~まほろばの里~ 大和町宮床の文化資産(史跡・記念館・ダム)

原 教得

はじめに
宮城県大和町宮床には、宮床伊達家に関わる史跡とアララギ派の歌人原阿佐緒の記念館それに近年建設のダムがある。本稿では、これらの文化資産についてまちづくりの観点から考察のこととする。

大和町宮床の変遷
大和町は、宮城県の中部に在り、仙台市北部に隣接し、人口は、二万八千人を超えている。その中で、宮床は、大和町の中南部に在り、仙台市泉区に接している。大和町の歴史を見ると、この辺りは、6世紀頃の鳥屋八幡古墳(県指定史跡)の存在からみて、古墳時代後期には豪族の在住が推測されている。14世紀半ばには大崎直持が治め、その一族の黒川氏直の所領となっていたが、1590年(天正18)に伊達に敗れ、伊達家の支配下に入った。
宮床は、1666年(寛文6)に伊達政宗の孫、宗房が居館を構えて以来、子孫は、一時期以外は幕末まで宮床の領主だった。1889年(明治22)に町村制が施行され宮床村となり、1955年(昭和30)の大合併で吉岡町・宮床村・吉田村・鶴巣村・落合村が一つとなり大和町となった。

宮床の文化資産
大和町宮床の主な文化資産は、伊達家ゆかりの史跡、原阿佐緒記念館、そしてダムである。
(1)田手岡館跡
宮床伊達家の館跡である。建物はなく、横堀、堀切、土塁、石積みなどが残っており、
宮床伊達家から仙台藩五代藩主となった伊達吉村のえな塚の碑がある。館跡の小高い丘に
は鎮守樫岡神社がある。
(2)旧宮床伊達家住宅
宮床伊達家の家臣村井氏の住宅であったが、明治維新後、10代藩主宗広公が移り住み、以
来伊達家の居宅となった。平成5年12月、町が伊達家から寄付を受け、現在地に平成10年3
月に復元した。(木造、平屋建、寄棟造、茅葺)
(3)覚照寺と伊達御廟
1666年(寛文6)に伊達政宗の孫、伊達宗房が生母のために慶雲寺を建立した。後に、仙
台藩5代藩主となった長男の吉村が覚照寺と改称した。境内には、宗房を始めとして、宮床
伊達家累代の御廟がある。
(4)宮床宝蔵
宮床は、伊達宗房が居館を構えて以来、小城下町として時を刻んだ。この間、宗房公の長
男、吉村公が仙台藩の5代藩主になり、藩の財政再建に尽力し「中興の名君」と謳われた時
期があった。このような経緯から、宮床には、伊達家ゆかりの品々が数多く残った。宝蔵
は、これら伝世品の保存と展示を中心に宮床の歴史と生活文化を後世に伝えるために開館
された。
(5)中野地蔵
宮床六地蔵のひとつで、御堂は東南向き、本尊は石仏座像で、身の丈は約178cmである。
1722年(享保7)に伊達吉村の母、松子が建てたもので「子育ての神」として有名である。
(6)原阿佐緒記念館
アララギ派の歌人であった原阿佐緒の記念館である。仙台の歌人扇畑利枝の並々ならぬ尽
力と在住の同じ思いの人々の取組みにより、1990年(平成2)に阿佐緒の歌人としての業
績を讃えるため、擬洋風建築である生家を整備して開館された。
(7)南川ダムと宮床ダム
宮床の北方に隣接の吉田の地に南川ダムがある。1988年(昭和63)の完成であるが、ダム
湖の一部が宮床に及んでおり、ダム湖畔の宮橋公園には原阿佐緒の歌碑が立てられてい
る。一方、宮床南部には、宮床ダムが建設され、1997年(平成9)の完成で、湖畔には、
あさひな湖畔公園がある。

