平成の市町村合併後10年 すべては「あば村宣言」から始まった~岡山県津山市阿波~

林 清尚

1.はじめに
農山村における地域おこしのための事業は、国の各省庁が所管しており認可が必要である。事業を始めるにあたって、先ず事業内容の説明が国から都道府県、市町村、地域推進協議会、自治会へと行われる。最終的に自治会の会長が利害関係者を招集し、事業内容を説明し事業参加の賛否を問う。参加する場合には同意書を徴取して国へ申請し、認可を得て事業着手となる。事業開始後、事業からの脱落者が出て、途中で事業を廃止するケースは全国的に珍しくはない。しかしあば村においては、着手した事業は大抵完遂している。他の市町村では途中で頓挫するなか、何故あば村では上手くいっているのか、その理由を解明するために本事例を取り上げた。
2.基本データ
・所在地:岡山県津山市阿波(旧苫田郡阿波村)
・面 積:42.07㎢
・世帯数:215戸
・人 口:480人
・主産業:農林業
3.歴史的背景
岡山県津山市阿波は、平成17(2005)年岡山県内第三の都市である津山市に合併された。国・県の行政指導もあり「寄らば大樹の陰」を期待して合併はしたものの、むらの状況は悪化の傾向をたどる。即ち、平成25(2013)年幼稚園は休園、平成26(2014)年小学校は閉校となる。また合併時663人であった人口は、平成27(2015)年には494人になった。続いて地区内唯一の農協経営のガソリンスタンドが撤退するとの報が入り、これがきっかけとなって、本来のむらの自治機能を取り返すべく、〈さいしょの第一歩〉がガソリンスタンドを自らの手でつくることであった。そこで、住民が出資して合同会社をつくり、ガソリンスタンドを復活させた。続いて平成27(2015)年には「あば村宣言」【写真1】を公表した。この宣言は、合併前の阿波村にたち帰ろうとする、いわば自立宣言でもあった。この宣言をもとに国土交通省のガイドブック(註1)を参考にして補助事業要綱を尊重しつつも地域の自主性を失うことなく、これを柔軟に活用し自立への活動を開始した。事業は旧村時代からの組織・団体が事業主体となり「ガソリンスタンド」【写真2】、「あば商店」【写真3】、「阿波村庁舎」【写真4】、「あば交流館(御宿)」【写真5】、「レストラン(食事処)」【写真6】などを完成させている。
4.評価する点
地区内事業の実施・推進に長年に亘って関与してきた、地元生まれ地元育ちの高矢満雄氏(註2)に 2021年12月4日聴き取り調査を行った。その内容は以下の通りである。

同氏は語る。「事業の実施については、村役場の担当者(市の担当者)から自治会の
役員へ説明がなされます。その後会長が地区関係者に声をかけ説明会を開きます。は
じめの時点では通常2~3人の反対や異論を述べる者もいますが、話し合いが終わる
頃には会長の話を全員が肯定的に聞き、事業が発足してからは誰も異論を言う者はい
ません。会長がそういうのだから、そうしようというように皆が自然に一致します。
途中から事業を抜ける者も全くいません。これがあば村では普通なのです。」

そこで筆者は、自治会の中にカリスマ的リーダーがいるのではないか、その人たちに忖度しているのではないかと重ねて訊ねた。

これに対し、同氏は以下のように返答する。「このあば村には特別なリーダー
はいません。会長は2年に1度改選されます。私は今年で78歳になりますが、これま
で会長が言う話は皆承諾してきました。それが普通だと思っています。あえて反対
するなど、今まで考えたことも、聞いたこともありません。それが〈私たちのむら〉
の村民性、地域性ではないですか。」

