大阪の渡船

麻田 裕彦

1.はじめに
昭和39年の大阪を紹介する写真集の冒頭に以下の表現がある。
「大阪はそれ自体観光を目的とするような町ではない。それは機能する町であり、生活の場である。(中略) 大阪の生命力は格式ばらず、何物にもとらわれない着実なる粘着力にあるといえよう。」さらに続けて「大阪は古い町でもある。(中略)またものを作り出す生産の場でもあった。(中略)大阪はまた古き伝統に生きる都市であり、(中略)伝統をふくむ革新、古きが故につねに前むきに躍進をつづけたのが、大阪の真面目なのであった。」(*1)
私も同感だ。今回文化遺産として取り上げた渡船は、この街だからこそ存続してきたのだと思う。
2.渡船の基本データ
まず「渡船」とは「河川、湖、湾、海峡などを横切って、近距離の2点間を定期的に、旅客,貨物,自動車,諸車等を運搬するもの」と定義される。(*2)
一方法令上は、「道路法」における「道路の一部」としての扱いである。(*3、4他)
そのため大阪の渡船は、全て大阪市が運営し、乗船料は無料である。そして道路管理者の管理(木津川渡船は港湾局管理)の下で、通行が無料である。この「市の運営」と「無料」は、現存する日本における他の渡船に比べると大きく異なる重要なポイントであり、歴史的背景が密接に関係している。その点は次章以降で述べる。
渡船は、現在大阪ドームの近くにある。「大阪市建設局 西部方面管理事務所 河川・渡船管理事務所」(写真-1)により運営・管理が行われ、現在は図-1に示す8箇所である。各箇所には約10名の職員が配置され、全部で年間174万人もの人を自転車やバイクと共に運んでいる。昔は「手漕ぎ」であったものが、現在はすべて救命具その他の安全設備を完備した機械船により、運航されている。(*3)
表-1に明治維新後、大阪市営となって以降の渡船の変遷概要を筆者が一覧表にしたものを示す。東京都に比べて、大阪の市営化は実施時期も早く、先駆的であった事が分かる。
3.歴史背景
大阪の渡船が歴史に初めて登場するのは、豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄2年・1593) 時に、船役を勤めた摂津国島下郡吹田村・西成郡江口村・長柄村・十三村・豊島郡小曽根村・三屋村・複坂村・河内国茨田郡下島村の8か村の渡し船とする記録が最初である。(*3)
その後大阪では、元禄期に大規模な新田開発があり、中心部との人や貨物の移動するための交通が必要となった。当時の伝法地区では、「伝法茶船」(屋形付きの小舟)と称する渡船が運行され、創始者である地元の有力な土豪の名前から、「佐平太船」とも称された。一方で荷物の運搬は、「上荷船・茶船」と呼ばれる船が担い、河川交通の主力であって、渡船は小規模であった。
しかし、現在と同様にこの時すでに渡船は「諸人之のため」に船賃を茶船の半分として、月に無料日を設ける等、「公共性」(PublicCarrier)と「無料」を標榜していた。だが以下の理由で当時の渡船は衰退していく。それは、新田開発後の人口減少と架橋に伴い利用者が減少したこと、河川交通の主力は上荷船・茶船が権益を独占しており、運賃が上荷船・茶船に比べ安価なため利益が上がらず、幕府の封建体制が渡船の新規路線を許可しなかったので、運航路線が限られ衰退していった。(*5)
以上の原因は、現在の渡船が直面する「逆風」と同様であると思われる。それは、大阪および東京の明治維新以降の変遷とも符合する点も多いと思う。
4.国内の他の事例に比べて特筆されること
まず、筆者が文献をもとにまとめた全国の渡船一覧を表-2に示す。そこでまず特筆されることは、大阪は大都市の中でも特にその数(12か所(現在は8か所))が多く、すべてが公営(市営)であることだ。一方他所では、私営の渡船が主であり、観光や遊覧の要素が強い。大阪では、渡船が橋や道路の代替としての貴重な生活の足なのだ。
次に大阪は、従来の市電、市バス、地下鉄と同様に「市営主義」に基づく地域密着型の交通機関であることだ。(*4、*7)
三つ目に、大阪の港区、大正区という限定された地域に渡船が存続し、その理由となるこの地域の特性である。
昔から大阪湾に面した海抜0mの低地帯のこの地区は、堀や運河が多い。また地形的には、周囲を河川と海に囲まれ、河口付近を大阪港に寄港する大型船が多く航行し、内陸部まで内港化している。その結果、架橋が困難な「無橋地区」となり、貴重な交通手段の渡船が必要となった。「安けく治める」が名前の由来である安治川は、すでに江戸時代から川村瑞賢による河道整備が行われた川である。しかし、当時から少し掘削すると多量の湧水が出現し、工事は困難を極めた。(*1) さらにこの地区の橋梁は、狭小な設置空間しかない市街地であり、大型船舶の通航が可能な桁下高・径間長を確保するために様々な形式の橋が架けられ、あたかも「橋の美術館」の様相を呈している。現在、大阪港のシンボルとなっている朱塗りの「港大橋」、日本有数の長大斜張橋(主塔高152m)の「天保山大橋」、そして両岸のらせん構造(めがね橋)が特徴的な「千本松大橋」などは、船舶通航のため、桁下高40~50m、径間長は300~500m超で架設されている。(*7)しかし、この様な長大橋が架設されても歩行者にとっては上り下りが大変で、引き続き渡船に頼らざるを得ないのである。
5.今後の展望
では、渡船の今後はどうなるのか。私がその手掛かりを得るべく、河川・渡船管理事務所に訪問し聞き取りさせていただいた。その結果に基づき考えたい。
所内には、職員自らが船舶の簡易な修繕が行えるように道工具が備えられ、実習・教育も可能となっている。現場(渡船場)では、緊急時の訓練、操船指導が「予備船」(緊急時に備え配備された船)を用いて行われる。この様に新入職員は、ベテラン職員から様々な形で繰り返し教育指導と訓練を受け、スキルアップしていくのである。
職員は、すべて大阪市の技能系職員として採用され、必要な船舶免許を保有する。だが近年は、資格保有者の確保が困難で、その採用は平成20年以降途絶えている。現在最も若い職員は30代後半である。その一方で職員は、定期的な異動により全ての渡船場を熟知し、皆が改善に取り組む意識も高い。そのため、老朽化した船を丸ごと更新するのではなく、エンジンだけを更新したり、船内設備を自営で簡易改修する等々、限られた予算で改善を意識しながらコストミニマムの更新を行っている。
私が話を伺った時に、「変えてはいけないもの(お客様の人命・安全第一)」と「変わるべきもの、改善すべきもの」を所長以下、職員の皆が共有して、高いプロ意識と誇りと共に日々の業務に従事されていることが、ひしひしと伝わってきた。
例外なく渡船も、更に縮小傾向の予算で運営せねばならない厳しい状況にある。しかし、渡船を貴重な足として利用する市民がいる限り、その運営を維持せねばならないこともまた事実である。そうした現状の中で、所長以下皆さんが、様々な工夫や改善と取り組みながら奮励努力されている。
6.終わりに
私が、こうした渡船の存続に感じたことは、大阪という街とこれら職員の方が運営されるからこそ存続できたのであり、どちらが欠けてもあり得ない事なのだと思う。
これからも様々な「逆風」に直面するだろう。しかし私は、渡船は一年365日変わらぬ姿で、地域の人々を安全に運び続ける事を確信する。
貴重な文化遺産として「市民の市民による市民のための渡船」が今なお大阪に存在する事、そしてその素晴らしさをぜひ万博やIRで訪れる多くの方に知っていただきたいと思う。
ぜひ、彼、彼女らが市民と一緒に乗船して、四季折々の古き良き大阪の情緒をじかに体感していただきたい。(写真2)
以上

