文化的景観としての野火止用水の魅力について

鈴木 理雄

1.基本データ
所在地  埼玉県新座市(東京都立川市にある小平監視所が起点)【図3】
構造   素掘り、築堤、サイホン
規模   総延長24km

2.事例の特徴と評価軸
野火止用水は、江戸時代前期に作られ、現在の埼玉県新座市を縦走する用水路である。緑道や平林寺境内林など武蔵野の雑木林を涵養し、農地と宅地が共存する市の住み心地良さを育んだ。一方、市北部の新座駅南側に「ふるさと小道」という遊歩道と水路がある。これは隣接の野火止用水の支流ではなく、駅前開発と緑化計画に立脚した親水施設である。この「ふるさと小道」と比較することによって野火止用水の本質的な魅力を探り、特筆される点を歴史性、生活利便性、精神性の3つの評価軸について考察する。

3.歴史性
3-1 野火止用水の目的と歴史
(1) 上水としての用水(江戸時代~昭和中期)
江戸時代前期、幕府の老中で知恵伊豆と呼ばれた川越藩主松平伊豆守信綱が、多摩川の西にある羽村堰から東の江戸へ標高差を利用して玉川上水を引いた。その褒賞に川越藩へ玉川上水から分水したのが野火止用水である〔註1〕。徳川家光とともに江戸発展を考えた信綱は、江戸と川越の中間にある未墾地に開拓者55戸の農民を入植させた。臣下の安松金右衛門は、乾燥した関東ローム層(火山灰台地)の漏水地層を見越して尾根に沿って掘り進め、野火止用水は工期40日で1655年に完成した〔註2〕。上水は飲料水、生活水や灌漑用水に使われ、粉挽き動力の水車を廻し、農地を潤し300年余り利用された。

(2) 水事情の変化、用水の危機(昭和中期)
明治19年(1886)東京にコレラが伝染した。これを契機に東京の上水は近代化を迫られる〔註3〕 。明治31年(1898)新宿に淀橋浄水場が完成。昭和24年から新座市にも水道が普及し始め、淀橋浄水場の機能は昭和40年(1965)東村山浄水場に移り水道普及が加速した。急激な都市化〔註4〕で工場排水や生活排水が流入し、野火止用水は一時はドブ川と化し、支流や下流域は暗渠化した。昭和48年(1973)東京都の渇水により小平監視所から分水が打ち切られた。

(3) 清流復活(昭和後期〜)
市民運動を経て新座市、埼玉県と東京都事業により昭和49年(1974)~53年(1978)「野火止用水復原対策事業」、昭和59年(1984)~63年(1988)「野火止用水清流対策事業」が実施され、東京都昭島市にある多摩川上流水再生センター(下水処理施設)の高度処理水が用水に流れることになった。当時植栽された用水沿道には、隣接地のブロック塀を隠す生垣が多く見受けられる 。古く放置された居丈高なブロック塀は、人を心理的に遠ざける色と形である。経年で外観は黒ずんで汚れ、鉄筋の強度不足で大地震時倒壊の恐れもある 〔註5〕。生垣は用水沿道のブロックから水辺景観を護ろうと、行政と住民が力を合わせた象徴と見られる。清流復活後の用水は、市内の旧川越街道沿い以南を範囲として、市が国の重要文化的景観選定を目指した取組を進めている。

3-2 「ふるさと小道」の目的と歴史
「ふるさと小道」は新座駅南口駅前開発の一環として平成22年(2010)設けられた。新座市では市全体をフィールドミュージアムとして捉え、野火止用水への観光政策を推進しており「ふるさと小道」も平成30年度に下流、平成31年度に上流の整備計画がある。

4.生活利便性
4-1 緑化促進
「生け垣とブロック塀をみたときの脳波特性の比較」(中村・藤井、1992)によれば、ブロック塀より緑の部分が多くなると、男女共に見た人にリラックスを促すα波が多くなるという〔註6〕。安らぎを与える用水の景観には生垣がふさわしい。市南西部から平林寺までの用水沿道には常緑樹「ベニカナメモチ」の生垣が多い。生長が早く刈り込みに強く、一般家庭でも持続的維持が容易である。
野火止用水の周辺は「ふるさと小道」よりも総じて緑視率が高い【図5】。これは用水沿いの遊歩道が相対的に狭く、視界において落葉樹の街路樹よりも常緑樹の生垣の占める緑の割合が高いためである。用水の豊富な水量、涵養された土や植樹の多さが、緑視率を高めていると考えられる。「ふるさと小道」は都市防災観点から通路幅の広い点が良いが、造成地の限られた土の量と流量少ない水路で涵養できる緑は不足しがちである。落葉堆肥や生垣の活用、雨水の貯留利用等により緑被率の充実が望まれる。