以上が高矢満雄氏からの返答であった。 筆者は「村民性、地域性」の文言を耳にして、すぐ頭に閃いたのが「ハビトゥス」であった。「ハビトゥス」はフランスの社会学者ピエール・ブルデューが提唱した概念で、その要旨は以下の通りである。(註3)(註4)
人が〈コト〉を起こすときには、通常先ず目的を設定し実行手段を考えるが、〈目的や手段〉は自然発生するものではなく、過去の経験の積み重ねにより身体に刷り込まれて生まれるものである。つまり、慣習的に行われる日常生活での「認知、評価、行為」であり、これをプラクティスと呼ぶ。このプラクティスは「立ち振る舞い、会話、食事、他者間との関係性の判断」など、生活・生存のあらゆる領域における慣習的な行為を包摂する概念である。彼はこのプラクティスの方向付けをする性向のシステムを「ハビトゥス」と定義した。このハビトゥスの中では個々人の考えは、自由意志によって決定されるものではなく、長年に亘る慣習によって〈規定〉されるものである。
以上がハビトゥスの概念の要旨であるが、前述の聴き取りにおいて高矢満雄氏の口から最後に語られた「村民性、地域性」は、この概念と同質のものであると〈直観〉した。これはまた同時に、幕藩体制時に発生した集落の中の農林業における「生産と生活」の「場」での「自助、共助、相互扶助」と相まってつくられたプラクティスと考えられる。それ故にあば村にあっては、全て〈コト〉が上手く運んでいく現在のあば村の〈村民性〉となっているものと思慮される。この点を高く評価したい。
5.比較事例
比較地区として、阿波地区の西側に隣接する加茂地区を取り上げた。
加茂地区と阿波地区は、713(和銅6)年に備前国から分割されて成立した美作国の中の一つの郡郷の中にあった。国司制から荘園制、戦国時代、幕藩制時代の経過の中で、時の為政者による郡郷の離合集散を繰り返してきたが、1735(享保20)年松平家・津山藩の三代目藩主長熈の時、阿波地区は加茂地区と分離され幕府直轄地となったが、加茂地区はそのまま津山藩に残ることになった。従来から両地区とも農林業を主体とし、いわば同一の地区のような間柄であった。ところが加茂地区では明治時代後期になって商工業が発達し、地区内の31集落の内、小中原、塔中、中原、桑原の「4集落」は密集集落を形成した。(註5)その原因は北に鳥取県、東に兵庫県へと通じる交通の便があったからである。一方、阿波地区は他地区へ通り抜ける道路がなく袋小路であったため、従来からの農林業の形態は変化することはなかった。この地形と交通環境の相違によって以降の両地区の発展方向に相違が生じた。加茂地区の4集落における家内商店、手工業では、かつての農林業における「生産と生活」の「場」のなかの「自助、共助、相互扶助」により培われ、継承されてきたプラクティスは、現在もなお商工業の中に引き継がれ機能している点は高く評価されるものである。また、「4密集集落」以外の「27集落」については、現在も農林業を営んでおり、あば地区と同様のハビトゥスにおける人間関係の信頼性が保持されていることも評価に値するところである。(註6)
6.今後の展望
あば村の農林業は「生産と生活」の「場」として現在もなお健在である。合併前の旧村時代に地区内の約95%の水田が圃場整備され、農地の集約化によって利用集積が容易になったことは大きなメリットであった。つまり、利用集積によって高齢化する農家の水田は、耕作放棄地にされることもなく、「生産と生活」の「場」が継続される中で新たなハビトゥスが構築され、〈他者へ移調する心的な性向〉が保持されており、今後とも信頼のネットワークが持続されていく将来が展望されるところである。
7.おわりに
人類がこの地上に生存するようになって以来、「生活と生存」を基としたハビトゥスの原初時代には、人は全て精神的にフラットな関係で平等であり、格差のない集団を成していた。しかし、近代化文明が進展し、余剰物資が生産されるに従い経済制度も変化していき、人々のあいだに争いごとが生じるようになって来た。現在もなお世界の各国、各地域で戦争や紛争が続いてきている状況である。今こそ人類は原初のハビトゥスに立ち返り、全人類が安心で安全に暮らしていくことのできる世界を築くべきではないだろうか。昨今コロナ禍の逆風により特に飲食店・居酒屋が最大の試練に晒されている。このような状況の中にあって長年の常連客と店舗との間に生まれたハビトゥスの中で「自助、共助、相互扶助」により、店舗の経営が存続しているという事例が最近の新聞で紹介されている。(註7)こうした身近な例や、本レポートの「あば村」の事例等を広く世に知ってもらい、世界平和への道につなげていくことを目指していきたい。

  • 1 【写真1】あば村運営協議会ホームページより
    岡山県阿波(あば)村は平成の大合併の流れの中、
    平成17年に津山市と合併し115年続いた『村』はなくなりました。

    それから10年。

    合併当時700人だった人口は570人にまで減り、
    140年の歴史のある小学校は閉校、幼稚園は休園、
    唯一のガソリンスタンドも撤退、行政支所も規模縮小…。
    まさに『逆境のデパート』状態となってしまいました。

