文化遺産評価報告書~国立学園都市

加藤 勝也

1 はじめに
明治末から大正期に都市部の人口増加により居住環境が悪化し近郊に宅地開発が各地で行われ、東京では関東大震災後更に加速した。その中でも「国立学園都市」は特別な志を立てた人物によって創られた地域であり、現在も街並みに愛着を持った人々が活動をしている。それは長く住み慣れた住民だけではなく、この地に通った学生や近隣の住民、街の魅力に惹かれて新しく転居した人々などが交流しながら改めて国立の街並みの文化的価値を共有し、未来に向けてどういった方法で維持していくのかを考え合っているのである。本文ではまず都市のエレメントから国立のイメージアビリティを捉え、将来に向けてのまちづくりに欠かせないと思われるエレメントを活用し、今後の都市計画の方向性を示したい。

2 国立学園都市の概要
国立学園都市とは東京都郊外多摩地区にある東京都国立市の宅地開発地区である。国立市は旧谷保村であり、集落は甲州街道沿いに在した農家が中心であった。現在の国立駅付近は「ヤマ」と呼ばれた雑木林で、櫟やコナラ、野栗、エゴなどに赤松が混ざり、ススキに覆われた地であった。家は一軒もなく、狐や狸、兎や猪が生息する原生林は農家にとっては生活の糧であり、落ち葉を堆肥として収拾したり燃料として枝を薪として活用するなど大切な資源を提供する地でもあった。
当時国鉄中央東線(現JR中央線)はこの地を横切っていたが停車駅は存在しなかった。現在は高架線となっているが、新宿方面から国分寺を過ぎ立川へ向かう間に驚きの絶景が出現した。国分寺周辺は武蔵野台地の一部で線路は掘削された地にあったため視界が塞がれていた。そこから現国立駅直前に国分寺崖線を抜け、立川段丘に出ると線路は盛土上を走り、急に視界が解放され絶景が現れた。果てしなく続く武蔵野の森、遠方には富士山の神聖な姿、多摩川の流れも眺められたのである。この地に目をつけたのは堤康次郎(1889-1964)である。関東大震災で被災した東京商科大学(一橋大学)の佐野善作学長の要望に沿って理想の学園都市計画が立てられ、堤は国立学園都市を開発した。しかし、土地の買収交渉などに苦心した上、世界恐慌や戦争によって宅地販売は進まなかった。
戦後、近隣に米軍駐留基地があり多勢の米兵が国立にも訪れて風紀を乱す行為を行うようになったため、浄化運動と名付けて住民が風俗営業などの行為を禁ずる文教地区指定を目指す運動をおこし、商業振興派の者と対立しながら1952年に念願が叶ったのである。その後国立には娯楽施設や景観を乱す建築物には制限がかけられたため、景観と教育環境の良好さから人気の街となって周辺部より地価が上がったのである。ところが、マンションの高さ規制などは条例の基準では曖昧であったため1996年に北口に高層マンションが立ち、景観を一変させた。
国立市では都市景観形成審議会を設け、机上の議論だけでなく見学会、景観マップの作成、市民との意見交換会を催した上で1998年都市景観形成条例を施行した。また、1999年に地区計画の区域内における建築物の制限に関する条例を、2016年にはまちづくり条例を施行し、計画的に良好な景観づくりを推進している。

3 ケビン・リンチの観察者の視点から考察した国立のイメージ
住民自らが観察者となる場合、住み慣れた地域から少し離れただけで此処はどこ?と迷ってしまうのが通常であるが、国立は計画都市であるため、強力なモニュメントが存在し自分の位置と距離感で言い当てることができる。ほぼ東西を貫く高架路線のJR中央線。これは例えれば水平定規の如く位置と方位を示すエッジである。そこにシンボルモニュメントとして国立を象徴する国立駅舎があり、南口側は円形広場〔ロータリー)から放射状に直線に延びるメインストリート(パス/大学通り・富士見通り・旭通り)のノードになっている。そして広幅の大学通りと駅前広場周辺にはファサードとして広大な緑地に個性ある街路灯が設置されており、学園都市ディストリクトとしてのストラクチャーには一橋大学構内の煉瓦校舎がランドマークとなっており、周辺地域では類似の煉瓦を用いた建築物が多く、駅舎には赤いトンガリ屋根にドーマー窓、アーチなど都市開発当時の大正ロマン文化のアイデンティティーが備わっている。市民にとってこの形状には明確なイメージアビリティーが存在するのである。

