「輪っぱ」がつなぐ生活文化

小林 範仁

1.はじめに

「輪っぱ」とは、曲物(まげもの)の俗称であり、檜、杉、エゾ松などを薄く削った片木板を筒状に曲げ、合わせ目を山桜の樹皮などで繋いで底板をはった容器をいう。
豊かな森林資源に恵まれた日本列島では、古来より木を使った様々な民具が生み出されてきたが、中国漢代の漆器木地が起源であるといわれる(註1) 曲物の始まりは、弥生時代にまで遡ると推測されており(註2)、昭和初期までは全国各地で盛んに製作され、祭祀用具をはじめ生活の様々な場面で使用された。しかし、その後の日本人の生活様式の変化や樹脂製品などの急速な普及に押されて需要は大きく後退した。
一方で、近年の健康志向や本物志向の高まりなどにより、天然木材のもつ優れた安全性や機能性が再評価されるとともに、インターネット通販の拡大による需要の増加傾向も見られる(註3)。
そこで本稿では、日本人の生活文化と深い関わりを持つ曲物の歴史と現状を、身近な例を取り上げて再確認するとともに、今後の展望について考察を行うものとする。

2.新潟県長岡市寺泊における曲物製作

現在、新潟県長岡市寺泊山田において、県内唯一とされる曲物職人(檜物師)が曲物の製作を行っている。天保元年(1830年)より続く「足立茂久商店」の11代目、足立照久氏である。
日本海に面した山田集落は、江戸時代には「山田宿」と呼ばれ、「北国街道」沿いの小さな宿場であった。当時は越後村上藩の統治下にあって、藩の産業振興策に沿って篩や蒸籠、裏ごしなどの曲物作りが副業として盛んに営まれており、江戸時代末期の天保13年頃には約30人の職人が加盟する篩業組合が存在していたことが、『越後三嶋郡山田宿仲間取究書 曲師屋中』に記されている(註4)。
当初は、地元産の「クマサキ」を用いて生産が行われたが(註5)、海沿いの山田宿は、もともと森林資源が乏しい地域であったため、次第に北海道などから唐檜の加工材を買い入れて生産が続けられた。しかし、昭和30年代以降には需要が急減して廃業が相次ぎ、寺泊町は昭和57年に文化財指定を行って保護に乗り出したが、衰退に歯止めをかけることはできなかった。
なお、山田の曲物技術がどこからもたらされたのかについては諸説あるが、『寺泊町史』には、平家の落人が秘伝の技術を伝えたとする伝説が紹介されており、その裏付けとして、寺泊の明治時代の地券に「平家士(ヘイケシ)」と書かれた地名があることが指摘されているが(註6)、伝説の真偽のほどは明らかではない。

3.国内の曲物産業の現状

曲物のような手工芸品は、特殊な材料や加工の集大成ともいえるものであり、様々な「ヒトとモノ」とがつながりあって成り立っている。多くの場合、材料や部品の製造段階から熟練した技術を必要とし、また、それらの材料や部品の供給が滞った場合には生産不能に陥る危うさをはらんでいる。
平成7年に盛岡市で開催された「日本の曲物展」の出品者名簿によれば、全国各地に曲物職人の存在が確認できるが(註7)、現在ではその多くが後継者不足や関連産業の衰退などの問題を抱えて、厳しい状況にあると推測される。
具体的な例では、現在、国内の曲物産業の牽引役といえる秋田県大館市では、国指定の「伝統工芸士」などの技術者の育成が積極的に行われているが、原料となる天然秋田杉の資源枯渇が問題となっており、2013年以降は伐採が禁止されている(註8)。一方、森林資源に恵まれた福島県檜枝岐村では、職人の高齢化と過疎化による後継者不足が問題であり、村の経済を支えた曲物製品の生産が中断される事態となっている(註9)。
足立茂久商店においても、材料の確保が課題となっており、特に裏ごしや篩の部材である「馬毛で織られた網」の入手は厳しさを増している。他に代わる物が無いほどの優れた性能をもつ馬毛の網は、かつては日本海側の冬場の内職として盛んに織られていたが、近年では廃業が相次いで供給量が大幅に減少した(註10)。

