雄勝玄昌石ー伝統工芸品と震災との関連性について

髙橋 真理子

1.基本データと歴史的背景
今回、このレポートでは宮城県石巻市雄勝町という小さい集落ながらも国産硯の90%のシェアを誇り日本一であった雄勝硯の原材料である雄勝玄昌石の特性について取り上げる。雄勝玄昌石は宮城県石巻市雄勝町で産出される2億5千万年前にできた黒色硬質粘板岩(玄昌石)である。光沢、粒子の均質さに優れ、圧縮、曲げに強く吸水率が低く、化学作用や長年の年月にも変質しないという特徴を持っている。
約600年前の室町期に採掘され始め歴史的には大変古いものである。そして、雄勝玄昌石を利用した雄勝硯はその江戸時代の初めには、牡鹿半島の遠島へシカ狩りに来た伊達政宗に、硯が二面献上された。また伊達家の二代目忠宗もその巧みな技に感服して、硯師を伊達藩に召し抱え、硯の原料が採れる山を「お止め山(お留山)」として、一般の者が石を採ることを許さなかったと言われており雄勝玄昌石は歴史的にも価値のあるものであった。さらに江戸後期の「封内風土記」の記録によれば当時すでに雅物として硯が産出され、特産品となっていたことが明らかである。そして近年では、東日本大震災前ではあるが年間150万枚ほど産出されていた。

2.事例の何について積極的に評価しようとしているのか
雄勝玄昌石にしかない特徴を生かし、様々な形で利用されているという多様性が評価できるのではないかと考える。
まず、雄勝玄昌石は、日本の近代建築に大きく貢献している。雄勝玄昌石は吸水率が低いかつ見た目がとても美しいというのは基本データのところで取り上げたがこれの特性を利用した屋根材スレートが明治時代に日本で始めて生産された。この雄勝産のスレートは、明治、大正の代表的な西洋館に使われた。今現在でも、東京駅や旧北海道庁の屋根にはこのスレートが利用されており今もなお優雅な姿を残し、見る人の心をとらえて離さない(写真1)。これは、雄勝玄昌石だからこそなしえたことである。内外壁・門柱・玄関床やアプローチにも使われている。
次に、私たちの日常生活においても工芸品という形としてのブランド化に成功し人々から人気を得ているという点である。まず、雄勝玄昌石を利用した硯は伊達家に評価されたという点から歴史的な価値が大変高い。そして硯にとって最も重要な部分は、墨をする際に歯の役割を果たす鋒鋩と呼ばれるものであるが、雄勝硯の特徴は、この鋒鋩の荒さ、細さ、堅さ、柔らかさが丁度良いバランスになっており立ち具合と耐久性に優れ、墨を良い状態に擦ることができることである。これは、雄勝玄昌石だからこそできることである。また、この雄勝玄昌石の特徴を生かしマウスパッドや食器といった日常生活でも使いやすいように加工され人々の生活を豊かにするという貢献ができているという点である(写真2)。このような、工芸品というものはなかなか日常では使われる事例は少なく手が届きにくいという印象もあるがこのような雄勝玄昌石の特性を生かし様々な形で加工されライフスタイルに合わせた生産をすることができているというところが評価できると考える。また、一方で高級感があるものであるので日本料亭などで使われるといった多様性をも兼ね備えている。
そして、雄勝玄昌石の採掘というものが宮城県石巻市雄勝町の発展へと寄与しているということである。雄勝玄昌石は様々な加工品として利用されているがそれに従事している人は地元の人が多い。加工品として完成するまでには、様々な工程を経る必要がある。具体的には、露天堀により、重機等を使い原石を採掘して良質の原石を製品の大きさ、形を考えて切断し、「砂すり」と呼ばれる回転すり盤機で川砂と水にて表面を滑らかにして成形し製品を砥石、耐水ペーパーにて必要な面を磨き製品を用途に合わせた塗料等で仕上げ加工して最後に製品検査という工程がある。この様々な工程によって雇用が生まれ、特産品となり宮城県石巻市雄勝町の発展に寄与していることから物としての価値以上のものが存在すると考える。

