観察からはじまるデザインとまちをつくる共感―「明倫学区に残したい建物」を事例として―

今村 結香

はじめに
まちへの共感はどのように形成され、共感から新たな価値を付与された建物は、まちとどのようにかかわっているのだろうか。京都市中京区に位置する明倫学区は、「祇園祭のまち」という視座からまちづくりを進めている。その取り組みの一例である「明倫学区に残したい建物」の選定プロセスをデザインの観点から評価し、文化資産として報告する。

1.歴史的背景
1-1.「町」・「町組」・「学区」に引継がれる空間
明倫学区(面積約22.2ha、人口3,008人)は、和装産業の卸問屋が集積する伝統産業の中心地である[1]。27ある「町(ちょう)」の半数以上は、ユネスコ無形文化遺産「京都祇園祭の山鉾行事」[2]における山鉾行事の執行主体となる「山鉾町」であり、古くから「鉾ノ辻」[3]と称された四条室町の北に位置する。[資料1]
学区は元学区とも称され室町期以来の地域単位「町組」を、明治期に行政区画として再編成した「番組」に置かれた番組小学校の校区をさす[4]。明倫学区は明倫小学校(下京第三番組小学校)[5]の校区を引継ぐ範囲にあたる。本稿では学区と記載する。

1-2.まちづくりの契機
バブル経済期以降は開発に起因する景観問題が顕著となり、現在は業務ビル、マンション、宿泊施設が混在するまちとなった。景観の変化は、軒を連ねる町家の連担にみる街区内の居住環境を相互に守るという価値観を希薄化させ、コミュニティを変容させた[6]。こうした危機感から2002年、明倫学区自治連合会の部会として明倫まちづくり委員会は発足し、「祇園祭のまち」という視座からまちづくりを行っている[7・資料2]。学区全体で取り組む重要性は、条坊制の規定する一街区の中に4つの「町」が接する両側町特有の構造[8・資料3]からも明らかである。
「明倫学区に残したい建物」[9]認定(2013年度)は、景観に対する住民の思いに基づいた当該学区のデザイン基準の設置を目的としていた。京町家、近代建築、町並みが認定され、住民の望む建物として景観コンセンサスと位置づけられている。本稿では「祇園祭のまち」を考察するため京町家と町並みに着目する。

2.評価
2-1.問いかけからはじまる観察と共感形成
「明倫学区に残したい建物」は、当該学区全戸を対象とするアンケート調査をもとに選定された。「あなたが明倫学区内で「ぜひ残したい・いい建物だ」と思われる建物を記入してください」とのアンケート用紙は、建物とその理由を記入する形式である。集計後、住民参加の見学会で専門家の解説をふまえた検証を行い、再調査を経て認定に至った。[10]
残したいと思う理由には指定文化財などの価値だけではなく、建物と祇園祭との関係、個人の体験・記憶なども綴られていた[11]。この多様な「思い」は、建物への共感ではないだろうか。ここにクリティカルな視点も加わり既存の建物に付与された新たな価値は、「残したい・いいと思う建物」という切り口による問いかけにより見出されたものといえる。アンケート調査にはじまる選定のプロセスは、観察から共感を引き出すことで、どんな景観を望むのかという問いを共通の認識として広げるデザインであったと評価する。

2-2.「明倫学区に残したい建物」の京町家とまちとの距離感
認定された京町家[12]は一見してその判別は難しいものの、祇園祭の神事の場となるために山鉾町には現存の多い町会所[13]も含まれる。山鉾町は生活空間が祭礼空間に転換し、住民は祭礼の担い手となる特徴をもつ。
京町家の職住一体の空間はその成立背景から本来、街路を介してゆるやかに「町」の空間とつながる構造をもつ[14・資料3]。そのため建物は、「町」の歴史や文化と呼応する暮らしから培われた「祇園祭のまち」独自の営みや、生活の知恵を内包することとなる。選定当時も、京町家の喪失にともなう生活文化の喪失が懸念されていた。
建築家・川添はすべてのデザインの営みとは、時間の流れを本質的に理解しながら過去の大切なものを見極めて選択し未来へ接続する作業だとする[15]。「明倫学区に残したい建物」の認定は、それぞれの「町」の空間を構成する建物に積層している時間と生活文化を未来へ接続するデザインであると評価する。

3. 他事例との比較と特筆すべき点
3-1.「修徳まちなみ文化財」
明倫学区から500mほど南に位置する修徳学区(面積約15.9ha、人口3,161人)は、同じ職住共存地区にあるためか景観問題に共通性がみられた[16]。1992年、修徳小学校(下京第十四番組小学校)の跡地問題を契機に修徳自治連合会に設置された修徳まちづくり委員会は、「景観づくり相談会」(2010年策定)が京都市の「景観づくり協議会」制度創設に参照されるなど、学区の共通認識を景観へ反映するしくみづくりに特徴がある[17]。
「修徳まちなみ文化財」は「修徳らしいまちなみ」の形成に貢献し、模範例となることを目的として認定されている[18]。建物の他に平安末期・鎌倉初期の政治と文化の中心であったことを示す史跡も含まれており、地域特性にそった町並み形成を促している。