4-2 親水性
リンや窒素を除去した高度処理水は、魚が棲める水質に保たれている。そのおかげで野火止用水には鯉が泳ぎ、草木と水辺の生き物の生態系が循環するビオトープが形成されている。水深は数十cm程あり水辺景観として眺めが良い。ただし安全のため柵の中に入れず生活水には使えない。一方「ふるさと小道」水路は水深数cm程で流量が少ないため、水路内に石を配し、水流に緩急をつけ水生生物の自生を促す工夫がみられる。
野火止用水は交通便宜を図るため橋が随所にある。「ふるさと小道」も親水性を高める橋が多数掛けられている。新座駅南口は地区計画によりブロック塀など景観を損なう物が排除され、「ふるさと小道」水路は住宅の生垣と隣接し、生活水に使われた野火止用水の面影が受け継がれている。

5.精神性
5-1 資源循環性
野火止用水は開拓当時、生活基盤である用水の傍らに住居が並びその奥に細長く農地が連なる、自給自足型の短冊形地割であった【図4】。用水はまず濾過して飲料水として使われ、次いで洗濯等の生活水に使われ、下水は無駄にならず畑の土へ還る。配水は用水からの傾斜を利用した合理的な水循環システムである。本流から数々の支流が引かれ、屋敷前は肥沃になり生垣、雑木が育った。屋敷林は畑の砂埃からの防風機能を備え、雑木林の萌芽更新で薪が作られ、落葉は肥しになる。信綱が指導した農業政策には発展性や先見性があった。市南西部〜平林寺付近までの用水は、水量に応じて土砂崩壊を防ぐ杭を敷き詰め、土圧に耐える工夫がされている。平林寺北側の川越街道を越えた先で、暗渠を通り北方の新河岸川へ流れ込んで自然に還流する。
一方、「ふるさと小道」水路はポンプで汲み上げた水が数百m流れた後、新座駅南口公園手前で下水路へ流れてしまう。その先の新座駅南口には、野火止用水から移築された水車のオブジェと、落葉樹で包まれたロータリーがある。歴史を想起させる水車は夏季に、ポンプで汲み上げ流水の爽やかさを演出する。しかし「ふるさと小道」駅前側では水路が堰き止められ池のようであり、藻が発生しやすい。池より流水の方が美しいと感じるのは、流水に汚れを溜めない清廉さと、自然エネルギー利用の合理性を感じるためであろう。「ふるさと小道」にも、自然の働きや還流を活かす工夫が欲しい。

5-2 連帯感の醸成
野火止用水は行政と市民の力を合わせて維持されている。市の委託造園業者の定期的な除草作業、生垣の剪定により美観が保たれる。毎年7〜8月に地域ボランティアと地元小・中学性による用水のごみ拾い、11月には市の商工会主催の用水ウォーキングイベント、4月は信綱の廟所である平林寺で半僧坊大祭と伊豆殿行列(信綱と家臣団の仮装行列)がある。
一方「ふるさと小道」も管理主体は市で行政主導だが、清掃ボランティアを募り市民参加を呼び掛けている。
新座市は「野火止用水・平林寺の文化的景観保存計画」や景観計画を定め、市の代表的史跡である平林寺、野火止用水の文化的景観について市民の連帯意識醸成を図っている。平林寺・野火止用水周辺の色彩基準は厳しく、古来の自然景観を大切にしている。生垣はどこも同じく背丈程度より伸びたら刈るのが自然で、それが沿道景観の連続性を形成している。

6.今後の展望
野火止用水の美の本質は、流れそのものにある。江戸時代に生まれた用水は、生活に必要な水を自然傾斜と築堤やサイホン等の工夫で運び、水質に合った目的に段階的に利用し、地域内で土や川へ還元させる知恵と合理性があった。人間の排出物は資源として無駄なく循環し、緑を育んで豊かな地域発展を促した。その情景が、汚れのない美しさを感じさせる。
野火止用水の北部暗渠部分を開渠に復原を目指す市の計画があり、観光案内所を兼ねた「ふるさと新座館」近隣の用水で実績がある。水路全体が往年の姿を少しずつ取り戻せば、水辺を護る清廉な心もその地域に宿る。資源が循環し、淀みなく水の流れていた江戸時代。その精神を受け継いだ野火止用水と「ふるさと小道」が一体となり、互いに良い点を補いながら活用され、後世に誇れるよう整備されていくことを願う。