文化資産をめぐる取組みの評価
宮床は、長い間、宮床伊達家の所領であったため、この地には伊達文化が根付いている。それが宮床の文化を形成しているといえる。この文化を後世に伝えるため、伊達家から寄付受けした旧宮床伊達家住宅を復元するとか、伊達家ゆかりの品々を保存展示するための宝蔵を開館するなどの取組みに、地域の文化遺産を大切にする人びとの想いが見える。
原阿佐緒記念館は、開館の経緯をみると、阿佐緒という歌人が、歌壇アララギ派からは破門され、失意の下で宮床に帰り、窮乏の淵に落ちるのであるが、前記のとおり開館の運びとなる。ここにも文化伝承に対する人々の想いの結集がみられる
ダムは、治水と都市用水、灌漑用水確保のため建設されたが、宮床の七つ森に代表される自然の美に造作の景観美が加わった。両ダムには湖畔公園があり、現代の新しい文化である。
なお、大和町には、まほろばまちづくり協議会(平成11年12月設立、同30年3月解散)があり、特に「まほろば探偵団」と称し、一般の参加者を募り、町内各地区の史跡探索を行い、この結果を『まほろば百選』という冊子にまとめ町内外に頒布した。これは、協議会の目的である地域の史跡、人物、自然を再評価、再認識の上、まちづくりに活かすという住民も参加の取組みであり、評価に値する。

宮城県涌谷町との比較
涌谷町は、宮城県北部にあり人口は一万五千人ほどである。町のほぼ中央の箟岳山(尊崇の山)の周囲は、川沿いの平野である。歴史的には、749年(天平21)日本で初めて金が採れた。1591年(天正19)亘理元宗が涌谷城主となり、以後幕末まで亘理氏(涌谷伊達家)が統治した。史跡を例示すれば、涌谷伊達家の居館跡があり、本丸跡の石垣、石段、太鼓堂などが遺構として残り、現在は公園として整備されている。それから、黄金山産金遺跡があり、これは、日本の金の始出地であり、奈良東大寺の大仏建立の際、金を献上という史実がある。また、佐々木家住宅がある。佐々木家は、涌谷伊達家で騎馬御免の家柄の上級家中である。
これらの史跡等の歴史遺産に対する涌谷町の取組みを、「第五次涌谷町総合計画(平成28年度~37年度)」に見てみる。この計画策定のために住民へのアンケート調査を実施し、その結果を反映させている。計画の大意は、町の人口減という社会現象の中で町内外に亘る、交流人口の増加を図り、加えて、移住、定住化(対策として住宅取得支援などがある)の促進を図ることが重要な目標になるとしている。その基本的な考え方の中で、まずは、涌谷町を住みやすく魅力的にするまちづくりを行い、その上に立って、金の始出地を町民のアイデンティティとしながら、取組みの成果を発信するとしている。その中で、歴史遺産については、涌谷にある歴史・文化遺産の徹底調査と伝承の推進、そして展示や実演などの発表の場の設営や対外PRの徹底などを謳っている。
一方、大和町の取組みを、同じような「大和町第四次総合計画(平成21年度~35年度)に見ると、住民へのアンケートの結果も踏まえながら、基本的にはこの町の美しい自然を守り、未来の子供たちに引き継ぐというものである。みんなで街並み・景観の保全整備に取り組むとともに特色ある景観や建造物等の掘り起こしに努め、内外に向け情報発信するための展示会等を開催するとある。観光についても多くの人が来訪する魅力あるものをめざして、七つ森やダム周辺の公園緑地、歴史等の文化施設を活かした空間づくりに努め、推進するとしている。また、地域の貴重な文化遺産(原阿佐緒記念館、宝蔵、旧伊達家住宅など)は、調査研究し、保存・伝承・展示などで運用展開を図るとしている。
このように両町のまちづくりの取組みには、ニュアンスの違いがみられるが、これは町の立地の違いによるものと考えられる。

これからの展望
宮床の文化資産は、七つ森に代表される美しい景観の中で育まれた宮床伊達家の史跡とアララギ派の歌人原阿佐緒の記念館、そして二つのダムと湖畔の公園である。これらは、宮床のまちづくりを語るには欠かせないもので、それぞれを個々に考えるのではなく、一体的な視点でとらえ、宮床の文化として、保全、伝承、活用していくことが期待される。大和町の次の総合計画においても、宮床の美しいまちづくりのために、文化資産が掘り起こされ整備され、そして伝承と内外への情報発信という取組みを持続的な課題にすることが望まれる。
まほろばの里、大和町の中で、宮床の美しい自然と歴史遺産、それに古の和歌に連なる文化遺産が整備され活用され、未来に伝承することが,これまでの経緯から見ても、他地域のものも含め、この町の課題になると思料される。

