「寄木獅子頭」造りから学んだモノづくり

山本 真希

1. はじめに
私の生まれた愛知県刈谷市では、寄木(よせぎ)獅子頭を造る職人が存在する。一木造りから作る獅子頭職人は全国にいるが寄木造りで作る職人は少ないとされる。獅子頭とは獅子舞で使う獅子の頭部(お面)である。幼少期、私は、祭礼で獅子舞を見たときにこのお面に印象付けられ、どのように作られているか疑問を抱き、興味を覚えた。ここで作られている獅子頭は一本の木から彫る「一木造り」が多い中、軽くて強い獅子頭を造るため考案された『寄木造り』の技術が生かされている。同じ木彫りでも寄木造りで作られる仏像は珍しくなく平安時代から現存するものは全国各地でみうけられる。同市の資料館には慶長年間(安土桃山時代)に刈谷城主水野勝成が寄進したもの寄木獅子頭が存在する。ことから、仏像と同じく獅子頭も寄木造りの技術が発達しているのがわかる。しかしながら刈谷の獅子頭職人は安土桃山時代から続く職人の末裔ではない。なぜ寄木獅子頭がここで造られ存在するのか、そして、現在のものづくりにどのようにつながっているのか、歴史を紐解き、文化的資産の評価を考察する。

2. 基本データ
愛知県刈谷市は、愛知県のほぼ中心にある15万人都市であり自動車関連産業の工場が立ち並ぶ。
刈谷市北部に二つの工房、二人の彫師が存在する。
・早川高師氏 1967年~現在 彫師、日展作家
1948年刈谷市生まれ、刈谷で活動されているが1代目早川嘉一氏が名古屋市(現尾頭橋付近)で仏壇・仏具彫師として開業。高師氏で3代目である。戦時中の空襲により、工房を名古屋から故郷だった刈谷へ移転した。現在弟子1名(中川氏)を育成し獅子頭制作・補修をする。
・鈴木富喜氏 2008年~現在 彫師、塗師
1972年刈谷市生まれ、早川高師氏の甥にあたる。高師氏のもとで15年間修業し2008年独立。獅子頭の彫師兼塗師(ぬし)である。早川高師氏と同じく獅子頭の制作・補修を担う。祖父の家系の寄木獅子頭を造りつつ国内の伝統技術を取り入れ本来の姿を形成・彩色で再生する技術を持つ。

3.歴史的背景
彫刻技術は尾張藩の御用彫師:早瀬長兵衛(彫長一門)と瀬川治助(瀬川一門)という彫師が存在した。彼らは、各地の建築彫刻から山車彫刻を主に活動しており、彼らの技術が尾張の仏壇仏具彫刻に影響を与えたといわれている。江戸時代後期に名古屋城築城のために全国から集まってきた大工職人(宮大工)が定住し大須界隈の発展と共に需要を得た。そして、たんすの製造、建具職人、仏壇・仏具の製造に従事した[註1]ことに続き下級武士が武士傍ら内職として彫師をやっていたことで尾張に職人家系が広がったとされる。その後彫師は効率的に製造するためにそれぞれの各専門分野にわかれていった。獅子頭も同様である。
一方、材料の調達は約440年前の名古屋城築城の際加藤清正が堀川上流にある西区木挽町、材木町で製材させたことに始まる。江戸時代の築城用材は木曽山脈を中心とする飛騨及び木曽地方より産出優良材が木曽川をへて桑名より堀川へ取り入れて名古屋城へというルートで輸送された。[註1]
下級武士の内職であった仏具造りを基盤に、明治期以降、指物師(家具を造る職人)が使用した木曽桧の残材を利用し、安くしかも良質な仏具木地(材料)が量産された。また、多種にわたって分業化された専門職人は、低廉な賃金による恵まれた多くの人的資源と結合し、ますます量産性を発展させ、卸商を中核とする問屋制家内工業として発達した。[註2]
初代早川嘉一氏は、明治時代終わり頃、名古屋で彫師として仏壇を作っていたが、ご贔屓にしている問屋から獅子頭の制作を依頼された。頂いた見本の獅子頭を分解して自身で組み立て直し、独自で寄木の「造り」を学んだ。そして寄木造りでの獅子頭の制作に成功。それが評判となり獅子頭の彫師へ移行していった。
尾張の獅子頭(名古屋型)が代々寄木造りだった理由を問うと早川高師氏曰く「仏具を造っていたから」とのこと。つまり、残材を活用する概念こそが尾張の加工技術であり工夫であった。また複数の職人が部位ごとの分業が可能になり、1つのものを完成させる生産効率が向上した。このような仏具の制作過程の工夫が獅子頭の制作工程に応用され一木造りより少量の木で効率よく制作できる寄木造りの技術が生まれたのではないかと推測される。

