はたらくお母さんの工房 気仙沼ベビーモスリンプロジェクト

脇田麻美

はたらくお母さんの工房 気仙沼ベビーモスリンプロジェクト

【基本データ】
宮城県気仙沼市の特定非営利活動法人ピースジャムは、2011年11月から現在まで「子連れ出勤」を採用した雇用支援活動を行っている。2014年に竣工された新工房内では子供を連れて就業する乳幼児の母親たちがジャムづくりとベビーモスリンョによる赤ちゃんおくるみ縫製事業を行っている。気仙沼は2016年現在、震災復興の途上にあり、ピースジャムもその支援団体の一つであるが、その取り組みの中で震災以前にもあった地域の問題に対して、同時進行的に解決の方法を提示し続けている。その中でも、特に物資支援から始まった「ベビーモスリンプロジェクト」の温かでグローバルな取り組み、及びピースジャム独自の母性を尊重した雇用支援事業に言及したい。

【ベビーモスリンとは何か】
ベビーモスリンは、薄手で平織、立体格子が特徴の織物で、綿100%の布(綿モスリン)である。(画像1)織りはゆるく、軽く、肌触りが柔らかい。同じ綿100%の平織りガーゼにも似ているがこちらはドイツ語起源で医学とともに日本に伝わった言葉と素材である。モスリンの語源はメソポタミアの首都モスルで織られていた綿織物がフランスに渡りmousselinと呼ばれるようになったのが始まりであったという。
テキスタイルは時代によって変遷を遂げ、必ずしも同列では語れないが、いわゆる「赤ちゃんのおくるみ」に使われる薄手の綿平織物の起源はインド、現在のバングラデシュのダッカ・モスリン(綿モスリン)にある。インド植民地時代に職工たちが苛烈に弾圧され、現在その伝統は途絶えているが、15世紀の大航海時代インドからヨーロッパにもたらされたインドの綿(綿モスリンの他、キャラコ)は軽く吸収性に富み、洗濯が簡単であったという点で画期的な素材であった。
綿モスリンは、はじめはペチコートなどに使用され、その後白いモスリン製のシュミーズドレスやエンパイアスタイルのドレスなど、ファッションとして流行し、その後も女性や子供の服飾生地として綿モスリンは長く愛され、産業革命後は綿工業が発達した英国において機械織生地として生産されるようになった。
綿モスリンは日本においては近年、エイデン&アネイ等、英国王室でも愛用されるブランドおくるみの生地として認知されるようになった。(画像2)エイデン&アネイはオーストラリア人CEOがアメリカに創業した企業で、オーストラリアに伝統的に伝わるおくるみ文化をアメリカに伝えたことで知られているが、産業革命時、イギリスが世界各地に綿織物を大量輸出していた点、オーストラリア人の98%が1788年以降の移民とその子孫であること、そしてその多くはイギリス諸島の住民(イングランド人、アイルランド人、スコットランド人)である点から本来はイギリス起源の伝統文化と考えるのが自然である。

【ベビーモスリンプロジェクトと何か】
日本に直接英国伝統のモスリン生地が伝わったのは、気仙沼など東北被災地各地においてであった。東日本大震災後ロンドン在住の日本人グループの取り組み「ベビーモスリンプロジェクト」を通じ、イギリス伝統の「万能子育て布(モスリンスクエア)」が被災地に2011年3月末から1年間で通算6000枚が送り届けられた。震災後被災地では清潔な布が不足する環境にあり、速乾性、吸水性に優れた素材は支援の一助となった。
2012年夏から、被災地の雇用支援を目指す気仙沼ピースジャムとロンドンの「ベビーモスリンプロジェクト」のコラボレーションにより日本製初の立体格子織綿モスリン「ベビーモスリンョ」(知多半島の織物工場が製造担当)が誕生する。東北支援のロゴデザインは、ロンドン日本人グループの企画により、ロンドンのデザイン会社「Blass Design」が無償で協力。日本の国旗の色とイギリスのユニオンジャック柄を組み合わせたものとなっている。(画像3)生地の裁断、縫製、梱包はピースジャムが雇用する被災地の乳幼児の母親達が担当した。製品は2013年より日英で販売がスタートした。震災復興は物資支援から雇用支援へとフェーズを変えた。

【ベビーモスリンをめぐる労働環境について】
乳幼児の母親が働くスタイルで最も一般的なのは、保育園に子供を預け、一社会人として気持を切り替え就業する在り方である。ピースジャムの工房においては「お母さんの気持のまま就業する」ことが認められている。工房内では、母親を子供から切り離さず、作業場と子供たちの遊び場を空間的にゆるやかに繋いでいる。
工房の中央やや窓寄りに間仕切り収納カウンターが設置されている。(画像4)
収納台の用途は母親側ではミシンを置く作業台となっており、子供たちのプレイスペース側ではおもちゃや本の収納棚となっている。子供たち側から母親の作業場を見上げると、ミシンをかける母親の様子をうかがうことができる。またプレイスペース側に何かあれば、母親からすぐに目を配ることもできる。工房外には遊具が設置された広場があり、お天気の良い日に子供たちはのびのびと遊ぶこともできる。(画像5)また地域交流の場としてツリーハウスが隣接している。(画像6)
企業内保育所ではないため、保育士はいない。朝10名弱のスタッフが出勤すると縫製・検品等作業の分担の他、子供の世話の担当者が割り振られる。ここでの働き手は「みんなのお母さん」となり、自然な母子間のコミュニケーションが促進される。またハイハイ期など、特に危険な月齢の子供の場合には背中に背負いながら縫製作業もする場合もある。

【今後の展望】
復興支援から気仙沼工房に至るベビーモスリン誕生の経緯に歴史的要素があり、工房製品は今後気仙沼の新たな伝統となり得る。あかちゃんおくるみとしての製品の縫製技術は高く、今後の工房製品の展開も期待される。工房の就業スタイルは子供たちの地域愛を育み、コミュニケーション能力、新たな労働観の醸成に影響を与え、他者の多様性を受け入れる土壌となっていくだろう。

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参考文献

ベビーモスリン公式HP
http://www.babymuslin.org/
エイデン&アネイブランド紹介
https://www.youtube.com/watch?v=aBtFLd-scsk
モーハウス代表光畑由佳『働くママが日本を救う!-「子連れ出勤」という就業スタイルー』マイコミ新書
成田典子『Texitile Dictionary』テキスタイル・ツリー
日本繊維技術士センター『繊維の種類と加工が一番わかる』技術評論社
バーバラ・D・メトカーフ、トーマス・R・メトカーフ『インドの歴史』創土社
堀口松城『バングラデシュの歴史 2千年の歩みと明日への模索』明石書店
山本真鳥編『オセアニア史』山川出版社
S.D.チャップマン『産業革命のなかの綿工業』晃洋書房