3-2.特筆点—「祇園祭のまち」の京町家と生活文化
もっとも対照的なのは「修徳まちなみ文化財」は町家風のビルや「平成の町家」[19]など、伝統的町家に倣った意匠のビルやマンションも認定対象とする点、景観づくり相談会を経て建築された建物を追加認定する点にある[20]。これは既存の町並みとの調和を促し、ふさわしい変化に対して継続的に価値づけを行うしくみといえる。
「明倫学区に残したい建物」では町家風のビルは対象外[21]となる一方で、本来の空間構成を重視して修復工事を施した京町家を認定している。この選定と認定プロセスをみると、外観には現れない事柄に意識的であった。明倫まちづくり委員会委員長は、認定した建物を景観づくりの基準とするのは「いちばん簡単」ではあるが、「山鉾が建つ町内にふさわしい景観を考えるため」の認定であるとした[22]。外観のみを基準とすれば、建物と一体にあることで継承されてきた無形の生活文化を看過しかねないとの示唆であろう。
山鉾は「町」共同体形成の徴証として指摘され、そのはじまりの場所で現在まで継承されている。この営みのなかで洗練された、「祇園祭のまち」の建物が「町」と結びつくことで創出してきた生活文化も含めて、「残したい」との共感を得た点が特筆される。

4.今後の展望について
4-1.まちづくりの実践論を共有すること
「明倫学区に残したい建物」選定は、物質的な環境への規制・誘導を図る「地域協働型地区計画」策定後[23]、景観の質的な向上を期待できる「地域景観づくり協議会」の間に実施された。発足当初から踏査などのワークショップや座談会「明倫夜話の座」[24]を開催しており、マンションとの連携推進をすすめてきた。取り組みはその都度、広報誌で発信しており詳細な記録が残る[25]。「地区計画の方針」(2006年)策定における合意形成プロセス重視への評価が研究報告[26]にあり、「地区整備計画」(2012年改定)策定時もこのプロセスを踏襲している。つまり同委員会は広範で複雑な利害関係のなか、まちへの関心や共感を共通認識として広げながらコンセンサスを図る取り組みを実践してきたのである。実践者である委員会と協働しながらその経緯をテキスト化することは、方法論を広く共有するための一助となり得る。

4-2.未来のために「明倫学区に残したい建物」と選定プロセスを顧みること
「デザイン思考のプロセス」を参照すると「明倫学区に残したい建物」選定以降、現在までの一連の取り組みとの一致がみられた。[27・資料5]。また、共感を共通認識につなげる「観察から生まれるデザインの手法」[28]とも共通する。
選定から10年を経て、失われた建物や外観を留めつつも生活空間ではなくなった京町家もある。現時点における建物への共感と選定時の景観コンセンサスとを対照させ、その差異を観察するタイミングであろう。これらの建物や選定時に対象外となった建物を議題とすることは、その時々の景観に対する認識の違いを知る方法になり得る。この違いを現在の住民の多様な「思い」と捉えると、一見しただけではわからない「祇園祭のまち」の景観を特徴づける事柄に対する共感の広げかたについて、工夫すべき点を見出せるのではないだろか。

5.まとめ
「明倫学区に残したい建物」に認定された建物は、成立当初の「町」の形態と町内の山鉾行事に合わせて洗練されてきた形態と、そこに内包された生活文化に特徴づけられていた。またこの建物に付与された景観コンセンサスという新たな価値は特筆される。学区みんなで考え、共感し合えるまちの景観を既存の建物から見出そうとする試みは、現在も継続している。こうした、観察から得た共感を共有しながらコンセンサスを形成していくまちづくりの方法論は、どのまちにとっても不可欠なことではないだろうか。そのさい、文化という無形の事柄を看過しないことは重要であると考える。

