日本郵船氷川丸〜昭和の激動期を物語る世界的な海事遺産〜

谷口 栄朗

1. はじめに

日本郵船氷川丸(以下、氷川丸)は戦前に建造された大型外航貨客船の国内唯一の現存例である。戦前の大型客船の船内意匠では世界唯一の現存例でもあり、日本のみならず、世界の貴重な海事遺産である[註1]。

本稿では氷川丸の歴史的背景や文化財としての評価点、特筆事項を纏め今後の展望を考察する。

なお、本稿作成にあたり、日本郵船のご担当者の方には快くご協力頂き、様々な情報をご提供頂いた。


2. 基本データ

名称:日本郵船氷川丸
所在地:横浜市中区山下町山下公園地先
所有者:日本郵船株式会社
竣工:1930年4月
建造所:横浜船渠株式会社
全長:163.30m
全幅:20.12m
総トン数:11,622トン
推進機関:デンマークB&W社製ディーゼルエンジン2機
最高速力:18.38ノット
乗組員数:147名(増員16名含)
船客定員:286名(竣工時)、321名(1931年に増員改装)


3. 歴史的背景

氷川丸は戦前に日本郵船が北米シアトル航路に投入した大型貨客船である。船名は氷川神社(さいたま市)に由来。同神社の社紋である八雲の神紋が中央階段手摺にデザインされている(添付資料1図表4)。姉妹船は日枝丸と平安丸。

1930年4月に竣工。同年5月にシアトル航路に就航。当時の北米向け輸出品の第1位はシルクであり、湿気防止構造の専用倉庫を装備した(添付資料2図表12)。戦前の著名な乗船客として、1932年のチャールズ・チャップリン、1937年の秩父宮ご夫妻、1938年の嘉納治五郎、1939年の宝塚歌劇団が挙げられる。日米関係悪化により1941年8月にシアトル航路の閉鎖が決定。同年10月に引揚船に徴用され、在日外国人をシアトルに送り、在米・在加の邦人を乗せ11月に帰国。同月に海軍が徴用し、海軍特殊病院船に改装中に太平洋戦争を迎えた。

戦中は白色の船体に緑色の帯を引き両舷と煙突に赤十字が描かれた病院船として、24航海で約3万人の傷病兵を輸送。3回の触雷や戦闘機の銃撃、舞鶴港停泊時の空爆等からも生き延びた強運の船であった。終戦時には日本郵船の大型船で唯一沈没を免れた船となった[註2]。

戦後、1947年1月まで復員船、引揚船として、約2万人の復員兵と約8千人の引揚民間人を輸送。同年3月から内航輸送に従事。1953年7月にシアトル航路に復帰。1960年に最終航海を経て退役。通算の太平洋横断は238 回、乗客総数は2万5千人余。戦中の傷病兵と戦後の復員兵、引揚民間人を含めると約9万人が氷川丸に乗船した。

退役後、1961年5月に横浜市の山下公園に係留され観光船に転用。2003年11月に横浜市文化財指定。2006年に日本郵船が再取得。戦前の外航貨客船時代の氷川丸を再現し2008年4月より一般公開。2016年8月に国の重要文化財に指定。対象は、船体の他、構造や設備、歴史的変遷、航海軌跡に関する文書や記録類8点と図面類455点。


4. 評価点

(1)アール・デコ様式の内装(添付資料1図表5〜13)

氷川丸の内装は、客船内装が古典的意匠からアール・デコ様式に推移する最初期のものである [註3]。フランスを代表する船内意匠家マルク・シモン(1883年〜1964年)が一等船客の食堂、社交室、喫煙室等の重要箇所を担当。マルセーユの工房で制作し輸送したフランス直輸入のアール・デコであった[註4]。当時のカラー・スキーム図との比較によりオリジナルの意匠がよく保存されていることが確認でき、戦前の大型客船の船内意匠では世界唯一の現存例である。

