筑波山地方の伝統芸能「ガマの油売り口上」の歴史と伝承
1. はじめに
ガマの油売り口上は、茨城県筑波山地方の名物として知られる伝統芸能であり、現在、茨城県つくば市の地域文化財に認定されている。
本稿では、江戸時代に始まったガマの油売り口上が現在も大道芸として存続している点、また、大道芸であるガマの油売り口上が地域文化財に認定されている点に着目し、ガマの油売り口上の歴史と伝承のあり方について調査報告する。
2. 基本データと歴史的背景
2.1 地理的情報
ガマの油の発祥とされる筑波山は、茨城県つくば市の北端に位置する男体山と女体山からなる双耳峰であり、標高877mの日本百名山の中で最も低い山である。
また、富士山と並ぶ関東の名山として「東に筑波、西に富士」と称され、古くは『万葉集』や『小倉百人一首』にも詠まれている。
2.2 ガマの油の由来
筑波山地方におけるガマの油の歴史は古く、その起源は戦国時代にさかのぼる。
大坂冬の陣(1614年)と大坂夏の陣(1615年)に徳川軍の従軍僧として参加していた筑波山の知足院中禅寺(現筑波神社)の二台目住職である光誉上人が負傷者の救護に使用した膏薬がよく効くと評判になった。そして、光誉上人の風貌がガマガエルに似ていたことから、その膏薬が「ガマ上人の油薬」と呼ばれるようになり、以降、ガマの油は陣中で使用された膏薬として「陣中膏ガマの油」と呼ばれるようになったと言われている。
なお、昔のガマの油は、ヒキガエルの耳腺の分泌物から作られる蟾酥(センソ)と呼ばれる生薬を主成分としていたが、現在市販されているガマの油には蟾酥は含まれておらず、グリセリンやスクワランなどを成分としている。(写真1)(資料1)
2.3 ガマの油売り口上名人の由来
筑波山地方では、「陣中膏ガマの油」を広めたのは永井兵助(幼名を平助という)であると伝えられている。新治村(現在の土浦市)永井に伝わる話によると、百姓の長男として生まれた平助は、江戸の深川にある木場問屋で働く中で、筑波山大御堂に参拝した際にガマの油を売ることを思い立ち、浅草の香具師である長井兵助の元で修行を行い、ガマの油売りを始めたと言われている。また、この際に師事した長井兵助が居合い抜きの芸を得意としたところから、これを参考にして紙切りや腕切りを見せ場とする芸を確立し、名前を「永井兵助」に改めたことが、今日に伝えられる「ガマの油売り口上名人」の名前の由来であるとされている。
2.4 ガマの油売り口上の衰退
古典落語である『両国八景』にガマの油売りが登場する。この『両国八景』の前半部分が独立したものが『居酒屋』、後半部分が独立したものが『蝦蟇の油』として知られている。
明治初期以降に落語の『蝦蟇の油』は世間に広く知れ渡るようになるが、大道芸としてのガマの油売り口上は衰退していったと言われている。これには明治政府の近代化政策により、多くの大道芸が悪風俗として禁止されたことや、薬事法の規制により大道での薬の販売が禁止されたことなどが関係すると考えられる。
2.5 ガマの油売り口上の観光資源化
第二次対戦後、当時の筑波町観光協会(1946年設立)により、ガマの油売りの観光資源化がはかられ、その活動の中で、「ガマの油売り口上名人」の認定制度が作られた。また、同時期に、東京から招いた噺家の教示を得て現在のガマの油売り口上が完成したとされている。
また、1973年の茨城国民体育大会、1985年のつくば万博、2007年の全国健康福祉祭(ねんりんピック)などのイベントでメディアに取り上げられたことにより、ガマの油売り口上が広く世間に知れ渡ることとなった。
3. 評価すべき点
3.1 筑波山ガマ口上保存会の活動と名人認定制度
筑波山ガマ口上保存会は、ガマの油売り口上の愛好者の裾野を広げ、後継者の指導・育成をはかり、地元の観光の活性化に協力することを目的としたボランティア団体であり、『正調ガマの油売り口上』を伝承されている。1999年の設立当初の会員数は10名ほどであったが、現在、全国に約76名の会員が在籍されているとのことである。(註1)
本保存会では、つくば市市民研修センター特別講座として「筑波山ガマ口上講座」を開催されている。なお、口上師の称号を得るには、当該講座を受講しその後に会員として2年以上のガマの油売り口上の経験を積む必要がある。
また、本保存会の役員会が推戴した人物に対して、つくば観光コンベンション協会から「名人の認定書」が授与され、認定された名人は名人位の称号である「永井兵助」を襲名される。このような口上師の認定制度や、名人の認定・名人位の襲名制度が設けられている点は大道芸としては珍しく、先述の本保存会による講習会の活動と合わせて、ガマの油売り口上の伝承と後継者の育成に大いに貢献していると考えられる。
3.2 つくば市認定地域文化財への認定
つくば市では、「つくば市認定地域文化財」という独自の制度を設けられている。これは、つくば市に存在する地域の歴史として親しまれ、継承されてきた文化財のうち、国・県・市の指定や登録を受けた文化財以外の有形・無形文化財、有形・無形民俗文化財、および史跡名勝天然記念物を所有者・管理団体からの申請にもとづき、つくば市教育委員会が「つくば市認定地域文化財」として認定を行われるというもので、平成25年に『筑波山ガマの油売り口上』がつくば市認定地域文化財の第1号に認定されている。(註2)