3.国内外のほかの同様の事例に比べ何が特質されるのか
雄勝玄昌石以外にも日本では多くの石が採掘され工芸品となっている事例は存在する。例えば、山口県宇部市の赤間石や、三重県熊野市の那智黒石、山梨県雨畑の玄昌石などがあげられる。その中でも赤間石は材質が硬く、緻密で、石眼や美しい文様があり、しかも粘りがあるため細工がしやすいという特徴がある。特に、赤間石を利用した硯は鎌倉時代の初めに、鶴岡八幡宮に奉納されたという記録があり、江戸時代中期には各地で売り広められた。そして、毛利氏が藩を治めていた時代には、原料となる石が採れる山は御止山として一般には入山を禁じられ、参勤交代の際に贈呈品として硯が必要になると、藩主の命令で採掘がされたという事情があり、長州藩の名産として簡単に手に入れることのできないものであった。また、硯の伝統工芸品認定は、山口県の赤間硯と雄勝硯のみであり似ている点というものが多い。しかし、赤間石は硯以外には加工品として生産されている事例が少ない。確かに、硯は優れているのかもしれないが現在書道をする人は減少傾向にあり仮に書道をする人でも高い硯を買う人は少ないのではないだろうか。また、赤間石は赤褐色の輝緑凝灰岩である。その独特の色は美しいものであるが、その加工品を日常生活で使うとなるとなかなか難しいものである。一方、雄勝玄昌石の色は純黒であるということで日常生活の中でも取り入れやすく屋根のスレートや皿といった硯だけではない様々な形で利用されている事例は多く特質されるものであると考える。

4.今後の展望について
雄勝玄昌石が採掘される宮城県石巻市雄勝町は2011年の東日本大震災によって甚大な被害を受けた。雄勝町は人的にも物的にも壊滅的な被害を受け、生活と生活の基盤となる伝統を守ることすら困難な状況に置かれている。また、伝統工芸品は良質で安価な大量生産方式の採用や、高齢化、安価な輸入品の台頭といった原因で全体的に衰退の傾向にあるという事実がある。確かに様々な形で加工品とはなっているが全盛期に比べ全体的な売り上げが低下してしまっているのも事実である。このような現状を打破するためには雄勝町の復興をして国内のみならず国外へアピールしそれとともに雄勝玄昌石の良さというものを伝承する必要がある。「人々の希望と復興への弾み、震災の記憶」となるよう、国内外の多くの人びとが集まる東京駅に、雄勝地区の小中学生による“雄勝石絵「輝く」”を設置する計画され実現した「雄勝石復興プロジェクト」というものが行われメディアにも取り上げられ注目されたが今現在は活動を休止してしまっている。しかし、雄勝硯生産販売協同組合は石巻市、雄勝硯をはじめとする雄勝石産業の活性化を図るための雄勝硯生産販売協同組合と連携したプロジェクトでその美しさと伝統的な技術と高い人気を誇る産業の復興を目指し、日本国内のみならず、海外でも展示会を行うなど様々な活動を行っている。ただ、展示会を行うだけでは宣伝効果しか見込めない。海外では、日本の文化、「和」というものが人気の傾向があるということでそのようなところに対しアプローチをするために海外の人に向けた商品開発というものがさらにしていくことが大切であると考える。新たな市場を開拓することによって異業種の業者や研究者との連携を図る必要が出てくる。そこで更なる雇用に発展し雄勝町全体の復興へと寄与できるのではないかと考える。雄勝玄昌石は「日本の伝統文化」、石巻の人びとの誇り、いや日本人としての誇りである。 現代は、値段の安い代替え品が簡単に手に入る時代であるが本物の良さを伝えていくことが、大切であると考える。このことが震災復興につながると考える。また、伝統技術を守り後世へと伝承することの重要性をアピールする必要があると考える。これは様々なイベントを開催するなどの策があるのではないかと考える。

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参考文献

・西堀 耕太郎 :『伝統の技を世界で売る方法: ローカル企業のグローバル・ニッチ戦略』、学芸出版社、2018年
・喜多俊之:『地場産業+デザイン』、学芸出版社、2009年
・笹氣出版編:『雄勝硯 −遠藤盛行・弘行 父子の念い− 』、笹氣出版、2013年
・「雄勝玄昌石製品」、(和伝)(https://wa-den.co.jp/products/、最終確認日2019年7月29日)
・「雄勝の玄昌石」、(宮城県・雄勝町商工会)(http://www.ogatsu.miyagi-fsci.or.jp/gensho/ishi.html、最終確認日2019年7月29日)
・「雄勝硯とは」、(雄勝硯生産販売協同組合)(http://ogatsu-suzuri.jp/suzuri/、最終確認日2019年7月29日)

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