4.他の地域の獅子頭の違い
獅子頭職人は各地方に点在する。そして、地域の特色によって獅子頭の扱い方・造りが異なる。
石川県白山市の知田善博氏は、桐を使い一木造りで加賀獅子を作る(図1)。白山(鶴来)は、桐の名産地である。また、富山県南砺市の250年の歴史を持つ井波彫刻では、一木造りで欄間(らんま)から仏像、山車を彫る。彫刻職人が複数名いること、また、彫刻自体が盛んであることもあり、その中で獅子頭も手掛ける。こちらも加賀に近いためか桐での一木造りが主である。獅子頭の形・仕様も寄木獅子頭(名古屋型)とは異なる。名古屋型が頭にかぶる「お面」とすると加賀獅子は抱える「お面」または「飾る縁起物」であるため、加賀獅子はかぶる仕様ではない。名古屋型は江戸時代後期から曲芸として進化し、中でも梯子獅子舞(図2)という梯子に乗る獅子舞は獅子頭の軽さと強度が求められる。それに対し加賀獅子は持ち手(柄)で獅子頭を激しく揺らす獅子舞である。また縁起物としての獅子頭は一木造りの桐素地の美しさを際立てている。それぞれ産地の木材と、舞い方に合った獅子頭の制作がされている。

5.評価される点
各工程(図3)を経て完成させ、彩色すれば同じ顔の獅子頭を造ることは可能である。一木造りが「王道」とするならば寄木は、「邪道」であるという考えがあるかもしれない。だが、人が舞うにあたり獅子頭には軽さと強度が必要であり、寄木造りはその要件を一木造り以上に満たしている造りである。なぜならば、木目を割れにくい方向で組み合わせることで、薄く彫ることが可能だからである。一木作りの性質上軽い桐材を使用したとしても、厚みは最低でも2cmほどにあるのに対し、寄木造りの薄いところは0.5cmである。約30㎝角の大きさの獅子頭でも、重さは1Kg前後と軽量である。早川氏も鈴木氏も、寄木造りの技術だけではなく、一木造りも手掛けるなど顧客に合わせて様々な獅子頭を造ることができる職人である。寄木造りの知識があるからこそ、一木造りを手掛けることができるのではないだろうか。また一木造りとその良い品質を守りながら、家具の残材を集めて寄木造りで同等の品質を作り出した技術は、今の愛知のモノづくりに繋がっていると考えられる。

6.今後の課題
寄木獅子頭は、作成不明のものが多い。なぜなら、仏壇同様職人は、顔を出さずに卸問屋経由で販売されるからである。鈴木氏はその販売ルートを危惧し、直接受注販売を始めた。より掘り下げた顧客ニーズに対応できるからである。また他の伝統工芸同様、道具を製造する職人や修理する職人の減少・消滅等の問題に歯止めがきかない。材料の高騰・受注の減少・海外からの輸入でこの伝統が消えつつある中で、この技術を後世へ引き継ぐためには、材料コストの工夫、受注確保のために媒体の活用、更なる技術の飛躍が必要となる。そして何より、造り手だけでなく、顧客にあったモノづくりが大切である。さらに、国内だけでなく海外への発信が必要になってくるであろう。「素材」「造り」「塗り」の本物に触れて日本が培ってきた伝統技術を通して、本物の価値が皆へ伝わっていくことを願う。