通常、地域文化財というと、その地方に伝わる伝統行事や工芸品、史跡などが連想されるが、大道芸であるガマの油売り口上が地域文化財に認定されていること、すなわち、ガマの油売り口上が歴史的に価値のあるものとして認められていることは評価すべき点である。
4. 他の事例との比較
ここでは、ガマの油売り口上と同様に物品販売の口上を源流とする大道芸である門司港発祥の「バナナの叩き売り」との比較を行う。
バナナの叩き売りは、口上師が軽快な口上を述べながら、高い値段から徐々に安い値段に下げていくバナナの競り売り販売方法であり、第二次世界大戦により一時は衰退したが、1976年に地元住民による地域おこしの一環として再開され、現在は、門司港名物の大道芸として「門司港バナナの叩き売り連合会」により継承されている。また、門司港バナナ塾実行委員会(門司港バナナの叩き売り連合会、門司区役所)により「門司港バナナ塾」が開催され後継者の育成が行われている。
以上のように、ガマの油売り口上とバナナの叩き売りは、物品販売の口上を源流とする大道芸であり、時代の変遷によりいったん衰退したが、その後に地域・団体の活動により復興し、後継者の育成が行われているという共通点がある。
一方、バナナの叩き売りは「門司港駅(旧門司駅)本屋」、「北九州市旧大阪商船」、「旧門司三井倶楽部本館、附属屋」などと合わせて、日本遺産「関門“ノスタルジック”海峡 〜時の停車場、近代化の記憶〜」の構成文化財(註3)に指定されているが、これに対し、ガマの油売り口上は単体で地域文化財の認定を受けているという違いがある。
5. まとめ −ガマの油売り口上の魅力と今後の展望−
現在、筑波山ガマ口上保存会では、筑波山地方のイベントをはじめ、土曜・日曜、祝日には筑波山神社の随神門脇および筑波山ケーブルカー筑波山頂駅御幸ヶ原広場でガマの油売り口上を実演されている。(写真2、写真3、写真4)
筑波山ガマ口上保存会で伝承されている『正調ガマの油売り口上』には基本となる型がある。しかし、実際の口上では、口上に登場する植物「大葉子(オオバコ)」の絵を見せて観客に説明するなど、口上師の創意工夫による若干の違いが見られる。また、口上の見せ場である紙切りや腕切りだけではなく、口上の合間に行われる観客への質問や観客からのヤジへの応答などの「掛け合い」も含めて観客を飽きさせない。すなわち、ガマの油売り口上は、多くの人が楽しむことが出来るエンターテインメントであり、これらのすべての要素が観客を惹きつけ、ガマの油売り口上の魅力につながっていると考えられる。
最後に、がまの油売り口上の次世代への伝承の事例を紹介する。
茨城県立筑波高校による「体験的地域学 つくばね学」の活動において、ガマの油売り口上の講座が設けられている。また、牛久市奥野地区の女子小中学生で結成された「おくのガマガール」により、ガマの油売り口上が地域のイベント等で披露されている。このようにガマの油売り口上は、筑波山地方の伝統芸能として確実に次世代へ伝承されている。(資料2)
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写真1:筑波山神社近辺の土産物屋で筆者が購入した「ガマの油」。
(2023年10月7日購入)、2024年1月21日、筆者撮影 -
写真2:筑波山神社随神門脇の筑波山ガマ口上保存会ののぼり
2023年10月7日、筆者撮影 -
写真3:筑波山ガマの油売り口上保存会による「ガマの油売り口上」の実演(筑波山ケーブルカー山頂駅、御幸ヶ原広場にて)
2023年10月22日、筆者撮影
(非公開) -
写真4:筑波山ケーブルカー山頂駅、御幸ヶ原広場からの風景
2023年10月22日、筆者撮影 -
資料1:「ガマの油」の成分
筆者作成(筆者が購入した市販の「ガマの油」の成分表より抜粋) -
資料2:「子ども伝統文化フェスティバル in 龍ヶ崎(2023年10月29日)」チラシ
(下記URLより入手。2024年1月16日に茨城県県民生活環境部生活文化課文化振興担当より許可を得て使用。)
https://www.bunkajoho.pref.ibaraki.jp/wp-content/uploads/2023/10/bd8d7d9954ac7b2771bde5cceabb961d.pdf
(非公開)
参考文献
【註】
(註1)
「筑波山ガマ口上保存会」事務局の方から頂いた情報によると、会員数は「76名」とのことであった。
(2024年1月確認)
(註2)
名称および指定年月日については、つくば市 ホームページの「文化財の保護」ページにある「つくば市の認定地域文化財」を参照した。
https://www.city.tsukuba.lg.jp/material/files/group/156/t-ninntei.pdf
(2023年11月閲覧)
(註3)
日本遺産 関門"ノスタルジック"海峡~時の停車場、近代化の記憶 ホームページの「構成文化財一覧」ページを参照した。