4.足立茂久商店の特長

曲物を取り巻くヒトとモノの状況が厳しさを増す一方で、足立茂久商店の存在意義は高まっている。それは、同店が「業務用の曲物屋」という存在だからである。
国内の他の曲物製品の多くは、木目の美しさを重視したり、漆で加飾するなど、工芸品的な付加価値を重視する傾向が見られるのに対して、同店では、質実で堅牢な実用品としての曲物作りを追求しており、それが製品の機能美となって現れているのが特徴である。
かつて山田宿は「篩の里」と呼ばれるほど道具作りの盛んな地域であったが、他の職人達が農家や一般向けの製品を作っていた当時から、同店では、個別の要望に応じたプロ向けの道具作りを行ってきたことが、その後の明暗を分けた。一般的な民具は安価で簡便な商品にとって代わられても、苛酷なプロの現場で使用される道具は、信頼のおける材料と技術で作られた物が必要とされたのである。
また、樹脂製品とは異なり、天然木の曲物は使い込むほどに手に馴染み、適切な手入れと修理を行うことで長期間使い続けることが可能であるため、同店が製品修理の需要に注力してきたことも注目される。
農業・漁業用具をはじめ、新潟の郷土料理である「わっぱ飯」(註11)を提供する旅館や料理店の蒸籠、菓子用の調理用具、長岡市大花火大会の花火製造で使われる火薬用の篩や、燕三条地域の鋳物工場で使用される篩など、県内外の多種多様な産業分野から修理依頼品が持ち込まれるが、金具や接着剤を使った安易な製品が増えた現代においても、同店が変わることなく、伝統的な製法にこだわった製品作りや修理を継続していることを高く評価したい。なぜなら、その姿勢こそが多くの信頼をかち取り、同店と伝統的な曲物に対する社会的な評価を高める源であると考えられるからである。

5.今後の展望

先に述べた、材料供給の安定化は喫緊の課題であるが、同時に、現代社会における曲物の存在価値を高め、市場の更なる拡充をはかる努力も重要であると考える。また、次世代を担う職人が、生業として将来の展望を描けるような環境づくりも必要であろう。
そのために足立茂久商店は、平成3年に「新潟県クラフトマンクラブ」という組織を発起し、県内の手工業者を中心に異業種で産業振興と相互発展を図る活動を行っている(註12)。
また、先代の一久氏は、県内産の杉材を使った茶道具を考案して国内外の品評会で高い評価を得たが、現代表の照久氏も、同市内の「小国和紙」との共作による照明器具「ゆきほのか」(註13)や、県内の染物、木工の工房と共作した椅子など、曲物技術を生かしたユニークで実用的な商品を発表している。

6.終わりに

足立茂久商店は「道具屋」である。江戸時代より続く伝統的な製法を頑なに守りながら、人々の生活に共する製品作りを行っている。
しかし、ただ「頑な」であれば良いわけではない。道具は使われてこそ活きるものであり、時代や風俗の変化に対応できる柔軟性を持たなければ無用の長物となる。足立茂久商店は、そのような伝統工芸品のもつ「弱み」ともいえる部分に着目し、技術的に難しいとされていた「電子レンジで使えるわっぱ」(註14)の商品化など、伝統的な技術と知恵を生かしながら、時代のニーズを捉えた製品作りにも挑み続けている。
近代日本における生活文化は、複雑化・多様化する社会の変化とともに変容してきたが、今日、循環型社会への移行が求められる中で、資源の有効活用や再利用の重要性はもちろん、環境性能や安全・安心を求める需要も、益々高まるものと予想される。そして同時に、それに応える確かな技術の承継も重要になると考えられる。古来よりヒトとモノを輪のように結んで、地域社会や産業を発展させる礎となった曲物が、新たな生活文化をつなぐ役割を担って行くことを期待したい。

