西馬音内盆踊りの端縫い衣裳について

岸上みち枝

西馬音内盆踊りの端縫い衣裳について

1.はじめに
秋田県羽後町は、山形県に近い南部の穀倉地帯にあり、雄物川をはさんで東側は湯沢市である。秋田市の河口まで流れる雄物川は古来舟運に利用され、17世紀後半ここに交易と統治の町ができた。2013年の人口は16,793人、農業就業者の割合は17%である。
西馬音内は羽後町の中心地区である。西馬音内盆踊りは、独特の端縫い衣裳や藍染浴衣に、編み笠や黒い彦三頭巾で顔を隠し、囃子にあわせ篝火の周りを踊り明かす、幻想的で熱気に満ちた盆踊りである。1981年に、盆踊りとしては初めて国の重要無形民俗文化財に指定された。毎年8月16~18日に開かれ、2014年の人出は3日間で129,000人。2015年は雨に見舞われたが、70,000人が集まった。

2.盆踊りの由来と記録
盆踊りは15世紀に、疫病神や祟り神を鎮めるための風流踊と、時宗の踊念仏が結びついて生まれ、都から各地に広まった。盆行事を終え賑やかに祖霊神を送りだす場所は、海や山、村境や辻等で、人々はそこで盆踊りに興じた。農村では秋の実り前の農閑期にあたるため、盆踊りは農民の貴重な慰安や娯楽、はめをはずす機会だった。
西馬音内盆踊りの起源は、13世紀後半の蔵王権現での豊作祈願の踊り、あるいは1601年、自刃した城主を偲んで遺臣や侍女たちが始めた亡者踊りとの言い伝えがあるが、定かではない。天明年間(1781~88)に、盆踊りの場所が狭くなったため、宝泉寺境内から本町に移したという記録がある。
東北から北海道まで、各地の行事や風習を収集した菅江真澄(1754頃~1829)は、1784年10月に西馬音内を訪れているが、盆踊りの時期ではなく言及もしていない。菅江は青森県田名郡、秋田県一日市や毛馬内で盆踊りを見、人々が旧暦7月16日から4~5日間、毎晩笛や太鼓で賑やかに踊り続けたこと、娘たちは念入りに化粧し晴れ着を着たこと、男性の女装や女性の男装等の奇抜な仮装もしたこと等を記録している。
竹林史博は、新潟県村上町(現在の村上市)では明治末期まで、女性は晴れ着に編み笠や手拭いで顔を覆い、男性は女性の長襦袢に編み笠で盆踊りをした例を紹介している。1907年に羽後町を訪れた俳人河東碧梧桐(1873~1935)は、浴衣や振袖や紫袴等の衣裳に頭巾や編み笠で踊っていたと記している。
西馬音内盆踊りの古い記録はないが、かつての様子が推測されると共に、現在の西馬音内盆踊りが、5でも記述する毛馬内と共に古い風俗の一端を残す非常に稀な例であることがわかる。

3.端縫い衣裳について
着物は伝統的に、下に着る着物の襟や裾を外に見せる着方をした。浮世絵の女性は、表着の下に1~2枚の間着(表着の下に着る表着と同形の着物のことで、長襦袢や肌着のような「下着」ではない)の鮮やかな襟や袖口、袖の振りやたっぷりとした裾を見せている。間着は滑りが良い薄い生地の袷で作られ、薄く綿を入れたものもある。
端縫い衣裳は、接(は)ぎ衣裳や寄せ裂作りとも言われ、様々な布を接ぎ合わせて仕立てた衣裳のことである。着物は直線断ちで平面的だから、季節毎、あるいは着古したら補修・縫い直しを繰り返し、残った布片は他の用途に回し、最後の切れ端まで使った。端縫い衣裳の多くは間着や長襦袢で、外から見える部分は同じ布を額縁の様に使うが、他はありあわせの布でもわからない。しかし、見えない所に縫う人のこだわりやセンスが窺われる衣裳でもある。江戸末期の風俗を描写した『守貞謾稿』は、女性の下着はしばしば寄せ裂で仕立てられ、男性の下着にはない特色だとしている。江戸末~明治末頃の、表着と端縫いの間着がセットになった小袖が、博物館等に残っている。
その後このような重ね着はしなくなり、礼装も簡略化され、今の留袖は重ね着のように見せかける「付け比翼仕立て」で作らる。西馬音内では、盆踊り会館や、個人が保有するものに、古い端縫い衣裳が数点あった。

