日常と信仰の歴史的建造物 備後地方に点在する辻堂

池田 佳織

はじめに
備後地方に点在する辻堂の現状の評価と今後の展望について論ずる。

1.備後地方の辻堂の概要
広島県と岡山県をまたぐ備後地方に、地域の人から「お堂」(または「四ツ堂」「辻堂」「地蔵堂」「憩堂」など)と呼ばれている建造物がある。田畑や道路の脇に建てられた、壁のない四本柱の屋根のある簡素な木造のお堂である。多くは二畳ほどの広さで、地蔵菩薩の仏像を安置していることが多い。主に旧道に沿って建てられている。辻堂は全国にあるが、備後地方の辻堂はその数の多さと壁のないことが特徴である。その数は江戸時代に600ほどあったそうで、現在はその半数以下であるが、他の地域に比べると数は多いという(1)。また、一般的に「辻堂」というと壁のある建物を指すが、備後地方の辻堂は壁がないものがほとんどである。もとは旅人が休憩するための建物であったが、お地蔵様が安置され地域の信仰の場になったといわれている。現在でも辻堂は人が憩う場所となっている。農作業の休憩をしている人の姿や子供たちが遊んでいる姿を見かける。いつもお地蔵様に花や酒が供えられている辻堂もある。祭りの神輿の中間拠点となっている辻堂もある。改築されコンクリート造りとなった辻堂などもあるが、どれも地域の風景に溶け込んでいる。多くの辻堂は、床が一段高くなっており、靴を脱いで上がったり靴を履いたまま腰かけたりすることができる。半屋外・半屋内のような小さな空間となっている。歴史のある辻堂だが、誰でも自由に利用することができる。これらの辻堂は備後地方に多く点在している。

2.備後地方の辻堂の歴史と現状
備後地方の辻堂の歴史について明確な記録はない。福山藩初代藩主・水野勝成の命令で整備されたという言い伝えがある。しかし、これは言い伝えであり、田口由実は「水野勝成が積極的に造立したというのは、はなはだ疑わしい」(2)と言う。『文化財ふくやま第53号』(福山文化財協会、2018年)によれば、元禄13年(1700)の検地帳に、「四ツ堂」や「○○(地名)堂地」などとして辻堂らしきお堂が記録されている。その後の時代の検地帳を見ると、江戸時代に辻堂の数は増えている。田口由美は、中世から栄えた地域に辻堂の数が多いことから、「検地帳に記された四ツ堂や堂地は中世の時代に発生したものだろう」(2)と推測している。備後地方の辻堂の歴史としては、中世から存在し江戸時代に数が増えたと考えられる。
現在、この辻堂を見ると、地域住民に必要とされていることが分かる。人々の休憩や交流の場として機能している。木造やコンクリート造り、また壁やベンチの有無など、多種多様なスタイルの辻堂が存在する。これらは、地域の暮らしに合わせた変化だと考えられる。辻堂の多くは、共有地または私有地にあり、その管理も住民によるものである。近年になっても建て替えが行われており、これは地域に必要とされていることの証拠となると思われる。無料で誰でも利用することが出来るにも関わらず、いつ見てもゴミはなく綺麗な状態が保たれている。日常的な清掃をする地域住民がいると予想される。備後地方の辻堂は、歴史的価値を持ちながら生活に溶け込んでいる。

