埼玉県を誇る岩槻人形ー岩槻人形博物館を中心に

横田 正仁

1、はじめに
埼玉県さいたま市岩槻区は、平成17年4月1日に旧岩槻市よりさいたま市に編入した。岩槻は、江戸時代より人形の街として栄えており、現在も東武野田線岩槻駅を中心に雛人形の店舗が見られる(図1)。さいたま市岩槻人形博物館(図2)(以下、岩槻人形博物館)という人形専門の博物館も存在し、日本有数の人形生産地である。本論では、岩槻の地場産業である人形とその発信地である岩槻人形博物館の文化資産としての価値について報告する。

2、歴史的背景(1)(図3)と基本データ
岩槻が人形の産地になった理由は諸説ある。寛永十三年日光廊建設の際、伏見の人形師が江戸へ向かう途中に宿場町として立ち寄りそのまま居住したためという説、元禄年間に東照宮の大修理の際に、京の仏師恵信が岩槻を通った際に病にかかり、藩医の戸塚某により回復、そのままとどまり当時生育していた桐の粉で人形の頭を作り始めたという説、岩槻付近は当時桐細工がさかんであり、そこから出る桐くずが人形の頭をつくる素材として適しており、岩槻藩の下級武士、農民の内職として生産されるようになったという説などが言われているが確定はしていない。幕末岩槻藩主永井、大岡氏の時代に人形の頭の型を江戸、大阪に移出して人形師橋本重兵衛が岩槻人形の名を全国に高めた。明治時代に入り、越後高田藩の大倉大膳らにより人形作りが継承されていくようになる。大正時代には雛市が盛んに開かれるようになるが、第二次世界大戦により人形師の動員、人形衣装の製造中止が起こる。やがて、東京の人形師が岩槻に疎開することにより、戦後再び人形の生産が行われることになった。昭和26年、岩槻雛人形をつくり、テレビ、ラジオの宣伝により大きく発展することになる。昭和40年代には生産量が日本一になった。現在は桐に代わりプラスチックによる大量生産を行い、人形製作が行なわれている。しかし、時代とともにその生産量が衰退することになる。職人の引退により減少することも重なり、人形従事者は昭和46年に6000人であったが、令和2年には販売者と生産者合計で45人と激減している(2)。その中で、2020年公立では全国初の人形専門博物館である岩槻人形博物館が開館した。この際、閉館した埼玉県越生町の笛畝人形記念美術館の人形を譲り受けた。
以下に岩槻人形博物館の基本データ(3)を記載する。
名称 さいたま市岩槻人形博物館
所在 さいたま市岩槻区本町6-1-1
開館 2020年2月22日
館内 地上1階
展示室3室、会議室、ミュージアムショップ
収集点数 約5000点
建物は、一文字瓦を用いた切妻屋根と外壁のコンクリート面に杉板本実型枠を使用しており、杉板の木目が自然の風合として表されている。また、庭には付近を流れる元荒川の水と丘を表現し、季節の彩りを感じるようになっている。
人形は、全部で5000点を収集しており、そのうち4300点が西澤笛畝からのコレクションである。また、浅原革世のコレクションも持つ(4)。展示室3室のうち、2室は「埼玉の人形作り」、「日本の人形」(図4)(図5)という常設展、1室は企画展でこれまでに「西澤笛畝コレクション」などの展覧会が開催されている。博物館内には修復室があり、人形の修復も行われている。

3、事例の評価すべき点
1)人形生産地としての評価
埼玉県は全国的に人形の生産が盛んであり、岩槻は同じ埼玉県越谷市、鴻巣市とともに雛人形の産地で有名である(5)。日本の人形文化が確立されるのは18世紀の頃と言われているが、岩槻には江戸時代からの伝統がある。埼玉県は令和2年時点で出荷額が日本第一位の35.4億円であり、全国78.4億円のうち45%のシェアである(2)。岩槻区は現在45店が人形販売及び製作に携わっている(6)。
2)公立博物館と私営博物館
日本初の公立人形博物館を持つ岩槻は人形についての発信地としての役割も持つ。他の公立博物館と同じく、ワークショップや各種イベント、和菓子販売などや人形修理など様々な仕事を担う。また、岩槻には私営の東玉人形博物館もあり、東玉で販売している人形の博物館がある。東玉総本店東玉ビルの4階を使用して人形を展示している(7)。
3)伝統的工芸品とイベント(6)
岩槻の人形は2007年に経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定された。岩槻で製作された衣装着人形である岩槻人形と江戸木目込人形の二つが製作されている。また、年間を通して様々な人形のイベントを行っている。2月下旬から3月中旬の「人形のまち岩槻まちかど雛めぐり」、3月3日の「流しびな」8月下旬日曜日の「岩槻まつり」、11月3日の「人形供養祭」がある。

