等々力渓谷公園 -融合空間は語る-
はじめに
約10万年の歳月をかけて多摩川が武蔵野台地を削り形成された国分寺崖線の周辺に位置する東京都世田谷区等々力地区は、都道環状8号線[図1]などの幹線道路が通る市街地でありながら、23区唯一の渓谷とされる等々力渓谷を擁する類まれな地域といえる。渓谷の一部は「等々力渓谷公園」[図2]として整備され、自然と遺跡や日本庭園といった人工物との共存が見られる。
本稿では、渓谷公園という自然と文化(人工物)の2つの資源の織り成す融合空間を観察し、これらを介して私たち現代人に発信されるメッセージを、横浜市にある「陣ケ下渓谷公園」との比較を交えつつ考察し報告する。
1.等々力渓谷公園の概要[図3][註1]
1)基本データ
所 在 地:東京都世田谷区等々力1丁目22番、2丁目37番・38番外
アクセス:東急大井町線等々力駅より徒歩3分
東急・都営バス等々力バス停より徒歩5分
来園者数:約43万人(2017年度推計値)
渓谷延長:約1km
高 低 差:約10m(標高 等々力駅周辺:約30m、渓谷内:約20m)
総 面 積:31,501.91㎡
主な植生:シラカシ群集ケヤキ亜群集(崖線の潜在自然植生)
セキショウ草地・湿生植物(湧水部分)
水 流:谷沢川、湧水(30箇所以上)
2)歴史的背景
1933(昭和8)年 等々力渓谷を含む地域一帯が多摩川風致地区に指定
1936(昭和11)年 東京府の緑地計画として行われた護岸・遊歩道整備が竣工
1957(昭和32)年 風致公園として都市計画決定(1961~1964年に整備)
1974(昭和49)年 世田谷区立等々力渓谷公園として開園
1999(平成11)年 東京都文化財保護条例に基づく「名勝」文化財に指定(渓谷一帯)
2003(平成15)年 「東京の名湧水57選」に選定
2005(平成17)年 日本庭園・書院の区域を拡張[註2]
3)渓谷の形成
谷沢川が武蔵野台地を侵食し形成されたといわれる等々力渓谷には、多様な植生のほか、東京の基礎的地盤といわれる高津互層(上総層群)を観察できる地層断面[図4]が露出した箇所もあり、自然資源に大変恵まれた環境といえる。
2.積極的な評価点
1)古代人により造られた文化資源
渓谷の傾斜面に造られた「等々力渓谷3号横穴」は、7世紀に造られたとされる全長約13mの横穴墓で、1973(昭和48)年に発掘され、現時点で園内最古の人工物とされる[図5]。出土品は須恵器・金銅製耳環(イヤリング)等で、被葬者は周辺を治めた有力者とされる。
墓の存在は、造営された7世紀以前から渓谷がこの地に存在した可能性を示唆しており、貴重な文化資源といえよう[註3]。
2)日本庭園
1973(昭和48)年に飯田十基[註4]により作庭された日本庭園は、墓と同様に傾斜を活かした造りとなっており、伝統を尊重しつつ、武蔵野の自然を愛しその特徴を取り入れた「雑木の庭」という新しい造園方式を編み出した氏らしい、渓谷の自然に馴染むようデザインされた自然風庭園である[図6]。
園内には1961(昭和36)年建造の書院もあり、そこで一服しつつ崖線及び庭園の一体化した四季折々の風景を楽しむことができる。
3)地元民の積極関与
世田谷区の担当者によると、当公園内を流れる谷沢川はかつて湧水の枯渇や生活排水等により、昭和40年代は水量不足と泡立ちが酷い有様で、渓谷の谷底に向かって上からゴミを投げ捨てる者まで現れ「ゴミ捨て場」と化し、地元民の間で「近づいてはいけない場所」と認識されていた時期すらあったという。
昭和50年代に入り、地元民有志の働き掛けをきっかけに、区内を流れる仙川の浄化水を地下トンネルで谷沢川に引水する工事が行われ、1994(平成6)年以降は枯渇・水質の改善が進んだとのことである。
これらの経緯から、現在の自然豊かな当公園の見事な景観は、地元民の熱意に支えられてきたといえよう。
以上のことから、「豊かな自然」「環境を活かした人工物」「人々の熱意」という三拍子をもって融合空間が構築されている点を、当公園の積極的評価点としたい。
3.類似例との比較と特筆される点
1)類似例の特徴[註6]
陣ケ下渓谷公園(所在地:神奈川県横浜市保土ヶ谷区川島町797)は、相鉄本線上星川駅より徒歩15分に位置し、横浜市中心部からも容易にアクセス可能な市街地の渓谷である。2004(平成16)年から風致公園として一部開園され、28,000㎡の園内にはコナラなど1,000種類を超える植生が見られ、ゲンジホタルの生息も確認されている。
当公園の真上を通る北陣ケ下高架橋(2001(平成13)年竣工 長さ215m 幅員14m)は市道環状2号線の一部で、コンクリート製の現代的人工物である[図7][註7]。上下線の間から当公園に日光が注ぎ込み、渓谷の木々も線間から姿を見せるなど、自然への配慮がうかがえるデザインとなっている。
当公園には、生活利便性・経済性の追求と自然環境保護との両立を目指した、自然と現代的人工物の共同空間が広がっており、この点は等々力渓谷公園とは異なる特徴といえよう。