3.優れている点
辻堂には、その小さな空間に信仰の場としての機能と休憩所としての機能と地域の集会所としての機能が備わっている。
まず、信仰の場としての機能を確認する。私が確認したすべての辻堂は、地蔵菩薩の仏像などの信仰対象となる存在が安置されていた。特に、信仰の機能が強いのが福山市神辺町徳田の箱田川堤防沿いの広場にあるお堂である。このお堂は、「お月さん」と呼ばれる月の形の石と並んで建っている。明治から大正時代に流行した「お月」信仰の名残として、月形の石が祀られているという(3)。また、福山市加茂町の辻堂には、楕円形の石が安置されている。地元の方に伺うと、昔は馬や牛が死んだ際の供養をここで行っていたと言う。ほかに、福山市駅家町助元にある辻堂には、「亥の子石」が置かれている。子供のための年中行事である亥の子は、西日本で盛んな行事である。それに使用していたであろう「亥の子石」である。これらの事例を見ると、歴史的に多様な信仰を辻堂が受け入れていたことが分かる。庶民にとっての日常の中の信仰の場となっていたと想像できる。現在においても、祭りの中継地点として辻堂が使用されたり、お堂内の仏像に日常的に花や酒が供えられていたりと信仰の場としての機能をもっている。
次に、休憩所としての機能を確認する。ほぼすべての辻堂に屋根がある。また、多くの辻堂は座ることのできる形状をしている。形状の差異があるが、特に座ることの出来る辻堂で休憩している人の姿を見かけることは少なくない。農作業や散歩の途中で休む大人や下校途中で話し込む子供たちを見かけることが出来る。
続けて、集会所としての機能を確認する。福山市神辺町川北の神辺城の麓の辻堂には、小学校への通学するための集合場所としての標識(「文」のマークと「集合場所」の文字)が付いている。ほかに、福山市金江町金見の旧道にある辻堂や福山市藤江町の辻堂の横には、小さな物置が立てられている。祭りの出発地点などで使われる辻堂には、その行事のための道具を保管するための物置が付随していることがある。公民館やゴミ収集所と同じ敷地内に建つ辻堂もある。辻堂には、集会所もしくは公民館のような機能が備わっていると思われる。
こられの機能は、公園や公民館、寺社仏閣と類似していると考えている。しかし、これらと比較すると辻堂の規模は二畳ほどとかなり小さい。これらの機能が複合的に備わっており、また生活に馴染む小さな規模であることが優れている点だと考える。

4.課題と今後の展望
この辻堂の課題として、2点の課題を挙げたい。
1つめの課題は、保存活動の少なさである。現状においても、建て替えや改築など行われているが、崩壊や消滅をしている辻堂が存在することも事実である。福山市山野町の県道坂瀬川芳井線にある辻堂も、消えつつある辻堂の一つである。バス運行の廃止により利用者がいなくなった辻堂である。辻堂は、そこに旧道があり人の往来があったこと、もしくはそこに地域のコミュニティや信仰があった証である。そういった歴史の証拠が人知れず消えていく現状がある。また、福山市神辺町徳田の辻堂は屋根が崩れかけており、立ち入り禁止となっている。この辻堂は、2023年5月時点において、地域住民による「辻堂を保存する会」を立ち上げようとする動きがある。お堂の歴史的な価値を見直し、必要であれば保存活動をするべきではないだろうかと考える。
2つめの課題は、宣伝・継承活動の少なさである。辻堂に関してのまとまった情報が少ないと感じる。日常の中にあるのに、辻堂について知っている人は少ない。備後地方をドライブすれば、道路沿いには多くの辻堂を見ることが出来るが、それらの辻堂に観光案内看板のようなものは基本的に付随していない。福山市加茂町の加茂中学校近くにある辻堂は、「中国自然歩道」(中国5県を一周する長距離自然歩道)の案内板が立てられており、辻堂の由来が記載されている。しかし、こういった辻堂は多くない。辻堂のもつ歴史的価値に加えて、休憩所としての機能を宣伝・継承すればこれからも多くの人に利用されるのではないだろうかと考える。
辻堂のもつ機能は、公園や公民館、寺社仏閣と類似している。公園や公民館のように行政と地域住民によって管理を行い、一部の寺社仏閣のように観光としての側面を強化すれば、辻堂がさらに価値のある存在になると考える。

