おっきりこみ ー群馬の郷土料理ー
はじめに
嫁いで住み着いた埼玉県加須市は、古くからうどんの街として有名である。利根川沿いに位置し農業の盛んなこの地域は、小麦の栽培が盛んで、それに伴いうどんが地域に密接に定着したと考えられる。嫁ぎ先では正月3が日、雑煮の残り汁にうどんを入れドロドロになったものを食べた。それを食べた時、筆者が育った群馬の「おっきりこみ」という 郷土料理を思い出した。昔懐かしい子供の頃の味である。小論では、群馬県の郷土料理「おっきりこみ」を取り上げ、その特筆すべき製法を評価し、次の時代への課題を示す。
おっきりこみは、冬限定で提供される。 調査では10月末でも提供されていない店もあった。小論で述べる地域の範囲は、画像2で示す。
1、 基本データ
群馬県は、三方山に囲まれ、 面積6,362k㎡ 、人口は191,3 万人の北関東の県である[1]。かつては 長野から江戸、新潟から江戸をつないだ 重要な県である。東京から高崎は約98km、古くから養蚕で栄えた。2020年 小麦収穫量は全国第6位である[2]。
2014年6月25日富岡製糸場が世界遺産となる[3]。群馬県庁は2013年「 群馬県おっきりこみプロジェクト」を推進、郷土料理を掘り起こした[4]。2014年3月20日「おっきりこみ」は群馬県の選択無形民俗文化財となった。
現在、群馬県庁健康長寿社会福祉教育推進課では「 見つけて!教えて!群馬の魅力」推進中である(聞き取り10)[5][6]。
名称:「おっきりこみ」「おきりこみ」、県東部は「ニボウトウ(煮ぼうとう)」「ニボウト」(画像1,3〜8)。群馬県各地で呼び方が違う[16]。
地域: 群馬県全域。
季節:冬のみ。(チェーン店 ・一部郷土料理屋は通年)
1)特色
おっきりこみの特色は以下4つ挙げられる。
① モチモチ麺
中力粉に塩を入れない。コシよりもモチモチ感を優先 。(聞き取り6)
② 特徴的製法
野菜をたくさん入れた後に打ったうどんを一緒に茹でたもの。 具材は主に大根、里芋、ごぼう、人参等である。 作り方は家々で異なるが大差は無い。麵の幅は1.5から2センチとやや広めである。 その製法はすいとんの作り方と類似する[16]。
③栄養の評価
「かかあ天下とからっ風」という言葉がある。養蚕地帯の働き者の女性を指し、忙しい女性に「簡単」にできるおっきりこみは、日常食として重宝された[17]。具沢山のため栄養バランスが良く、働き者の原動力であった。よく食べていた年代女性の 2010年全国健康寿命年齢を調べる。結果群馬県は全国2位であった[7]。
④最後まで大事に食べる
明くる朝、温め直したおっきりこみを、冷たい飯にかけていただく。「たてっ返し」といわれ好まれたという。 無駄にせず生かしきる。おっきりこみの精神が生きる食べ方である[18]。
2、 歴史的背景
1) 古代〜江戸まで
小麦料理の発祥は、古代チグリス・ユーフラテス川上流である。 シルクロードを通り中国へ渡り漢方善や精進料理と融合した[16]。その料理法、中国最古の麺「索餅(さくべい)」*1を遣唐使が日本に持ち帰ったとされる[19]。
おっきりこみのルーツ は、中国名のハウトン(餺飥)である。平安時代『和名抄』*2に記されている[19]。 840年朝廷は諸国に 麦の栽培を奨励する[20]。平安末期、上野の国(群馬)に新田義重が「ぶと(ハウトン餺飥)」を伝えたとされる。
江戸中期になり石臼が普及し、麺作りが手軽となる[4]。 おっきりこみは味噌味で定着する。
2)明治〜 現代まで
明治 6年「正田醤油」創業[8]。醤油の普及により、醤油味が平地から山間部へと徐々に浸透する[16]。山間部奥を除き、味噌と醤油味の合わせが現在分布へと重なる。明治33年「日清製粉」創業[9]。明治 35年「星野物産」 創業[10]。コナ文化の出発となる。
戦中は、野菜を増やし小麦に雑穀をたす工夫がみられ、戦後も夕飯として食べらる。しかし欧米化に伴い食卓から遠ざかり現在に至る。
3、 群馬の地域区分と調査地 (店舗詳細は画像キャプションに記載)
1)基本のおっきりこみ提供
①『上州田舎屋』(画像1)醤油
田畑養蚕地帯。 白濁した汁の懐かしい味。伝統製法。通年。
2)進化形おっきりこみ
