アブダビの街に見られるイスラム幾何学文様

石橋 基之

アラブ首長国連邦(以下UAE)の首都アブダビの街ではさまざまな構造物がイスラム幾何学文様で装飾されているのを目にする。その範囲は特に宗教的な施設に限らず、普段の生活で日常的に目にする公共の構造物や設備に広く及ぶ。本稿ではなぜアブダビでこうした公共構造物の多くにイスラム幾何学文様による装飾が採用されているのか考察した。

1. 基本データと歴史的背景

UAEとアブダビ
UAEは中東アラビア湾岸に位置する国で(資料1-図1)、1971年のイギリス撤退を機にアブダビ首長国が周辺の6つの首長国と共に建国した比較的若い連邦制の国である。アブダビ首長国はUAEの首都アブダビを擁するUAE最大の首長国(資料1-図2)であり、石油生産量世界第7位のUAEでその9割以上を産出する(1、2、3)。2016年時点でアブダビ首長国の人口 は291万人であるが、その内55万人が国民で、残りは在留外国人である(4)。すなわち全住民に対する国民の比率は2割弱であり、残りの8割強はインド、パキスタン、エジプトなど周辺国を中心とした海外からの出稼ぎもしくは駐在員で構成されている。石油資源がもたらす富を元手に国の発展に必要な労働力は海外から調達するという仕組みで経済、産業が成り立っている。
UAEの国教はイスラム教であるが信教の自由は保障されており、外国人の比率が高いためイスラム教徒は住民の6割程度で、ヒンズー教、キリスト教などの信者も多い(資料2-図3)。

イスラム幾何学文様
イスラム教の経典コーランは偶像崇拝を禁じている。このためイスラム地域では人物や動物の描写を避けた装飾として植物文様(アラベスク)、文字文様、幾何学文様が発展してきた(資料3)。幾何学文様は、9世紀以降イスラム地域で発展した数学を基に緻密な計算にもとづいた一定のパターンが無限に続くのが特徴であり、建築物などの装飾に多く用いられてきた。無限に続く一定のパターンが生み出す美は神が創造した完璧な世界を暗示しているといわれる。

2. アブダビの街に見られる幾何学文様装飾の評価

アブダビの街は豊富な石油資源による経済的繁栄を背景に建国以来急速に発展してきた。よく整備された街路や近代的な高層ビルが立ち並ぶ景観は欧米の都市と一見何ら変わらない様子である(資料4)。しかし街を歩くとさまざまなところにイスラム幾何学文様があしらわれていることに気づかされる。そもそもイスラム教国なので宗教的な施設が幾何学文様の他、植物文様、文字文様により緻密で繊細に装飾されているのは特に驚くに当たらない。また個人の住宅などが同様に装飾されているのもそれぞれの信仰心や趣味といったことで理解できる。しかし、街の中を注意深く観察すると公共の構造物や施設、例えばバス停、信号機、道路標識、公園のベンチ等普段の生活で日常的に目にする多くのものが幾何学文様で装飾されていることに気づく(資料5-1、5-2)。こうした幾何学文様は決して目立つわけではないが、知らず知らずのうちによく目に入り、潜在的に見るものに訴えかけてくるように感じる。
川添善行は『空間にこめられた意思をたどる』(5)でパルテノン神殿とノートル・ダム大聖堂を取り上げ、それぞれがギリシア哲学やキリスト教といった当時の思想や信仰を反映させた建築物であり、それゆえに時代を代表する傑作となったと説く。アブダビで目にする幾何学文様で装飾された構造物はパルテノン神殿やノートル・ダム大聖堂のようにそれ単体で見るものに強い印象を与えるランドマーク的な存在ではない。しかし、数が多く、広範囲にわたって配置されているためアブダビ市街を一つの空間ととらえたとき、それらは現代という時代の精神や雰囲気を映し出しているといえるのではなかろうか。
アブダビのあるアラビア湾岸は、歴史的に砂漠に点在するオアシス毎に部族社会が形成されていた経緯もあり、そこに住む人々に国境で囲まれた地域全体としての国家という意識は元々希薄である。また国民の何倍にもなる在留外国人はさまざまなバックグラウンドを持ち、当然この国への帰属意識は低い。このように国民としての一体感、そこに住む住民としての結束が弱い集団にまとまりをもたせるための規範、道徳として国の宗教であるイスラムの教えが注目されたのは自然な成り行きだったのであろう。そう考えるとイスラム幾何学文様に装飾された構造物を数多く街中に広く配置することで、イスラムの教えを住民に意識させ、それを拠り所として一体感を持たせようとする意図が感じられる。ひとつひとつは取るに足りないイスラム幾何学文様で装飾された公共構造物が全体として緩やかながら、こうした考えや意図を今の時代、この地域の思想や空気として反映している。この点でアブダビの街のイスラム幾何学文様はデザインの持つ力の効果的な活用例として評価できる。