4 まちづくりの方向性と提案
近年、行政施策として「観光まちづくり」という概念が浸透し、官民協働の活動が活性化してきた。ここ10年あまりの間に各市町村では「観光まちづくり協会」が設立され行政の方針に沿って地域住民との協働で活発な活動が展開されている。一方、観光をサイトツーリズムという既存の概念に捉われ、ある特定の場所、事業者に対する利益のため行政が忖度している、また外来者によって閑静な住宅地が荒らされ、騒音、犯罪やゴミの問題等を主張して活動に否定的な住民もあり、逆に観光政策による活動が経済的利益を生むと考えて積極的に活動に参加した事業者からは効果が無い、という対立意見も出ている。まちづくりの基本は住みたいまち、訪れたいまちと感じられるイメージを来訪者、住民が観察者となって文化を学び、街を歩き、パブリック・イメージを捉え、経年により常に変化するまちにとってそれが欠かせない要素であるという事を次世代に引継いでいくことがまず大切であることを多くの人々が共有できれば、本当の観光の意味が理解され、誤解が解けるのではないかと思う。
国立ではすでに国立市観光まちづくり協会(2006年創立)が設置されており、NPO法人として官産民協働でまちの魅力を発信する拠点となっている。会員には地元の有名企業や老舗店が名を連ね、各商店街全てや市民活動団体、JR東日本も加わっている。残念なのは一橋大学や国立学園などの学校法人は加わっていない。活動内容を見てみると方向性が他種である。商業振興を目当てに行う事業は、地域内の店舗情報の発信などが主である。市民や外来者が大勢集まるイベント「天下一」「大学通りクリスマスイルミネーション」「谷保天満宮旧車祭」「朝顔市」「一橋祭」などの企画に関わり、新しい企画として近年「LINKくにたち」(スポーツ)「アートビエンナーレ」(芸術)「Play Me,Im Yours Kunitachi」(音楽)などの地域特性を生かしたイベントが話題になっている。また旭通商店街が熱気に満ちており独特の街路灯装飾や「JUNE FESTA」では通行止めにして歩行者天国とし、人力車を走らせるなどの独特な企画を行なっている。また、各地で行なっている「まち歩き」も参加者が多い。地域資源の発見と高齢者の健康運動、親子参加など地域交流の良き場であり、まちへの愛情を深めるきっかけとなっている。
2020年4月4日に国立のシンボル国立旧駅舎が開館する。駅舎ではなく「さまざまな出会いが生まれるまちのラウンジ」「まちの魅力が集まり広がるくにたちと出会う玄関口」「文教都市にふさわしい歴史・文化・芸術の発信拠点」がコンセプトで市指定文化財としてリノベーションするのである。この事を発端に市内のロマンが漂う古民家、商店などを同様にリノベーションして文化遺産を残し活用する条例を作り、ランドマークへの視界を塞がぬように建築制限も強化すべきであろう。放射線の富士見通りと旭通りは京都の四条通のように道幅を狭くして歩行者優先道路または、歩行者専用道路にして電線地中化も行ったらより通学者や老人に優しい品格のある繁華街となると考える。