② 『茶屋』 (画像3)醤油
奥多野地域。寒桜の桜山で地元のお母さんが作る店。伝統的麵と製法、 8種類のキノコ中心のやや進化系。11月1日〜12月20日。
③『山一屋』 (画像4)味噌醤油
高崎山間部「おっきりこみロード」 水澤寺側。 蜂蜜入り茹で麺に具だくさんの進化系。 冬のみ。
④『海山亭いっちょう』チェーン店 (画像5)醤油
高崎、伊勢崎、前橋、藤岡、太田、桐生 の商業水田地帯に点在。 全て現代的製法で作られた超進化系。 通年。
⑤『ささや』 (画像7) 味噌醤油
赤城山麓。煮込みうどんに近い進化系。冬のみ。
⑥『けむりや』 (画像8) 醤油
創業100年。 三国街道の老舗。 上品な変化系。冬のみ。
’’鶴舞うかたちの群馬県’’「上毛かるた」に表現される群馬県の形である(画像2)。足と羽の部分が山岳地帯。胴の部分が山麗と平野部につながる田畑養蚕地帯。くちばしの部分が県内唯一の水田穀倉地帯である。
「おっきりこみマップ 大図鑑」[3]で調査する。それにより現在の伝承方法が、二手に分かれる結果となる。 山岳地帯と田畑養蚕地帯では、郷土料理おっきりこみに沿った店があることを確認。 また平野部商業地帯と水田穀倉地帯では、おっきりこみの概念は乏しく「進化系」のおっきりこみとして独自性を出す店を確認することとなる。
4、比較対象「加須うどん」
1)特徴
加須(かぞ)地域では「うどんをブツ」と言う。近年まで各家庭でよく手打ちうどんを打っていた。今でも仏事祝い事、正月、盆、 各行事にうどんがつきものである。法事の最後にうどんで締める。 現在加須市羽生街道沿いには、有名なうどん屋が5軒点在しており全体で21軒のうどん屋がある。町おこしの「うどんラリー」も行われている[13]。中でも松葉屋は、田山花袋の『田舎教師』 に出てくる店である。 野菜の天麩羅に、茹であげたうどんはコシがあり地粉の味である(聞き取り11)。 また、すりごま・きゅうりを入れた冷汁、茄子を油で炒めた醤油ベースの汁の夏うどん。ネギを油で炒め醤油の出汁で食べる 温かいねぎ南蛮は、冬のうどんである。 各家庭にそれぞれの味が受け継がれている。
加須は利根川沿いに位置し、江戸元禄から続くこの地域は利根川の氾濫により 栄養に含み、良質な米が栽培された。しかし年貢米を収めるので一般庶民は米を作ったあと「二毛作」として麦を作った。日常うどんを作って食べた。 利根川は江戸へ藍玉*3などの流通河川として栄え、不動尊詣での旅人に門前のうどん店で栄えた経緯がある。(聞き取り12)。
2)比較
類似点‥‥家庭で手打ちうどんがよく作られたこと。季節の野菜を合わせる。家庭により異なること。
相違点‥‥加須うどんはコシが命。 おっきりこみはモチモチ。加須うどんは東北に近いことから醤油味が濃い傾向にあるが、おっきりこみは、打ち粉が入りとろみがあるため、醤油量が少なくすみ減塩効果につながる 。とろみが体を温める[16]。
5、展望
今回取り上げたおっきりこみは、群馬県の養蚕文化とコナ文化の中に伝承された郷土料理である。 かつての節米料理 という概念は消え、飽食の世の中に沿った上で 伝統的な食文化として 再構築されながら継承されている。コロナが明けた時、日本各地・世界各国から観光客が訪れる。草津温泉や世界遺産の富岡製糸はその代表的な観光地である。「おっきりこみプロジェクト」は、観光地と食文化の融合を図り群馬を魅力的なものにする取り組みのきっかけ作りの事例である。また「いっちょう」に代表される アップデートされたのおっきりこみは、現代の味にグレードアップされ根付いている。 1,製法を残す。2, おっきりこみの名前を伝える。3,常にアップデートしている。この三つ巴こそが、歴史を知り、現代を生き、未来につなげていく上での展望といえる。そして家庭の味は飽きるというデメリットを克服する「進化形おっきりこみ」が美味しい未来への橋渡しとなる事例である。
おわりに
今は昔ながらの 郷土料理を伝承する家庭も少なく、当事者目線で語れる筆者の世代も店で食べる時代である。チェーン店のおっきりこみを食べ「これもおっきりこみであるな」と感じる。 そもそも食文化とは、その時の状況で変化していく存在である。おっきりこみは学校給食で出されている。 それもおっきりこみである。 そのように伝承され 継続されることを願う。
