信州姨捨山ー棚田の景観財の評価と考察

二瓶 昭博

1 はじめに
 信州姨捨山の棚田は「田毎の月」と呼ばれ名勝地として知られている。「田毎の月」とは、16世紀後半に山の斜面を地形に沿って階段状に開墾しつくらた水田であり、その小さな田圃にひとつひとつ月が映って見えるためそう呼ばれている。棚田からは背後に霊山とされる冠着山、眼下に善光寺平や千曲川を挟んで鏡台山から昇る美しい名月が楽しめる。この標高差100mの棚田と、棚田を取り巻く空間。またそこで伝統的な農業が営々と育まれている信州姨捨棚田の生活景観を、文化資産として報告する。

2 基本データ
1)所在地 長野県千曲市大字八幡姨捨(資料A 棚田と鏡台山方位の地図)
2)平成11年「姨捨(田毎の月)」として国の名勝指定になる
  規模は姨捨長楽寺の展望地点から6.7haである。
3)平成22年「姨捨の棚田」として国の重要文化的景観に指定される
  棚田の総面積は75haで、このうち重要文化的景観地は40haである。
4)令和2年日本遺産に指定される
  月の都棚田がつくる摩訶不思議な月景色の意図を汲む。
5)信濃三十三番観音霊場の14番札所に長楽寺があり芭蕉の来訪で知名度が広がる。
6)景観財を層別に分類した時の明細データ
 ① 地形など自然がつくり出す景観財
   姨捨山の傾斜地、善光寺平、千曲川、冠着山、聖高原、鏡台山、森林
 ② 稲作のために作りだされる景観財
   棚田、利水、農道、ため池
 ③ 月の名勝を意識して作られた景観財
   長楽寺本堂、月見殿、月見堂、観音堂、田毎観音、桂の木、文学碑
 ④ 農作業など生活を営む上で作り出される生活景観財
   田植え、稲刈り、草刈、脱穀などの農作業風景、棚田保全、用水保全、地域の祭り、
   棚田貸し出し制度など地域内外の交流や共同体で得られたものを生活景観財とした。 

以上の中から、景観財を構成する上で重要な役割を果たしている6-②棚田、利水、6-④の生活景観の三点に的を絞って景観財の評価と考察を行う。

3 歴史的背景  
1)棚田
 姨捨の棚田は火山の噴火で積もった火山灰を基に、40m以上の厚みがある粘土質の混じった土石流堆積物の上に造成されている。小さな田圃の畔には、石組みがありその上を砕け難い粘土質の土で固めて棚田を形作っている。斜面の複雑な地形を利用して江戸期より連綿と築かれて来た棚田は、地の利を上手く活用し農耕が行われて来た。(資料B 冠着山)
2)利水
 棚田の灌漑用の利水は、聖山の麓にある弁財天の湧水とその水を貯留する、ため池群からなり一級河川の更級川として棚田に導かれている。これらの利水は、七つの用水に分岐し田越しと呼ばれる田圃から田圃に畔を切って水を供給する原始的な給水方法や、ガニセと呼ぶ排水方法で棚田の利水を網羅的に補完して来た。(資料C 棚田の水路)
3)生活景観
 姨捨の棚田が名勝地と認められる理由の一つに、伝統的な棚田の稲作風景が当時の姿を表現している点にある。村の人々が地道に積み上げてきた農耕は、水神様の祭りから始まり、森林整備、農耕水路の保全、農道整備、法面の補修、農業の担い手の育成など多面的な要素が集り、地域独自の生活共同体の中で生活景観を練り上げている。(資料D 棚田の景観)

4 景観財としての評価 
1)棚田の景観は、地滑りした斜面に地元農家が耕作によって生み出す人工構造物と自然の地形が結合し景観を創り出しており、ここに人文的要素が加わり農業、自然、人文の三位一体で文化資産を編成している点に価値を見出す事が出来る。江戸期の農耕手法である田越の利水耕作については、ほとんど近代化されることもなく代々受け継がれる農法として継続維持されている。歴史的な農業形態の推移が、現在の農事の中で検証可能である事に景観財として評価出来る。

2)棚田の景観に於ける時代毎の関わりとして、中世では長楽寺付近から観る山々の名月が主体となっている。古今和歌集の一首「わが心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月をみて」と詠まれる姨捨山は、都人が愛でる月の都の景観であった。世阿弥作と言われている能「姨捨」は、姨捨山の中秋の名月を訪ねて繰り広げられる舞であり、姨岩の端には神の木とされる太い桂の木があり、名月を観望した当時の詩情性が想像出来る。棚田の夜景は、中世の名月を慕う都人の意図を汲んだ催事が観月祭の中に生き続けており、中世を彷彿させる景観財として評価出来る。(資料E 姨捨棚田の夜景)