  • %e9%ba%bb%e7%94%b01%e5%9b%b3%ef%bc%91_pages-to-jpg-0001 図-1 「現在運航中の渡船場」 大阪市ホームページ 2018年9月30日 最終更新よりhttp://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000011244.html
  • %e9%ba%bb%e7%94%b02%e5%a4%a7%e9%98%aa%e3%81%ae%e6%b8%a1%e8%88%b9%e5%86%99%e7%9c%9f%ef%bc%91rev_pages-to-jpg-0001 写真-1 「河川・渡船管理事務所」 筆者撮影2018年11月30日 ヒアリングにお邪魔した当日の事務所玄関前
  • %e9%ba%bb%e7%94%b03%e8%a1%a8%ef%bc%91_pages-to-jpg-0001 表-1 「大阪市営渡船の変遷一覧」 東京都の渡船に関わるものは、時期を( )にて標記した。参考文献3,4,8,9,10より、筆者まとめ。
  • %e9%ba%bb%e7%94%b04%e8%a1%a8%ef%bc%92_pages-to-jpg-0001 表-2 「全国の渡し船一覧」 参考文献6より、筆者まとめ。
  • %e9%ba%bb%e7%94%b05%e5%86%99%e7%9c%9f%ef%bc%92_pages-to-jpg-0001 写真-2 「落合上渡船と落合下渡船」筆者撮影 2017年4月29日

参考文献

1.宮本又次編著「写真・大阪案内(現代教養文庫 474)」、社会思想研究会出版部、1964年6月
2.大森八四郎著「最新地形図の本 -地図の基礎から利用まで-」、国際地学協会、1991年6月
3.「大阪の川」編集委員会編著「大阪の川 -都市河川の変遷」、大阪市土木技術協会、1995年
4.三木 理史著「近代大阪市における市営渡船事業 -1900年〜1945年を中心に-」、日本歴史地理学会、2000年6月
5.宮本 又次編「大阪の研究 第5巻 風俗史の研究・鴻池家の研究」、清文堂出版、1970年1月
6.調まどか他編集「消えていく渡し船」、水の原社、1982年3月
7.「大阪春秋 -大阪の歴史と文化と産業と- 第63号 特集 港区・大正区」、大阪春秋社、1991年
8.大阪市土木技術協会編集「大阪市渡船場マップ」、大阪市建設局渡船事務所、2000年3月
9.後藤 仁郎企画「歴史の散歩道 第18集 大阪「渡し船」特集(大阪〈ミニガイドシリーズ〉)」、後藤 仁郎、1987年
10.東京都編集「近代東京の渡船と一銭蒸気(都史紀要 35)」、東京都、1991年

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