  • 資料1・「明倫学区に残したい」エンブレム、明倫学区、「祇園祭のまち」について_page-0001 資料1「「明倫学区に残したい」エンブレム、明倫学区、「祇園祭のまち」について」(筆者作成)
    京都市統計ポータル、国勢調査地図(令和2年) https://www2.city.kyoto.lg.jp/sogo/toukei/Rikatsuyou/Map/(2023年7月28日最終閲覧)
    速水春暁斎画図『諸国図会年中行事大成(巻之1-4)』文化3年、国立公文書館デジタルアーカイ
    ブ https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000009951&ID=&NO=&TYPE=dljpeg&DL_TYPE=jpeg(当ページ内「諸国図会年中行事大成6」よりp.12、p.24、p.25を資料に添付)(2023年9月29日最終閲覧)
  • 資料2・明倫まちづくり委員会の経緯_page-0001 資料2 「明倫学区まちづくり委員会の経緯(筆者作成)」
    広報誌である「明倫ニュース」「めいりん」「明倫まちづくりNEWS」の各号より抜粋(明倫まちづくり委員会の保管する貴重な資料を拝借し作成した)。
  • 資料3・両側町、町家と街路の関係、京町家の空間構成、町会所について_page-0001 資料3 「両側町、町家と街路の関係、京町家の空間構成、町会所について」(筆者作成)
    秋山國三、仲村研『京都「町」の研究』法政大学出版局、1981年、p159。
    新谷昭夫「第三章 山鉾町の町家とそのなりたちー—近代都市空間が失ったもの」p112、谷直樹・増井正哉『まち祇園祭すまい——都市祭礼の現代』思文閣出版、1994年。
    速水春暁斎画図『諸国図会年中行事大成(巻之1-4)』文化3年、国立公文書館デジタルアーカイ
    ブ https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000009951&ID=&NO=&TYPE=dljpeg&DL_TYPE=jpeg (当ページ内「諸国図会年中行事大成6」よりp21を資料に添付)(2023年9月29日最終閲覧)
  • 資料4・明倫まちづくり委員会インタビュー_page-0001
  • 資料4・明倫まちづくり委員会インタビュー_page-0002
  • 資料4・明倫まちづくり委員会インタビュー_page-0003
  • 資料4・明倫まちづくり委員会インタビュー_page-0004
  • 資料4・明倫まちづくり委員会インタビュー_page-0005 資料4 「「明倫学区に残したい建物」についてのインタビューと回答」(筆者作成)
    「〔4−1〕「明倫学区に残したい建物」について」に記載の選定過程は、明倫まちづくり委員会で保管する貴重な資料を拝借し作成した。
  • 資料5・「デザイン思考のプロセス」でみる「明倫学区に残したい建物」選定過程から現在まで_page-0001 資料5 「「デザイン思考のプロセス」でみる「明倫学区に残したい建物」選定過程から現在まで」(筆者作成)
    早川克美著『私たちのデザイン1 デザインへのまなざし —豊かに生きるための思考術』(芸術教養シリーズ17)、藝術学舎、2014年、p29「【図1】ユーザー中心主義におけるデザイン思考のプロセス」。

参考文献

[参考文献]
秋山國三、仲村研『京都「町」の研究』法政大学出版局、1981年。
井上成哉「祇園祭と京都の地域住民」、自治労連・地方自治問題研究機構編集『季刊 自治と分権 第84号』大月書店、2021年pp.112-121。
大場修『京都 学び舎の建築史——明治から昭和までの小学校』京都新聞出版センター、2019年。
川添善行著、早川克美編『私たちのデザイン3 空間にこめられた意思をたどる』(芸術教養シリーズ19)、藝術学舎、2014年。
京都大学工学部建築学教室建築史研究室編『祇園祭山鉾町会所建築の調査報告——本文編』昭和堂、昭和50年。
公益財団法人京都市景観・まちづくりセンター『20年の歩みとこれから——公益財団法人京都市景観・まちづくりセンター設立20周年記念』、公益財団法人京都市景観・まちづくりセンター、2018年。
小島富佐江『京町家の春夏秋冬 祇園祭山鉾町に暮らして』文英堂、1998年。
新谷昭夫「第三章 山鉾町の町家とそのなりたちー—近代都市空間が失ったもの」p112、谷直樹・増井正哉『まち祇園祭すまい——都市祭礼の現代』思文閣出版、1994年。
谷直樹「第二章 町会所と会所飾」pp.81-98、谷直樹・増井正哉『まち祇園祭すまい——都市祭礼の現代』思文閣出版、1994年。
辻ミチ子『町組と小学校』(季刊論叢日本文化) 角川書店、1997年。
丹羽結花「変わり続ける祇園祭——住み手と町のかかわり方の一事例として」、高橋康夫・中川理編『京・まちづくり史』昭和堂、2003年、pp.212-223。
早川克美著『私たちのデザイン1 デザインへのまなざし —豊かに生きるための思考術』(芸術教養シリーズ17)、藝術学舎、2014年。
林家辰三郎『京都』岩波新書、1996年。


[参考URL]
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https://www.city.kyoto.lg.jp/tokei/cmsfiles/contents/0000047/47605/meirinpanf.pdf(2023年7月28日最終閲覧)
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京都市情報館HP、「地域景観づくり協議会制度について」https://www.city.kyoto.lg.jp/tokei/page/0000281403.html(2023年7月28日最終閲覧)
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速水春暁斎画図『諸国図会年中行事大成(巻之1-4)』文化3年、国立公文書館デジタルアーカイブ
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明倫自治連合会、明倫学区まちづくり委員会『明倫ルールブック』(2017年)。
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明倫ニュース http://www.meirin-news.com/(2023年7月28日最終閲覧)

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