  • 【図1】野火止用水の景観。新堀二丁目 四阿付近にて。 2017.7.16筆者撮影 堀の独特の切れ込み部に、シダ植物が生い茂る。この付近では鯉が泳いでいる様子が見られる。 【図1】野火止用水の景観。新堀二丁目 四阿付近にて。 2017.7.16筆者撮影
    堀の独特の切れ込み部に、シダ植物が生い茂る。この付近では鯉が泳いでいる様子が見られる。
  • 【図2】「ふるさと小道」志木街道側より。2017.2.18筆者撮影 水路の向こうに、右折し生垣を抜けて住宅に入る橋が見える。生垣から住宅への通り道の幅を狭くして、遠目から生垣の連続性が損なわれないように景観配慮がなされている。 【図2】「ふるさと小道」志木街道側より。2017.2.18筆者撮影
    水路の向こうに、右折し生垣を抜けて住宅に入る橋が見える。生垣から住宅への通り道の幅を狭くして、遠目から生垣の連続性が損なわれないように景観配慮がなされている。
  • 【図3】市内見取り図 新座市『野火止用水・平林寺の文化的景観保存計画』p.7より
     市の中央部に広がる緑地が平林寺で、南西部の清瀬駅方面から野火止用水が流れている。
     志木街道②から新座駅南口へ向かう東西200m程の区間に「ふるさと小道」(図中⑧の一本南側の路地)と水路が整備された。

    「ふるさと小道」は図中緑色の点線で野火止用水の支流の延長のように見えるが、よく見ると「幹線道路沿道ゾーン」になっており「平林寺・野火止用水周辺ゾーン」と区別されている。新座市観光案内所の説明では、この区間は江戸時代には無かったので野火止用水ではないとしている。
    (非公開)
  • 【図4】新田開発時からの地割、昭和40年頃までの野火止用水の景観
    いずれも、新座市『野火止用水・平林寺の文化的景観保存計画』より抜粋

     上段:短冊形地割の説明 …p.53より
     用水から住居、そして農地へと段階的に配水される仕組みが整っていた。

     下段:昭和40年代までの上水と生垣 …下段左p.47、下段右p.46より
     用水と住居の前に、小庭や生垣がみられる。
    (非公開)
  • 【図5】フォーラムエイト 自主簡易アセス支援サイト「緑視率計算サービス」 【図5】フォーラムエイト 自主簡易アセス支援サイト「緑視率計算サービス」
    http://assessment.forum8.co.jp/assessment/php/greenCoverageRateUpload.php より
    「緑視率とは、評価対象の建造物等を視界に入れた際、視界に入る自然の緑の割合のことです。 国土交通省による社会実験では、緑視率が25%以上確保されていると人は安心感を覚えるとされています。 もちろん、これは個人差があり、価値観や生活スタイルによって必要とされる緑視率の割合は違うのだと思われます。 この25%をひとつの目安に、様々な人の目線からチェックすることで、 景観や緑地のデザインを検討する材料にしようとするものです。」

