山形聖ステパノ教会のこれまでとこれから ~浸礼槽を通した教会の在り方について~
1. 山形聖ペテロ教会 基本データ
山形県山形市木の実町9-22
宗教法人 日本聖公会山形聖ペテロ教会(包括宗教法人:宗教法人 日本聖公会東北教区)
設立年月日:1910年2月16日(聖堂聖別日)聖別監督:ジョン・マキム
ガーディナーの指導を受けつつウィリアム・スマート氏により建築。
1998年池袋福音教師社団より日本聖公会東北教区に土地・建物寄贈
2. 調査のきっかけと、山形聖ペテロ教会設立の経緯
今回の評価対象としては山形聖ペテロ教会についてのデザイン的特異性である浸礼槽について歴史の観点を含めて評価する。
山形聖ペテロ教会を調査しようとしたきっかけとして、聖公会(英国国教会由来の教会)において、浸礼槽を設けることが珍しかったからである。聖公会はカトリック教会からヘンリー8世の離婚問題を端に発し、国定教会として英連邦を中心に宣教がなされた。また英連邦以外にも日本や朝鮮に宣教師を送っているという歴史的な背景がある。
カトリック教会をはじめ、英国国教会は滴礼(額のところに水を垂らす洗礼)が一般的であり、日本でも聖公会の教会では、この山形聖ペテロ教会以外では、浸礼(全身をつけるバプテスマを行う)教会は見受けられない。ただし、浸礼を行うこと自体イエスがバプテスマのヨハネから洗礼を受けたように古典的形式であったし、正教会などで希望者に対して実施している例は現在も見受けられる。
この山形聖ペテロ教会が成立した明治40年は世界的に見れば、エディンバラ世界宣教会議(1910年)であり、たくさんのプロテスタント宣教団体が集まって会議したエキュメニカル運動の中心となる時代である。この時代は異教世界への伝道と宣教団体同士の協力が促進されていた時代である。
この時流より、山形聖ペテロ教会は当然エディンバラ世界宣教会議の影響を受けており、そのため、従来用いている「花崗岩製の洗礼盤」と、浸礼教会(バプテスト教会)の影響を受けた「浸礼槽」が並置されているものであると思われる。実際にスマート師によると「洗礼所には堅牢なる花崗石製の洗礼盤が据えて有り、又浸礼の為めには五尺の深さに掘り下げて有りまして長老及び受洗者は其所に降りて行く様に出来て居ます。」と書かれている。本来的に機能が重なる洗礼盤と浸礼槽はどちらか片方で充分であるはずであるが、この時期にあえて両方を設置したというのは興味深い。
ただし、バプテスト教会は本来的に各個教会であり、監督制のように監督が様々な教会を納めるのではなく、個々の教会が別々に成立するという信仰の在り方が特徴的であり、また山形市内におけるバプテスト教会の宣教開始は山形第一聖書バプテスト教会(1949年)、日本バプテスト連盟山形キリスト教会(1958年)などがあげられるが、宣教の歴史から見ても山形聖ペテロ教会とのつながりはなく、別個に宣教師が当地に入って行われたものである。
この会議で目指された方向として、教派同士の違いに目をつぶり、教会一致を目指す在り方(エキュメニカル運動)により、大きな教会を設置すること。つまり、その当時教派同士で取り合っていた信徒ではなく一つの大きな教会として設立していこうとした方針があり、日本基督教団も部会制をとり、別々の教派を日本基督教団という箱に入れるよう1941年に設置した。この日本基督教団は国策的な要素もあったが、教会一致というこの時代の時流に沿った教団設立でもあった。
このようにみていくと、山形聖ペテロ教会の浸礼槽設置は時代の隆盛に沿った形で設置されたものだったように考えられる。しかしながら、ガーディナーが設計した聖公会の教会の中でも浸礼槽が設置されるのは異例で、あまり用いられた様子もない。
また、聖堂の形を見ると、チャンセルスクリーン(聖障)が設置されている。これは正教会やカトリック教会など、いわゆる旧教と呼ばれる教派で用いられているものであり、その伝統をそのまま引き継いだ聖公会においても使われているが、一般的にプロテスタント教会では用いられない。至聖所とネーブ(身廊:会衆席)を聖障ではっきりと分けるところはプロテスタントの伝統よりも聖公会の伝統が色濃く残るところであり、ちぐはぐさも感ずるところである。
3. 浸礼槽の芸術的価値について
浸礼槽は、洗礼盤の手前のカーペットを引き上げると、木のふたがついており、それをあげると、浸礼を授ける司祭が立つ場所、受洗者が入る場所と分かれる。この二つの穴がある形式は現在のバプテスト教会でも採用されている方式である。受洗者が入る場所には水がなみなみと注がれ、沈められて用いるものである。浸礼槽は木の枠の内側にトタンを張り付けて防水したものであり、下部には木の杭でとまっている排水口も設けられている。教会のほかの装飾から見ても極めて簡素であることが見てとれる。チャンセルの豪華さと浸礼槽の簡素さは興味深く感ずる。
4. 今後の展望について
このように英国からの宣教師によって、世界の情勢及び国内情勢を大きく受け、浸礼槽を持つ聖公会の教会として特異な様相を見せていた。各教区事務所にお尋ねしたところ、日本においては浸礼槽(バプテストリー)をもつ聖公会の教会はないことが分かった。日本聖公会においては浸礼に重きを置いていないため、今後も設置される可能性は低い。転じて世界に目を向けると、カトリック教会などでも浸礼用の設備を設ける教会もあるが、極めて少数である。