    しかし、このような逆境の中でも未来を切り拓く挑戦が始まっています。
    地域住民が設立したNPOは、住民同士の暮らしの支えあいや
    環境に配慮した自然農法のお米や野菜づくりに挑戦しています。
    閉鎖されたガソリンスタンドは住民出資による合同会社を立ち上げ復活させます。
    エネルギーの地産地消を目指し、地元間伐材を燃料にした
    温泉薪ボイラーの本格稼動も始まりました。
    こうした取り組みの中で地域住民に留まらず、地域外からも協力者や移住してくる
    若者も増え始め、私たちは自らの手で新しい村をつくることを決意したのです。

    この度、私たちはここに「あば村」を宣言いたします。

    自治体としての村はなくなったけれど、新しい自治のかたちとして、
    心のふるさととして「あば村」はあり続けます。

    周りは山だらけ、入り口は一つしかない「あば村」は不便で何もない場所かもしれません。
    しかし、「あば村」には人間らしく生きるための大切なものがたくさんあります。
    このあば村の自然と活きづく暮らしを多くの方々と共有し、守り続けていくこと、
    そして子どもたち孫たちにこの村での暮らしや風景を受け継いでいくことを決意し、宣言いたします。

    合併から10年、あらたな村の始まりです。

    2015年2月   あば村運営協議会 会長 小椋 懋
  • 2 【写真2】「ガソリンスタンド」総務省消防庁所管 筆者撮影2021.12.05
    ガソリンスタンドはむら人の生命線であり、撤退の報が入るや、すぐに有志が出資し「合同会社あば村」を創設しGSを復活させた。これはむらのことは自分たちでするという心意気を示すものであった。
  • 3 【写真3】「あば商店」厚生労働省所管 筆者撮影2021.12.05
    あば商店はもと農協が設置したもので、日常百貨、食料品を販売していたが、これを合同会社あば村が買収し運営にあたっている。
  • 4 【写真4】旧阿波村庁舎(現津山市阿波出張所)財務省地方債 筆者撮影2021.12.05
    平成6年度旧阿波村が建設した庁舎を合併後も組織は縮小するものの「津山市阿波出張所」として運営されている。
  • 5 【写真5】「あば交流館(お宿)」国土交通省観光庁、厚生労働省、消防庁所管
    筆者撮影2021.12.05
    平成11年度あば交流館として建設された。一日6組だけの小さな宿泊施設であるが、休憩、食事もできる。隣接したあば温泉は旧村時代に1500mのボーリングをして掘り当てた天然温泉がある。湯温は31℃であるので、間伐材をチップ化したものを燃料として使用している。
  • 6 【写真6】「レストラン(食事処)、炉端焼きあなみ」国土交通省観光庁、厚生労働省、消防庁、農林水産省所管 筆者撮影2021.12.05
    建物左側が「レストラン(食事処)」で四季折々の郷土料理を楽しむことができる。右側は「囲炉裏焼きあなみ」となっており、おすすめはあまごの串焼き、五平餅、手作り豆富である。
  • 7 【写真7】あば村位置図 赤印
    地理院地図(電子国土Web)https://maps.gsi.go.jp/#10/35.240946/134.022675/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

参考文献

(註1)国土交通省ガイドブック
国土政策:「小さな拠点」づくりガイドブック - 国土交通省 (mlit.go.jp) 
(最終閲覧2021.12.18)
(註2)高矢満雄氏は津山市阿波大高下に在住し、旧阿波村時代から、村内の主だった組織の役員を歴任し、現在は阿波森林公園の管理者の任に付いている。また新規事業であるグランピング事業の実施(令和4年開業予定)、小水力発電計画の立案の牽引力となっている。
(註3)ピエール・ブルデュー(著)今村仁司・港道 隆(訳)『実践感覚1』みすず書房 2018年10月 第1刷 第1部 理論理性批判 第3章 構造、ハビトゥス、実践 pp.82-104
(註4)新 睦人(編)『新しい社会学のあゆみ』有斐閣 2006年12月 初版第1刷 第3章(山下雅之(著)ブルデュー社会学 pp.97-119)
(註5)加茂町史編纂委員会(編)『加茂町史本編』 山陽印刷 昭和50年12月 第4章 第8節 商業集落の形成と機能 pp.761-801
(註6)聞き取り調査 令和3(2021)年3月25日 津山市役所加茂支所地域振興課
(註7)朝日新聞『天声人語』2021(令和3)年12月27日付朝刊 いわゆるラーメン居酒屋のはなしである。『前略・・・支えは常連客だった。「ビールの代わりに」とあえてサイダーやノンアルコールビールを注文して助けてくれる人。「店がなくなったら困る」と毎回お釣りを受け取らない人もいた。お土産用の麺を買って帰る客も絶えない。店主は「コロナ下で人情の連鎖が心に染みました」と話す。』

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