名古屋市「鶴舞公園」~公園デザインに込められた近代都市化への思い
1.はじめに
「鶴舞(つるま)公園」(1)は、1909年(明治42)に愛知県名古屋市に初めて作られた都市公園であり、2022年で113年となる。JR・地下鉄鶴舞駅に隣接した名古屋の中心に位置する。
シンボルの噴水塔や、西洋式庭園と日本庭園を取り入れた和洋折衷の公園デザインは、開園当初からほぼ変わらない。朝はラジオ体操やランニング、日中は季節の花を楽しみながらの散歩や写真撮影にと人々が訪れる。照明が灯った夜の奏楽堂も美しい。一世紀以上、市民に親しまれている鶴舞公園は、どのような意図をもって作られ、名古屋にとってどのような存在なのだろうか。歴史的背景と特徴的なデザインから考察する。
2.基本データ(資料2)
開園年度:1909年(明治42)11月19日
公園面積:24.07ha
公園種別:総合公園
所在地 :愛知県名古屋市昭和区鶴舞1丁目
設計 :顧問・本多静六林学博士(2)、全体設計・鈴木禎次工学士(3)
日本庭園の築造・松尾宗見(松尾流宗匠)(4)、村瀬玄中(裏千家茶人)(5)
園内建築物・施設:
噴水塔、奏楽堂、普選記念壇、茶室、図書館、公会堂、名古屋市緑化センター、
テラスポ鶴舞(多目的グランド)、野球場、テニスコート、飲食店3店など
文化財など:国の登録記念物・名勝地関係(八幡山古墳を除いた公園全体)(6)
国の史跡名勝天然記念物(八幡山古墳)(6)
国の特別緑地保全地区(八幡山古墳)(7)
国の登録有形文化財・建造物(名古屋市公会堂)(8)
名古屋市文化財(噴水塔、普選記念壇)
名古屋市景観重要建築物等(公会堂、噴水塔、普選記念壇)
日本さくら名所100選
日本の歴史公園100選
3.歴史的背景(資料2)(資料3)
1905年(明治36)西洋思想をもとにした、日本初の都市公園・日比谷公園が東京に誕生し、名古屋でも都市公園設立の要望があがっていた。同じ頃、1909年(明治43)に愛知開催の第10回関西府県連合共進会(以下、共進会)(9)の場所探し、また精進川(現新堀川)の改修工事から出た土砂の処理問題もあった。その土砂で御器所村の田園地帯を埋め、共進会の会場を設営、後に公園として整備することで、鶴舞公園の開園は3つの課題を一度に解決する好機となった。
1908年(明治42)11月19日、「鶴舞(つるま)公園」と名称が定められ、共進会の会場が作られた。閉幕後の改修は、顧問として日比谷公園を設計した本多静六、全体設計を鈴木禎次が行い、日本庭園は村瀬玄中、松尾宗見が作庭した。共進会で鈴木が設計した噴水塔、奏楽堂などの施設を取り込んだ近代フランス式庭園と、廻遊式日本庭園が設計された。1918年(大正7)に付属動物園が開園し、1920年(大正9)に和洋折衷の庭園と、レクリエーションの場としての都市公園が完成した。その後、動物園は移転したが、隣接の八幡山古墳を取り入れ、図書館、公会堂、グランドなどが増設された。2009年(平成21)には、古墳をのぞく公園全体が国の登録記念物として登録された。
4.現在
2022年6月末の早朝、現地を訪ねた(資料4)。JR鶴舞駅の構内を出るとすぐ正面広場であり、ヒマラヤスギが並ぶ直線からスタートし、噴水塔、バラ園を通り、奥の日本庭園を廻って戻ってくる。約30分の散策は園内の様々な表情を楽しむことができた。
5.評価する点
5-1. 全体のデザイン
ケヴィン・リンチは5つのエレメントを用いて都市を分析し、「明瞭さ、わかりやすさ」が都市環境にとって決定的な重要性を持つと主張する(10)。鶴舞公園を分析すると、5つのエレメントが、互いにスムーズにつながった理想的な都市のような分かりやすさがある(資料5)。一から設計が可能な公園設計で、西洋の先進的都市のモデルを作ったのではないだろうか。リンチは、鮮明なイメージは社会的な役目も果たし、集団のコミュニケーションのシンボルあるいは共通の思い出となる、とも述べている(10)。一世紀を超えて親しまれる理由が、明瞭なデザインにあることが分かる。日本に、西洋庭園の造園家が誕生する前、林学博士の本多静六と建築家の鈴木禎次によって造られた公園は、その後広がる近代都市の手本のような空間であるといえる。
5-2. 和洋折衷のデザイン
鶴舞公園の一番の特徴は、西洋庭園と日本庭園を合わせもつことである。異なる文化を廻遊できる空間は、「隣接して『併置』されることで、この両者がより高い相乗効果をもって発揮され得る(11)」。明治時代、西洋優位の考えの中、模倣や移植ではなく、日本文化との相乗効果で、より高い文化を生み出そうという意図を感じる。それは、鈴木禎次の設計した建造物にも表れている。噴水塔はトスカナ式のオーダー円柱(12)から成り、足元の岩組は茶人の村瀬玄中による。西洋建築の古典的な美と日本文化の伝統美が重なりあった唯一無二のデザインは、開園以来、公園のシンボルである。