1910年のエキュメニカル運動のときは、個々の教会の違いに目をつむり、お互いに一つの教会を作ろうという考え方(合同教会である日本基督教団も、国策での統合はあったにせよ、教会的な雰囲気にも一致していた)それに対し、近頃では組織的に一つにするのではなく、一つ一つの教会の個性を認める方法に移行している。そもそも、日本聖公会などの監督制の教会と。バプテスト教会などの各個教会主義を無理矢理一つの教団に押し込めようとすること自体不可能だったのであろう。
最後に山形聖ペテロ教会の今後について考えてきたい。山形聖ペテロ教会は設立から108年経過した教会である。戦争直後は日本全国のキリスト教熱もあり、50人単位で大人や子どもたちが集まってきていた。しかし、その熱も冷め、オウム真理教の事件から宗教離れも進み、従来からの信徒も高齢化しており、毎週の礼拝に参加する人数も6~8名程度と少なくなっている。山形聖ペテロ教会教会堂は2001年12月に文化庁の登録文化財として登録されたが、それにより頂ける補助金を考えても、建物・集会として、金銭的に支えることを含め運営は難しくなってきていることであろう。
建物としての教会も文化財であるが、礼拝も一つの動的芸術であり、お互いに求めあい「場」と「動き」がそろって完成する一種の芸術作品であるが、ここ十数年のうちに失われていくであろう。会衆がいなくなった後も、文化財としての教会堂は残るかもしれない。ただ、教会としては毎週礼拝が開かれているからこそ魂が宿るものであろう。
今回取り上げた「浸礼槽」に関しては、今後使われる可能性はいくつか乗り越えないといけない課題がある。1つ目は、受洗者のことである。今後この教会で浸礼槽を用いて洗礼を受けたいという「強い希望」を持っている人がいなければならない。2つ目に、物理的・技術的な問題。教会堂に組み込まれてから長い年月が経っているうえ、使われる機会も限られてきたこと、トタン張りで作られた浸礼槽であり、現在も水漏れせずきちんとたまるのかなど確認する必要がある。
5. まとめ
私自身、教会巡りを趣味としており、2016年にふらりと訪れた「山形聖ペテロ教会」の礼拝に参加し、終わったあと、信徒の方が手招きをしてくださり、「山形聖ペテロ教会」の浸礼槽を見せていただいた。従来は使われないため分厚いカーペットをめくり、ふたを開けるのだが、今まで聖公会の教会の中で浸礼槽があることなど聞いたことがなかったのだ。この「何故?」という思いをまとめたのが今回の卒業研究となった。東北教区や東京の管区資料室に問い合わせたが資料として極めて乏しかったが、その当時の歴史的背景も踏まえ一つの結論を出せたと思う。
神社仏閣を含め宗教設備は、建物の荘厳さやわびしさなど、建物や器具、おみこしなどのハードウェアとしてのものと、その内側にあるべき集会、信仰、祈りなどのソフトウェアが兼ね備わって作り上げられていくものである。今回の研究では、ハードウェア面と教会史を通して教会共同体の歴史的な経緯によって作られたデザインを見通すことができた。
- 【図1】山形聖ペテロ教会(外観) (2018年5月13日 著者撮影)
- 【図2】 山形聖ペテロ教会(チャンセル)(2018年5月13日 著者撮影)
- 【図3】 山形聖ペテロ教会 聖別証明書(日本聖公会山形聖ペテロ教会聖堂聖別100周年記念誌より引用/撮影日不明 ステパノ涌井康福撮影)
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【図4】 山形聖ペテロ教会 洗礼盤 (2015年2月8日 著者撮影)
手前の赤カーペットの下に浸礼槽がある。 -
【図5】 山形聖ペテロ教会 浸礼槽(蓋)(2015年2月8日 著者撮影)
カーペットをめくって洗礼槽のふた - 【図6】 山形聖ペテロ教会 浸礼槽(ふたを開けたところ)(2015年2月8日 著者撮影)
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【図7】 山形聖ペテロ教会 浸礼槽(2015年2月8日 著者撮影)
左側に水を張って、右側に司祭が立つ。
左側トタンが貼ってある -
【図8】 山形聖ペテロ教会 浸礼槽内の栓 (2018年5月13日 著者撮影)
抜くと水が抜ける。
参考文献
[1] Allister E.McGRATH “ CHRISTIAN HISTORY AN INTRODUCTIONS” WILEY-BLACKWELL 2013.
[2]日本聖公会山形聖ペテロ教会 牧師司祭ステパノ涌井康福 「日本聖公会山形聖ペテロ教会聖堂聖別100周年記念誌」 日本聖公会山形聖ペテロ教会 2010年10月30日
[3]スマート著 「日曜叢誌 第二十一巻第三號」山形聖ペテロ教会 明治43年3月5日
[4]池[10月] Allister E.McGRATH “ CHRISTIAN HISTORY AN INTRODUCTIONS” WILEY-BLACKWELL 2013.袋福音教師社団 理事野々目晃三発行 「寄付証書」 1998年10月26日