横浜市在住A氏による人生最期のライフデザイン (ACP実施の前後における絵の変化から見るライフデザインの変化)

三田 和紀

2025年には団塊の世代が75歳以上となり、5人に1人が後期高齢者になる。国はこれに備えて住み慣れた街で最期まで暮らせる仕組みである「地域包括ケアシステム」[1]を構築してきた。
ここ数年で人生の最期を考える仕組みも変化し、治療のみを主に考えた一方通行型の事前指示[2]やDNAR[3]のみでなく、双方向型のインフォームドコンセントが生まれ、更にはACP(アドバンス・ケア・プランニング)[4]が提唱されるようになった。ACPとは「年齢と病期にかかわらず、成人患者と、価値、人生の目標、将来の医療に関する望みを理解し共有し合うプロセスのこと」とされている。[4] また世界各国においてもACPに対する研究が盛んに行われるようになり[5]、自らが希望する医療・ケアを受けるために、大切にしている事や望んでいること、どこで、どのような医療・ケアを望むかを自分自身で前もって考え、周囲の信頼する人たちと話し合い、共有する事が重要な時代となってきている。
神奈川県横浜市においては平成29年に「人生の最終段階の医療に関する検討・啓発事業検討会」を設置し、平成30年には「もしも手帳」を作成・配布、令和3年には「もしも手帳」を認知症の方でも理解出来るように作り直した「もしも手帳わかりやすい版」を作成し、youtube上に「人生会議」短編ドラマを2本製作・公開した。[6]
平成29年の厚生労働省による人生の最終段階における医療に関する意識調査[4]では、人生の最終段階における医療に関する関心が、医療・福祉従事者(約80%)に比べ、一般国民(約60%)が極端に低い事が分かった。[7]
また死に近い場合に受けたい医療・療養や受けたくない医療・療養について家族や医療介護関係者と話し合った割合も極端に低かった。[8] 話し合ってこなかった理由では「話し合うきっかけがなかった」事が一番多く[9]、きっかけがあれば人生の最期をどの様に過ごせるかを自身でデザイン出来るのでないだろうか。
そこで私は横浜市内に住む末期がんを患っているA氏に対し、ACPの概要や取り組み方を伝え、家族と共有する事で残された時間を家族や友人などと共にデザインしてもらうことを目的に、その前後において、精神状態を表してもらうために絵を描いてもらい、比較検討した。
A氏は生まれも育ちも横浜市内で、現在の居住地である区内で数回移り住んでいる。現在の住居は戸建てで、奥様と三男と同居している。元々家業を親から引き継ぎ、現在は実質的な経営を長男に引継ぎ、余生を妻と共に過ごしている。
私が携わる事となったのは最後の入院から自宅へ戻る時で、既に医師からは「多発性骨髄腫の末期状態で自宅でのターミナルケア相当」という状態であった。その際は接していると「何もやる気にならない」「生きていてもつらいだけ」とネガティブな発言が多く、骨転移もしていたことから痛みも強かった。将来に対してポジティブや考えが出来ず、自暴自棄になり、それを看ている家族との関係も悪化していた。その当時のADLは概ね自立しており、ネガティブ発言はある物の、身体は軽快に動くため外出を楽しんだり、オカリナを始めたりと人生を謳歌している様子だった。
医師から頓服で処方されていた医療用麻薬は極力飲まずに過ごし、痛みが増しても内服することはなかった。その際に描いてもらった絵(添付絵[1])も黒の単色で単純な構造をしている。
その後痛みの増悪と疾患の進行に加え、コロナウイルス感染予防対策として外出を控えたこともあり、下肢筋力の低下が顕著となった事を機に、介護保険制度を用いて生活の支援や福祉用具の導入を図り、訪問による看護や訪問によるリハビリを導入した。少しでも身体に負担をかけずに住み慣れた自宅での生活が送れるようにケアプランを作成した。また訪問看護師には精神的なフォローに加え、家族支援も依頼し、常々状況の変化について情報共有を行った。
関係性が築かれつつある中で、私が芸術大学に通っている事と、人生の最終段階におけるライフデザインに興味がある旨を告げたところ、少し前向きになり、「共に残された時間をデザインしていきたい」と言う様になった。その際に描いてもらった絵(添付絵[2])では色を複数用いて描いているのが分かる。
携わり始めた当初はケアマネジャーや医療に他する不信感が強く、「どうせ何も出来ない。これ以上よくならない。」といった発言もよく聞かれていた。
限られた時間の中で、最後に成し遂げたいことや行きたい場所、会いたい人がいるかを何度も問い、そこから具体的な方法を検討し、実施してきた。
一度決めた内容でも、いつでも変更できる事、突然の思いたちでも極力協力していく旨を伝えていた。
この時にケアマネジャーとして具体的に行なったことは、①医療用麻薬の使用状況の把握からみた適切な服用方法を訪問看護師と検討し、服用した時間をノートに記載し、関係者や家族、本人が自主的に、かつ予備的に服用出来るようにした。②訪問リハビリを導入し、リハビリ専門職による体力や身体機能の評価を定期的に実施し、家族と共に介助を行うことで本人にとって安楽な状態を保てるようにした。その結果、本人及び家族でも適切なタイミングで介助が行えるようになり、当初は本人も他人から手を借りることに拒否感が強かったが、家族が多く携わることで介入が容易になった。また家族が適切な介助方法を体得することで本人の状況がわかり、余生についてより一緒に考えてくれるきっかけが生まれた。
③「他県に住んでいる弟と一緒に旅行に行きたい」といった明確な目標が聞こえるようになり、それに応えられるように旅行会社を選定し、計画を練った。現代の社会では専門の旅行会社があったり、ヘルパーや看護師、医師が旅行に同行出来る事もある旨も伝えた。
④福祉用具事業者と共に自宅生活や旅行先で不便のないようにするため、適切な福祉用具の選定を定期的に検討し、リハビリ職や看護職・医師を交えての検討会を実施した。
今後に向けての検討を重ねる事で、本人の中で将来に対する希望と、残りの人生をより真剣に考えるようになっていた。
【考察】
ターミナルケア期における患者や家族が死を受け入れる際には5段階あると言われている。[10]
「否認・孤立」・「怒り」・「取引」・「抑うつ」・「受容」である。
最初の絵[1]では自身を中心に置き、その周囲には網目の様な模様が描かれている。一見何を描いているのか分からないため、この瞬間は「否認・孤立」の様な時期、本人の中でも混乱していた時期なのかもしれない。
次に描いてもらった絵[2]では同じく中心付近に自身であろう〇があり、その周りを赤や黄色、青と言った色彩豊かな点が多く観られる。また周囲を大きく赤い線で描かれていることから、「受容」段階にあるのではないかと推察される。自身を取り巻く多くの存在があり、その数が天の多さなのかもしれない。また外郭の赤い線は自身の心のキャパシティや頭の中での心の領域を示した物と推察される。
鎮痛薬を飲まずにいたのも「取引」の精神状態であろうと思われる。家族からは「専門職がいない時はとても落ち込んでいる様子」と聞いており、「抑うつ」の状態も観られていた。
更に今回のケースでは最終段階で『希望』を口にするようになった。
【結論】
ターミナル期にある患者に対しACPについて伝え、その前後における精神状態を把握するために絵を描いてもらった。その結果、死を受け入れる段階に相違ない事が分かった。
導入前にはネガティヴ思考が強かったが、導入後から家族の関係性も良くなり、今後のライフデザインを自身で行う様になった。