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画像1 中間部地域 伊勢崎
「上州田舎屋」:おっきりこみ と呼ばれる。(2021年10月23日、筆者撮影)
特徴)群馬県内の食材を用いた点に特徴。 基本的なおっきりこみを提供する貴重な店。
データ)2.3から2.5センチ幅平手打ち麺・ 群馬県星野物産小麦粉使用・ 群馬県正田醤油使用・ 具材近隣野菜使用(里芋、かぼちゃ、茄子、さつま揚げ)・通年提供・ 930円ライスサービス・その他 メニュー(芋ぐし、ヤキモチ、釜飯、冷やしうどん、そば、天ぷら)
<佐々木貴光氏への聞き取り>10月は 里芋のかわりに今の時期だけ「いもがら」が入る。 養蚕の盛んな地元で、小麦粉のある土地柄であり各家庭で作られていた地域である。 客は県外の客(伊香保観光帰り)やリピーターである。おっきりこみにはご飯が希望でつき、麺を食べた後スープで食べる。 本来の製法で作られスープは白濁。白濁したぶん醤油が少なくてすむ、郷土料理の特徴がよく出ており、あっさりした味である。 -
画像2 本論で論じる地域・店舗・味付けマップ(筆者作成)2023年1月10日
県内フィールドワーク地点を記す。
山間部の吾妻・奥利根地域では、家庭食として作られた。「味噌あじ」分布が見られる。中間部の 高崎近郊・赤城南麓では味噌と近年作られ家庭で一般的となった醤油との「合わせあじ」が見られる。左下の奧多野地域では早くから醤油が入り「醤油あじ」がである。右下の東毛平坦地では、もともと「おっきりこみ」は作られておらず、製粉所地帯であり乾麺による煮込みうどんが主流である。ニボウトウと呼ばれる地域であり「醤油あじ」が一般的である。 -
画像3 奥利根地域 桜山
「茶屋」:おきりこみと呼ばれる。(2022年12月4日、筆者撮影)
特徴)寒桜の時期、地元のお母さんが打って食べさせる店。麺は足踏みせず丸め一晩寝かせる。一番素朴で 贅沢とは程遠いが、昔懐かしい味である。 具材はシンプルで現代風に進化した「進化系」。
データ)2センチ平手打ち麺・ 日清製粉使用・ キッコーマン醤油、 具材は長ネギ、にんじん、きのこ8種類のみ・出汁は煮干しと鰹節・ 800円・店舗期間11月1日から12月20日まで
<木村喜美代さん聞き取り> 45年前嫁に来た時からうどん打ちを任された。正月もうどんを打った。里芋、大根、人参、こんにゃく、ごぼうなど入れていたが、時代とともにキノコ中心の具材となる。 手早くできるからであるが、麺は昔から変わらず小麦に塩を入れず作る。 -
画像4 中央部 榛名山麓吉岡町
「山一屋」:おきりこみと呼ばれる。(2022年10月2日、筆者撮影)
特徴)「水澤うどん」と「おっきりこみロード」のはずれに位置するため客も多い。作り方はあらかじめ野菜を煮て冷凍し、手打ちした茹で麺と合わせる作り方である。 野菜たっぷりの郷土料理に近いが、店舗に合わせた作り方と言える。「進化系」。
データ)1.8センチ幅手打ち麺・外国産粉使用・ 味噌醤油合わせ・ 具材(里芋、大根、人参、ごぼう、油揚げ、長ネギ、素揚げかぼちゃ)・ だしは昆布と鰹節・ 1155円・ 冬のみ
<布施川政弘氏 聞き取り>具材は1人前ずつ味付けし冷凍。 注文が入ると麺と合わせ作る。 うどん200gと具材たっぷりで里芋が6つも入る。 麺は近くの水澤うどん風で 蜂蜜を入れるのが特徴、 はりこし艶がある。 -
画像5 田畑穀倉平坦地 太田市
「海山亭いっちょう飯塚店」:おっきりこみと呼ばれる。(2022年11月27日、筆者撮影)
特徴)現代的な工場で毎日 カットされた野菜と打ちたて麺で作られる。「超進化形」。
データ)4センチ幅麺・醤油味・具材(白菜、さつま揚げ、にんじん、長ネギ、しめじ、かぼちゃ、油揚げ)・ 988円・ 通年
