旧吉田茂邸
-再建建築に対する文化資産としての評価と展望
第1章 はじめに
神奈川県大磯町の「旧吉田茂邸」は、吉田茂元首相が終戦前後から没するまで使用した邸宅である。この邸宅は、2009(平成21)年に焼失したが、2017(平成29)年3月に再建工事が完了[註1]し、現在、邸宅が「旧吉田茂邸(大磯町郷土資料館別館)」として、庭園が「神奈川県立大磯城山公園(旧吉田邸地区)」として公開されている。
本稿では、再建建築である「旧吉田茂邸」について、東京都杉並区の「荻外荘(近衛文麿旧宅)」を比較事例にあげるとともに、主にその利活用に着目し、文化資産としての評価と展望を試みたい。
第2章 概要[表1]
旧吉田茂邸本邸は、建築家吉田五十八が主に設計した昭和30年代の姿に基づいて再建されている。吉田五十八は東京美術学校に学び、近代数寄屋建築という建築様式を確立した建築家である。旧吉田茂邸では、外観や内装に見られるすっきりとした直線による構成にその特徴がよく表れている[写真1]。
本邸に付随する庭園は、造園家中島健の設計により昭和36年頃に完成した池泉回遊式庭園である。園内には心字池、七賢堂、兜門などが建ち、ウメ、カナリーヤシ、ツツジなどの多彩な植栽を見ることができる[写真2]。庭園は、昭和40年代の景観を目標に、神奈川県立大磯城山公園の一部として復原整備が進められている[註2]。
第3章 歴史的背景
3-1 保養地・別荘地としての大磯
神奈川県大磯町は江戸期には東海道五十三次8番目の宿場町として栄え、明治期に入ると、保養地・別荘地として開発されていった。1885(明治18)年に初代陸軍軍医総監松本順により開かれた大磯海水浴場は我が国の海水浴場の嚆矢であり、1887(明治20)年の東海道線大磯駅開業と相俟って保養地のイメージは一層広がった。その後、伊藤博文、三井財閥など、多くの政財界人が居を構えるにつれ、別荘地としても著名となっていった。
3-2 吉田邸の経緯[表2]
吉田茂邸は、1884(明治17)年に養父である健三が当地(大磯町西小磯)に別荘を構えたことに始まる。吉田は、戦後、通算5期にわたり内閣総理大臣を務め、サンフランシスコ講和条約を締結して日本を国際社会へ復帰させるなど、戦後日本を方向付けた政治家であるが、終戦前後から没するまでこの邸宅を使用したため、当地は政治の一舞台として、「吉田御殿」などとも呼ばれ注目を集めた。
吉田の没後、邸宅と庭園は西武鉄道株式会社に売却され、長らく大磯プリンスホテル別館として維持されてきたが、西武グループは、維持費用の増大などを理由に、国や県などの公的機関による買取りを要望した。これを受け、地元でも国や県による買取りと文化財としての整備を求める機運が高まり、関係機関による様々な折衝を経て、2006(平成18)年、神奈川県議会にて「大磯城山公園と一体化した、県立都市公園として整備する」方向性が答弁されるに至った。
しかし、2009(平成21)年3月、火災により本邸は失われてしまう。大磯町は再建に向けた会議の立ち上げや再建基金の設置などを進め、最終的に、神奈川県が庭園を含む公園整備を行い、本邸部分は大磯町の町有施設として生涯学習や観光などの新たな機能を持たせて再建されることとなった。
再建工事は2015(平成27)年に始まり、2017(平成29)年4月1日から、大磯町立郷土資料館別館旧吉田茂邸(本邸部分)と神奈川県立大磯城山公園旧吉田茂邸地区(庭園部分)として一般公開されている。
第4章 「旧吉田茂邸」の評価
4-1 比較事例:「荻外荘(近衛文麿旧宅)」
東京都杉並区荻窪に所在する「荻外荘」は、近衛文麿が1937(昭和12)年から1945(昭和20)年に自決するまでを過ごした邸宅である。この邸宅は「荻外荘会談」に代表される昭和前期の重要な政治の舞台であったため、2016(平成28)年に国の史跡に指定されている。現在、杉並区が所有し、全体の整備計画が策定されており、一部は「(仮称)荻外荘公園」として暫定的に開放されている[写真3]。
旧吉田茂邸と荻外荘は、ともに昭和期の首相が過ごした邸宅であること、昭和史に残る政治の舞台となったこと、現在は地元自治体の所有下で整備計画が策定されていることなどが共通している。一方、荻外荘が建築当時の姿で現存し、国の史跡に指定されていることは、再建建築物である旧吉田茂邸との大きな相違である。
4-2 整備計画の類似性
杉並区が策定している「(仮称)荻外荘公園基本構想」によると、(仮称)荻外荘公園の役割として、みどりに親しみ憩う場の提供・歴史について考える場の提供・(仮称)荻外荘公園を含めたまちの魅力発信・地域、周辺施設等との連携の拠点・地域活動の支援の5点が示されている。この5点は、旧吉田茂邸利活用検討委員会が示した「旧吉田茂邸利活用の方策について」と同様の視点といえる[註3]。
このことから、自治体が所有する文化資産(施設)として現代に求められる機能は概ね共通しており、すでに一般公開されている旧吉田茂邸は、その共通する機能を念頭に運営されていると評価できる。
そのうえで、荻外荘は、芝生広場として家族連れに利用されている暫定的な現況と、戦前から戦後、近衛の自決という苛烈な歴史を経た建物の保存を、基本構想の下にどのように調和させて運営するのかが課題であり、旧吉田茂邸には、再建された建築にも十分認められるような価値を、どのような運営により創出させるのかが課題であるといえる。
4-3 利活用
旧吉田茂邸は、部屋ごとの貸し出しが行われており、全館貸し切っての利用も可能である[註4]。
まず、2017(平成29)年11月に行われた、ミクロネシア連邦大統領および外務大臣と河野外相の懇談[註5]に着目したい。首相を辞した後の吉田邸には多くの賓客が訪れていた[註6]が、再建後の現在においても同様に活用されている事例といえるからである。再建建築の強みである更新された設備等(ハード)が賓客の訪問にも堪えうると認められ、何より往年の吉田の「意思」(ソフト)が引き継がれている。
