埼玉県白岡市における白岡遺産活用の一考察 「スタンプラリーでデザインする」
はじめに
文化庁による「文化財保存地域計画」が改正され、新たに制度化された。これまで、国や県の指定文化財を中心に保存や活用されてきた。しかし、この計画は、それら指定文化財に限らず、地域に伝わる有形・無形文化財を見直し、保存・活用しようというものである。
この論では、活用に対する方法を、構成主義の思考をもとにし、デザインという視点から模索した。それにより、「スタンプラリー」という活用方法を導くにいたった。
白岡市の基本データと歴史的背景
埼玉県白岡市は、埼玉県の中東部に位置し、JR宇都宮線の白岡駅と新白岡駅がある。
縄文時代、奥東京湾は、白岡市付近にまで広がっていた。その後、海が後退し、川と丘の景観となった。このため、白岡は、河川に囲まれた地域として発展することとなった。地理的には、古利根川と元荒川により他地域と区分され、さらに、中央に日川が流れていた。(図1-1)
また、日川により大きく二分する台地や自然堤防上に村が発展してきた。これは、神社の分布によりみることもできる。大まかには、西側には、久伊豆神社が点在し、東側には、鷲神社が点在している。(図1-2)
その後、田畑の開拓は、日川の流量が減るに従い進んでいった。しかし、反面、上流からの洪水に悩まされ続けてきた。
また、白岡は、鎌倉時代、野与党に属した鬼窪氏がいた場所である。鬼窪氏は、その後、武家の守護神である八幡神社を勧進した。この神社は、「白岡八幡神社」と呼ばれている。(写真2-1)、(図2-1)
その後、関東平野は、江戸時代にはいり、江戸の食を安定して確保するため本格的な河川工事が伊奈忠治によりおこなわれた。白岡でも川の立体交差化により、用水路が整備され、洪水被害が軽減された。(図3-1) さらに、同時期、交通網も整備され「御成街道」や「篠津の宿」が発展した。また、野牛村の領主となった新井白石は、村内での小規模な川を整備した「白石堀」や震災・飢饉対策として「郷倉」を設けた。(図3-2)
そして、江戸時代も進み、江戸では、「江戸文化」が開花した。その影響を受け、白岡でも村民が主体の文化が開花することになった。
例としては、「小久喜村の獅子舞」(写真4-1)、「篠津村の山車」(写真4-2)、「岡泉天王様」(写真4-3)をあげることができる。
その後、白岡は、明治にはいり、白岡町となり、米生産、梨の栽培、養蚕を中心とした農業を中心に発展してきた。しかし、昭和になると交通の便がよいため、工場やマンションが建設され、徐々に農業から工業、住宅地へと変化した。そして、平成24年、白岡町は白岡市へと移行した。
白岡遺産とは
平成30年、文化庁による「文化財保存地域計画」が改正され、新たに制度化された。それまで、国や県の指定文化財を中心に保存や活用されてきた。この改正は、未指定の文化財も含めた地域の有形・無形文化財を見直し、総合的・一体的に保存・活用しようという主旨である。
具体的には、白岡市の特徴を捉え、指定・未指定を問わず、文化財を把握することからはじめる。さらに歴史文化の特徴を考慮し、関連文化財のグループ化や文化財保存計画区域を定める。その後、市民を交え具体的にそれら文化財の保存と活用をおこなっていく。
現在、選定されているグループとして、6つのストーリーがある。(図5-1)
1.鎌倉街道と幻の川「日川」
2.二つの川筋を背景に勢力を伸ばした鬼窪氏
3.新田開発と川の立体交差
4.水の災いを恵みに換える暮らしの知恵
5.領地・領民を想う新井白石と領主を慕う村人
6.篠津宿の賑わいを支えたもの
活用が必要な理由
モノとしての建物などの遺産は、定期的に人の手を入れなければ、朽ちてしまう。白岡市にある神社や寺院の一部にみられるが、地震、獣やネズミの害により天井にシミができ、屋根瓦が落ちてしまっている。(写真6-1) しかし、国や県の指定文化財に指定されていない場合、そのモノを守り受け継ぐのは、その地域に住む住民自身が主体となる。
活用するための「これまでの施策」