<主任への聞き取り> 群馬県のチェーン店で、茨城県と埼玉県にある。 前橋のセントラルキッチンにて企画、製造を行う。 毎日生麺と野菜が運ばれ、店内で野菜を素揚げしてつゆと合わせ作る。 郷土料理本来の作り方から 現代人向けにアレンジされており、油の旨味でコクを出し出汁が平打ち幅広麺とよく絡む。野菜たっぷりで 麺の量は130グラムと丁度良い。 製法、食材の取り扱い全てにおいて、郷土料理本来の作り方と異なる。 若者も多くこの店の人気商品である。 見た目は同じであるが、作り方はまるで違う。データ研究された結果の味で、つるつるモチモチの麺は 非常に旨い。現代人にマッチした味と言える。 -
画像6 画像1同じ店
「郷土料理 上州田舎屋」:2代目店主、佐々木貴光氏と店内。(2022年10月23日、筆者撮影、web掲載承諾済)
創業は1976年(昭和51年)父親が開業。店構えは、古民家風家屋で郷土料理を引き立てる。客層は幅広い。土日はサイト調べ客[11,12,13]やリピーターが並ぶ。 群馬県「おっきりこみ 人気投票」で入賞に輝き、県知事賞を獲得す[14]。おっきりこみは開業時からのイチ押しメニューである。 -
画像7 前橋市富士見町赤城山
「ささや」:初代店主夫人と店内。(2022年11月6日、筆者撮影、web掲載承諾済)
特長)店舗は囲炉裏が目立つ立派な古民家風で初代新築。手打ちそばが売りである。おっきりこみは、野菜豊富で豚肉入りうどん。煮込みうどん製法。「進化系」。
データ)2.2センチ幅手打めん・ 白味噌2赤味噌1+醤油の合わせ味・出汁(にぼし、 昆布、カツオ、鯖)・具材(大根、人参、こんにゃく、たけのこ、里芋、油揚げ、白菜、かぼちゃ)・ 1230円・冬のみ
< 先代夫人と2代目主人に聞き取り>2代目女主人が切り盛りする、 赤城では2番目に有名な店である。 2代目が蕎麦とうどんを打つ。お切り込みの具材は一品ずつ別に煮て炒めるなど 手間をかける。油揚げは渋川のものである。 先代は大学で食べ歩きをし研究、33歳でこの地と決め郷土料理の店を開業。赤城カントリーの客でバブル期賑わい、今の古民家風家屋に建て替える。 土日は行列の店である。 -
画像8 吾妻街道沿い
「けむりや」:おきりこみと呼ばれる。7代目主人、松浦信正氏 と店内。(2020年10月30日、筆者撮影、web掲載承諾済)
データ) 2センチ幅手打ち麺・ 具材(にんじん、大根、しいたけ、まいたけ、油揚げ、さやいんげん、長ネギ)・ 醤油・ 鰹昆布煮干し出汁・ 900円・ 冬のみ
<聞き取りと特徴>100年前はタバコ屋であったため屋号「けむりや」をとする。 参勤交代や商人でにぎわった通り沿いに位置する。 店主は一般社団法人日本麺類業 団体連合相談役、群馬県麺類生活衛生協同組合の常任顧問と言う肩書きの持ち主である。 上野の「ふたば庵」で三年修行。出汁のきいた 上品なおきりこみに仕上がっている。 常連客やドライブ旅の途中で立ち寄る客が多い。 麺は店主の手打ち、おっきりこみの製法と異なる。「変化系」。
参考文献
参考文献
註釈
*1 索餅は宮中料理として残るが 江戸時代に消滅 する[18]。
*2平安時代の『和名抄』(950〜935)ハウトンを引く。「 小麦粉を水で練って綿棒でのし、方形に切る」とある『広辞苑』。手延べ (手のひらで 押し広げたハウトン)から、包丁切りへと進化した。『枕草子』を書いた清少納言も食べている(因能本にあり)。 包丁は誤ってほうとうと呼ばれるようになった[18]。
*3藍玉を引く。「藍の葉を刻んで発酵させたものを乾かし固めた染料」とある『広辞苑』。 埼玉の利根川一帯は古くから藍の生産地であり、藍染料の流通地点であった。
参考web資料
[1] 群馬県のデータ、国土地理院 2022年10月1日現在(https://uub.jp>gunma)閲覧日 2022年12月24日
[2]農林水産省「令和2年度4麦収穫量」 2020年ランキング 群馬県6位「 日本の食生活全集」、(httpa://www.maff.go.jp>mugi) 閲覧日12月17日
[3] 「 富岡製糸場と産業遺産群」 世界遺産登録までの経緯-伊勢崎市(https://www.city.isesaki.lg.jp>Isesaki City) 閲覧日2022年12月24日
[4]群馬県庁総務部広報課 イメージアップ推進室、 群馬県おっきりこみプロジェクト「 おっきりこみマップ大図鑑」、現在この プロジェクトは終了している。閲覧日2022年11月5日
