川上獅子舞「戯れ猿の段」とコミュニティにおけるその機能

鈴木 佑依子

1 はじめに
人口約750人(*1)の、岐阜県中津川市川上(かわうえ)地区(以下、川上という)。歴史的には川上村と呼ばれ、東濃檜の産地として栄えた地域だったが、小学校の全校生徒数は2021年度現在33名と現在は高齢化と人口減少に悩む典型的な山村である。ここでは毎年10月第二日曜日に白山神社例大祭が行われ、祭囃子とともに川上独自の獅子舞が奉納される(*2)。以前は伝統的な獅子舞も舞われていたが、平成22年以降は演目「戯れ猿の段」(以下、川上獅子舞という)に一本化されている(*3)。
ここでは、その川上獅子舞の独自性を明らかにした上で、そのコミュニティにおける機能につき考察したい。

2 概要
由来と経緯
川上獅子舞は、昭和49年(1974)に、地域の二十歳前後の若者数名が「楽しい祭りにしていきたい」と村長に直訴し、川上村教育長に相談し、長野県伊那市の田楽座に制作と演技指導を依頼し、年中行事として定着したものである(*3)。
一時は郷土学習授業の一環として中学生に継承開始されたが、中津川市との合併に伴って川上中学校がなくなってからは、中学生有志を募り、夏休み中や夜など限られた時間で活動するようになった。平成21年(2009)ごろになると中学生数が減少し、部活動との兼ね合いもあって思うように活動ができなくなり、「このままではやる人がいなくなってしまう」と危機感を抱いた30代男性数名が立ち上がり、平成22年(2010)にかわうえ祭りばやし保存会に若衆組が結成され、年寄組から獅子舞を継承した。40代になった彼らが今も獅子舞を舞い続けている。(*4)

特徴
川上獅子舞は、「演者も楽しく、見る人も楽しい、続けたくなる獅子舞を」と地域住民が積極的に作り出した、宗教祭祀的要素よりも娯楽的要素が強い「新しい伝統」で、今では川上住民が誇る地域文化資産の一つとなっている。
誰にでもわかりやすいストーリー仕立てになっており(*5)、一人が獅子の頭と前足、もう一人が後ろ足を演ずる、二人一組の舞である。動物らしい動きをしたり、肩立ちや腰立ちなどアクロバティックな動きをしたりするため、表現力、身体能力、さらには二人のあうんの呼吸が肝となる。

3 加子母獅子舞との比較
川上とともに尾張藩領の飛び地だった裏木曽三ヶ村の一つである加子母。少なくとも100年以上の歴史がある加子母の獅子舞は、油丹舞、弊の舞、剣の舞など7演目が保存されており(*6)、「古風を尊び、裏木曽の山々そのままに素朴でしかも優雅に神前に奉納するにふさわしいたくみな美しさ」が特徴で(*7)、川上獅子舞とは全く異なる獅子舞である。加子母の油丹舞は、小刻みに足を動かしながら獅子頭をかしげたりする仕草や、「かや」が女性の着物の袖のように扱われる様が女性的である(*8)。また、弊、鈴、剣を用いた格調高い演目も残されている。一方、川上獅子舞は、動物的な表現、ダイナミックでアクロバティックな動き、コミカルな筋立てが組み合わされたエンターテインメント性の高い獅子舞である。
加子母の他にも近隣の付知(*9)、東白川(*10)にそれぞれ伝統的な獅子舞が複数演目残っている一方で、川上では新しいものが創作され、一本化されている。その理由の一つとして考えられるのは、人口の違いである。加子母は約2700人(*11)、付知は約5500人(*12)、東白川は約2000人(*13)であり、それと比べると川上は圧倒的に少なく、地域生活における一人当たりの負担が他よりも大きかったであろうことは想像に難くない。