  • 1_%e5%9b%bd%e7%ab%8b%e9%a7%85%e5%8d%97%e5%8f%a3 国立駅南口。2020年4月4日に国立のシンボル国立旧駅舎が開館する。手前には文教都市としてのシンボルとして鉛筆型の街路標が立つ。北口には高層マンションが林立するが、煉瓦色の外装を施すなど景観に配慮している。(2020年1月筆者撮影)
  • 2_%e5%a0%a4%e5%ba%b7%e6%ac%a1%e9%83%8e%e3%81%ae%e3%80%8c%e5%9b%bd%e3%82%92%e7%ab%8b%e3%81%a6%e3%82%8b%e3%80%8d%e6%80%9d%e3%81%84 堤康次郎の「国を立てる」思い 
     この地の住宅地開発はまさに荒野を開拓して新天地を創造した偉業である。その志に力を合わせた人物は大勢存在するが、中心人物は堤康次郎(1889-1964/実業家、西武グループ創業者、衆議院議員)である。「ピストル堤」の呼名を持つ堤は西洋文化が都市部に浸透し大正ロマンが花開いた矢先、関東大震災で大きな経済的損失を被った国家の復興を志し、西欧に劣らぬ新天地の開拓に全力で挑んだのである。堤の「国を立てる」と言う思いは、彼が創立した国立学園小学校の校章を見ても十分感じ取れる。サクラに「国立」と書いてあるが「立」の底辺の両脇が立ち上げてあるのである。現在でも毎日生徒が豪壮な制服を身につけて通う姿は、開拓者精神が受け継がれている姿であり、街には欠かせない要素である。(筆者撮影)
  • 3_%e6%96%b0%e5%ae%bf%e6%96%b9%e9%9d%a2%e3%81%8b%e3%82%89%e5%9b%bd%e5%88%86%e5%af%ba%e3%82%92%e9%81%8e%e3%81%8e%e7%ab%8b%e5%b7%9d%e3%81%b8%e5%90%91%e3%81%8b%e3%81%86%e9%96%93%e3%81%ab%e9%a9%9a%e3%81%8d 新宿方面から国分寺を過ぎ立川へ向かう間に驚きの絶景が出現した。国分寺は武蔵野台地であったので線路は掘削された地にあり視界が塞がれている。そこから現国立駅直前に国分寺崖線を抜け、立川段丘に出ると線路は盛土上を走り、急に視界が解放され絶景が現れる。昭和48年頃の思い出の景観(筆者スケッチ)
  • 4_%e4%b8%80%e6%a9%8b%e5%a4%a7%e5%ad%a6%e6%a7%8b%e5%86%85%e3%81%ae%e5%85%bc%e6%9d%be%e8%ac%9b%e5%a0%82 一橋大学構内の兼松講堂。国登録有形文化財。周辺には旧門衛所、東本館があり同様に文化財として登録されている。図書館、本館もロマネスク様式で、煉瓦造り、ドーマー窓、アーチを備えた建築物は地域の建築物にも見られ同一性をもっている。(筆者撮影)
  • 5_%e8%a3%8f%e5%81%b4%e3%81%8b%e3%82%89%e3%81%ae%e6%92%ae%e5%bd%b1%e3%81%a7%e3%81%82%e3%82%8b%e3%81%8c%e3%80%81%e5%a4%a7%e5%ad%a6%e9%80%9a%e3%82%8a%e3%81%ab%e9%9d%a2%e3%81%97%e3%81%9f%e8%80%81%e8%88%97 裏側からの撮影であるが、大学通りに面した老舗フランス料理店「ル・ヴァン・ド・ヴェール」(昭和2年築)が市登録有形文化財建造物に認定されたが、改修を掲げながら3年間も放置されているのは何とも惜しい事である。経営上の資金調達が難しい状況であるか、第三者または行政に委託を交渉しているのかは不明であるが、せっかくの旧駅舎復元にタイミングを合わせてリノベーションすればまちの魅力を更に深めると思う。(2020年1月筆者撮影)
  • 6_%e6%97%ad%e9%80%9a%e3%82%8a%e3%81%ae%e8%a1%97%e8%b7%af%e7%81%af%e3%81%ab%e3%81%af%e6%b4%be%e6%89%8b%e3%81%aa%e9%a3%be%e3%82%8a%e3%81%8c%e3%81%84%e3%81%a4%e3%82%82%e3%81%af%e3%81%9f%e3%82%81%e3%81%84 旭通りの街路灯には派手な飾りがいつもはためいている。令和改元を祝す日章旗を出したのはこの地域くらいである。富士見通りでは見られなかった。(筆者撮影)
  • 7_%e5%9b%bd%e7%ab%8b%e3%81%af%e6%96%87%e6%95%99%e9%83%bd%e5%b8%82%e3%81%a8%e8%a8%80%e3%81%84%e3%81%aa%e3%81%8c%e3%82%89%e9%80%9a%e5%ad%a6%e6%99%82%e3%81%ae%e4%ba%a4%e9%80%9a%e8%a6%8f%e5%88%b6%e3%81%8c 国立は文教都市と言いながら通学時の交通規制がほとんどない。疑問を持って警察署に問い合わせしたところ、住民の同意が得られないと規制はできない、との回答であった。国立中心部に住む富裕層にとって交通制限は許せないようだ。ちなみに隣接の国分寺市ではほとんどの地域が交通規制を厳重に張り巡らし父兄が見守りに街角に立っている。国立駅周辺整備事業での論議も交通至便をとるかコミュニケーションパークのような位置づけにするかで対立があり、現在も調整中である。市の主な案は道路の一方通行化と歩道の拡幅、交通規制の変更、電線地下化、バリアフリー、イベント広場(ロータリー円形広場の活用)、情報発信(駅舎)などを挙げているが、ここでは提案としてまず、開発当初商科大(現一橋大学)学長の佐野善作が契約を堤と交わした際に提示した道路の幅10間(18m)が実現されず、6間(10.8m)になってしまった放射線道路に加え、こもれび通りも10間に拡張し歩行者優先の緑道を整備してその周辺部(オレンジ色)の地域には建築制限をかけ、通り沿いはテラスを設けたり古民家をリノベーションした大正ロマンの文化が漂う雰囲気を創出するのはいかがであろうか。国土交通省は市街地活性化に向けて2020年度から道路法を改正し歩道にテラス整備を支援する予定である。電柱地下化やバリアフリーなどに対して国が交付金で財政支援を行うという。活用を期待できる。紫色の道路は交通至便のために整備するが同様に歩行者、自転車にも安全に用いてもらうために道幅の拡張を求める。個人所有の土地の活用については文化財保護や相続財産猶予制度を設ける必要がある。(筆者作製)

