年神様と秋田の民をつなぐ ーハタハタずしの考察ー

宮田 るり子

はじめに
秋田の冬は15センチほどの魚であるハタハタ(3)の接岸予報に始まり、水揚げに期待が集まる。正月準備を終えた大晦日、秋田で生まれ暮らした母は今もこの日を「年取り」(4)と呼ぶ。日暮れてお迎えする年神様(1)へのお供え膳のメインは魚料理で、年取り魚と呼ばれる。多用される鰤や鮭(5)に代わり、秋田では全域でハタハタが、さらにハタハタずし(2、写真1,2,3)を用いる地域が多い(6、図1)。
なぜハタハタずしなのか。行事食(7)の面から考察し、評価を試みたい。

1 基本データ
1) (食品名)ハタハタずし
地 域: 県内全域で食べられる。
時 期: 漁獲後すぐに漬けこみ、3週間前後から食べ始める冬の食べ物である。
特 徴: 県産の米、その米で作る米麹、県沿岸で獲れるハタハタを主材料とする発酵保存食で、各地域の作り方や食味は多少異なる(8)。漬け材料の米麹や野菜等と一緒にそのまま食べるほか、焼く、煮る、酒肴にと食べ方は多い。
歴 史: 1602年久保田藩(9)に献上との記録(10)より、それ以前からの食べ物とされる。『御吉例』 (11)をはじめ正月行事、目出たい席の祝い料理としても身分を問わず人々のごちそうであった(12)。家庭料理だが、江戸時代末には店売りも始まり今に至る(13)。諸国名物を紹介した江戸時代の書物にも「出羽 はたはたずし」が確認できる(14)。

2) 秋田県の風土
東北地方北西部に位置する北日本地域である。西側は日本海に面して対馬海流によるよい漁場があり、県境三方の山からの豊富な水源が肥沃な平野や盆地を形成している。日照時間が少なく夏冬の寒暖差は大きい。また降雪も多い。
近世には海運を介して各地の文化や物資がもたらされた土地柄と記録される。しかし明治以降に陸路輸送が中心になってからは中央との物理的距離も心理的にも遠い地域とされる。

3) 秋田の食の特徴
江戸時代以降、稲作がこの地域の基盤であり(15)、現在も米どころの一つに数えられる。これを反映してか米を用いた郷土料理が多い(16)。他県と比べ魚食の多い地域でもある(17)。特に県内のハタハタ流通量は国内の50〜70%に相当し、他県の価格を左右するほど秋田県での消費量が多いと記される(18)。また、冬季の野菜とタンパク質不足を補うために多くの保存食があり、特に発酵食や漬物類が豊富である(19)。

2 文化資産としての評価
ハタハタずしは年取り魚として特筆すべきであるという評価を、二つの観点から述べる。
まず、なぜ年取り膳には「魚」なのか。
『古事記』の説話の一つ「建御雷神の国護り」に、お祝いに天の魚料理を奉る、との記述がある(20)。祝いと魚料理の結びつきはここに求められよう。一方、民俗学者の柳田國男(1875-1962)は、魚を食べて口を生臭くしなければ安心して新年を迎えられない、死者に取り憑かれるからとの古くからの口承を採集している(21)。魚を食べる行為には祝いと厄除けの両面がみられる。また、行事食には日常の栄養不足を補う役目もあり (22)、タンパク質摂取は外せない。魚を食べることは精神的にも身体的にも新しい一年を生きる準備の意味があると考えられる。
いずれの理由でも魚を食べる選択を迫られて、秋田の人々が選んだのは正月前の短期間に押し寄せてくる神の魚(鰰)ハタハタであった。年神様に恵みを感謝する年取り膳に見合うのはハタハタしかなかった、とも言える。
次に、なぜ秋田ではハタハタずしなのか。
東南アジアから伝来した魚の保存法に倣ったナレズシが現在のすしの起源とされ、ハタハタずしなどのイズシはその発展形とされる。これらを食べるのは米どころ、かつ魚が富む地域とほぼ一致する(23)。秋田もここに重なるが、豊富な材料というだけがハタハタずしを作るに至った理由だろうか。豊作豊漁ということは、いい米やいい魚がたくさん藩に納められ、また市場に出せるということであるが、それらを誰もが入手できるということには一致しない。多くの米と魚があればその中には等級の低い米や規格外の魚、また値がつかないものも多くあったはずだ。それらを余すことなく活かすことがハタハタずしを漬ける動機だったのではないか。自家用の米と魚そして規格外の米でも作れる麹で、食品廃棄ゼロにも通じる倹約と節約に応えられる。保存できて栄養価も風味にも優れた食べ物になる(24)という経験が重ねられ、選択されてきた結果ではないか。
年取りの行事食の役目は、日常の食生活では摂取が難しい十分な栄養を補い、神様と同じごちそうを食べる満足感、そして魚を食べたという安心感を得ることにある。米と魚を一体化させたハタハタずしは秋田の食文化を具現化し、年神様をつなげたと言えよう。