(2)戦前日本の造船技術を伝える唯一の現存例

氷川丸はエンジンこそ外国製だが、国内で設計・建造された船舶であり、当時の日本の造船技術を伝える唯一の現存例である。主な技術的特徴は以下の通り。

① 安全第一主義の設計

1912年のタイタニック号沈没事故を契機に安全基準が見直され1929年にSOLAS(海上人命安全の為の国際条約)が制定された。隣接2区画が浸水しても沈没しない水密隔壁が義務となり、日本では1933年の船舶安全法での導入だが、氷川丸はこの水密隔壁を先取りして設計。また、無電源でも救命艇の自重で降下着水できる最新式の揚降装置も装備した(添付資料2図表4)。

② 頑強な構造(添付資料2図表2)

北太平洋航路の激浪を考慮し通常より厚い18.3mm以上の外板用鋼材を使用。波に強い丸型窓を採用。二重底を採用。船首内部に日本初の特別な水平桁による補強を実施。

③ 最新鋭ディーゼルエンジンの採用(添付資料2図表9と10)

デンマークB&W社製ディーゼルエンジン2基を搭載。第一次大戦後の欧米では経済性を理由にディーゼルエンジンが急速に普及した。

(3)昭和の激動期を物語る変遷

氷川丸竣工の前年1929年に世界恐慌が起き、1937年に日中戦争勃発、1941年〜1945年の太平洋戦争を経て、1951年のサンフランシスコ平和条約にて日本は国際社会へ復帰した。氷川丸はこの昭和の激動期に、戦前は外航貨客船、戦中は病院船、戦後は復員船、引揚船と姿を変え、外航貨客船に返り咲くも、旅客機時代の到来により1960年に退役。その後の日本は1960年代の高度経済成長を経て経済的にも国際社会に復帰する。


5. 同様事例と比較しての特筆事項

記念艦三笠(横須賀市)と帆船日本丸(横浜市西区)を比較事例とする。

日本海海戦での旗艦として有名な三笠(添付資料4)は1902年に英国で建造。戦後は戦艦としての装備を取り払いダンスホールや水族館に転用した為、現在の姿はオリジナルを模した復元である(添付資料4図表11)。2016年に日本遺産「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴~日本近代化の躍動を体感できるまち」の構成文化財に指定。運営は公益財団法人三笠保存会。

練習船の日本丸(添付資料5)は英国企業が設計し1930年に神戸市の川崎造船所で竣工。戦中は帆装を外し内航輸送に従事。戦後は復員船として活躍。朝鮮戦争時は米軍人や韓国人避難民の輸送に従事。1952年に帆装を再装し練習船に復帰。1984年に退役。1985年から横浜市が所有し、みなとみらい21地区にて展示。2017年に国の重要文化財に指定。

三笠や日本丸と比べると、① アール・デコ様式の内装を含む戦前の仕様が多くの部分で保存されていること、② 戦前の日本の造船技術を伝える唯一の現存例であること、③海運を通じ昭和の激動期を物語る事象に富むこと、④ 日本郵船歴史博物館との連携[註5]の4点が氷川丸の特筆事項と考える。

氷川丸から徒歩15分の横浜郵船ビルにある日本郵船歴史博物館(横浜市中区、添付資料3)は数名の学芸員を擁する企業博物館である。学芸員は歴史博物館だけでなく氷川丸の展示も管理しており、氷川丸の充実した展示解説は同館の貢献が大きい。1936年竣工の横浜郵船ビルはコリント式円柱が並ぶ壮麗な建物で近代化産業遺産(横浜港)に登録。所在エリアは再開発予定だが、歴史的建造物の同ビルは大部分を保存し活用する計画である[註6]。


6. 今後の展望

氷川丸は社会の日本郵船に対する好意的なイメージ構築に貢献しており、日本郵船グループ従業員の経営理念や企業の一員としてのアイデンティティに対する理解促進の効果もある[註7、8]。日本郵船にとって特別な存在であることは『NYKレポート2020』中の長澤社長メッセージや日暮取締役・常務執行役員の言葉からも窺え[註9、10]、同社が近い将来に氷川丸を手放したり、歴史博物館を閉館することは想定し難い。R&Iによる日本郵船の格付はBBB+で相応の財務基盤を有しており[註11]、氷川丸や博物館の維持運営費の負担能力も認められる。