3)近世の景観は、ため池の築造が始まり水路の整備が進み田圃が出来ることで、景観財の質が変容していく。長楽寺が建立され村の暮らしに田毎の月を中心とした月の都が現れ、更級紀行や姨捨十三景が出来人々の間に観月文学が根を張る様になる。村の生活が文化資産として景観を生みだす様になり、芭蕉の訪問等で全国から人々が集り観光に力を入れると、ムラが活性化し棚田の広がりが拡大していく。街道整備や棚田の道路整備、利水組織などが充実し、祭りを通して村の結びつきは強固なものになって行く。能楽も、役者の演技ばかりではなく能楽堂の建築、能装束、面、笛や太鼓など様々な要素が複合され総合芸術として完成する様に、姨捨の文化資産も基本データの明細で示した通り、それぞれの景観財の融合によって、相乗効果が図られ近世の棚田を構築している点が評価出来る。(資料F 長楽寺)

4)現代に入ると名勝地に指定された長楽寺からの景観だけではなく、棚田全体を日本の原風景とする価値観が高まり重要文化的景観地の範囲が、ため池を含む水系全体に広がり景観財の多様化が始まって行く。令和元年に第36回を迎えたおばすて観月祭は、棚田散策、姨捨文学講座、お月見会、全国俳句大会などが実施され、また棚田貸します制度のイベントでは、都会から棚田のオーナーが集り稲刈りなどによって都会との交流が生まれ、これらの生活風景が文化資産としての質を高めていることが評価出来る。(資料G  観月祭)
また地区の主祭神である武水別大神は、農業を守る神として国の選択無形民俗文化財に指定され、12月の大頭祭(新嘗祭)で伝統的な行事が行われている。
 他の棚田の景観財との比較では、石川県輪島市にある白米千枚田の景観財に比べると、千枚田は海に面した棚田独自の景観を有しているが、姨捨の山岳霊山の気配を感じさせる事象や、集落の暮らしに密着した景観財とは趣が異なっている。空間構成の組み合わせという点で違いはあるが、稲作保全活動や稲作の担い手が弱まり田圃が荒廃すると、双方共に名勝地としての景観財の価値は消滅する危険性を帯びている。姨捨の棚田と白米千枚田は、共通した課題を抱えている事が考察出来る。

5 今後の展望とまとめ 
 信州姨捨棚田の生活景観は、祖先たちが蓄積した自然の営みを手掛かりに、人的労働力によって稲作が続いており、小型トラックがやっと通れる曲がりくねった農道を使って、互いに協力し合って成り立つ農耕の生業であった。(資料H 棚田の収穫)
 生活様式の変化により効率化を求める価値観が台頭する中で、1990年代に2千年続いてきた田植えは、手植えの時代が終わり機械化が導入され労働の農業形態は一新する。しかし棚田の農業は農道や水利の保守など労力的な負担に加えて後継者の影響もあり、棚田を巡回すると全体の3割近くが耕作放棄地となっている。現在棚田を守る棚田保存会など多くのグループが支援を続け、日本の原風景を未来に託す活動が行われている。
 棚田の景観財は、心の豊かさを象徴する指標になるばかりでなく、土地利用の仕方、森林整備、用水路、棚田の土壌整備、都会との交流や四季を通しての労働力確保など、物心両面にわたって有形無形の観点で、地域全体で伝統を守り育てている事が景観財の資源となっている。棚田の景観は慢性的な働き手不足などにより存続が危ぶまれている。しかし新型コロナの影響によるリモートワークの発達により職住接近の必要性も薄れたことから、首都圏から地方へと転居する若者が増えて地方の活性化につながることを期待している。
 今後ともコミュニケーションデザインの視点を取り入れて、国、市町村、他県、文化人の皆さんとの連携をよりいっそう強化し、若者が希望を持って働ける文化的景観地を創出して行く事が必要だと考える。