  • 81191_011_32083211_1_1_%e7%b5%b51 絵[1]
  • 81191_011_32083211_1_2_%e7%b5%b52 絵[2]

参考文献

(1)https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/kaigo_koureisha/chiiki-houkatsu/(2023年1月24日閲覧)
(2)https://www.tyojyu.or.jp/net/byouki/shumatsuiryou/jizen-shiji.html(2023年1月24日閲覧)
(3)https://www.jfcr.or.jp/hospital/about/pdf/guide_002.pdf(2023年1月24日閲覧)
(4)https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10801000-Iseikyoku-Soumuka/0000173561.pdf
(5)大濱悦子ら「国内外のアドバンスケアプランニングに関する 文献検討とそれに対する一考察」、Palliative Care Research、2019;14:(4) 269–79
(6)https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/kenko-iryo/iryo/zaitaku/acp/moshimo2021.html(2023年1月24日閲覧)
(7)https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10801000-Iseikyoku-Soumuka/0000173561.pdf P.31
(8)https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10801000-Iseikyoku-Soumuka/0000173561.pdf P.32
(9)https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10801000-Iseikyoku-Soumuka/0000173561.pdf P.35
(10)http://www.medagricare.jp/2020/01/03/%E7%B5%82%E6%9C%AB%E6%9C%9F%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E6%82%A3%E8%80%85%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%A8%E3%81%94%E5%AE%B6%E6%97%8F%E3%81%AE%E6%AD%BB%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%8F%97%E5%AE%B9%E9%81%8E/(2023年1月20日閲覧)

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