参考文献

ケヴィン・リンチ『都市のイメージ新装版』丹下健三・冨田玲子訳、岩波書店、2007年
後藤治『伝統を今のかたちに』白揚社、2017年
水口俊典『土地利用計画とまちづくり』学芸出版社、1997年
西村幸夫『観光まちづくり』学芸出版社、2009年
長内敏之『くにたち大学町の誕生』けやき出版、2013年
内田青蔵『消えたモダン東京』河出書房新社、2002年
くにたち郷土文化館『学園都市開発と幻の鉄道』くにたち文化・スポーツ振興財団、2010年
くにたち郷土文化館『企画展 学園都市くにたち誕生のころ』1998年
くにたち郷土文化館『企画展 まちづくり奮戦記』2000年
旧高田邸プロジェクト実行委員会『旧高田邸と国立大学町』国立本店、2015年
国立市建築部都市計画課『国立市都市景観形成基本計画』国立市、1998年
東京都歴史文化財団『江戸東京たてもの園解説本』2003年
国立市都市整備部国立駅周辺整備課『国立駅周辺整備事業の現在2018改訂版』国立市、2018年
ウォーキングマップづくりの会『みんなでくにたちを歩こう健康ウォーキングマップ』国立市健康増進課保健事業係、2006-2007年
『国立のまち歴史物語』景観編・文化編、国立のまち歴史物語研究会・国立駅前通り商店会、2017-2018年

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