4 川上獅子舞のコミュニティにおける機能
次に、川上獅子舞の地域コミュニティにおける機能について考えたい。レイ・オルデンバーグは、近所にある、自宅でも職場でもない気軽に立ち寄ることができる第三の場所(サードプレイス)で地域の人々は交流し、それがコミュニティ形成に寄与すると説明している(*14)。
川上には、ふらっと気軽に立ち寄れるような「場所」はない。しかし、中津川市と合併して17年経った今もなお、村時代の一体感は比較的維持され続けている。まちづくり協議会は活動的で、広大な夕森公園一帯の運営を行い、多くの住民の協力を得て、小学校の敷地の維持管理や登下校の見守りなどの活動が行われている。川上にはサード「プレイス」はないが、このような地域活動が住民の第三の居場所、交流の場となっていると考えて間違いないだろう。しかし、これらは、気軽に立ち寄る類のものではなく、事前に役割が充てがわれ決められた日時に「出役」するものだ。その観点からすると、オルデンバーグの言う「サードプレイス」には当てはまらない。
では、年中行事、とりわけ一年で最も多くの住民が一箇所に集まる白山神社例大祭はどうだろうか。オルデンバーグが挙げるサードプレイスの特徴や機能となぞらえ考察してみたい。住民たちは、祭で行き合うと、特段親しくはなかったとしても挨拶は交わす。獅子舞のように見るものがあると、居合わせたとしても無理に長時間話す必要がなく、自由に立ち去ることが許される。周りを観察すれば、家族構成、誰と誰が仲が良いか、コミュニティ内で誰がどのような役割を果たしているか、個々人の能力や性格等の把握にも役立ち、新入りが古参や世話役と引き合わせてもらうこともできる。以上を鑑みると、サードプレイスに十分該当しそうである。
篠笛と太鼓が鳴り響き人を誘い、コミカルな猿が観客の間を縫い歩き、酒を注ぐ。川上獅子舞は子供から高齢者までをくつろがせる。子どもが獅子に頭や手を噛まれ泣き叫ぶと、(必死に逃げようとする本人を別として)誰もがつられて笑う。同時に盛り上がり、笑いを共有することで一体感が生まれる。誰もが笑顔でいる場で顔を合わせることにより、穏やかな関係性に繋がりやすく、積極的な強い絆だけでなく弱く緩い絆も育まれる。
この強い絆と緩い絆の両方が、多くのことを住民ボランティアに頼るコミュニティにおける協力と協働を生むのではないだろうか。一年に一度ではあるものの、「楽しさ」という動機に突き動かされて共同体験することで、住民のコミュニティへの帰属意識が醸成される。通常の交流範囲外の、多様な性別、年齢、学歴、職種、地区、生活水準の人たちとフラットに緩やかに交流する場となる川上獅子舞は、地域相互支援の土壌づくりの一端を担うと言えるのではないだろうか。

5 今後の展望
継承
川上獅子舞は、そのアクロバティックな演技ゆえに、高齢になると演じることができなくなるという問題がある。現在の演者二名は40代半ばであり、そろそろ継承者を特定し、育成し始めなければならない時を迎えている。
市内での就職が決まった演者の小縣さんの長男が、獅子舞を継承する意志を表明している。今後は彼が友人知人を巻き込み、川上獅子舞の第三世代を形成していくことが期待される。

活動方針
「堅苦しく伝統を守ることに固執すると演者の負担となってしまうため、これからは伝統を守りながらも新しいことにチャレンジしていきたい」と演者の小縣さんは言う。具体的には、(1)川上の外でも演じること、(2)演者が演技を工夫し調整したり、アドリブなどで個性を出していくこと。こうすることで演者も楽しみ、続けていくモチベーションを保ちたいそうだ。(*13)

獅子舞のような地域芸能は、神社への奉納の意味はもちろんあるが、住民たちのものであり、演者たちのものでもある。見る人も演じる人も楽しめるものであってこそ続くもの。川上獅子舞は、観客と担い手を大事にしながら、時と共に変わっていくことが許されるものであるため、今後も少しずつ進化しながら「伝統」として継承されていくことになるだろう。

6 おわりに
生活の喜びは他者との交わりの中にある。衣食住に直結していない交わりによる喜びは、なお大きく感じる。一年のうちにどのような大変なことがあったとしても、毎年特定の日、特定の場所で、あの獅子舞が行われ、顔馴染みとともにくつろぎ笑い、一年の節目を迎えることは、人々に安心と喜びを与え、一体感が醸成される。
伝統は、いつの時代かにある人(人々)によって創作され、それを体験した人の感情が動かされ、その価値がさらに多くの人と共有されて普遍化し、時代・生活環境が変わっても価値が認められ続け、時間と労力がかけられて受け継がれてきたものである。
川上獅子舞は他地域と比べると新しいながらも、地域の独自性の確認の儀式として、さらには住民たちの相互支援の土壌づくりの一端として今後も継承されていくだろう。