これまで、白岡市では、既存の文化財を知ってもらうために、Webページで、写真に簡単な説明をいれ紹介してきた。また、実際にそれらの文化財を見るために、ガイドツアーが催されてきた。さらに、専門家により講演会が定期的におこなわれてきた。
また、神社や寺院がある地域では、小中学生の参加による、獅子舞、神楽、山車などがおこなわれてきた。
白岡遺産 6つのストーリーを「歩いてみて」
白岡遺産 6つのストーリーの活用のために実際に歩いてみた。そのうえで、移動の問題点がみえてきた。特に、ガイドツアー付きの、集団移動には、白岡遺産に詳しいガイドが同行し説明をすることには利点があるが、企画や細かなルートなど考慮するべき問題点があることがわかった。
ここでは、さらに、集団と個人を中心とした移動見学を対比してみる。
集団の場合は、移動での道路幅・車の量・距離・トイレ、短時間での説明、さらに、先生対生徒の関係になる。
逆に、個人や小グループの場合は、移動に徒歩・自転車、自動車が自由に選択できる。また、個々に看板やパンフレットにより理解することが中心となり、先生はいない。これは、個人のペースによる移動や理解が中心となることでもある。
考え方の指針 構成主義から「スタンプラリー」へ
活用のための有効と考えられる理論として「構成主義」が考えられる。産業革命以降の教育は、知識の詰め込みであった。学校では、問いに対して、必ず決まった答えが求められる。また、現実からかけ離れた理論を覚えることも要求された。しかし、生きるための学習は、自己と他者や環境との関係により成り立つ。
多様化した現在では、知識の詰め込み以上に、どのように自分で考え行動するのかという視点が重要になっている。
さらに、地域の問題の発見や対策に関しても、既存のアプローチからでは、解決できない。市民が自ら歴史を知り、新たな視点に立ち考えることが重要である。
白岡遺産を知ること。さらに、年齢を問わない生涯学習を考慮し、多様な視点を提供し、楽しみながらということを考慮した場合、「スタンプラリー」が最適であると考えられる。
今後の展望「活用案」
スタンプラリーとしては、おおまかにふたつのアプローチが考えられる。ひとつめとしては、白岡市に住んでいるが市のことがよくわからない人、市外から転居してきた人に対して白岡遺産を知ってもらうこと。これは、6つのストーリーから各1か所ずつ選定しチェックポイントにする方法が考えられる。
ふたつめとしては、6つのストーリー内でチェックポイントを設定する。川の立体交差以外は、狭い範囲でグループ化されているため、個人や小グループで移動に対して交通の問題はない。
さらに、全てのスタンプを集めると、特典を得られるようにするとやる気や楽しみが増えると考えられる。
他県での実例
既に多くの自治体で「スタンプラリー」は、導入されている。新居浜市では、「ぐるっとにいはま」と題して、市内の主要な場所を周遊する。(写真7-1) 京都市では、「伏見五福めぐり」と題して、特定の寺院の朱印状あつめを素材にしている。(写真7-2) どちらの自治体でも、特典があったり、記念品がもらえたりと、多くの参加者を想定している。
まとめ
「スタンプラリー」は、年齢を問わず、白岡遺産を知り、歴史的な流れを認識することができるという利点がある。同じ神社や寺院をチェックポイントと設定しても、花めぐり、ご利益めぐり、ご開帳めぐりなど、題材を変えるだけで、何度も訪れ、新しい発見があると考えられる。
最後に、これを通じて市民自ら白岡遺産を知り、維持し、後世に伝えていくことの大切さを認識できるようになると考えられる。
参考文献
白岡町編集・発行『白岡町史 通史編上巻』、白岡町、1989年
白岡市・白岡市教育委員会発行『白岡市文化財保存活用地域計画~地域の文化財を地域の手で守るために~』、白岡市、2021年
稲垣香世子、波多野誼余夫著『人はいかに学ぶか 中公新書907』、中央公論新社、1989年
A.プリチャード、J.ウラード著、田中俊也訳『アクティブラーニングのための心理学』、北大路書房、2017年
香川正弘、鈴木眞里、佐々木英和編『よくわかる生涯学習』、ミネルヴァ書房、2008年
伊藤寿郎著『市民のなかの博物館』、吉川弘文館、1993年