4.盆踊り衣裳としての端縫い
1935年、西馬音内盆踊りは、東京で開かれる日本青年館主催「第9回全国郷土舞踊民謡大会」に参加することになった。練習を重ね、お囃子に三味線や鼓や鉦を加え、踊り方を揃え、ばらばらだった衣裳も統一した。大会の写真に、藍染浴衣の踊り子10名と端縫い衣裳の6名が写っている。これが端縫い衣裳の最初の登場記録である。ゆかりの人が残した着物地を接ぎ合わせた端縫いの衣裳に、編み笠や頭巾で顔を隠せば、精霊も踊りの輪にいるような雰囲気を醸し出す。小坂太郎は、当時の町長夫人と町の料亭の女将が、端縫い衣裳を着るアイディアを思いついたとしている。
当時大きな商家には踊り衣裳が10~15枚あり、使用人にも貸し与えられた。夜通し踊るから、一晩に何度か着替えた。貴重な端縫い衣裳の出番は夜が更けてからで、上手な大人だけが着たという。

5.盆踊りの継承と衣裳
西馬音内盆踊りの端縫い衣裳は、黒襟を掛け、接ぎは必ず左右対称だが、「額仕立て」でないものも多い。西馬音内で、いつ頃まで間着を重ね着する習慣が残っていたかは調べられなかったが、衣裳の由来を尋ねると、盆踊り用に2世代ほど前に作ったとの返答が多かった。手持ちの古着や裏地の紅絹を使って、娘たちの踊りのために作る家が増えたのであろう。西馬音内の女性たちが、本来は見せない下着を表着に、さらに鮮やかで大胆なデザインに作り直していったのである。
武田香奈子の調査では、2004年の踊り手335人の内、地区外の踊り手177人、その内帰省者が97人だった。月例講習会への近郊からの参加や、地元出身者が他の地方で踊りを教え、そのグループが西馬音内盆踊りに参加することも増えたと言う。現在、西馬音内盆踊り保存会に80名、内外で公演する同好会には35名が参加している。
2000年からは、8月第1週の週末(現在は日曜のみ)に、「藍と端縫い祭り」が開かれている。この日、各々家を開放して盆踊り衣裳を展示している。盆踊り当日にはできない、地元の人々と来訪者とのコミュニケーションの機会であり、2015年には200名ほどの見学者があった。
菅江の記録にもある毛馬内では、第2次大戦後、男性は紋付、女性は留袖で裾をからげ、頬かむりで踊るようになった。戦争中食料と引き換えに農家に集まった着物を、盆踊りで着るようになったからとのこと。保存会が40枚ほどの衣裳を持っていて、高校生に踊りや囃子を教え、衣裳を着せて、盆踊りを盛り上げようと努力している。

5.将来に向けて
現代は、安価な衣服の大量生産・消費・廃棄の時代である。一部はリサイクルされるが、洋服地での循環は難しい。生産から廃棄までの時間は短く、資源浪費と価値低下は加速する。しかし資源はいずれ枯渇するし、行き過ぎた傾向には反動が起こる。丁寧な手作りやモノへのこだわり、浪費に走らない生活スタイルへの転換が進むだろう。
他方、1970年代以降着物の需要は激減し、着物離れが決定的になった。本来再生と循環が可能な着物がタンスの奥底に眠り、今多くが捨てられる危機にある。素材があっても、作り手と着手そして機会が揃わない。
西馬音内では、盆踊りの独自性を高める中で、古い着物地を活用した踊り衣裳を創造し披露する機会を広げ、それが人々に活気と誇りをもたらす結果になった。金物店は、藍と端縫い祭りの日には2部屋に衣裳を飾り、冷茶と漬物で訪れる人々をもてなす。呉服店は、端縫い衣裳を作るために古い着物や布を集めている。手芸店は、裁縫が上手な若い従業員が来たと喜んでいる。町には藍染を習うグループがあり、裁縫教室がある。
着物は独自の伝統や特徴があり、これからの服飾や生活スタイルに活かせる要素を沢山持っている。西馬音内の端縫い衣裳の例が、他の地域でまた別の発展をしていくことを願ってやまない。