  • 1 資料A 棚田と鏡台山方位の地図   マップにより筆者作成 2020年4月
    姨捨の棚田からは冠着山を背に飯綱山、善光寺平が望め対岸には中秋の名月で有名な鏡台山(1269m)から昇る月が遠望出来る。近世になると善光寺平、棚田、などを取り込んだ生活景観エリアの眺望が出現する。明治になると姨捨駅からは、日本の鉄道三大車窓の一つとされる景観が、姨捨の名勝地を見下ろす形で乗客を和ませている。
  • 2 資料B冠着山  筆者撮影 2020年3月
    姨捨山は平安時代より歌論書に冠の巾子に似たりとして紹介され、山の形から冠着山を指すものとされてきた。しかし斜面に広がる田毎の月の長楽寺周辺が、新しい姨捨山に変わって行く。(649年信濃国絵図長野県近世史資料より)
    12月上旬に行われる大頭祭は、大鳥居の正面に見える冠着山(1252m)を背に裃装束での行列が続き、神事の伝統行事が盛大に行われ地域の結束を図っている。
  • 3 資料C 棚田の水路   筆者作成 2020年3月
    大池を水源とする水路は、合計6㎞近い水路となり、更に細い支流を含めると総延長は膨大である。ため池や用排水路の老朽化が進む中、農業従事者の担い手不足と共に農家にとって水路施設の経済的負担が大きくなっている。(水路図は千曲市土地改良区資料を基に作成)
  • 4 資料D 棚田の景観   筆者撮影 2020年6月
    棚田に水を供給している大池は、弁財天の湧水を水源として江戸時代に造られたため池であり、田植え期から稲刈り直前の9月中旬まで放流が行われ棚田の景観を潤している。毎年9月上旬に弁財天の祠に提灯を並べ三役によって、供物の卵、野菜、お米、塩、お酒を供え神事が行われている。
  • 5 資料E 姨捨棚田の夜景   筆者撮影 2018年9月
    姨捨の月は平安時代菅原道真の子孫である文時の詩に、庭中に寒々とした月の光が白い露を照らしている旨の歌があり、都人にとってはしみじみとした月の光の味わいが姨捨山にも現れ、都と共通した印象を重ね合わせていたと考えられる。画面中央に棚田の散策コースがフットライトで浮かびあがっている。
  • 6 資料F 長楽寺   筆者撮影 2018年3月
    長楽寺境内には本堂、月見殿、観音堂、月見堂や自然の造形物である姨岩が見える。鏡台山や善光寺平方面から長楽寺を眺めると、霊山としての精神的な月の舞台を演出する造形物に形作られていることが伺える。本堂と月見殿は、1800年代の建築とされるが明治初期と現在の建物の違いを建築図で比較すると、内陣の空間構成に大きな違いが生じている事が確認出来る。現在の造りは本堂で法要をする場所と、観月を楽しむ空間が畳廊下で仕切られ、それぞれの独自性を重視する空間の造りに改造され建造物の存在価値を高めている。
  • 7 資料G 観月祭   筆者撮影 2015年9月
    月見殿の窓から見えるお月様は、月が正面に見えるので優しい光に見える。鏡台山から昇ったばかりの満月は赤銅色をした美しさで、平安時代の人々や芭蕉の観た月の感動を村の人も共有出来る。
  • 8 資料H 棚田の収穫   筆者撮影 2018年9月
    棚田の一年は、春の田起し、代掻き、田植え、水の管理、草取り、草刈り、稲刈り、ハゼ掛け、脱穀、秋の田起こし等がある。正面に見える桂の木の向こうでは、田植えや稲刈りの農事に都会の棚田オーナーも参加して、地元住民と共に天日干しの美味しいお米を生産し棚田の景観を支えている。

参考文献

更級埴科地方誌刊行会 柳沢勲 更級埴科地方誌 第一巻自然編 昭和43年12月 
矢羽勝幸 さらしな姨捨文学講座「更科紀行」考 松尾芭蕉更科紀行330年祭 
田中欣一 新更科紀行 信濃毎日新聞社 2008年2月
千曲市教育委員会文化財センター名勝「姨捨(田毎の月)」保存計画(改訂版)2013年7月
佐藤和彦 教養の日本史(中世) 東京大学出版会 2018年4月
矢羽勝幸 続姨捨山の文学 千曲市教育委員会 平成24年
千曲市教育委員会歴史文化財センター さらしな、はにしな素仏 2019年8月
長楽寺 信州姨捨山縁起境内碑文集
長野県立歴史館 649年信濃国絵図長野県近世史資料
千曲市土地改良区 用水資料
千曲市文化財センター 姨捨の棚田ガイドブック ほおずき書籍 2013年9月
長野県立歴史館 山と海の廻廊をゆく 信濃と北陸をつなぐ道 2015年 
横井秀明 日本の古典名著 自由国民社 1998年
中島峰広 全国棚田ガイド 一般社団法人家の光協会 2017年10月
村井康彦 京都学 京都造形芸術大学通信教育部 平成24年4月
木村和弘 信州発続棚田考 ほうずき書房 2009年10月

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