つぎに、「研修室」(焼失前はワインセラーだった場所に位置する)を利用し、「決断の場・旧吉田茂邸で実施する」と銘打たれた就職活動支援セミナーやビジネスパーソン向け講演会に着目する[註7]。これは、新設された「研修室」(ハード)の利用と、「吉田が決断を下した場所」との意味付け(ソフト)により、新たな付加価値を持たせようとしている事例である。
4-4 まとめ
建築が火災により当時の部材もろとも失われてしまった場合、再建されたとしても、文化資産としての価値は失われたとされがちである。
しかし、前節(4-3)で着目した事例に示される、その建築に起居した人の意思や時代背景(ソフト)が引き継がれる点や、更新された設備等(ハード)の利活用と新たな意味付け(ソフト)により付加価値を上げようとする取り組みには、大きな価値を見出すことができる。その意味で、再建建築に対する文化資産としての評価は十分に与えられるのである。
第5章 今後の展望
作家で民俗学者でもある畑中章宏は、文化財の保存、保護、継承について、『近代建築、戦後建築に限っていえば、「記憶」や「主観」、そして「物語」に依存するしかないとわたしは思う。』と述べている[註8]。
この考え方は、旧吉田茂邸の今後の運営にも参考となるのではないだろうか。
旧吉田茂邸の入館者数は、2017(平成29)年11月末現在で83,389人となっている[註9]。このことは、多くの人々が何らかの価値を認めている証左でもある。
その価値を持続させるために、大磯町郷土資料館の活動(資料の発掘・整理・研究・公開)による学術的意義の追究で人々の「記憶」を裏付け、そのうえで、生涯学習や観光などの機能を発揮させて、人々の「主観」と「物語」を育て続けることが必要である[註10][註11]。
参考文献
※ 各ウェブサイトへの最終アクセス日:2018(平成30)年1月20日
※ 町政、区政、県政の基本的な情報は、それぞれ、大磯町、杉並区、神奈川県のホームページに公開されている情報を参考とした。
※ 大磯町郷土資料館に以下のデータを御恵与いただいた。
・ 旧吉田茂邸 月別入館者数(平成29年4月~11月)
・ 旧吉田茂邸 各室利用状況(平成29年4月~11月)
・ 平成29年12月から平成30年3月末までの「旧吉田茂邸」を利用したイベント等の開催予定
[註1]
2017(平成29)年3月26日に旧吉田茂邸落成記念式典が行われ、新聞各紙にも取り上げられた。記事を閲覧できるサイトの一例を示す。
【神奈川新聞】http://www.kanaloco.jp/article/240381/
【産経新聞】http://www.sankei.com/politics/news/170326/plt1703260016-n2.html
[註2]
神奈川県ホームページ「大磯城山公園」旧吉田茂邸地区公園整備の概要
http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/814433.pdf
[註3]
杉並区ホームページ「(仮称)荻外荘公園基本構想(平成27年3月)」
http://www.city.suginami.tokyo.jp/kusei/toshiseibi/ogigai/1013977.html
大磯町ホームページ「第4回旧吉田茂邸利活用検討委員会(平成25年6月17日)資料」
http://www.town.oiso.kanagawa.jp/sangyo/yoshidatei/kaigi/1372205298850.html
[註4]
大磯町郷土資料館・旧吉田茂邸サイト「施設の利用について」
http://www.town.oiso.kanagawa.jp/oisomuseum/kyuyoshidatei/info/1495708316572.html
[註5]
外務省報道発表
http://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/ocn/fm/press3_000334.html
[註6]
大磯町郷土資料館編 旧吉田茂邸落成記念企画展図録 『吉田茂 その生涯と大磯』 2017年 19頁
[註7]
大磯町郷土資料館・旧吉田茂邸サイト「研修・セミナー」
http://www.town.oiso.kanagawa.jp/oisomuseum/kyuyoshidatei/event/seminar/index.html
[註8]
畑中章宏 『21世紀の民俗学』 角川書店 2017年 105頁
[註9]
月別入館者数データは大磯町郷土資料館から提供を受けた。
[註10]
大磯町郷土資料館旧吉田茂邸のWEBサイトに、邸内の紹介と再建の経緯に関する会議資料等をまとめたページがある(http://www.town.oiso.kanagawa.jp/oisomuseum/kyuyoshidatei/ex/index.html)。行政の各所管に散在している資料を整理・公開することは、人々の「記憶」を裏付け、学術的意義を確立させる取り組みともいえる。アーカイブ的なサイトへの発展を期待したい。
[註11]
NPO法人大磯町ガイド協会により、大磯町からの委託事業(おもてなしの心育成講座)「旧吉田茂邸に関する講義と見学」が行われている。これは、人々の「主観」と「物語」を育む取り組みの一つといえる。
〈その他参考文献〉
吉田茂 『大磯随想』 雪華社 1962年
吉田茂 『世界と日本』 中公文庫 1991年
寺林峻 『吉田茂 怒涛の人』 学陽書房 1998年
杉並区郷土博物館編 国史跡指定記念特別展図録 『「荻外荘」と近衛文麿』 2016年
杉並区教育委員会編 文化財シリーズ46 『国指定史跡 荻外荘(近衛文麿旧宅)』 2017年