5-3. 街とつながる主軸
正面から伸びる力強い主軸の存在は、ベルサイユ庭園のようなフランス式庭園でみられる。庭園奥へと導き、線上に位置する噴水塔と奏楽堂を印象的にしている。この主軸の西端は街中の道に続く。共進会開催時には、別会場として鈴木禎次設計の愛知県商品陳列館が並び、賑わった。1918年(大正7)の米騒動では、この道から人々が公園を目指し10万人が奏楽堂に集まった(13)。大正デモクラシーの時代、公園は人々が集まり民意を訴える場となった(14)。主軸は公園と街や人々を繋ぎ、街は近代化へと進んだ。
6.比較・特筆
名古屋市東区の徳川園との比較から、鶴舞公園の特筆を考察する(資料6)。徳川園は敷地4.53haで、日本の自然景観を象徴的に凝縮した、江戸時代の回遊式大名庭園の様式をとる。元は、尾張藩二代藩主光友の広大な隠居地であり、1931年(昭和6)に名古屋市に寄付され一般公開された。1945年(昭和20)の大空襲で大部分を焼失。その後、近代公園となったが、2004年(平成16)に再整備された。遺構の少なさや維持管理の点から復元ではなく新たに作庭された。
起伏に富み、深い緑と滝のある園内は真夏の暑さをひととき忘れ、海を表した池周りの散策もゆったりと楽しめる。ただ、バリアフリーの舗装された園路は明るく目立ち、自然の中を廻遊というより鑑賞する感覚であった。紅葉時期の夜間開放、区内の天王祭にあわせた山車の曳揃えなど、庭園の空間や江戸文化を楽しめるイベントが行われている。隣接の徳川美術館と合わせて楽しむ観光公園といえる。
鶴舞公園はいつでも気軽に散策ができ、奏楽堂や普選記念壇を借りて表現活動を行うこともできる。早朝から夜まで、思い思いに楽しむことのできる、市民主体のオープンスペースとしての機能が生かされた都市公園であることを特筆する。
7.今後の展望
2023年4月、園内3か所を改修し、カフェなどがオープンする(資料8)。2024年秋には、公園南側(勤労会館跡)に近隣施設としてスタートアップ支援拠点「STATION Ai(ステーションエーアイ)」(15)が誕生し、日本最大級・世界最高レベルを目指し1000社の入居を募る。新技術で世界へ広がる拠点と、名古屋近代化の出発地の鶴舞公園とは一本の道で繋がる。
公園の改修と、近隣のSTATION Ai設立は、どちらも行政と民間事業者との協働によるPFI手法(16)をとる。近年、公園も「管理する資産」から「経営する資産」へと変わりつつある(17)。社会情勢に合わせた変革は必要であるが、かつて公会堂が建ち、テラスポ鶴舞ができたとき、開園当初にあった放射状の園路や軸線が消失したことは残念である(18)(19)。園内のエリアや施設ごとに管理者が異なり、価値観の相違や経営重視により、開園当初の意図、積み重ねられた歴史が置き去りにされないだろうか。歴史的資産を、次の100年にどのように渡し、活用していくか、包括的で慎重な管理運営が望まれる。
8.まとめ
川添善行は「過去の考え方にとらわれているだけでも、ただ従うだけでも創造的なデザインはうまれない(略)過去の解釈と手法の客観化の組み合わせ、つまり『解釈するデザイン』と『生み出すデザイン』の組み合わせによって、初めて新しい時代の本当の創造がうまれる」と述べている(20)。
鶴舞公園は、公園デザイン、建築物に西洋と日本の伝統的な技術を重ね、さらに全体は、近代的な都市空間のようでもある。知識と技術、柔軟な発想によるデザインには、新しい時代、新しい都市を創造しようとする意図がこめられている。名古屋の近代都市化への始まりの地であり、開園以来、人々に親しまれ、人々の生活と共にある鶴舞公園は、そこに込められた思いと共に、継承すべき文化資産として評価する。
参考文献
【註】
(1)「鶴舞公園」は「つるま」と読むが、JR、地下鉄の駅は「つるまい」と読む。その違いと由来について、しばしば議論されるが明確な答えは出ていない。
(2)本多静六林学博士(1866~1952)
日本初の林学博士。ドイツを始め19回の海外視察。明治25年に東京農科大学(現在の東京大学農学部)で教鞭をとる。日本発の都市公園・日比谷公園を始め、明治神宮など多数の公園を作り日本の「公園の父」と呼ばれる。「四分の一天引貯金」などの貯蓄術、処世術も有名で「伝説の億万長者」ともいわれる。
(3)鈴木禎次工学士(1870~1941)
