東京セコリ荘のRe-Creationを目指す芸術・デザイン活動
東京セコリ荘のRe-Creationを目指す芸術・デザイン活動
1. はじめに
本レポートでは、都心部で営業するギャラリー併設カフェ「セコリ荘」の芸術・デザイン活動を報告する。具体的には、歴史的な積み重ねの無い地域での芸術・デザイン活動の内容とその可能性を確認する。そして、芸術教養学科の学びとこの活動の関係を検討する。
調査は、現地でのインタビューの実施、書籍やWeb情報の読み取りによっておこなった。
2. セコリ荘とは
(1)セコリ荘概要
セコリ荘は、東京都中央区月島に所在するカフェ併設のギャラリーである。外観写真を写真1、所在を図1に示す。「セコリ」という名称は、オーナーの宮浦氏のあだ名にちなんで名付けられている。
(2)ギャラリーとカフェの活動
セコリ荘の活動は、ギャラリースペースとカフェスペースの2つに分けることができる。
ギャラリースペースは、古い木造家屋をリノベーションした4畳半ほどの畳敷きで、衣服やテキスタイルのサンプルなどの繊維産業に関連するもの、手作りの雑貨や陶芸などアート作品の展示販売をおこなう。
成宮は「地場の繊維産業と若手デザイナーをつなげる」ものとして、この活動をとりあげている(成宮 2014)。一方で、各種雑貨や陶芸などの芸術・デザイン作品の展示販売は、その意図とはやや異なったもののように思える。宮浦氏は繊維産業縮小の背景に作り手の意図や産地の状況が使い手へ伝わらず、それらを使い手が商品としてただ消費するという現代のライフスタイルが関係すると考えた。そこで、衣服に加えて雑貨や陶芸などの芸術・デザイン作品を、作り手の意図や産地の状況が伝わるかたちで展示販売するようにした。いいかえれば、衣服の方針を、他の分野へと広げたものであるといえるだろう。
カフェスペースは、古いガレージをリノベーションした6席ほどの空間で、飲食の提供やワークショップを行なうスペースである。カウンターを囲み、コの字型に椅子が配置されることで来店者同士の交流を促している。ランチタイムには、ギャラリーに出展した作品の作家と同席することもあるという。ワークショップは、染色や陶芸のように使い手が作り手の作業を体験することで、現代ライフスタイルの問い直しが意図されている。これは、産地や作り手と使い手の距離を縮め、結びつけるような活動であるといえる。
セコリ荘は衣料や繊維産業へ焦点を当てた活動の拠点として開設された。しかし、来店者が特定産業の関係者に限定されていたため、地域住民を含めた幅広い人々に来店してもらえるようなカフェスペースをオープンし、その解決を図ったのである。
(3)Re-Creationとは
宮浦氏は、古くからある技術を残すためには、その価値を保ちながら現代に合わせたかたちへ商品を再構成することが望ましいという。ワークショップや、繊維以外の業界の人々を含めたコミュニティづくりは、作り手の情報を発信するとともに使い手との距離を縮める。この内容を図2に整理した。訪問時にも生地の特徴を活かしたTシャツやパンツが展示されており、その価格は1万円から3万円ほどであった。ここには、作り手のスキルや文化によって高められた価値が伺える。これは、Re-creationの具体例の1つといえるだろう。
3. 活動の歴史的背景
(1)工場から住宅街へ移行した月島
月島は、明治25年(1895年)の埋め立てによって造成された。造成後には、隣接する佃地区の石川島重工業造船所へ部品を供給する工場と、それらに勤務する工員の住宅が多く建設された。現在では工場跡地に多くのマンションが建つ。造成から120年しか経過しておらず、芸術・デザイン活動の蓄積が無い地域であるといえる。
(2)海外製品に押される国内の繊維産業
日本の繊維産業は、明治維新後の工業化にともなって大きく成長した。戦後、その成長はピークを迎え、昭和48年(1973年)には、18兆円を数えた製品出荷額は、平成7年(1995年には、8兆円ほどにまで減少している。立山は、統計情報をもとに繊維産業の推移を調査し、日本の繊維産業の労働生産性の低さによって、日本の繊維製品が海外製品に圧倒されていることを指摘している(立山2001 pp.28-34)。つまり、国内で繊維製品を作るためのスキルや文化を残すためには、製品の価値を高めて海外製品に打ち勝つ必要がある。
4. 立地の弱点と空間デザインにみるセコリ荘の特徴
比較対照としてアネモメトリ特集の「火星の庭」と芸術教養演習2レポートの「ゲンロンカフェ」を検討し、積極的に評価される点を2点述べる。