3 石川県「かぶらずし」(写真4)との比較
ここでは食材入手を軸に、正月料理とされる「かぶらずし」との比較を行う。
石川県は日本海に面して良好な漁港がある能登半島や稲作に適した平野が広がり、気候も含め秋田県と類似点が多い風土である。注目は、かぶらずしが江戸初期に作られた当初からたいへんな高級食品であったという点だ。城のある加賀地域を中心に、武家や豪商の間でやりとりされる贈答・進物の品であったという。「鰤一本、米一俵」と言われる魚と生産が少ない聖護院系のカブ(25)が用いられ、加賀藩 (26)に培われた武家文化と宮廷文化が作り上げた逸品と解説される(27)。一方、高価な食材に手が出ない庶民は安く大量に手に入るニシンと大根を用いた「大根ずし」(写真5)を作った。こちらは県内広域で食べられている冬の保存食と言われる(図2)。かぶらずしは郷土料理として有名だが、誰もが食べてきた正月料理ではなかった。
かぶらずしとハタハタずしは同じイズシだが、材料の違いから社会でのあり様に大きな差違がみられる。希少性や特殊性が際立つかぶらずしの材料は高価で、受け入れられる土壌が限られる。身分と貧富の差は調達できる材料との距離でもあり、庶民は身の丈に合った代替品を工夫するという現象が確認された。百万石の加賀藩と二十万石の久保田藩の財力の差は歴然である。加賀藩武家の生活水準の高さが推し量れると同時に、庶民との隔たりは大きかったのではないか。片や久保田藩武家と庶民の間には加賀藩ほどの差はなかったのではないか。少なくとも食生活においては差が小さかったから、同じハタハタずしを漬けて食べたと推察する。この点から、秋田でハタハタずしが年取り魚に選ばれてきたのは広く皆の手が届くごちそうだったからと考える。

4 今後の展望
正月行事は「循環的な時間意識」に基づいた形式と内容を持つ一方、歴史過程で変化や付け加えがあると小川は述べる(28)。明治6年に施行された旧暦から新暦への変更は時間様式を大きく変えたが、私たちは今も一年の始まりを正月とする行事形式を踏襲する。年神様へのお膳はなくても、大晦日に家族が揃ってごちそうを食べる習いは続いている。では、そのごちそうは何か。製造販売者への聞き取りによると、ハタハタずしを好む年齢層は50代以上とのことだ (29)。もはや年取り魚の定位置にはなく、選択肢の一つだ。何よりハタハタは資源枯渇が憂慮されており(30)、材料の一角が崩れつつある。
このような状況の中、2016年から「ありそうでなかったハタハタ寿司グランプリ」(31)が有志の手で開催されている。また、県主催「発酵カレッジ」(32)ではハタハタずしの手作り講習が課される。この二つの共通項は自由度である。グランプリでは参加者の漬け方や味のバリエーションが尊重され、カレッジではハタハタ以外の地元の魚を使った試みにより基本技術の継承が重視されている。これまでのハタハタずしが遠からず変化していくことを念頭に、しかしその勘所は押さえていこうとしている。
文化人類学者のR.ハンドラーとJ.リネキンは、伝統は自然に存在するものではない、常に新しく解釈することであり、解釈のプロセスを指すと述べる(33)。前述二つの試みは、ハタハタずしという伝統を解釈するプロセスの一環と考えられる。秋田県は2022年度も郷土食調査を行うと報じた(34)。これら調査が遺産リストではなく、次代の食につながることを期待する。