おわりに
備後地方の辻堂は、他に少ない特徴的な歴史的建造物である。庶民のための信仰の場であり、休憩所であり、集会所であり、公民館や公園のようでもある。小さな空間に、地域の生活に必要な機能は複合的に備わっている。現在において、数は減少しつつあるが、備後地方の辻堂は地域にとって有用な価値のある場である。I

  • 81191_011_31986024_1_1_img_1810 広島県福山市神辺町と加茂町の辻堂
    (2021年〜2022年 筆者撮影)
  • 81191_011_31986024_1_2_img_1817 広島県福山市神辺町と加茂町の辻堂
    (2022年筆者撮影)
  • 81191_011_31986024_1_3_img_1823 広島県加茂町の辻堂脇に建つ案内看板
    (2021年5月筆者撮影)
  • 81191_011_31986024_1_4_img_1827 左 昔は牛馬を供養していたと言う加茂町の辻堂に安置されている石
    中 お月さん信仰の石像 神辺町の辻堂
    右 五穀神信仰の石像 加茂町の辻堂
    (2022年〜2023年筆者撮影)
  • 81191_011_31986024_1_5_img_1824 「保存する会」を発足しようとする動きのある神辺町の辻堂
    (2023年5月筆者撮影)
  • 81191_011_31986024_1_6_img_1833 日常的に酒や花が供えられている様子
    (2021年〜2023年筆者撮影)

参考文献

引用
(1)秋山由実著『福山の憩亭百景』、福山文庫、2017年
(2)福山市文化財協会編『文化財ふくやま 第53号』、2018年
(3)秋山由実著『路傍の語りべ』、福山リビング新聞社、2017年

ご協力
福山市経済環境局 文化観光振興部 文化振興課 ご担当者様
辻堂を巡る際にお話を聞かせていただいた地元の方々

参考文献
げいびグラフ編集部編『芸備選書 ふるさとの道と民俗』、菁文社、2001年
立石憲利著『岡山文庫23 岡山の伝説』日本文教出版、1969年
森本繁著『備後の歴史散歩〈上〉』、山陽新聞社、1995年
東山欣之介著『街道探索 福山藩の山陽道』、2003年
御幸町郷土史研究会編『御幸町の史跡散歩』、1999年
加茂谷の史跡めぐり編集委員会 加茂学区まちづくり推進委員会編『加茂谷の史跡めぐり』、2006年
「広島県の自然歩道 ひろしまけん」(https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/eco/j-eco-shizen-2010.html)2022年11月26日閲覧
「備後の辻堂の名称に関する考案 備陽史探訪の会」(https://bingo-history.net/archives/23619)2022年11月26日閲覧
「備後の四ツ堂 備後の遺産を訪ねて」(http://www.bes.ne.jp/forum/bingoohrai/akiyama_yumi/037/index.html)2022年2月26日閲覧
「ゆきまさ(行政)君と四つ堂(よつどう)散策 行政書士佐藤稔法務事務所」(http://www.cosmosmino.com/syuminosekai.htm )2022年11月26日閲覧
「三次のお堂群「どうさん」のリーフレットが出来ました。 大朝=水のふる里から」(https://mizunosato.exblog.jp/21095387/)2022年11月26日閲覧
「広島)福山市駅家町の辻堂 住民が調査、冊子に 朝日新聞」(https://www.asahi.com/sp/articles/ASMDL644JMDLPITB016.html)2022年11月26日閲覧
「安芸・備後の辻堂の習俗 文化遺産オンライン」(https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/136824)2022年11月26日閲覧
「辻堂 ふくやま」(https://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/uploaded/attachment/53717.pdf)2022年11月26日閲覧
「備後地方に根付く吹き放し堂に関する研究」(https://fukuyama-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=8102&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1)2022年11月26日閲覧
「街道を歩き憩亭を訪ねる」(http://k-yagumo.sakura.ne.jp/web4/ikoi.html)2022年11月26日閲覧

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