https://www.japanheritage-kannmon.jp/bunkazai/list.cfm
(2024年1月閲覧)
【参考資料】
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西邑雅未、黒田乃生「筑波山における観光ルートの変遷」、『ランドスケープ研究』78巻5号、p.587 - 592、公益社団法人日本造園学会、2015年12月
林正一「7「陣中膏」ガマの油−筑波山の土産物(つくば)」、『人づくり風土記−全国の伝承 江戸時代 聞き書きによる知恵シリーズ (8)故郷の人と知恵 茨城』、社団法人農山漁村文化協会、p.133 - 141、1989年3月
佐藤雅志(執筆)、小沢昭一、矢野誠一(監修)『物語で学ぶ日本の伝統芸能 五 寄席芸・大道芸』、株式会社くもん出版、2004年4月
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齋藤孝『声に出して読みたい日本語』、株式会社草思社、2001年9月
林正一「筑波山と土浦のガマの油 ガマの油のルーツと三人の兵助の関係は?」、『CROSS T&T』第55号、p.25 – 28、一般財団法人総合科学研究機構、2017年2月
碓井益雄『ものと人間の文化史 64 蛙』、財団法人法政大学出版局、1989年10月
興津要『古典落語』、株式会社講談社、2002年12月
鈴木昶『伝承薬の事典 -ガマの油から薬用酒まで-』、株式会社東京堂出版、1999年2月
講談社文芸文庫(編)『昭和戦前傑作落語選集』、株式会社講談社、2013年3月
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https://nagaihyousuke.gamagaeru.jp/
(2023年10月閲覧)
つくば市 ホームページ
「文化財の保護」ページ
https://www.city.tsukuba.lg.jp/kankobunka/bunka/rekishi/1001638.html
(2023年10月閲覧)
つくば市認定地域文化財規則 平成24年11月30日 教育委員会規則第10号 (令和4年4月1日施行)
https://www1.g-reiki.net/tsukuba/reiki_honbun/e019RG00000987.html
(2023年11月閲覧)
筑波山がまの油売り口上研究会 ホームページ
http://gamaken.wp.xdomain.jp/
(2023年10月閲覧)
伝承芸能 筑波山ガマの油売り口上 ホームページ
https://gamaoil.jimdofree.com/home/
(2023年10月閲覧)
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「特集 No. 7 茨城県つくば市に伝わる「ガマの油売り口上」、その魅力とは。」ページ
https://www.bunkajoho.pref.ibaraki.jp/dento/topic/%e2%84%96-7-%e8%8c%a8%e5%9f%8e%e7%9c%8c%e3%81%a4%e3%81%8f%e3%81%b0%e5%b8%82%e3%81%ab%e4%bc%9d%e3%82%8f%e3%82%8b%e3%80%8c%e3%82%ac%e3%83%9e%e3%81%ae%e6%b2%b9%e5%a3%b2%e3%82%8a%e5%8f%a3%e4%b8%8a
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「昔はこんな薬もありました6 ~『がまの油』他~」ページ
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https://chuco.co.jp/chucocms/wp-content/uploads/2023/03/couta_k_2206.pdf
(上記資料は、株式会社中広ホームページの「地域みっちゃく生活情報誌 『クータ』」のページより参照)
https://chuco.co.jp/information-magazine/%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%82%BF/
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(2023年11月閲覧)
「ふるさとは誰にもある。そこには先人の足跡、伝承されたものがある。つくばには ガマの油売り口上がある。」ホームページ
https://blog.goo.ne.jp/htshumei
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(上記資料は、日本化粧品工業会ホームページ、「自主基準・ガイドライン」ページより参照)
https://www.jcia.org/user/business/guideline/
(2024年1月27日閲覧)