5 まとめ
ハタハタずしは米一粒、魚一匹までを最大限活かす合理的な食べ物にデザインされてきた点が優れている。よって、日々の糧に感謝し新しい力をいただく年取りの行事食にふさわしく、その存在は地域の文化資産であると評価する。年神様につながるこの食べ物を秋田の民は失ってはならない。

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  • 81191_011_31886034_1_2_%e5%9b%b3%ef%bc%92-%e7%9f%b3%e5%b7%9d%e7%9c%8c-%e3%82%a4%e3%82%ba%e3%82%b7%e5%88%86%e5%b8%83%e5%9b%b3 図2 石川県・イズシ分布図
  • 81191_011_31886034_1_3_%e5%86%99%e7%9c%9f%e3%80%80%e3%83%8f%e3%82%bf%e3%83%8f%e3%82%bf%e3%81%9a%e3%81%97_page-0001 (左)写真1 ハタハタずし(切りずし)出典: 秋田県文化スポーツ部観光振興課 秋田県観光写真素材WEBサイト https://akita-fun.jp/photo_gallery?page=8(閲覧日 2022年4月7日)
    (右)写真2 ハタハタずし(一匹ずし) 2022年01月12日 小寺順子さん撮影、提供
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  • 81191_011_31886034_1_5_%e5%86%99%e7%9c%9f%e3%80%80%e3%81%8b%e3%81%b6%e3%82%89%e3%81%9a%e3%81%97_page-0001 (左)写真4-1 かぶらずし(店舗購入品) 2022年1月7日 筆者本人撮影
    (右)写真4-2 かぶらずし  出典:農林水産省Webサイト うちの郷土料理
    https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/kaburazushi_ishikawa.html(閲覧日2022年1月30日)
  • 81191_011_31886034_1_6_%e5%86%99%e7%9c%9f%e3%80%80%e5%a4%a7%e6%a0%b9%e3%81%9a%e3%81%97_page-0001 写真5 大根ずし 出典:農林水産省Webサイト うちの郷土料理
    https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/daikonzushi_ishikawa.html(閲覧日2022年1月30日)

参考文献

【 凡例 】
「ハタハタずし」「すしはたはた」「鰰鮨」「ハタハタ寿司」は同じものを示すため、本レポートでは「ハタハタずし」で統一した。同じく「いずし」「飯ずし」「飯鮨」は「イズシ」に統一した。また一般用語としての「すし」はひらがな表記とした。