    緑視率に見る、用水や用水跡の景観 (写真左から順に、①②③④とする)
     ①:新座市新堀二丁目 四阿(あずまや)付近:洪水を防ぐ用水堀独特の断面にも緑があり、街路樹と生垣に囲まれた遊歩道。 2017.7.9筆者撮影
     ②:新座駅南口「ふるさと小道」志木街道側:冬季は落葉樹の枝が寂しく、水路の水量は僅かになる。 2017.2.18筆者撮影
     ③:新座市新堀二丁目 野火止用水支流「八軒廻し堀」の跡。ブロック塀が1.2m超と高いため、塀の内側の緑が少なく感じられる。 2017.5.12 筆者撮影
     ④:志木駅周辺の用水跡。ブロック塀+低木の生垣。高さのあるブロックで日蔭になり、植樹の緑を感じる効果が半減している。 2016.11.13 筆者撮影
  • 【図6】新座駅南口前における初夏・冬期景観の比較。 【図6】新座駅南口前における初夏・冬期景観の比較。
     上:2017.5.20、下:2017.2.18 筆者撮影
    初夏からオブジェの水車が回転し、冬期は通水中止になる。
    落葉樹が多いが、落葉は土に還ることが望ましい。そのため最小限の土のスペースは確保されている。
  • 【図7】平林寺半僧坊大祭における、伊豆殿行列。平林寺惣門前にて。2017.4.17 筆者撮影 【図7】平林寺半僧坊大祭における、伊豆殿行列。平林寺惣門前にて。2017.4.17 筆者撮影
    野火止用水を開削した松平伊豆守信綱を先頭に家臣団も全員、地元大学の学生たちが毎年扮して参加している。植木市や露店に市民が集い賑わう。開削の功労に感謝を捧げ、歴史に親しむ祭りである。
  • 【図8】新座駅南口公園前「ふるさと小道」の掲示板にて。2017.7.23 筆者撮影 【図8】新座駅南口公園前「ふるさと小道」の掲示板にて。2017.7.23 筆者撮影
    右下は戦前の国定教科書の写し。野火止用水は完成後、大雨で通水するまで三年かかった。土地に水が染み渡り作物がよく実るようになったと安松金右衛門が、松平伊豆守信綱を説いたとする話が書かれている。

参考文献

石川英輔著『大江戸省エネ事情』講談社、2013年

井上洋司著『ローメンテナンスでつくる緑の空間』彰国社、2014年

内田宗治著『地形で解ける! 東京の街の秘密50』実業之日本社、2016年

大野瑞男著『松平信綱』吉川弘文館、2010年

河合敦著『早わかり江戸時代』日本実業出版社、2009年

小泉智和著『玉川上水ぶらり散歩』日本水道新聞社、2002年

斎藤利夫・大谷希幸著『野火止用水ー歴史と清流復活の讃歌ー』有峰書店新社、1990年

進士五十八著『緑のまちづくり学』学芸出版社、1987年

進士五十八著『アメニティ・デザインーほんとうの環境づくりー』学芸出版社、1992年

高橋裕著『都市と水』岩波書店、1988年

辰濃和男・村瀬誠著『雨を活かす ためることから始める』岩波書店、2004年

土岐寛著『景観行政とまちづくりー美しい街並みをめざしてー』時事通信社、2005年

中村彰彦著『知恵伊豆と呼ばれた男 老中松平信綱の生涯』講談社、2011年

新座市教育委員会、小三社会科副読本「にいざ」編集委員会編『にいざ〈改訂版〉』中央社、1977年

羽生道英著『徳川家光 英明・武勇の三代将軍』PHP研究所、1999年

羽村市郷土博物館編『改訂新版 玉川上水 その歴史と役割』羽村市教育委員会、1986年

樋口清之監修『学研まんが人物日本史 徳川家光 電子版』学研教育出版、2015年

広松伝編『柳川掘割から水を考えるー水循環の回復と地域の活性化』藤原書店、1990年

藤井孝文著『さきたま文庫・44 平林寺』さきたま出版会、1993年

前野利羽子著『ビジネスモデルは江戸に学べ エコ・リサイクル編』まんがびと、2016年

槇文彦・三谷徹編著『場のデザイン』彰国社、2011年

村越匡芳監修『一目でわかる!庭木の剪定』池田書店、2017年

安富六郎著『武蔵野・江戸を潤した多摩川 多摩川・上水 徒歩思考』農山漁村文化協会、2015年

渡辺尚志著『百姓の力ー江戸時代から見える日本』角川書店、2008年

渡部一二著『図解・武蔵野の水路 ー 玉川上水とその分水路の造形を明かす』東海大学出版会、2004年


『時空旅人 2017.3 Vol.36』「400年の礎をいま、歩くー。江戸の町づくり。」プラネットライツ、2017年

『Pen+ 大いなる可能性を秘めた下水道のミライ』CCCメディアハウス、2015年


参考DVD

高畑勲監督『柳川掘割物語』宮崎駿製作、1987年公開(ブエナ ビスタ ホーム エンターテイメント、2003年発売)


参考URL

学研キッズネット『ひみつ文庫「下水道のひみつ」』2017年7月23日取得
https://kids.gakken.co.jp/himitsu/117/app.html