第1は、立地の弱点を逆手にとった活動ということである。村松は仙台の「火星の庭」を取り上げて、「本のまち」として仙台における文化活動の厚さの背景に、ブックカフェの存在を挙げている(村松 2012)。仙台はもともと魯迅や北杜夫といった作家を輩出した東北大学が所在する街であり、文化の積み重ねがある地域であった。そこでは、書籍をテーマとするブックカフェは成立しやすい。一方で、セコリ荘は芸術・デザイン活動の積み重ねが無い月島という地域での活動を実現している。宮浦氏は、月島を選んだ理由として東京のアパレルの中心である渋谷や原宿が文化を消費する街であることを挙げている。セコリ荘がこれらの街に開設されれば、その活動も消費の対象となる。しかし、芸術やデザインに関心を持つ人が月島へ訪れるとすれば、それは「Re-creation」のためにセコリ荘へ訪れるということなのである。訪問時にも、ワークショップデザインに関心を持つ人との間で、議論と交流がおこなわれていた。
第2は、カフェでゲスト同士の交流を促す空間デザインの存在である。ゲンロンカフェは、トークショーを活動のメインに据えており、質疑応答の場で出演者とゲストである一般参加者の交流が図られている。しかし、一般参加者は全員ステージを向く配置となっており、一般参加者同士の対話は難しい。一方、セコリ荘では、カフェスペースの脚数を6席ほどとし、コの字型で座席を配置している。このことで、自然に来客間の対話を通したコミュニティづくりを促す優れた空間デザインになっている。
5. セコリ荘の課題
セコリ荘は、2013年9月の開設から1年4ヶ月程と短い。そこで、現在の活動が今後も同じように継続するという仮定して、その活動を評価する。課題は2つある。
第1の課題は、その活動スペースの広さである。ギャラリーの広さは、訪問者数の制約になるため、コミュニティの広がりに影響する。2014年12月におこなわれたクリスマス展示イベントでは、観覧者がセコリ荘の外で順番待ちをすることもあったという。さらに、6席ほどというカフェスペースの座席数についても、同様のことがいえる。
宮浦氏は、金沢や福岡といった地方へのセコリ荘展開を予定しているという。これは、スペースの広さによる制約を解決する可能性がある。その一方で、地方では既に芸術・デザイン活動の蓄積があるため、月島とは異なるその地方の特性にあわせたかたちでの運営も必要となるだろう。
第2の課題は、活動の記録を含む情報発信メディアの少なさである。BLOGとFacebookにより、情報発信をおこなっているものの、イベントの告知が主な役割となっている。そのため、イベントの活動結果を遡って確認することは難しい。宮浦氏は書籍を刊行しているものの、繊維・アパレル業界が対象であり、現在のセコリ荘の活動をすべてカバーしているわけではない。大学との共同研究、国および自治体からの補助金のような、費用を掛けない方法による情報発信を検討するのが現実的だろう。
6. おわりに
地域における芸術・デザイン活動は、その歴史や文化の蓄積を背景とするものが多い。一方で、セコリ荘は、歴史の浅い月島という地域で作り手と使い手の接続を模索する芸術・デザイン活動を開始した。それも、単純な過去へ回帰ではなく、展示活動とコミュニティ活動を組み合わせたかたちで、Re-creationをテーマに現代のライフスタイルの問い直しをしている。これは、歴史の積み重ねが乏しい地域の特性を逆手にとったものであり、同条件の地域のモデルにもなり得る優れた活動であった。
最後に芸術教養学科の学びとの関係を検討すると、芸術・デザイン活動の支援というテーマが浮かび上がる。この卒業研究の取り組みを通して、芸術・デザイン活動だけでなく、そのような活動支援そのものが、生活を取りまく文化や価値を向上する可能性を確認した。このことを、卒業後も心に留めながら生活していきたい。
参考文献
立山聡、「栄光と凋落と:日本の繊維産業の概要と小史」、伊丹敬之 伊丹研究室、『日本の繊維産業 なぜ、これほど弱くなってしまったのか』、NTT出版、2001年
成実弘至、「スローとローカル これからのファッション 前編 つなぎ手、伝えての立場から」、『アネモメトリ 22号』、2014年、(2015年1月26日閲覧)
http://magazine.air-u.kyoto-art.ac.jp/?p=6937&page=4
村松美賀子、「「本」でつながる、広がる ひととまち」、『アネモメトリ0号』、2012年、(2015年1月26日閲覧)
http://magazine.air-u.kyoto-art.ac.jp/?p=20