但し、景気変動の波に比較的強く晒される外航海運業界は海運不況時に集約を繰り返してきた経緯があり[註12]、長期的には経営が逼迫する可能性は否定できない。氷川丸の重要文化財指定は、氷川丸を文化財として保存していくこと、又、保存する主体は所有者の日本郵船であるが、文化財保護法に従って社会全体で所有者を補助していくことを意味している。私企業である日本郵船の負担を減じる施策の維持・拡充が望まれる。


7. まとめ

昭和の激動期を乗り越えて存在する氷川丸は歴史的象徴であり保存の継続が求められるが、日本郵船の企業努力に大きく依存していることを認識しておきたい。文化財としての魅力は実際に訪問して感じられるものであり、多くの人が氷川丸を訪れて、貴重な戦前の意匠に触れ、歴史の事実を学び、古き良き時代の船旅を追体験して欲しいと考える。

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  • e6b7bbe4bb98e8b387e696994efbc9ae8a898e5bfb5e889a6e4b889e7aca0_page-0004 記念艦三笠を訪問した際の記録。2021年5月5日に訪問。掲載写真は全て筆者撮影。
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  • 8 「社会情勢」「日本郵船氷川丸」「日本郵船、及び海事関連」「記念艦三笠」「帆船日本丸」の5項目を並べた比較年表。参考文献を参照して筆者作成。

参考文献

[1] 横浜市教育委員会生涯学習部文化財課編『横浜市指定文化財「氷川丸」調査報告書』横浜市教育委員会生涯学習部文化財課、2004年、14〜15ページ

[2] 海軍に特設潜水母艦として徴用された2隻の姉妹船のうち、日枝丸はラバウルからトラック島に向けて航行中に潜水艦の雷撃で沈没し、平安丸はトラック島停泊中に空爆を受け沈没した。(郵船OB氷川丸研究会編『氷川丸とその時代』海文堂出版、2008年、60〜61ページ)

[3] 貴賓や著名人が利用した一等特別室の内装は、川島織物セルコンにつながる三代目川島甚兵衛のデザインであり(https://serai.jp/tour/338692、「船長に聞く|時代の荒波を乗り越えた「日本郵船氷川丸」の魅力」、アクセス日:2021年6月30日)、ステンドグラスは日本のステンドグラス製作の草分け的存在の小川三知(1867年〜1928年)の原図をもとに、天笠鐵五郎(1896年〜1986年)が手掛けたものである。(添付資料2図表7と8)

[4] フランス直輸入アール・デコの例として、アンリ・ラパン(1873年〜1939年)が関わった旧朝香宮邸(1935年竣工、現在の東京都庭園美術館)とルネ・プルー(1889年〜1947年)が関わった日本橋三越本店(東京都中央区、内装該当部分は1932年竣工)があるが、1930年竣工の氷川丸が時期的には最も早いものである。(吉田鋼市著『日本のアール・デコ建築入門』王国社、2014年、24ページ、38ページ)

[5] 日本郵船の総務本部に属する歴史博物館・氷川丸グループに歴史博物館チームと氷川丸チームが置かれている。歴史博物館チームが日本郵船歴史博物館を管理し、氷川丸チームが氷川丸を管理する並列的組織となっている。(日本郵船へのヒアリングに対する回答)

[6] 日本郵船株式会社、三菱地所株式会社『(仮称)横浜市中区海岸通計画に係る計画段階配慮書』(出所:https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/kankyohozen/hozentorikumi/assessment/shinaijigyou/97-mokuji/97_hairyosyo.html、アクセス日:2021年7月14日)

[7] 筆者は日本郵船広報部が公開した「プチブロックで作る氷川丸」を参照し、実際に3時間弱をかけて氷川丸を組み立てた。組立作業を通じて、黒地にホワイトリボンの特徴的な船体塗装や白地に赤線2本の日本郵船のファンネルマークを再認識し、氷川丸が貨客船として多層的な構造であることを疑似体験することができた。(添付資料6)