3. 比較事例としての星条旗

アブダビにおけるイスラム幾何学文様の特徴は、多くの場所で頻繁に目に入ることで人々の潜在意識に訴えかけ、そこに住む人の一体感を醸成する機能を持つということだと考えられる。これに相当する機能を持つものとしてアメリカ合衆国の国旗、星条旗が挙げられる。その背景にあるイデオロギーや実現しようとする社会は異なっても、デザインに何らかの意味や理念を載せ、象徴として人々に意識させているところに類似性がみられる。星条旗の場合も国家の象徴として政府の建物や軍の施設に用いられるのは当然であるが、アメリカに行くと特に国家を意識させる必要がないところでも頻繁に星条旗を目にする機会があるように感じる(資料6)。これは比較的歴史の新しい移民国家であるアメリカ合衆国において、国民を結束させるための象徴として星条旗が利用されているということであろう。一方、星条旗はアメリカの国民が独自に創作し、掲げるようになった象徴であるのに対し、アブダビにおけるイスラム幾何学文様はもともと別の場所でつくられたデザインを宗教と共に導入している点が異なっている。外部から思想、宗教を取り入れる過程でイスラム幾何学文様も導入されたと考えられるが、今ではイスラムの思想や価値観を想起させる伝統的デザインとして活用されている。野村朋弘は、明治維新を経て日本という国家が形成され、日本国民という概念が生まれる過程において国民に「日本」という共通意識をもたせるために多くの伝統が明治時代に創られたと指摘する(6)。同様にイスラム幾何学文様は、アブダビにおいて国民あるいは住民としての共通意識を植え付けるための創られた伝統ともとらえられる。

4. 今後の展望

デザインにより人々の結びつきの強化を図るといった考え方は今後もアブダビで続くのであろうか?UAEの米系広告会社ASDA’A社が行った「アラブ若者調査」(7)の調査結果が示唆に富む。同調査は、アブダビを含むアラブ地域50都市で18歳から24歳の男女を対象に若者の意識を調査したものである。調査対象者には在留外国人は含まれず、国民を対象とした調査となっている。2022年9月に発表された調査結果には以下のような内容が含まれた。
1) 自身のアイデンティティの根源として宗教を挙げる回答者が41%と最も高く、国籍(18%)や家族・部族(17%)を大きく上回る。(資料2-図4)
2) 70%の回答者が伝統的な価値観や文化の衰退に危機感を感じている。
3) 65%の回答者が社会のグローバル化よりも宗教的、文化的アイデンティティの保存が重要だと答えた。UAEを含む湾岸諸国ではこの割合が75%と特に高かった。
上記の結果から読み取れるのは、アブダビを含むアラブ世界の次世代を担う若者も伝統的な価値観や文化の衰退を強く感じつつ、宗教や文化を基礎とした自分たちの拠り所を希求しているということである。こうした若者の意識は宗教に根差した価値観による結びつきを目指すイスラム幾何学文様を用いたデザインの活用にも通じるものであり、今後さらに若い世代も取り込むことで、より洗練された形でアイデンティティ形成に資するデザインとして発展していくことが予想される。

5. まとめ

街を観察することで初めて気づいた何気ない風景にこめられた意図。イスラム幾何学文様をあしらったデザインを通してアブダビの人々の理想と苦悩、そしてそれらに対応する工夫が読み取れた。日々目にする普段は気にもしないデザインにも地域性が反映され、時代の大きな流れの一部が如実に表されている。本レポート作成を通じてこうしたデザインの持つ力、可能性を再認識させられた。

  • %e8%b3%87%e6%96%991-r1_page-0001 資料1 アラブ首長国連邦とアブダビ
  • %e8%b3%87%e6%96%992-r1_page-0001 資料2 アラブ首長国連邦と宗教
  • %e8%b3%87%e6%96%993-r1_page-0001 資料3 イスラムの装飾文様
  • 4 資料4 アブダビ市街
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  • %e8%b3%87%e6%96%995-2-r1_page-0004 資料5-2 アブダビ市街の幾何学文様装飾②
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参考文献


(1) Statistics Centre Abu Dhabi, Explore Abu Dhabi Through Statistics, 2015
P. 12, Chapter 1
https://www.scad.ae
    2022年11月8日閲覧
(2) BP Public Limited Company, BP Statistical Review of World Energy 2022, 71st Edition, 2022
P. 15, Oil: Production in thousands of barrels per day
https://www.bp.com/content/dam/bp/business-sites/en/global/corporate/pdfs/energy-economics/statistical-review/bp-stats-review-2022-full-report.pdf
    2022年11月8日閲覧

(3) 細井長編著『アラブ首長国連邦(UAE)を知るための60章』明石書店 2011年
P. 252, 43章 石油産業
(4) Statistics Centre Abu Dhabi, Statistical Yearbook of Abu Dhabi 2020, May 2020
P. 97, 3.1.6 Population Estimates by Region, Citizenship and Gender, Mid-years 2010, 2014, 2015 and 2016
https://www.scad.gov.ae/en/pages/StatisticalYearBook.aspx?pubTypeID=3
2022年11月8日閲覧
(5) 川添善行著 早川克美編 『芸術教養シリーズ19 私たちのデザイン3 空間にこめられた意思をたどる』京都造形芸術大学 東北芸術工科大学 出版局 藝術学舎 2014年、P. 39、第3章 抽象と感情 パルテノン神殿とノートル・ダム大聖堂
(6) 野村朋弘編『芸術教養シリーズ22 伝統を読みなおす1 日本文化の源流を探る』 京都造形芸術大学 東北芸術工科大学 出版局 藝術学舎 2014年、P.49、第5章 今日の日本における「伝統」の成立
(7) 14th Annual ASDA’A BCW Arab Youth Survey, September 2022
www.arabyouthsurvey.com
2022年12月5日閲覧

参考文献
(1) 桝屋友子著『すぐわかるイスラームの美術』東京美術 2009年 
(2) ダウド・サットン著 武井摩利訳『イスラム芸術の幾何学 天上の図形を描く』株式会社創元社 2018年
(3) 細井長編著『アラブ首長国連邦(UAE)を知るための60章』明石書店 2011年 

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