【 註 】
(1) 正月に迎え祀る主神で、年頭に人々に新たな年を加え、家々に繁栄をもたらすと考えられている。
(2) すしの起源とされるナレズシ(例:ふなずし)から派生したとされる発酵ずしで、米・米麹・野菜などと漬け込むイズシに分類される。ナレズシと違い、漬け材料の米の形が残っている段階で魚と一緒に食べる。北海道の鮭ずし、石川県のかぶらずしがイズシである。
(3) 以下、秋田県の資料『県の魚 ハタハタ(平成14年12月6日制定)」を参照。スズキ目ハタハタ科の魚。11月ごろから秋田沖に集結し始め、その後十分に成熟して水温13度以下になると一挙に移動して産卵のために接岸する。産卵期のためメスは大きく、卵(ブリコと称する)を抱いている。この10日ほどが秋田沿岸でのハタハタ漁の最盛期となる。ハタハタの語源は、漁の時期が雷の多い時期と重なるために激しい雷鳴を意味する古語「はたた-がみ(霹靂神)」に由来するとされ、漢字では魚・神「鰰(はたはた)」と表記される。江戸時代の民俗学者で秋田を旅した菅江真澄(1754〜1829)は『菅江真澄遊覧記』に次のように記している。「鰰という魚は、冬の空かき曇り海の上荒れて荒れて、なる神などすれば、喜びて、群りけるとぞ。しかるゆえにや、世に、はたた神という。さるゆえんあらん。比あたりは冬に入て、なる神たびたびせり。南の国とは異なる空なり。文字の姿も魚と神とは並びたり」
(4) 旧年から新年への境を越えるときに年齢が一つ増えるので「年取り」と説明される。明治6(1873)年に現在の太陽暦に改暦されるまでは太陰太陽暦が用いられていた。太陰太陽暦では日没が新しい一日の始まりであるため、大晦日の日没が新年の始まりであった。この日、新年になって年神様を家々に招いて特別な「年取り膳」でもてなし、旧年の感謝と新年の幸福を願うのが年取りの行事とされる。東北や北海道、中国、九州地方では近年までこの習慣が根強いとされる。秋田県男鹿地区では、大晦日の日没後に家々に「ナマハゲ(ユネスコ無形文化遺産)」を迎え、ハタハタずしが載ったお膳でもてなす慣わしがある。このことからもナマハゲは鬼ではなく神様であることがわかる。
(5) 出世魚である鰤と「栄える」に通じる鮭は魚体も大きく立派なことから年取り魚に用いられ、長野県あたりを境に西では鰤が、東では鮭が多いとされる。また、厄除けとしてイワシを用いる地域もある。一方、その土地で獲れる魚や土地の謂れの魚を用いる地域も多く、『聞き書 ふるさとの家庭料理20日本の正月料理』によると全国で30種類以上が数えられる。
(6) 『日本の食生活全集5 聞き書 秋田の食事』では県内各地の年取り膳の献立を紹介している。→ 図1「年取り膳におけるハタハタずし調査図」参照。
(7) 伝統行事等の際に作られて食べられる食事のことで、多くは季節のものを取り入れた特別な料理である。
(8) 塚本研一『秋田の伝統食品 ハタハタずし三昧』2021年参照。
(9) 江戸時代に出羽国秋田六郡を治めた藩で20万石。秋田藩とも呼ばれ、現在の秋田県秋田市千秋久保田町に久保田城跡がある。
(10) 慶長7(1602)年、佐竹氏が常陸国(現在の茨城県)から久保田藩に移封になった際、男鹿地区の領民が海産物を献上して新藩主佐竹氏を迎えたとされる。
(11) 久保田藩に移封となった佐竹氏は男鹿地区領民の出迎えを喜び、その恩賞として毎年年末と年始の二度、男鹿の領民は城中の御台所で酒肴を賜ることが許され、これを御吉例と言う。文化2(1805)年、第九代藩主はその際の様子を絵師狩野秀水に描かせ、狂歌師手柄岡持による跋(奥書)には「・・ミサカナハ・・・鰰ノ鮨・・」と記されている。渡辺 1977年、p.126
(12) 渡辺 1977年、p.126〜127
(13) 秋田県にかほ市でハタハタずしを製造販売をしている永田屋は、遅くとも嘉永年代(1848-1854)には商いを始め、同地区の三浦米太郎商店は明治43(1910)年から販売を開始して今に至る。以上、2022年4月にメールにて回答を得た。
(14) 俳諧指南書の松江重頼『毛吹草』(1645年)、名所案内の得閑斎繁雄『狂歌俗名所応知抄』(1795年)、はん木屋甚四郎による『日本諸國名物盡』(1727年)が挙げられる。  篠田2002年、p.212・244、 渡辺1977年、p.127
(15) 佐竹藩は新田開発を奨励。1700年代に続いた飢饉への政策を講じ、1870年ごろには開田面積が増加したという。明治11(1878)年には第1回種苗交換会(作物や種の品評交換に始まり、農作物の研究開発につながる)が始まり今に至る。戦後、米を主とする大型農業のモデル地区を作った。2021年度の米生産量は秋田県が全国3位である。
(16) 全国的に有名なのは「きりたんぽ鍋」である。米は、粒食・もち・粉食・麹・糠を使い分け、主食から菓子作りにまで用いられる。「
(17) 出典:総務省 家計調査(二人以上の世帯)、農林水産省 海面漁業生産統計調査2020年度魚貝類の消費額は秋田県が全国で4番目に多い。
(18) 『県の魚 ハタハタ(平成14年12月6日制定)』秋田県、2003年、p.3
(19)  魚醤「しょっつる」、大根の漬物「いぶりがっこ」が有名。ナスずし、あけびずし、けいとまま(もち米に赤シソ、キュウリ等を加えて発酵させたすし)など、野菜・果物・穀類を発酵させた魚を使わないイズシ系の種類が多く、全国的にも珍しい。
(20) 中村、2009年、p.74、p.300
(21) 柳田「食物と心臓」、『定本柳田國男集 第十四巻(新装版)』1969年、pp.223〜239
(22) 「秋田の食生活全集 秋田」編集委員会 1986年、p.351
(23) 石毛 2015年、p.47、佐藤 2020 年、p120
(24) 塚本研一「地域特産食品ハタハタの特性解明と利用加工技術開発」、『秋田県食品総合研究センター報告第19号』2017年、pp29−48
(25) しょうごいんかぶ・「京の伝統野菜」に認証され、大きいものでは4〜5kgにもなる。京都の漬物「千枚漬け」が有名である。
(26) 江戸時代に現在の石川県を広く治めた前田家を藩主とする。大名の中で最高の石高を持ち、加賀百万石と称される。
(27) 成瀬 2009 p.135
(28) 小川直之・服部比呂美・野村朋弘 編『伝統を読みなおす2 暮らしに息づく伝承文化』京都造形芸術大学 東北芸術工科大学 出版局 藝術学舎 2014、p.14
(29) 2022年4月、永田屋および三浦米太郎商店への聞き取り調査による。
(30) 秋田県ハタハタ資源対策協議会資料参照。
(31) 2016年から秋田県男鹿市で毎年1月に開催(2021,2022年は休止)する。家庭の数だけバリエーションがある自慢のハタハタずしを持ち寄ってその違いを楽しむ、をモットーに、来場者(有料)を審査員にグランプリを決める方式を採用している。会代表の工藤幸子さんによると、家庭で作る人の高齢化と減少への危機感と、隣の家のすしも食べてみたいという好奇心がきっかけという。第1回目は男鹿市内への呼びかけで13人、以降全県からエントリーがある。審査員は毎回概ね50〜60人、料理人や評論家を加えず一般参加者の舌による評価である。広報を兼ね12月に手作り講習会も開催する。地方メディアで取り上げられて関心は寄せられるが、今後も同内容でいいのか検討中とのこと。結婚などを機に県外からの移住者(工藤さんは大阪出身)の方が地元の食に関心が強いという。以上含め、2022年2月3日オンラインにてお話を伺った。
(32) 2020年度から秋田市で開催する年1回全3回の研修講座で、秋田県の新しい観光コンテンツとして先行する「あきた発酵ツーリズム」事業の一環。秋田県観光文化スポーツ部食の秋田推進課によると、秋田県の発酵食文化の伝承と情報発信を担う人材の育成を目的とし、受講者は「あきた発酵伝道師」に認定される。コロナ禍でのスタートのため現在の参加者はほぼ県内在住者で、学生、主婦から食品関連事業者まで幅広い。
(33) リチャード・バトラー(1950-)とジョスリン・リネキン(1950-)「本物の伝統、偽物の伝統」、『民俗学の政治性』、岩竹編、1996年、p.150-151 
(34) 2021年3月14日付 秋田魁新報に掲載された。この郷土食の調査を行う秋田県教育庁生涯学習課文化財保護室の公開資料によると、「秋田県の郷土食調査事業」は令和3(2021)年度から5(2023)年度までの3ヵ年計画で、秋田県の郷土食の保存と活用を図ることを目的としている。全県的な調査により郷土食の現状把握、地域的特色の明示、調理・製造等技術の記録を行うとした。令和3年度は調査員および県内高等学校9校の生徒の協力のもと、聞き取り調査により約8,000件の資料を収集した。令和4年度はそれら資料から主要事例の詳細記録を行い、令和5年度に報告書作成としている。