1896年(明治29)に帝国大学工科大学造家学科を卒業。辰野金吾に師事。三井銀銀行建築係に勤務ののち、1903年(明治36)イギリスとフランスに国費留学。1906年(明治39)名古屋高等工業学校(現・名古屋工業大学)開設時に建築科長として赴任。教鞭をとりながら、いとうや呉服店(現松坂屋)、名古屋銀行、著名人の邸宅など西洋建築を手掛ける。設計した建築物の80棟のうち44棟が名古屋市内に集中していることから「名古屋をつくった建築家」と呼ばれる。夏目漱石は義兄。若山滋は、漱石とは帝大出身、欧州に国費留学、ロマン主義が好みであるといった共通点や、漱石が建築家になりたかったことなどから、互いの作品に影響を与えあったと思える、と述べている(『ひととき』2020年5月「特集・鈴木禎次東海の辰野金吾と呼ばれた建築家」、ウェッジ発行 2020年4月、P28、P29)。
(4)村瀬玄中(1844~1918) 裏千家11代目玄々斎の高弟。今日庵名誉教授。
(5)松尾宗見(1866~1917) 名古屋に表千家を広めた松尾流九代目。建築・造園を得意とし、横浜の総持寺の庭園、共進会会場の門天閣庭園などを手掛ける。
(6)登録記念物とは、文化財として保存及び活用のための措置が特に必要とされるものを文化財登録原簿に登録されたもの。
文化庁・文化遺産オンライン
「鶴舞公園」 https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/207463 (2022年7月17日閲覧)
「八幡山古墳」https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/138504 (2022年7月20日閲覧)
(7)国土交通省指定の、都市における良好な自然的環境となる緑地において、建築行為など一定の行為の制限などにより現状凍結的に保全する制度。
(8)登録有形文化財とは、有形の文化的所産で,我が国にとって歴史上,芸術上,学術上価値の高いものを総称して「有形文化財」と呼ぶ。
文化庁・文化遺産オンライン
「名古屋市公会堂」 https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/443716 (2022年7月28日閲覧)
(9)関西府県連合共進会は1883年(明治16)に第1回目を大阪市で開催後、3年おきに開催し第10回が最後になった。第10回は北海道・東北・九州を除く全国から参加。前回の4倍の予算規模で、1910年(明治43)3月16日~6月13日の3か月で270万人が来場。当時の名古屋の人口41万人を大きく上回る。名古屋からは自動織機を開発中の「豊田佐吉の織機」が出品され、欧米先進国に匹敵する優秀な技術が評価された。
(10) ケヴィン・リンチ著・丹下健三/富田玲子訳『都市のイメージ・新装版』岩波書店、2007年、P3、P5。ケヴィン・リンチ( 1918 ~ 1984年)はアメリカ合衆国の都市計画家、建築家、都市研究者。『都市のイメージ・新装版』において、5つのエレメントすなわち、パス(街路),ランドマーク(目印),エッジ(縁),ノード(結節点),ディストリクト(地域)をあげ、それぞれの特徴と相互関係を分析し、都市計画、研究を行っている。
(11)東京大学都市デザイン研究室編「図説 都市空間の構想力」学芸出版社、2015年、P117
(12)オーダーとは、ギリシアの神殿にみられるような円柱とそれが支える水平材からなる、西洋の歴史的建築の基本的な構成部分であり、美しさの基準となる。ギリシア建築では、ドリス式、イオニア式、コリント式があり、ルネサンス時代の再評価により、トスカナ式、コンポジット式が加わり、5つのオーダーとなった。オーダーの美しさは、各部の寸法と柱の配列からなる格調高い比例にある。
(13)米騒動とは、1918年(大正7年)7月23日、富山県魚津市の漁民の妻たちが、県外に移出する米の積み込みを拒否したことを発端に、県内の穀物商・資産家・役所に米の安売り、生活困窮者の救済を求めた大衆運動である。約二ヶ月間、全国規模の民衆暴動になった。鶴舞公園では、8月10日一万人が集結、翌11日午後9時には約10万人にのぼった。(丸山宏『近代日本公園史の研究』思文閣出版、1994年、P88、P89)
(14)丸山宏『近代日本公園史の研究』思文閣出版、1994年、P92、P98、P99