[5]群馬県FIND GUNMA コンテスト「 見つけて!教えて!群馬の魅力」川柳部門(特別賞「ふるさとがおっきりこみの鍋で煮え」) 掲載日2020年4月5日( https://www.pref.gunma.jp>paji ) 閲覧日2022年12月17日
[6]群馬県ホームページ。メディアプロモーション課。 広報お便りコーナー【寒い季節母が作ってくれた「おっきりこみ」】(https://www.pref.gunma.jp>site) 閲覧日2022年12月17日
[7] 都道府県別 健康寿命ランキング< 女性・静岡1位、群馬2位>(https://www.mhlw.go) 閲覧日2023年1月16日
[8]「正田醤油」 群馬県館林市栄町。明治6年、3代正田文左衛門により創業。(https://www.shoda.co.jp)最終閲覧2023年1月14日
[9]「日清製粉」 群馬県館林市。明治33年創立(https://www.nisshin.com>history) 最終閲覧2023年1月14日
[10]「星野物産」群馬県みどり市大間々町。 明治35年「 福岡家星野商店」として開業、 1931年(株)星野物産として改組。 1948年製粉営業開始。(https://www.hoshinet.co.jp)最終閲覧2023年1月14日。
[11]群馬の文化財」群馬県ホームページ「だんベー」(https://www.dan-b.com.)閲覧日 2022年12月17日
[12]「食べログ」(s.taberogu.com>gunma ) 閲覧日2022年12月17日
[13]「Yahoo!ロコ」(https.//loco.yahoo.co.jp ) 閲覧日2022年12月17日
[14] 群馬県知事賞「ぐんまおっきりこみ スタンプラリー入賞店」 上毛新聞みのりくらぶ掲載、 平成27年3月18日、閲覧日2022年12月17日
[15] 加須市ホームページ> 加須のうどん、更新日: 2022年7月28日、「 加須手打ちうどん会スタンプラリーうどんマップ」、 最終閲覧日2023年1月13日
参考文献
【註】
[16]『おきりこみと焼きまんじゅう』、農文協、2018年7月22日、p,74,67,70
[17]「 日本の食生活全集 群馬」 編集委員会、志田俊子『聞き書 群馬の食事』、 農産漁村文化協会、1990年6月25日
[18]木部克彦『 今夜もおっきりこみ』、 言視舎、2013年12月31日]横田雅博
[19] 奧村彪生『 日本めん食文化の1300年』、農文協、 2009年、p28,112,113,96,324
[20]西東秋男『 日本食生活史年表』、楽游書房、 昭和58年1月15日、p13
フィールドワーク聞き取り
【取材地】
1、 (有)山一屋 群馬県吉岡町上野田3368-1、 2022年10月2日、 15時から聞き取り。
2 、上州田舎や[郷土料理] 群馬県伊勢崎市曲沢町171-8、 2022年10月23日、 15時から聞き取り。
3、 高山温泉ふれあいプラザ 群馬県高山村中山2357-1、 2022年10月30日、11時聞き取り。
4、創業100有余年 けむりや 群馬県前橋市紅雲 町 1-22−2、 2022年10月30日、 15時半聞き取り。
5、ささや 群馬県前橋市富士見町赤城山1733、 2022年11月6日、15時から聞き取り。
6、茶屋 群馬県藤岡市三波川2166-1桜山公園内、 2022年12月4日、 15時から聞き取り
7、 (株)館林うどん うどん本丸 群馬県館林市本町3-8-1、 2022年12月27日、13時聞き取り。
8、よしとも 群馬県太田市龍舞町 5297、 2022年12月27日、 尋ねるもすでに休業。
9、海山亭いっちょう飯塚店 群馬県太田市飯塚町66-3、 2022年12月27日、15時から聞き取り 。
10、群馬県庁健康長寿社会福祉食育推進課、真島さん聞き取り、 2022年12月12日、13時50分。
11、松葉屋 埼玉県加須市大越1988、元羽生の渡し側店主聞き取り、 2021年8月8日、15時から聞き取り。
12、子亀 埼玉県加須市諏訪1-15-6、 不動岡尊門前店主聞き取り、2021年8月9日、17時30分より聞き取り。