【参考文献】
中村啓信 訳注『新版 古事記 現代語訳付』角川学芸出版 2009
宮田登『正月とハレの日の民俗学』大和書房 1997
新谷尚紀『日本の「行事」と「食」のしきたり』青春出版社 2004
神崎宣武『「まつり」の食文化』角川学芸出版 2005
石毛直道『石毛直道食の文化を語る』ドメス出版 2015
佐藤洋一郎 編『食の文化フォーラム26 米と魚』ドメス出版 2008
西澤治彦 編『食の文化フォーラム37 「国民料理」の形成』ドメス出版 2019
岩田三代 編『伝統食の未来』ドメス出版 2009
山本志乃『行商列車』創元社 2015
森枝卓士『日本食紀行』中央公論社 1998
関沢まゆみ 編『日本の食文化2 米と餅』吉川弘文館 2019
石原健二『お米紀行』三樹書房 1992
佐藤洋一郎『米の日本史』中央公論新社 2020
日比野光敏『すしの事典』東京堂出版 2001
大川智彦『現代すし学−すしの歴史とすしの今がわかる−』旭屋出版 2008
篠田 統『すしの本』岩波書店 2002
農文協 編『農家が教える 発酵食の知恵』農山漁村文化協会 2010
原田信男『「共食」の社会史』藤原書店 2020
岩竹美加子編『民俗学の政治性 アメリカ民俗学100年目の省察から』三來社 1996
柳田國男『定本柳田國男集 第十四巻(新装版)』筑摩書房 1969
横山理雄・藤井建夫 編『伝統食品・食文化in金沢』幸書房 1996
成瀬宇平『47都道府県・伝統食百科』丸善 2009
農山漁村文化協会 編『聞き書 ふるさとの家庭料理20 日本の正月料理』農山漁村文化協会2003
「日本の食生活全集 秋田」編集委員会 編『日本の食生活全集5 聞き書 秋田の食事』農山漁村文化協会1986
秋田県農山漁村生活研究グループ協議会 編『改訂 あきた郷味風土記』秋田県農山漁村生活研究グープ協議会 2015
渡辺一『ハタハタ 生態からこぼれ話まで』無明舎 1977
あんばいこう『食文化あきた考』無明舎 2007
田宮利雄『ハタハタ 秋田鰰物語』あきた文化出版2009
塩谷順耳・冨樫泰時・熊田亮介・渡辺英夫・古内龍夫 編『秋田県の歴史』山川出版社 2001
菅江真澄/内田武志・宮本常一訳『菅江真澄遊覧記4』平凡社 1967
小川直之・服部比呂美・野村朋弘 編『伝統を読みなおす2 暮らしに息づく伝承文化』京都造形芸術大学 東北芸術工科大学 出版局 藝術学舎 2014

