜公園や人口の滝、水中を観察できる水環境館等が作られ、各種イベントも催されてにぎわいをみせている。コロナ禍前には勝山橋の上に、ゴールデンウイークにはおしゃれなオープンカフェ、夏にはビアテラスが出没していた。

〔註2〕遠賀川中間地区かわまちづくり(2022年1月29日閲覧)
http://www.city.nakama.lg.jp/kurashi/jougesuitoshikeikaku/toshikeikaku/kawamachi.html

〔註3〕国土交通省 かわまちづくり 支援制度(2022年1月29日閲覧)
https://www.mlit.go.jp/river/kankyo/main/kankyou/machizukuri/

〔註4〕紫牟田伸子著 早川克美編『私たちのデザイン4 つなげる思考・発見の技法』、藝術学舎、2014年、p136-137

〔註5〕明治34(1901)年に殖産興業の諸政策により、八幡の地に官営八幡製鐵所が誕生。ここから近代工業史が始まった。その栄華の象徴として、北九州市の空は「七色の煙」と呼ばれ、酸化鉄の混じった赤い煙、石炭の黒い煙が空を覆っていった。当時の主な工業製品(セメント・耐火れんが・ガラス・鉄鋼) 。公害による被害により、市民たちは発電所から出る煤塵で、子どもたちの喘息、掃除をしてもすぐに煤で汚れる家に、最初に立ち上がったのは、「家族をまもりたい」その一心で昭和25(1950)年、地元婦人会を立ち上げた母親たちであった。
 参考:https://www.youtube.com/watch?v=a675_qq6Q-w 「青空がほしい」リメイク版

〔註6〕紫川マイタウンの会(2021年10月29日閲覧)
地域づくりネットワーク 福岡県協議会ホームページ 地域づくり団体紹介
https://www.chiikinet-fuku.org/member/?GrID=00209
平成14年4月 設立 設立目的 北九州市の中心地に位置する紫川、及びその周辺資源の有効活用の研究とその具体的な事業活動及び環境整備活動等に官民一体となり取り組み、中心市街地の活性化に具体的活動をもってその実現に寄与する。 活動内容①まちづくり活動の研究。②「遊びにおいでよ紫川!」と題した四季折々のイベントの実施・検証。③イベント空間としての施設整備のあり方、効果的なまちづくりPR戦略の検討。

〔註7〕ケヴィン・リンチ著 丹下健三・富田玲子訳『都市のイメージ 新装版』、岩波書店、2021年、第16刷、p1

〔註8〕【公園活用(社会実験、Park-PFI)】国土交通省 勝山公園鴎外橋西側橋詰広場便益施設等整備・管理運営事業
https://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/kanminrenkei/content/001384756.pdf

〔註9〕北九州市ビッグプロジェクト②「紫川マイタウン・マイリバー整備事業」(2022年1月29日閲覧)
https://www.youtube.com/watch?v=Gh3tSXmSRQQ

〔註10〕遠賀川では釣り大会等のイベントも定期的に行われている。ラグビー場や付近の水辺では、現在スケートボードを楽しめる空間もある。川沿いにはサイクリングロードもあり自転車の貸し出しも行っている。現在の取り組みは主に「なかまフットパス」で地域に昔からあるありのままの風景を楽しみながら、まちなかのコースを歩くというものである。コースは全7コースある。コースはひとりで歩く事もできる。定期的に団体で歩くコースも企画している。

〔註11〕2015年に遠賀川水源地ポンプ場が世界遺産登録され観光客が来るようになったが、当時は案内できるものが何もなかったという。「なかまフットパス」ができたきっかけは、2016年に北九州市立大学の学生たちが、お金をかけなくてもできることがあると提案してきたことである。フットパスは全7コースあり、1と2のコースは市と学生が共同でつくったものである。また、2018年には「なかまフットパスオアシス」の取り組みがはじまり、地元のコース沿線に住まわれている市民の協力を得ながらスタートし現在も稼働中である。コロナ禍により定員は40名から20名に減らしたという。

〔註12〕ケヴィン・リンチ著 丹下健三・富田玲子訳『都市のイメージ 新装版』、岩波書店、2021年、第16刷、p1

〔註11〕〔註13〕2022/1/29 福岡県中間市建設産業部産業振興課ご担当者様のお話
(中間市地域交流センター内にて)

〔註14〕
ケヴィン・リンチ著 丹下健三・富田玲子訳『都市のイメージ 新装版』、岩波書店、2021年、第16刷、p1



【参考文献】
・嘉田由紀子語り 古谷桂信構成『生活環境主義でいこう!』岩波書店、2020年
・北九州市『北の九州52の物語』、北九州市、2017年、遠賀川水源地ポンプ室P28
・ケヴィン・リンチ著 丹下健三・富田玲子訳『都市のイメージ 新装版』、岩波書店、2021年、第16刷、p1
・紫牟田伸子著 早川克美編『私たちのデザイン4 つなげる思考・発見の技法』、藝術学舎、2014年、p136-137
・早川克美著『私たちのデザイン1 デザインへのまなざし』、藝術学舎、2014年、p184-186
・林正登著『遠賀川流域史探訪』葦書房、1989年
・樋口忠彦著『景観の構造』技報堂出版、2020年
・毎日新聞西部本社報道部『北九州市戦後70年の物語』、石風社、2015年
・吉川勝秀編著『市民工学としてのユニバーサルデザイン』理工図書、2001年、p113-122
・吉川勝秀編著『川のユニバーサルデザイン』社会を癒す川づくり、山海堂、2005年、p35-41
・吉川勝秀編著『多自然型川づくりを超えて』、学芸出版社、2007年、p242-245
・吉川勝秀編著 伊藤一正著『都市と河川』 世界の「川からの都市再生」技報堂出版、2008年、p40-46
・吉川勝秀編著『流域都市論』自然と共生する流域圏・都市の再生、鹿島出版会、2008年、p42-43
・吉川勝秀著『リバーウォークの魅力と創造』、鹿島出版会、2011年、p61

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