  • 1 【写真1】足立茂久商店の工房。江戸時代には60軒ほどあった山田集落の戸数はわずか21軒に減少し、足立茂久商店ただ1軒だけが、かつての「篩の里」の面影を残している(2017年10月 筆者撮影)
  • 2 【写真2】足立茂久商店の11代目、足立照久氏の作業風景(2017年10月 筆者撮影)
  • 3 【写真3】工房内に積まれた材料部品。現在は主に奈良県産の檜材が使われている(2017年10月 筆者撮影)
  • 4 【写真4】「馬の毛で織られた網」が張られた「裏ごし」(2017年10月 筆者撮影)
  • 5 【写真5】足立茂久商店の主な商品を展示したショーケース(2017年10月 筆者撮影)
  • 6 【写真6】先代の足立一久氏が手がけた新潟県産の杉材を使用した「茶道具」は、カナダをはじめ国内外の品評会等で高く評価された(2017年10月 筆者撮影)
  • 7 【写真7】曲物技術を応用したユニークな新商品の一例(2017年10月 筆者撮影)
  • 8 【写真8】白飯に魚介や山菜などを乗せ蒸籠で蒸して作る「わっぱ飯」は、新潟の郷土料理のひとつである/(柏崎市)割烹 三世志家(2017年10月 筆者撮影)

参考文献

【註記】

註1:成田 壽一郎 著『曲物・箍物』理工学社、1996年:P.34 を参照
註2:岩井 宏實 著『曲物 ものと人間の文化史75』法政大学出版局、1994年:P.243-244 を参照
註3:インターネット通販が好調のため納品まで約3~6ヶ月待ちの状況である(足立照久代表より聞き取り、2017.10.13)
註4:寺泊町(新潟県) 編『寺泊町史 資料編4 民族・文化財』寺泊町、1988年:P.452 を参照
註5:同上:P.455 を参照
註6:同上:P.5 を参照
註7:成田 壽一郎 著『曲物・箍物』理工学社、1996年:P.82-83 を参照
註8:「大館曲げわっぱ協同組合ホームページ」, を参照
註9:2017年10月現在の状況。福島県「桧枝岐村営林産所」売店の売り場及び窓口にて確認(2017.10.9)
註10:「馬毛の網」で漉した食材は、他の素材では再現できない滑らかさが得られるという。また、静電気も起きにくいことから火薬や砂鉄の篩にも用いられる。現在、国内での供給は限定的であり、海外の製品では曲物に使用できる品質の物を確保するのは難しい状況である(足立照久代表より聞き取り、2017.10.13)、なお、東京都中野区の「有限会社 大川セイロ店」では、馬毛用の機織り機を復刻し、自前で馬毛の網の製造を行っている(大川セイロ店 大川良夫代表に電話で確認、2017.11.3)
註11 白飯に魚介や山菜などを乗せて蒸籠で蒸した料理。新潟県内では多くの旅館や和食店などで提供されている。
註12:「新潟県クラフトマンクラブ・ホームページ」, を参照
註13:第56回(平成27年度)「全国推奨観光土産品審査会 日本商工会議所会頭努力賞」を受賞
註14:平成3年「科学技術庁長官賞」を受賞

【参考文献】

岩井 宏實 著『曲物 ものと人間の文化史75』法政大学出版局、1994年
寺泊町(新潟県) 編『寺泊町史 資料編4 民族・文化財』寺泊町、1988年
成田 壽一郎 著『曲物・箍物』理工学社、1996年
牧野隆信 著『北前船の時代 近世以降の日本海海運史』教育社、1979年

新潟県クラフトマンクラブホームページ,(閲覧日 2017.10.20)
大館曲げわっぱ協同組合ホームページ,(閲覧日 2017.10.5)
長岡市ホームページ「人口と世帯数(平成29年12月1日現在)」,(閲覧日 2018.1.9)
長岡市商工部工業振興課ホームページ「TECH NAGAOKA [テックナガオカ]/足立茂久商店」,(閲覧日 2018.1.9)
柚木泰彦 著「『曲げわっぱの森』の102年生秋田杉を用いた大館曲げわっぱ開発」,(閲覧日 2017.11.16)

【取材先】

「足立茂久商店」 新潟県長岡市寺泊山田
「檜枝岐村立 歴史民俗博物館」 福島県南会津郡檜枝岐村
「桧枝岐村営 林産所」 福島県南会津郡檜枝岐村
「有限会社 大川セイロ店」 東京都中野区(電話による取材のみ)

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