  • 01_%e5%86%99%e7%9c%9f-1%e3%83%9a%e3%83%bc%e3%82%b8%e7%9b%ae%e3%81%ae%e3%81%bf_page-0001 2019年10月6日筆者撮影

参考文献

注釈
(*1)中津川市ホームページ 「川上地区はこんなところ」 https://www.city.nakatsugawa.lg.jp/soshikikarasagasu/kawaue/local/1334.html (2022年1月20日閲覧)

(*2) Youtube動画:2014年中津川市総合文化祭 かわうえ祭ばやし保存会「夕森獅子舞」 https://www.youtube.com/watch?v=eVi5TwEanFQ (2022年1月20日閲覧) (文化祭では猿は飴を配っているが、白山神社例大祭では観客に酒を振る舞う。獅子は例大祭では観客の中の子供を怖がらせ、頭や手を齧る。)

(*3) 添付資料2:「保存会小縣雅文さんファイル」2021年1月許可を得て筆者複製
(*4) 添付資料3:「取材記録_小縣一将さん_原久喜さん」筆者作成
(*5) 添付資料4 :「演目「戯れ猿の段」の筋立て」参照 筆者作成
(*6) 地芝居大国岐阜WEBミュージアム「加子母獅子芝居保存会」、岐阜県運営
https://jishibai.pref.gifu.lg.jp/modules/organization/index.php?action=PageView&page_id=19  (2022年1月21日閲覧)
(*7) 添付資料6:イベント冊子『中津川文化会館10周年記念 恵北ふるさとの祭り』、中津川文化会館組合(加子母村・付知町・川上村・坂下町・福岡町・蛭川村・中津川市)主催、昭和57年12月5日中津川文化会館ホール開催 
(*8)加子母獅子舞第39回伊勢神宮奉納 平成28年2月21日
https://www.youtube.com/watch?v=x8jY0exE_8U (2022年1月21日閲覧)
(*9)Youtube 2012年10月21日 付知三輪神社奉納 開の舞
https://www.youtube.com/watch?v=0C_xZxQp758 (2022年1月21日閲覧)
明治23年(1890)発足三輪神楽保存会の活動通信 
https://miwakagura.exblog.jp/20693674/ (2022年1月21日閲覧)
(*10) 東白川村公式サイト「東白川村の文化財 無形民族文化財」子護神社の神楽獅子
https://www.vill.higashishirakawa.gifu.jp/syoukai/gaiyo/archive/bunkazai/?p=18 (2022年1月21日閲覧)
(*11)中津川市ホームページ「加子母地区はこんなところ」
https://www.city.nakatsugawa.lg.jp/soshikikarasagasu/kashimo/local/1197.html (2022年1月21日閲覧)
(*12)中津川市ホームページ「付知地区はこんなところ」
https://www.city.nakatsugawa.lg.jp/soshikikarasagasu/tsukechi/local/1217.html (2022年1月21日閲覧)
(*13)東白川村公式サイト「統計からみた東白川村の現状」岐阜県環境生活部統計課2020年9月更新
https://www.vill.higashishirakawa.gifu.jp/files/upload/6025d25b-2670-4001-8c93-5cb7ac100235.pdf (2022年1月21日閲覧)
(*14)レイ・オルデンバーグ『サードプレイス コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」』忠平美幸訳、みすず書房、2021年

その他 参考文献
(1) 『中津川ふるさとの芸能文化』、中津川ふるさと芸能文化保存協会、昭和60年
(2) 中山太郎「獅子舞雑考」、『日本民俗学論考』一誠社(青空文庫POD[Next Publishing])、1933(2015)
(3) 本田安次『日本の伝統芸能』、錦正社、平成2年 
(4) かわうえ祭ばやし保存会ホームページ http://blog.livedoor.jp/hozonkai/(2022年1月20日閲覧)

年月と地域
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