大正デモクラシーとは、日露戦争後の1905年~1925年まで、社会、文化にあらわれた民主主義的傾向をいい、民衆の政治的、市民的自由の獲得と擁護のための諸運動から始まった。「大正デモクラシー期には公園は一段と政治性を帯びた存在となり、公園の存在なくして民衆のエネルギーのはけ口はなく、公園はその舞台装置となってゆく」(丸山宏『近代日本公園史の研究』思文閣出版、1994年、P84)日比谷公園を始めとし全国の公園に民衆が集まり、鶴舞公園では、1923年(大正12)2月11日労働三法案反対デモ、5月1日メーデー(労働者が権利を要求するために集まる労働者の祭典)が行われた。
(15)ソフトバンク株式会社 ニュース「愛知県とソフトバンクが愛知県スタートアップ支援拠点整備等事業の基本協定を締結」(2022年7月22日閲覧)
https://www.softbank.jp/corp/news/press/sbkk/2021/20210907_01/
愛知県知事・大村秀章 プレゼンテーション資料
https://www.softbank.jp/corp/set/data/news/conference/pdf/material/20210907_01.pdf
(2022年7月22日閲覧)
(16)PFI(Private Finance Initiative:プライベート・ファイナンス・イニシアティブ)」とは、公共施設等の建設、維持管理、運営等を民間の資金、経営能力及び技術的能力を活用して行う新しい手法。民間の資金、経営能力、技術的能力を活用することにより、国や地方公共団体等が直接実施するよりも効率的かつ効果的に公共サービスを提供できる事業について、PFI手法で実施する。「民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律」(PFI法)が平成11年7月に制定され、平成12年3月にPFIの理念とその実現のための方法を示す「基本方針」が、民間資金等活用事業推進委員会(PFI推進委員会)の議を経て、内閣総理大臣によって策定され、PFI事業の枠組みが設けられた。
内閣府 民間資金等活用事業推進室(PPP/PFI推進室)
https://www8.cao.go.jp/pfi/pfi_jouhou/aboutpfi/aboutpfi_index.html(2022年7月25日閲覧)
(17)「名古屋市の公園経営とは・・」名古屋市公園経営基本方針より
https://www.city.nagoya.jp/shisei/category/53-3-16-1-0-0-0-0-0-0.html(2022年7月24日閲覧)
従来の行政主導による維持管理中心の公園管理から脱却し、利用者志向、規制緩和等による市民・企業者の参画の拡大、多様な資金調達とサービスへの還元、経営改善手法の導入など、公園の利用活用重視の発想により公園の経営資源を最大限に活用していく新たな管理運営の考え方。
(18)明治から昭和初期にかけては、行幸や皇室行事を記念した建築が全国で行われた。名古屋市公会堂は昭和天皇御成婚を記念する事業として、1930年に完成。2020年国登録有形文化財(建造物)に登録された。公会堂のHPには「噴水塔と奏楽堂の二つの建物が鶴舞公園の東西の軸となっている。名古屋市公会堂はその噴水塔と奏楽堂が形成する東西軸に直交するように噴水塔の北に配置され、名古屋市公会堂と噴水塔が鶴舞公園の南北軸を形成する」とあるが、実際は、公会堂を取り囲むように駐車場があり、公園と分断された印象であり、軸の存在を感じることができない。
(19)テラスポ鶴舞は、2018年に元の競技場を改築してできたサッカーを中心とした多目的グランド。改築前のグランドの間には、公園の噴水塔を中心とした南北の軸線とつながる経路があった。しかし、新しい2つのグランドの間の人が往来する管理棟は軸線とずれている。テラスポ鶴舞のHPには「鶴舞公園に、つながりを生み出すことを目指します」とある。名称は公園に合わせて「つるま」と読むが、デザインとして公園とつながることは検討されなかったのだろうか。
(20) 川端善行・早川克美編『芸術教養シリーズ19、私たちのデザイン3、空間にこめられた意思をたどる』京都芸術大学東北芸術工科大学出版局藝術学舎、2014年、P74
【参考資料】
・川端善行・早川克美編『芸術教養シリーズ19、私たちのデザイン3、空間にこめられた意思をたどる』京都芸術大学東北芸術工科大学出版局藝術学舎、2014年
・武居二郎・尼崎博正監修『造園史』京都造形芸術大学、2007年
・ケヴィン・リンチ著・丹下健三/富田玲子訳『都市のイメージ・新装版』岩波書店、2007年
・東京大学都市デザイン研究室編「図説 都市空間の構想力」学芸出版社、2015年