[8] 高柳直弥『企業のコミュニティ・リレーションズにおける企業博物館の活用に関する考察』、広報研究 第19号、https://www.jsccs.jp/publishing/files/19th_032.pdf、アクセス日:2021年6月12日

[9] 「この社長メッセージを書くにあたり、今までも何度か足を運んでいる横浜の山下公園に係留されている氷川丸を訪れました。1930年竣工の氷川丸は当社のシアトル航路の貨客船として、戦時中は病院船として、荷物だけでなく、多くの人命も預かっていました。氷川丸は、北大西洋でのタイタニック号沈没事故を参考に、激しい風浪に耐える設計、万一の浸水に備えスライド式水密扉により10の水密区画を設置する、当時では革新的とも言える技術が盛り込まれた最新鋭の船で、今見ても非常に高い安全性を備 えていることがわかります。徹底的に安全性を追求するための革新的技術が盛り込まれた氷川丸を見て、 改めて当社グループの持つ"Innovation Oriented"な企業文化と、時代のフロントランナーになっていこうという気概を感じました。」(日本郵船株式会社『NYKレポート2020』日本郵船株式会社、2020年、8ページ)

[10] 「私は、横浜にある日本郵船歴史博物館と氷川丸も担当していますが、これらの施設を見る時いつも、この会社がどれだけの苦難をイノベーションで乗り切ってきたか、励まされる気持ちになります。今回の新型コロナウイルスのように、全世界同時多発的な脅威に直面したことはこれまでなかったかもしれませんが、その対策は私たちの日々の努力と創意工夫から生まれてくるのではないかと、博物館や氷川丸を見て感じます。」(日本郵船株式会社『NYKレポート2020』日本郵船株式会社、2020年、72ページ)

[11] 格付投資情報センター、2021年7月14日付プレスリリース「日本郵船と商船三井を格上げ方向のモニターに指定」(出所:https://www.r-i.co.jp/news_release_cfp/2021/07/news_release_cfp_20210714_2107070501_jpn.pdf、アクセス日:2021年7月20日)

[12] 日本の外航海運業界は、1964年に大手11社から大手6社に集約され、1989年には大手5社体制となり、1999年年には、日本郵船、商船三井、川崎汽船の大手3社体制となり現在に至っている。(日本海事広報協会『SHIPPING NOW 20201-2021データ編』日本海事広報協会、http://www.jpmac.or.jp/img/relation/pdf/2020pdf-full.pdf、アクセス日:2021年7月20日)

三菱重工業株式会社横浜製作所総務勤労課編『20話でつづる名船の生涯』三菱重工業株式会社横浜製作所、2013年
吉田鋼市著『日本のアール・デコ建築入門』王国社、2014年
郵船OB氷川丸研究会編『氷川丸とその時代』海文堂出版、2008年
日本郵船歴史博物館『船をとりまくアール・デコ』日本郵船歴史博物館、2010年
伊藤玄二郎著『氷川丸ものがたり』かまくら春秋社、2016年
日本郵船歴史博物館『重要文化財指定記念 まるごと氷川丸展』日本郵船歴史博物館、2016年
横浜市教育委員会生涯学習部文化財課編『横浜市指定文化財「氷川丸」調査報告書』横浜市教育委員会生涯学習部文化財課、2004年
三笠保存会編『記念艦三笠』三笠保存会、1984年
日本海事科学振興財団船の科学館編『戦艦三笠』船の科学館、2005年
帆船日本丸記念財団編『帆船日本丸 Sail Training Ship NIPPONMARU』帆船日本丸記念財団、2017年
若林宣著『日本を動かした50の乗り物』原書房、2018年
日本郵船歴史博物館編『グランブルーの静寂 もうひとつの氷川丸』日本郵船歴史博物館、2018年
日本郵船株式会社『NYKプラス vol.7 2010 Spring』日本郵船株式会社、2010年(出所:https://www.nyk.com/ir/pdf/nykplus07.pdf、アクセス日:2021年7月14日)

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