河野 清「コンクリート製品の歴史」社団法人土木学会『土木学会論文集 No. 466 V-19, pp.1-7, 1993.5』2017年7月29日取得
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscej1984/1993/466/1993_466_1/_article/references/-char/ja/

国土交通省 都市・地域整備局 下水道部「高度処理」2017年7月23日取得
http://www.mlit.go.jp/crd/city/sewerage/yakuwari/koudoshori.html

小平市「野火止用水の歴史」2017年7月29日取得
http://www.city.kodaira.tokyo.jp/kurashi/006/006180.html

東京都下水道局「多摩川上流水再生センター」2017年7月29日取得
http://www.gesui.metro.tokyo.jp/living/tour/guide/sise-list/04-03/

東京都下水道局「東京都の下水道2016」2017年7月29日取得
http://www.gesui.metro.tokyo.jp/business/kanko/kankou/2016tokyo/

東京都水道局「東京の水道・その歴史と将来」2017年7月30日取得
https://www.waterworks.metro.tokyo.jp/suidojigyo/gaiyou/rekishi.html

社団法人全国建築コンクリートブロック工業会「ブロック塀Q&A」
http://www.jcba-jp.com/daijiten/c06/

中村 隆治, 藤井 英二郎「生垣とブロック塀をみたときの脳波特性の比較」社団法人日本造園学会『造園雑誌 Vol. 55 (1991) No. 5 p.139-144 』2017年7月18日取得
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jila1934/55/5/55_5_139/_article/-char/ja/

新座市・新座市教育委員会『野火止用水・平林寺の文化的景観保存計画(平成24年3月)』2017年5月16日取得
http://www.city.niiza.lg.jp/site/bunkazai/bunkazai-bunkatekikeikan.html

新座市「野火止用水をあるく」2017年7月29日取得
http://www.city.niiza.lg.jp/site/bunkazai/nobitomeyousuiwoaruku.html

新座市「第4次新座市基本構想総合振興計画後期基本計画 第6章(観光)」2017年7月30日取得 
http://www.city.niiza.lg.jp/site/kihon-keikaku/kihonkoso4-koki.html

新座市「第4次新座市基本構想総合振興計画前期基本計画の実績報告書を公開しています」2017年7月30日取得
http://www.city.niiza.lg.jp/site/kihon-keikaku/kihonkoso4-zenki-minaosi.html

新座市「新座市緑の基本計画(第5章 緑化重点地区の計画)」2017年7月30日取得
http://www.city.niiza.lg.jp/site/tosiseibi-keikaku/midorinokihonkeikaku.html

新座市「新座市景観計画」 2017年5月16日取得
http://www.city.niiza.lg.jp/site/tosiseibi-keikaku/niizakeikankeikaku.html

新座市「統計にいざ 〔2〕人口」2017年7月17日取得
http://www.city.niiza.lg.jp/soshiki/1/toukeiniiza.html

新座市「“すぐそこにいざ”観光ガイドマップ」2017年7月29日取得
http://www.city.niiza.lg.jp/soshiki/20/guidemap.html

新座市「観光都市にいざづくりの取組」 2017年5月16日取得
http://www.city.niiza.lg.jp/soshiki/20/kankoutorikumi.html

新座市「生け垣設置助成金」2017年7月29日取得
http://www.city.niiza.lg.jp/soshiki/22/ikegakijyosei.html

新座市「新座市内の地区計画について 新座市内にある地区計画区域及び内容(新座駅南口地区地区計画:垣又は柵の構造の制限)」 2017年7月30日取得
http://www.city.niiza.lg.jp/soshiki/32/chikukeikakulink.html

新座市商工会「発見ウォーキング」2017年7月30日取得
http://2134sci.or.jp/

フォーラムエイト「自主簡易アセス支援サイト 緑視率計算サービス(無料)」2017年7月30日取得
http://assessment.forum8.co.jp/assessment/php/greenCoverageRateUpload.php

文化庁「文化的景観」2017年7月29日取得
http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/keikan/