2)類似例との比較と特筆すべき点
両渓谷の共通点は、市街地にあることと、自然資源と調和した人工物があることの2点といえる。
以下、等々力渓谷公園ならではの特筆すべき点を挙げる。
①横穴墓からみえること
古代人が崖線上に居を構えた理由は、度々見舞われたであろう「暴れ川」多摩川の洪水から身を守りつつ、命に必要な水を確保するため等と考えられている。また、多摩川を交通路として東京湾まで出漁していたともいわれており、自然を恐れつつその力を有効利用していたといえよう[註8]。
横穴墓の玄室部分(遺体安置場所)は、地層の中でもあえて湧水が多く出るとされる渋谷粘土層と武蔵野礫層(れきそう)の間を避け、上方にある軽石層(約6万年前に堆積)を選んで造られた形跡があるという。大切な墓を守るため、墓の水没を防ぐ工夫が施されたものと考えられる[註8]。
以上のことから、自然の脅威を目の当たりにしつつも知恵と工夫をもって共生を図り生活を営んできた古代人と自然との距離感は、たいへん近かったといえるだろう。
②日本庭園からみえること
雑木林の生い茂る武蔵野の風景は、昭和30~40年代にかけて高度経済成長による開発の余波を受け激減したとされるが、自然風庭園「雑木の庭」を作庭するにあたり、飯田は雑木の植栽や植物の研究を図鑑に頼るのみならず、自ら実地研究に勤しみ、造園界が当時未注目だった武蔵野の雑木を主役に抜擢した[註9]。この点に、氏の自然との距離感の近さがうかがえよう。
自然と人との距離離れが加速することへの憂いや、その状況を改善したいという氏の思いが、崖線の自然が織り成す風景に溶け込む当庭園から伝わり来るようである[図8]。
以上のことから、古代と現代の人工物が共存する等々力渓谷公園は、自然と人との距離感の変遷が垣間見える空間といえよう。自然と人との関係が密接であった古代から、時を経るにつれ離れてしまった互いの距離を縮めようと試行錯誤する様子が人工物から見て取れ、私たち現代人を、自然との密接な関係再構築に導かんとしているように感じられる点を、当公園の特質とする。
4.今後の展望
自然と文化の両資源が融合する当公園は、現代人に必要なメッセージを伝えてくれる空間であり、その基盤はあくまで自然である。人類の生活が自然の恵み無しには成立しえないことは、人類が歩んできた歴史からも疑う余地のない事実であり、その意味でも自然環境保全をさらに進めていく必要があるだろう。
現状、当公園は豊かな自然環境に恵まれている一方、シュロなどの外来種がうっそうと生い茂る様子からは定期的な手入れ・間伐の必要性も感じられる。都市を中心に木材を主要なエネルギー源として活用しなくなった現代においては、森林保全の観点から間伐を進めていく必要があるだろう。例えば、間伐したシュロをたわしやほうき等に加工し活用するなど、持続可能な社会の構築や新たな価値創造の取り組みへ発展することも期待できよう[註10]。
5.まとめ
今も昔も変わることなく、人類は自然の恵みにより生かされている。今後も当公園をはじめ自然環境と文化との融合・保全に努め、自然との距離を縮めていく必要がある。
いにしえの人々による自然との共生の歴史に学びつつ、現代においても自然と文化の両資源が織り成す空間の価値を肌で感じ、新たに創造していくことこそ、今を生きる私たちの大切な務めと考える。
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図1.都道環状8号線と渓谷の樹々。
古代から今日まで沈む夕日は変わらない。
(2021年12月1日 筆者撮影) -
図2.昭和初期にあったゴルフ場を名の由来とする「ゴルフ橋」(1961年完成)。
脇の階段を下ると、自然豊かな渓谷の空間が広がる。
(2021年12月1日 筆者撮影) -
図3.等々力の名の由来は、「不動の滝」の轟く音だという。地図上の等々力不動尊・不動
の滝・稚児大師堂といった寺の敷地(私有地)を除く範囲が等々力渓谷公園とされて
いる。
(2021年12月1日 パンフレット入手) - 図4.等々力渓谷の地層断面図。湧水は、主に渋谷粘土層(下から2番目)と武蔵野礫層(下から3番目)の間から出ているという。ローム層下部の東京軽石層は、横穴墓の玄室が構築された層であるという。(2021年12月1日 世田谷区HP(参考文献⑤)の「見どころ等」中のリンク「地形・地質」ページよりデータ入手)
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図5.都指定史跡(1975年2月指定)「等々力渓谷3号横穴」の全容。
渓谷内を流れる谷沢川左岸の傾斜地に造られている。
入口に近づくと照明が灯り、手前に羨道、奥に玄室が見える。
(2021年12月1日 筆者撮影) -
図6.等々力渓谷公園内の日本庭園(飯田十基作庭)と庭園内の書院の様子。
イロハモミジが色づき、マンリョウと思われる赤い実も彩を添える。
(2021年12月1日 筆者撮影) -