以上のように岩槻の人形は人形の三要素(8)である信仰、鑑賞、玩具3点全てを兼ね備えている点において高く評価することができる。

4、他の事例との比較
ここでは同じ埼玉県の鴻巣市(9)と比較をする。埼玉県鴻巣市も人形の産地と言われており、2月中旬から3月4日まで「鴻巣びっくりひな祭り」というイベントにおいて、JR鴻巣駅前には日本一高いピラミッドひな壇が立つ。また、市内の他の箇所でもひな壇が立ち市全体で賑わいをみせる。人形供養祭も行われており類似点はいくつかある。また、産業観光館「ひなの里」(10)があり、博物館に近い形式の鑑賞のできる施設がある。中庭には明治時代建造の蔵があり、平成25年に埼玉県景観重要建造物に指定されている。一方、鴻巣市には人形という地名があり、ここで人形が生産されたことが由来とされている。
このように、岩槻と鴻巣を比較検討すると岩槻の人形は鴻巣の人形とともに高く評価ができると言える。

5、今後の展望
1)生産量の減少
平成20年時点でその10年前と比較して約45%の生産量の減少、従事者においては約48%の減少(11)と人形の町として激減している。この原因として雛人形は一度購入すると新しい世帯が増えなければ購入頻度が低下することが挙げられる。少子高齢社会において、子どもが減ることにより、今後益々人形の販売が苦しくなることが予想され、廃業したり副業としてのみ製作販売が行われたりと本業として生活していくことが厳しい社会となる。一方で、それを打開するためにジェンダーレスの人形(7)やリタイア世代の人形製作者の参入(12)など新しい人形への眼差しも生まれている。また、小学校社会科の副読本(13)には人形製作の話題が載せられている。このように子どもたちに人形に興味を持ってもらう教育政策も重要である。
2)コロナ禍での博物館の活動(14)
岩槻人形博物館は、2020年2月22日開館というコロナ禍でのスタートであった。緊急事態宣言により3月から3ヶ月間休館に追い込まれるなど非常に厳しい開始であった。その中で様々な企画展やワークショップ、ミュージアムニュースなどの取り組みにより2020年11月には来館者数3万人、翌年8月には5万人と非常に多くの来館者が訪れた。これは、公立初の人形博物館であると同時に本学のアネモメトリ(15)にも記載されているように多くの宣伝効果によるものであると考えられる。今後、人形の維持管理(4)も含めて地域の人形販売店及び製作者や日本全国の人形コレクターなどへの発信地として益々大きな影響力を持つ必要がある。そのために人形を郷土玩具としてだけでなく、造形芸術や工芸(8)としての機能を発展させる必要があると考える。

6、まとめ
以上のように、岩槻の人形文化は江戸寛永時代から数えると約380年程度の歴史がある。万国博覧会での岩槻人形製作の実演(1)や岩槻人形協同組合(6)の結成、地域のイベント(7)などこれまでの伝統を生かしながら発展を続けていかなければならないと考える。

  • 81191_011_32183259_1_2_3767ca4d-c884-4129-b747-eb6fe32c5f2b 図1 岩槻駅からの人形店の街並み。
    (令和4年7月26日 筆者撮影)
  • 81191_011_32183259_1_3_d586e229-5208-4335-83f1-0b32d858e26b 図2 岩槻人形博物館の看板。
    (令和4年7月26日 筆者撮影)
  • 81191_011_32183259_1_4_e5b2a9e6a7bbe381aee4babae5bda2e5b9b4e8a1a8_page-0001 図3 岩槻の人形年表。
    (筆者作成)
    槻人形連合協会編『岩槻人形史-埼玉百年記念-』を参照
  • 資料4及び5は非公開

参考文献

(1)岩槻人形連合協会編『岩槻人形史-埼玉百年記念-』、岩槻人形連合協会、昭和46年
(2)https://www.metl.go.jp
(3)さいたま市岩槻人形博物館編、『さいたま市岩槻人形博物館ガイドブック』、さいたま市岩槻人形博物館、令和2年
(4)さいたま市岩槻人形博物館編、『さいたま市岩槻人形博物館コレクション 名品選』、さいたま市岩槻人形博物館、令和2年
(5)斎藤良輔編『日本人形玩具辞典』、東京堂出版、1997年
(6)https://www.doll.or.jp
(7)https://www.tougyoku.com
(8)是澤博昭著『目の眼 日本人形 2019 2月号』、目の眼、平成31年
(9)https://www.city.kounosu.saitama.jp
(10)https://www.konos-kanko.jp
(11)https://www.pref.saitama.lg.jp
(12)曽根裕子『日本の職人さん6 人形をつくる職人さん「岩槻の人形」』、ポプラ社、1998年
(13)社会科副読本編集委員会編『わたしたちの暮らすさいたま市』、さいたま市教育委員会、2018年
(14)https://www.ningyo-muse.jp
(15)https://magazine.air-u.kyoto-art.ac.jp

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