聞き取り調査

2017年7月9日(日) 新座市観光プラザ:新座市観光ボランティアガイド Wさん

2017年7月16日(日) 新座市観光プラザ:新座市観光ボランティアガイド Yさん


脚註

〔註1〕野火止用水による武蔵野台地開拓
大野瑞男『松平信綱』 p.154 より。川越の商人、榎本弥左衛門「万之覚」によると、伊豆守が家一軒に金二両と米一俵を貸与し武蔵野火留新田に携わらせたとある。
大野瑞男『松平信綱』p.161より。「信綱は北武蔵野の未墾地を開発して小百姓を自立させて新本百姓とし、年貢を徴収して藩財政を確立しようとしたのである。野火止新田開発はその一例である」
大野瑞男『松平信綱』p.170-171より。大河内家文書、慶安御触書について「信綱は農政や理財に明るく、農業技術の微細にまで立ち入ったこのような条目を生み出すに至ったといえる。(中略)進んだ農業・土木技術は領主層が独占し、代官や地方巧者を通じて農民に教諭しつつ統制するという、いわば領主先導型の段階であった」

〔註2〕野火止用水の通水
大野瑞男『松平信綱』p.156-157 および、安富六郎著『武蔵野・江戸を潤した多摩川 多摩川・上水 徒歩思考』p.123-128より。江戸時代中期の朱子学者である新井白石の『紳書』で伝えられた話が、戦前の国定教科書に掲載された。野火止用水は完成後三年経って大雨とともにようやく通水したとされる。
「ふるさと小道」の掲示板にその教科書の写しの掲示がある【図8】。

〔註3〕明治、昭和の水道事情
羽村市郷土博物館編『改訂新版 玉川上水 その歴史と役割』羽村市教育委員会、1986年 p.94-97によると、明治34年(1901)玉川上水の水をそのまま飲むことは廃止された。昭和40年(1965)東京都東村山市に東村山浄水場が完成し、小平監視所からの水は玉川上水や野火止用水へではなく、東村山浄水場へ流れるようになった。

〔註4〕新座市人口の推移
新座市教育委員会、小三社会科副読本「にいざ」編集委員会編『にいざ〈改訂版〉』中央社、1977年 p.111-113より。昭和35年の新座市の人口は約15,000人。
新座市「統計にいざ」によると、昭和39年の人口が27,201人、昭和40年が33,779人。昭和48年が高度経済成長期における人口増加率のピークで97,289人。翌年10万人を超えた。その後も伸び続け、平成28年は164,650人である。(各年10月1日現在)

〔註5〕コンクリートブロックの歴史と特性
河野 清「コンクリート製品の歴史」pp.1より。コンクリートブロックは、昭和25年にアメリカから成形機が輸入され昭和27年(1952年)にJIS規格になった。
社団法人全国建築コンクリートブロック工業会「ブロック塀Q&A」Q3より。「法規を守って、良い施工された厚さの厚い(15cm)ブロック塀の耐用年数(寿命)は30年程度といわれています。一般にはこれより薄いブロックを使うことが多いので、当然短くなります。ブロック塀は、ブロックの中に横からの力に抵抗する鉄筋が入っています。この鉄筋は、塀のメンテナンスをしていないと15年程度で錆び始め、鉄筋が細くなり、ブロック塀は自重でのみで自立している状態に近くなります。また、時間がたてばブロック塀の寿命と関係なく風雨に曝され汚れてきます。かび、水垢などは長い年月が経過すると付着します。」
同、Q4より。「ブロック塀を建てる場合は、建築基準法や日本建築学会で塀の高さとブロックの厚さ、基礎の深さと大きさ、鉄筋の太さと間隔など細かく決められています。この規定のそってつくられたブロック塀は、阪神大地震の揺れにも「びくともしない」ことは都市住宅技術研究所で行われた振動実験で立証済みです。しかしながら、見た目はきれいでも、必要な基礎が小さかったり鉄筋の配筋が規定どおりでなかったら、震度5程度の地震で倒れることがあります。」

〔註6〕「生け垣とブロック塀をみたときの脳波特性の比較」(中村・藤井、1992)p.139摘要より
「緑地の視覚心理的効果を明らかにするために, 本実験では生垣, ブロック塀, さらに緑量的にそれらの中間的な段階の視覚対象として樹木とブロックの比が2:5, 4:3, 5:2となる場合の5つの対象物をみたときの脳波, 特にα波β波について分析を行った。 その結果, α波とβ波の合計値に占めるα波の割合が, ブロックに対する樹木の割合が半分以上になると高くなる傾向を示した。 一般に, 安静時にはα波が増え, 緊張時にはβ波が増えると言われていることから, この傾向はブロックが緊張感をもたらし, 樹木はそれを和らげる効果があることを示唆するものであることが明らかになった。」