まとめ
歌人原阿佐緒が、晩年に東京から宮床へ帰りたいといい続けたとの話があるが、まさに古里の景色は心の古里であり、まちづくりの原点である。機械文明の進展で人心荒廃の面もあるなか、今こそ地方の美点に想いを馳せ、そこを基底に魅力あるまちづくりをし、後世への伝達と地方への人々の還流が促進されるのを期待したいものである。
あのイタリアの美しいまちも自然との調和と伝来の物を大切にする人々の心が形成したのである。

  • 1 大和町の「まちづくり協議会」が町民参加の「まほろば探偵団」による史跡探索を行い、その結果をまとめた冊子である。宮床の史跡も収録されている。(2022年1月5日筆者撮影)
  • 2 宮床の主な文化資産(伊達家ゆかりの史跡、原阿佐緒記念館、ダム)の分布図である。
    (2022年1月4日筆者作成)
  • 3 旧宮床伊達家住宅である。明治維新後、宮床伊達家が家臣の元住宅に移り住み、以降、伊達家の居宅となった建物である。(2021年10月8日筆者撮影)
  • 4 覚照寺である。この寺は、伊達政宗の孫、伊達宗房が生母のために慶雲寺として建立したが、後に、仙台藩5代藩主となった吉村が覚照寺と改称した。(2021年10月8日筆者撮影)
  • 5 宮床宝蔵である。宮床は、宮床伊達家の居館があったため伊達文化が息づいている。そこで宝蔵は、伊達文化の伝世品の保存と展示とともに、宮床の歴史と生活文化を未来に伝えるため開館された。
    (2021年10月14日筆者撮影)
  • 6 原阿佐緒記念館である。この記念館は、明治時代の擬洋風建築であるアララギ派の歌人原阿佐緒の生家を修復、一部改築して開館された。ここには、阿佐緒の歌集や日記、歌稿、歌人たちとの手紙や書簡、それに直筆の絵などの多数の資料が展示されている。
    (2021年10月8日筆者撮影)
  • 7 南川ダムである。このダムは、昭和63年3月の完成であるが、湖面の後方に七つ森の山々の一部の山が写っている。ダム湖畔の宮橋公園には、原阿佐緒の歌碑が立っている。
    (2021年10月14日筆者撮影)
  • 8 涌谷町の黄金山産金遺跡である。日本の金の始出地であり、奈良東大寺の大仏建立の際、金が献上された。史跡内には、延喜式内黄金山神社を始めとして、天平の仏堂跡や大伴家持の万葉歌碑がある。また今日も砂金が採れる黄金沢がある。(2022年1月8日下記の涌谷町WSから転載)
    黄金山神社www.town.wakuya.miyagi.jp/sangyo/kanko/koganeyama.html(2022年1月8日閲覧)

参考文献

原阿佐緒記念館発行『原阿佐緒生誕百年記念』、㈱笹氣出版印刷、1996年
斎藤潤編『宮城‘97~‘98るるぶ』、JTB、1997年
まほろば協議会企画編集『まほろば百選~未来への伝言~第1巻』、㈱創童舎、2013年
太宰幸子著『みやぎ地名の旅』、河北新報出版センター、2014年
井口勝文・井口純子著『メルカテッロの暮らし』、藝術学舎、2017年
菅野正道著『伊達の国の物語』、㈱プレスアート、2021年
原阿佐緒記念館  https://www.haraasao.jp/(2021年10月4日閲覧)
大和町 https://ja.wikipedia.org/wiki/(2021年10月6日閲覧)
大和町公式HP https://www.town.taiwa.miyagi.jp/(2021年12月5日閲覧)
宮城県公式HP(南川ダム、宮床ダム) https://www.pref.miyagi.jp/(2021年12月5日閲覧)
田手岡館跡  https://chiezoshiro.ojayu.jp/tohoku/miyagi/tateoka.html(2021年12月7日閲覧) 
涌谷町公式HP https://www.town.wakuya.miyagi.jp(2021年12月11日閲覧)
涌谷町 https://ja.wikipedia.org/wiki/(2021年12月12日閲覧)
伊達氏ー系譜 https://www.webio.jp/wkpja/content/(2022年1月8日閲覧)

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