  • OLYMPUS DIGITAL CAMERA 「寄木獅子頭 名古屋型」 荒神堂提供
  • %e5%b1%b1%e6%9c%ac2_%e5%9b%b31 【図1】 「加賀獅子」知田工房
    (左)桐の見事な一木造り 2018.1.7 撮影
    (右)知田工房のパンフレット 知田工房提供
  • %e5%b1%b1%e6%9c%ac3_%e5%9b%b32 【図2】 「朝倉の梯子獅子」愛知県無形民俗文化財
    高さ約9メートルのやぐらの上で二人一組で舞う
    知多市観光協会提供
  • %e5%b1%b1%e6%9c%ac4_%e5%9b%b33 【図3】 「一木造り」と「寄木造り」のイメージ図
    筆者作成
  • %e5%b1%b1%e6%9c%ac5_%e5%b7%a5%e6%88%bf%e9%a2%a8%e6%99%af%e5%86%99%e7%9c%9f 早川高師氏 工房風景と寄木獅子頭彫り完成品
    (左上)手前は弟子の前田氏(右上~下)2頭の名古屋型完成品、塗りに出す前の彫り完成品
    寄木造りであるが木目は美しい 2019.1.20 撮影
  • %e5%b1%b1%e6%9c%ac6_%e7%8d%85%e5%ad%90%e9%a0%ad%e5%86%99%e7%9c%9f7%e6%9e%9a 鈴木富喜氏 獅子頭彫り・塗り・装飾までの完成品
    獅子頭に塗られる本漆は、樹液の木の収縮に合わせて呼吸できるため、木に寄り添った形で経年変化が楽しめる。そして、時間が経つごとに漆の色見が増していく。
    ここでは要望に応じて毛・幕・壺鈴の取り付けと桐箱(保管用)をつける。
    (左下)獅子頭内側、柄まで本漆で完成させている
    荒神堂提供

参考文献

脚注
[註1]「伝統産業実態調査報告書」昭和54年3月 名古屋市 P.45
[註2]「名古屋市史 産業編」大正4年 名古屋市 P.190

参考文献
「第12版 あいちの地場産業」平成24年 おかしん総研
「伝統産業実態調査報告書」 昭和54年3月 名古屋市
「民族芸能 1」1990年 音楽之友社
「獅子の民俗 獅子舞と農耕儀礼」1982年 岩崎美術社
「仏師という生き方」2001年 広済堂出版
「日本の祭り 第1巻1号」 平成26年 ゆめディア
「日本の祭り 第1巻2号」 平成26年 ゆめディア
「民俗芸能探訪ガイドブック」2013年 国書刊行会
「尾張藩御彫刻師 早瀬長兵衛 木彫の軌跡」 平成20年 水野耕嗣
「尾州彫物師 瀬川治助の世界」 平成11年 水野耕嗣
「名古屋市史 産業編」 大正4年 名古屋市
「東海美仏散歩」2015年 ぴあ
「匠の姿 vuol.3」1999年 二玄社
「刈谷市文化財図録」平成9年 刈谷市教育委員会
「日本の美術 第202号 一木造と寄木造」昭和58年 至文堂
「日本の美術 第185号 行道面と獅子頭」昭和56年 至文堂
「氷見の獅子頭展」資料 昭和61年 氷見市博物館発行

取材協力(敬称略)
早川 高師
鈴木 富喜(荒神堂)http://www.kojin-do.com/index.html
知田 善博(知田工房)http://www12.plala.or.jp/kagasisi/mainmennu/meinmenu1.htm
浅野 繁昭(尾張仏具技術保存会)
青木 望 (大脇の梯子獅子保存会)http://www.mb.ccnw.ne.jp/hashigojishi/jp/

参考URL
知多市観光ガイド 朝倉の梯子獅子 https://chita-kanko.com/information/1394/
刈谷市役所 文化観光課 https://www.city.kariya.lg.jp/history/kariyajou/katsunari/yukarinosina.html

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