図7.陣ケ下渓谷公園の様子。公園の真上を通る横浜市道環状2号線北陣ケ下高架橋は自然環
境との調和が図られている。橋と橋の間から木々が伸びているのが分かる。高架橋は、
土木学会田中賞(2001年)、土木学会デザイン賞最優秀賞(2003年)を受賞。
(2021年12月1日 筆者撮影) -
図8.等々力渓谷公園内の日本庭園から崖線を望む。
庭園と崖線の織り成す風景が見事に一体化している。
(2022年1月16日 筆者撮影)
参考文献
[註1]
・パンフレット『等々力渓谷』、世田谷区みどり33推進担当部 公園緑地課
玉川公園管理事務所、2020年10月(2021年12月1日入手)
(所在地、アクセス、渓谷延長、主な植生、水流および歴史的背景)
・世田谷区HP『玉川野毛町公園の利用実態等』(2022年1月10日閲覧)
https://www.city.setagaya.lg.jp/mokuji/kusei/012/015/001/001/d00161970_d/fil/9.pdf
(来園者数)
・国土地理院HP(2022年1月10日閲覧)
https://web1.gsi.go.jp/
(高低差)
・世田谷区みどり33推進担当部 みどり政策課 ご担当者様(2021年12月28日インタビュー)
(総面積)
・谷沢川の源流は、世田谷区上用賀6丁目・桜3~4丁目の周辺という説が有力であり、
至る所の湧水が合わさったものと考えられている。
(世田谷区玉川総合支所 地域振興課 藤村様(2021年12月27日インタビュー))
[註2]等々力渓谷商店街振興組合HP(2022年1月14日閲覧)
http://www.todoroki.net/midokoro/keikokukouen/index.html
[註3]世田谷区立郷土資料館編『平成23年度特別展図録 等々力渓谷展ー渓谷の形成をめぐ
って』、世田谷区立郷土資料館、2011年、55-57ページ
[註4]
・飯田十基(1890-1977)
雑木を取り入れた数寄屋の庭の作庭に専念。1966年勲5等双光旭日章叙勲、1969年日本造園
学会賞受賞。
・(社)日本庭園協会編『飯田十基庭園作品集©』、創元社、1980年
[註5]世田谷区玉川総合支所 地域振興課 藤村様(2021年12月27日インタビュー)
[註6]横浜市環境創造局 北部公園緑地事務所 ご担当者様(2022年1月12日インタビュー)
[註7]・横浜市HP 橋梁課が管理する橋の種類(2022年1月11日閲覧)
https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukurikankyo/doro/kensetsu/kyoryo/kanrikyo.html
・(公社)土木学会HP 土木学会デザイン賞2003(2022年1月11日閲覧)
https://www.jsce.or.jp/committee/lsd/prize/2003/works/2003b1.html
[註8]
・世田谷区教育委員会 文化財係 ご担当者様(2022年1月6日インタビュー)
・世田谷区立郷土資料館編『平成23年度特別展図録 等々力渓谷展ー渓谷の形成をめぐって』、
世田谷区立郷土資料館、2011年、57-59ページ
[註9](社)日本庭園協会編『飯田十基庭園作品集©』、創元社、1980年、4ページ、
155ー157ページ、220ページ
[註10]奈良県五條市HP「シュロの活用法」(2022年1月17日閲覧)
https://www.city.gojo.lg.jp/material/files/group/41/syuurominibook.pdf
参考文献
1.(公社)土木学会HP http://www.jsce.or.jp/ (2021年12月20日閲覧)
2.(社)日本庭園協会編『飯田十基庭園作品集©』、創元社、1980年 (2022年1月17日閲覧)
3.『崖 国分寺崖線発見マップ』、世田谷区、2019年 (2020年10月5日閲覧)
4.世田谷区立郷土資料館編『平成23年度特別展図録 等々力渓谷展ー渓谷の形成をめぐって』、 世田谷区立郷土資料館、2011年 (2021年11月15日閲覧)
5.世田谷区HP 等々力渓谷公園 (2021年12月3日閲覧)
6.世田谷区HP 東京都指定史跡 等々力渓谷3号横穴 (2021年12月3日閲覧)
7.『せたがや風景MAP』、世田谷区都市整備政策部 都市デザイン課、2020年 (2020年10月5日閲覧)
8.世田谷区みどりとみず政策担当部 みどり政策課編『生きものつながる世田谷プラン~生きもの元気!ひとも元気!生物多様性地域戦略~平成29年度~平成44年度』、世田谷区みどりとみず政策担当部 みどり政策課、2017年 (2021年10月11日閲覧)
9.横浜市HP 橋梁課が管理する橋の種類 (2022年1月11日閲覧)
10.横浜市保土ヶ谷区HP 陣ケ下渓谷公園 (2021年12月1日閲覧)
11.横浜市保土ヶ谷区HP ほどがや語りべ集 (2021年12月13日閲覧)