  • 987383_8bbb2439967847caa2001fb2e2d46a34-1.jpg 振袖の下に2枚の間着を着ている。若い女性の晴れ着姿である。 北尾重政画「東西南北之美人 東方乃美人」18世紀、東京国立博物館蔵(www.tnm.jpより)
  • 987383_803daf48e13242ada697e8bff00d6b2e 客のところに向かう遊女。表着を脱ぎ、端縫い衣裳を羽織っている。 三代歌川豊国・二代歌川国久画「江戸名所百人美女 品川歩行新宿」1857年、国立歴史民俗博物館蔵 国立歴史民俗博物館『紅板締め ‐江戸から明治のランジェリー‐』2011年、P.102
  • 987383_bc0b68eef01f42298375b175bf43be29 明治時代の紋入りの晴れ着とセットの間着 国立歴史民俗博物館『紅板締め ‐江戸から明治のランジェリー‐』2011年、P.103
  • 987383_2dcd13c76bf3475399074f753f4edcd6 西馬音内の手芸屋さんの店先に展示されていた、美しい端縫い衣裳 2014年8月3日岸上撮影
  • 時計屋さんの店先で、御主人夫婦と、娘さんの踊り衣裳。初めて作った子供用浴衣と成長してからの端縫い衣裳。左奥上部に掛けられている衣裳は、盆踊り用ではなく近郊の人にいただいた端縫いの間着で、綿が入っている。 2015年8月2日岸上撮影 (非公開)
  • 987383_1667820dc5e44c27b428dc620ae8d7d4 藍と端縫い祭りの前夜、羽後町の老人介護施設の前でお年寄りのために、西馬音内盆踊りが披露される。 2015年8月1日岸上撮影
  • 987383_716ab2de14da404c87ccb66c9f3132cb 留袖に頬かむりの、毛馬内盆踊りの踊り手さんたち 鹿角市より許可を得て、市のホームページよりダウンロード http://www.city.kazuno.akita.jp/dento/84.html

参考文献

秋田県羽後町企画商工課『羽後町町勢要覧 平成25年度版』
羽後町観光物産協会『西馬音内盆踊り‘14 公式ガイドブック』
羽後町郷土史編纂委員会『羽後町郷土史』秋田県雄勝郡羽後町教育委員会発行、1966年
福田アジオ他『日本民俗大辞典』吉川弘文館、2000年
菅江真澄著、内田武志・宮本常一編訳『菅江真澄遊覧記』平凡社、2000年
竹林史博編『盆行事、伝承と信仰』青土社、2012年
小坂太郎著『西馬音内盆踊り わがこころの原風景』影書房、2002年
喜田川守貞著、宇佐美英機校訂『近世風俗誌(守貞謾稿)』岩波書店、1996年
国立歴史民俗博物館『紅板締め ‐江戸から明治のランジェリー‐』2011年
佐藤智子「秋田県西馬音内盆踊りに着用される「端縫い衣裳」について」、『聖霊女子短期大学紀要4』24-30、1975-12-20
(財)民族芸術研究所編『秋田 芸能伝承者昔語り』秋田文化出版、2004年
武田香奈子「秋田県羽後町西馬音内盆踊りの変容」、『秋大地理52』、23-26、2005-03-23

その他、羽後町企画商工課、鹿角市産業活力課から盆踊りについての情報を提供していただいた。
端縫い衣裳についての聞き取りは、2014年8月3日および2015年8月2日の西馬音内「藍と端縫いまつり」参加商店や団体に対して行った。
毛馬内の盆踊り衣裳については、2016年1月15日、鹿角市丸久呉服店への電話インタビューによる。