【参考資料】
塚本研一「地域特産食品ハタハタの特性解明と利用加工技術開発」、『秋田県食品総合研究センター報告第19号』 2017年
塚本研一『秋田の伝統食品 ハタハタずし三昧』塚本技術士事務所、2021年
秋田県農林水産部水産漁港課/秋田県水産振興センター『県の魚 ハタハタ(平成14年12月6日制定)』、秋田県、2003年
社団法人日本水産資源保護協会『わが国の水産業 はたはた』、2010年
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東北農政局秋田統計情報事務所能代出張所 編集『ブリコハタハタの海』秋田農林統計協会、1999年
中澤佳子「郷土料理の地理学的研究 −かぶらずし・大根ずしを例として−」、『お茶の水地理 vol.25』、お茶の水地理学会、1984年、pp.45-50
古家晴美「郷土食とは何か」,『食文化誌ヴェスタveata 2010年5月 vol.78』、公益財団法人味の素食の文化センター、2010年、pp.8-13

【参照webページ】
秋田県漁業協同組合https://akita-gyokyo.or.jp(閲覧日2022.1.24)
美の国あきたネット(秋田県公式サイト)https://www.pref.akita.lg.jp (閲覧日2022.1.24)
あきた発酵ツーリズムhttps://hakko.akita-kenmin.jp/ (閲覧日2022.1.24)
男鹿なび(秋田県男鹿市公認観光情報サイト)https://oganavi.com (閲覧日2022.1.29)
秋田魁新報電子版https://www.sakigake.jp (閲覧日2022.1.24)
ありそうでなかったハタハタ寿司グランプリhttps://hatahata-g.jimdofree.com 閲覧日2022.1.26)
鈴木水産はたはた通信https://www.suzuki-suisan.co.jp (閲覧日2022.4.2)
永田屋https://hatahata-sushi.on.omisenomikata.jp (閲覧日2022.4.2)
三浦米太郎商店https://hatahata-akita.com (閲覧日2022.4.2)
総務省統計局 家計調査https://www.stat.go.jp/data/kakei/index.html (閲覧日2022.2.10)
農林水産省 海面漁業生産統計調査
https://www.maff.go.jp/j/tokei/kouhyou/kaimen_gyosei/index.html (閲覧日2022.2.10)
農林水産省 うちの郷土料理
https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/ (閲覧日2022.1.30)
国土交通省 日本の川
https://www.mlit.go.jp/river/toukei_chousa/kasen/jiten/nihon_kawa/index.html
(閲覧日2022.5.26)

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