・進士 五十八『日比谷公園 一〇〇年の矜持に学ぶ』 鹿島出版会、2011年
・坂本新太郎監修『日本の都市公園』インタラクション、2005年
・丸山宏『近代日本公園史の研究』思文閣出版、1994年
・篠原修編『景観用語辞典』彰国社、2021年
・瀬口哲夫編『鈴木禎次及び同時代の建築家たち』 鈴木禎次生誕130年記念展 「20世紀の建築文化遺産展」建築展図録、2001年
・名古屋圏の建築家と建築編集委員会 + 名古屋工業大学伊藤孝紀研究室『名古屋圏の建築家と建築 』 建築メディア研究所、2019年
・佐藤達生『図解 西洋建築の歴史』河出書房新社、2014年
・財団法人名古屋市みどりの協会編集・発行『ふらら』第4号、2009年9月1日
・『ひととき』2020年5月「特集・鈴木禎次東海の辰野金吾と呼ばれた建築家」、ウェッジ発行 2020年4月
・岡崎信用金庫PR誌『おかしん』
Vol.743「鈴木禎次と夏目漱石 その一」、岡崎信用金庫発行、2016年6月
https://www.okashin.co.jp/image/local/pr_okashin/okashin743.pdf
Vol.744「鈴木禎次と夏目漱石 その二」、岡崎信用金庫発行、2016年7月
https://www.okashin.co.jp/image/local/pr_okashin/okashin744.pdf
Vol.745「鈴木禎次と夏目漱石 その三」、岡崎信用金庫発行、2016年8月
https://www.okashin.co.jp/image/local/pr_okashin/okashin745.pdf
・名古屋国際高等学校社会科教科会編『名古屋区史シリーズ 昭和区の歴史』愛知県郷土資料刊行会、2005年
・岩切 正介『ヨーロッパの庭園―美の楽園をめぐる旅』中公新書、 2008年
・巌谷 国士『ヨーロッパ100の庭園』平凡社、 1998年
・松尾宗倫『茶の湯松尾流』主婦の友社、1979年
・笠間 聡「豊かな都市づくりのための理論とそれに基づく分析例について」寒地土木研究所月報・第757号、2016/06/10
・公募設置管理制度(Park-PFI)について 国土交通省 都市局 公園緑地・景観課 令和2年2月12日
PPP/PFI推進施策説明会 資料
https://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/kanminrenkei/content/001329492.pdf
・「鶴舞公園管理運営方針」
https://www.city.nagoya.jp/ryokuseidoboku/cmsfiles/contents/0000060/60436/03turuma.pdf
名古屋市緑政土木局 2021年4月
・「徳川園管理運営方針」
https://www.city.nagoya.jp/ryokuseidoboku/cmsfiles/contents/0000130/130711/06_kanriuneihousin.pdf 名古屋市緑政土木局 2020年10月
・名古屋市公園経営基本方針https://www.city.nagoya.jp/shisei/category/53-3-16-1-0-0-0-0-0-0.html
平成24年6月
【参考HP】
・鶴舞公園 https://tsurumapark.info/ (2022年7月27日閲覧)
・名古屋市緑政土木局https://www.city.nagoya.jp/ryokuseidoboku/page/0000047402.html (2022年7月19日閲覧)
・名古屋商工会議所のあゆみ https://history.nagoya-cci.or.jp/index.html (2022年7月17日閲覧)
・名古屋市公会堂 https://nagoyashi-kokaido.hall-info.jp/ (2022年7月28日閲覧)
・トヨタ産業技術記念館 https://www.tcmit.org/ (2022年7月17日閲覧)
・久喜市HP 本多静六博士顕彰事業
https://www.city.kuki.lg.jp/miryoku/rekishi_bunkazai/honda_00/index.html (2022年7月17日閲覧)
・徳川園 https://www.tokugawaen.aichi.jp/index.html (2022年7月27日閲覧)
・テラスポ鶴舞 https://aifa-fc.com/ (2022年8月15日閲覧)
【取材協力】
名古屋市緑化センター
徳川園管理事務所